Phase 04 化けの皮の面が剥がれる時

文字数 10,011文字

 僕は、中学校での内申点が低かった。それは宿題の提出率がべらぼうに低かったのもあるのだが――なんというか、「勉強というモノが苦痛」だったのだ。やりたくもないことを勉強して、何のためになるのだろうか? 特に苦痛だったのは体育の授業と数学の授業だったか。ただでさえ運動神経が悪いのに、部活は運動部に所属しないと先生から気に入ってもらえず、内申点も貰えなかった。だから、基本的に部活は運動部と吹奏楽部の2択しか存在しなかった。僕はそれが気に入らなかったので――敢えて、文化部である情報部に所属することになった。
 情報部の顧問は、僕に優しかった。名前は――鈴村嘉明(すずむらよしあき)だったか。多分、僕がそういう障害を抱えていることを知っていたのだろう。
 鈴村嘉明という人物は――理科の先生でもあった。だから、彼に気に入られようと思って理科の授業は頑張って受けるようにしていた。その結果、理科の成績はそれなりに良かった。――いくら「内申点が低い」と言っても、社会と理科と英語の通知表上の成績は悪くなかったのだけれど。
 ある時、鈴村先生は部活の時間を使って僕に「特別授業」を与えてくれた。それは――「錬金術」に関する授業だった。ちょうど、錬金術を題材にしたバトル漫画や、賢者の石を巡る謎を描いた魔法使い見習いの小説が流行っていた時期だったので、そういう類のモノに対して興味を持っていたのだ。
「卯月くん、最近――『賢者の石』という単語をよく聞くと思わないか?」
「鈴村先生、急にどうしたんでしょうか?」
「ああ、なんとなく聞いてみた。ほら、最近錬金術師のバトル漫画や魔法学校の小説が流行っているからね。僕は両方読んだけど、矢っ張り面白かったよ」
「錬金術師のバトル漫画はアニメ版の方を見ました。それで気になったんですけど――ああいう腕って、中世の技術で作れるモノなんでしょうか?」
「まあ――そこはバトル漫画だから、大目に見てあげた方が良いだろう」
「そうですよね。――魔法学校の小説は第4作まで読みました。7年制の学校だから、『あと3作』はあるという計算になるんですよね。そして――『賢者の石』がキーアイテムになっているのは、記念すべき第1作ですよね?」
「流石卯月くん。――言いたいことは分かったか?」
「もしかして――『賢者の石は実際に作れるかどうか』とかそういう話でしょうか?」
「あー、分かっちゃったかー。そもそも、『賢者の石』というモノは――赤色をした不思議な石だ。その石には『卑金属を貴金属に変える』とか、『どんな病も治す』とか、『透明な物質を作る』とか――そういう力があるらしい」
「『どんな病も治す』っていうワードで思い出したんですけど、確かに――RPGにおいて体力を大幅に回復させるためのアイテムも『賢者の石』という名前ですよね」
「その通りだ。――『賢者の石』は、錬金術師の究極の目標であり、最終目標でもあるんだ。有名な錬金術師の1人であるパラケルスス曰く『紅玉の色をした石』とのことで――、その材料は硫黄と水銀と塩の3つだ。これらの材料を混ぜ合わせることによって、やがて『赤みを帯びた石』が出来上がる。それこそが賢者の石と言われている。――もっとも、そんなモノは幻想に過ぎなかったんだけど。ちなみに、万能薬の1つである『エリクサー』の正体も、賢者の石なんじゃないかと言われている」
 鈴村先生の「賢者の石論」は、とても分かりやすかった。しかし――理科の先生が話すことによって、僕の中にあった「賢者の石」の幻想は――粉々に砕け散った。
 それでも、僕は「ファンタジーに登場するアイテムを科学的に作ることが出来るのか?」という自問自答の元で理科の授業を受けていた。――言われてみれば、そういうモノは「化学」だけじゃなくて「生物学」や「地学」にも関係してくるし、もしかしたら「物理学」も多少は関わってくるのだろう。――結局、物理学と地学はそんなに点数を取ることが出来なかったのだけれど。
 そういえば――「硫化水素ガスによる自殺」が問題視されたのもこの時期だっただろうか。硫化水素ガスは、その名の通り――硫黄と水素を合わせることによって発生させることが出来る。時折「腐った卵の臭いで緊急搬送された」という事例を聞くことがあるが、それは紛れもなく硫化水素ガスが発生しているという証である。致死量となる濃度は1000ppmであり、5000ppmとなると即死である。――僕も入浴剤で発生させようと思ったが、すんでの所で母親に止められてしまった。当然か。
 もしも、僕の高校が養護学校じゃなくて進学校だったら――多分、理系の道へと進んでいただろう。特に、京都の立志社大学はそういう理医学系の仕事への就職率が高かったので――尚更目指す理由があった。――沙織ちゃんって、もしかして立志社大学の出なのか? そう思った僕は、例の事件が発生する前日に沙織ちゃんとスマホでチャットをしていた。
 ――沙織ちゃん、こんなことを聞くのもどうかと思うが、大学はどこの出なんだ?
 ――一応、京都の立志社大学よ。それがどうしたのよ?
 ――いや、なんとなく聞いてみたかっただけ。
 ――そう。なら良いんだけど。
 ――ところで、立志社といえばキリスト教系の有名な大学だな。
 ――ああ、確かに大学で聖書を丸暗記させられた覚えがあるわ。今でも空で言えるわよ? 出エジプト記から話す?
 ――そういうモノは望んでいない。
 ――だよね。なんかゴメン。
 ――それと、もう一つ聞きたいことがある。さっき、ポストの中を見たら「ソロモンの導き」という変な宗教の勧誘チラシが入っていたんだけど、沙織ちゃんはこの宗教を知っているのか?
 ――知ってるわよ? そう言えば、千里ニュータウンでも布教活動をしていたわ。なんでも、「蘇魯阿士徳の会」から発展していった新興宗教って聞いたけど、なんか厭な雰囲気だわね。
 ――分かった。それが聞きたかった。
 ――アハハ。今日はもう遅いし、明日また会社で会いましょ?
 ――そうだな。それじゃあ。
 沙織ちゃんとのチャットはそこで終わった。仮に「蘇魯阿士徳の会」がゾロアスター教系、そして「ソロモンの導き」がユダヤ教系だとすると――この2つは何らかの関係がありそうだ。僕はそう思った。



 事件の元凶である魔性の女を前に、僕はいくつかの質問をした。
「――化野薫さん、質問がある」
「どうしたのよ?」
「突然だが、『賢者の石』の材料は知っているか?」
「知っているわよ。――硫黄と塩、そして水銀でしょ? こんなモノ、知っていて当然だわ」
「そうか。――次の質問だ。人間が水銀を飲むと、どうなる?」
「そりゃ、当然死ぬでしょ。だって、水銀は人間にとって毒じゃないの」
「そうだな。でも――昔の人間は『水銀を飲むことによって永遠の命を得られる』と信じていた。特に有名なのは、歴史上で初めて中国大陸を統一した『(しん)始皇帝(しこうてい)』だ」
「なんで、始皇帝が水銀を飲む必要があったのよ?」
「彼は『徐福(じょふく)』という人物と共に不老不死の研究をしていた。そして、不老不死の研究をしている過程で日本にも上陸している。――日本各地にある『徐福の墓』と呼ばれている石碑がそれだ。どうも、始皇帝は『蓬莱(ほうらい)』という理想郷が今の日本列島にあると思い込んでいたらしい。――もっとも、当時の日本はまだ弥生時代であり、漸く農耕が盛んになり始めた頃だったのだけれど。ここで話を始皇帝に戻そう。彼は水銀を混ぜた『丹薬』を愛用していた。それは、水銀に『不老不死の効果がある』と信じられていたからだ。しかし――当たり前の話だけど、水銀は猛毒の液体だ。口に含むと死んでしまう。――確かに、マグロにも水銀が含まれているが、死に至る程の量ではなく、微量だ」
「だから、何が言いたいのよ?」
「――薫さんが起こした一連の殺人事件の死因は、飽くまでも水銀による中毒死だろう?」
「ど、どうしてそれを知っているのよ?」
 焦燥する魔性の女の元に、阿川刑事が駆け寄った。
「卯月さん、勝手に推理ショーを始めないで下さいよ」
「ああ、すまなかった。でも――事件の元凶を追い詰めたのは僕と沙織ちゃんが先だ」
「そうですか……。それはともかく、どうして一連の殺人事件が水銀による中毒死だと断定したのかというと――『蘇魯阿士徳の会』においてサプリとして売りつけていた錠剤の中に、致死量の水銀が含まれていたからです。モデルケースとして、坂下大希さんの遺体を司法解剖いたしました。その結果、体内から――水銀の成分が検出されました。化野薫さん、あなたは『蘇魯阿士徳の会』の信者に対して水銀入りのサプリを売りつけていたのでは?」
「わ、私はそんなモノを売りつけた覚えはありません!」
「言い逃れをしても無駄だ!」
 そう言って、阿川刑事は化野薫に対して司法解剖の結果が書かれた紙を押し付けた。
「阿川刑事、その紙を僕にも見せてくれ」
「ああ、コピーは5枚程用意してある。――しかし、本当に科学や医学が発達した現代において未だに錬金術を信じている人間がいるとは思わなかったよ」
「僕は思っていたけどな。――特に未知の疫病が蔓延してからは、寧ろそういうモノが後退している。――所謂エセ科学だ」
「なるほど。――確かに、疫病騒ぎの時はそういう類による詐欺被害の相談が相次いましたからね。人は疫病から『ワクチン』という叡智(えいち)の結晶を学ぶ時があれば、何の効果もない『エセ科学』を信じてしまうという時もある。『エセ科学』に騙されないようにするためには、矢張り最低限の理科の知識は得ておくべきだと思うんですよね」
「阿川刑事、その通りだ。――もっとも、世の中にはまだまだ科学で解明できないこともあるけど」
「でも、それってほんの一握りですよね?」
「そうだな。――その『ほんの一握り』を除けば、大概は科学で解明できる。オカルトなんて、所詮はインチキなんだ」
「なるほど。なんだかタメになりました。それはともかく、卯月さん――話を続けてください」
「ああ、分かっている。――化野薫さん、あなたは水銀が含まれたサプリを信者に押し付けて、そして中毒死に至らせた。これは、世間一般的に殺人幇助の罪に相当する。――中毒死に至らせた相手が、愛する人間だったとしても」
 真相の解明に対して、沙織ちゃんが口を挟んだ。
「愛する人間を死に至らせた? どういうことなのよ?」
「沙織ちゃん、質問だ。仮に、恋人が新興宗教の信者だとしたら――どうする?」
「うーん。私なら、とりあえずその恋人に対して宗教から脱会させるように説得するかしら?」
「それはやり方として正しいな。――でも、恋人の両親が熱心な信者だとしたら?」
「それはどうしようもないわね。――もしかして、薫さんの恋人って……」
「そうだ。坂下大希の両親は、『ソロモンの教え』という新興宗教の信者だったんだよ。当然だけど、『ソロモンの教え』は『蘇魯阿士徳の会』とは真逆に位置する新興宗教だ。――『蘇魯阿士徳の会』がゾロアスター教系の新興宗教だとして、『ソロモンの教え』はユダヤ教系の新興宗教だ。ネットで調べた情報によると、『蘇魯阿士徳の会』は――ある教義を持っていた。その教義は、普通に考えて『あり得ない』モノだったんだよ」
「一体何なのよ?」
「それは――『

』だ」
「き、近親婚!? そんなこと、普通に考えても許されないじゃないの!? ――もしかして、薫さんはそれが厭で……」
「そうだ。多分――薫さんは、光雄さんから自分の兄との結婚を押し付けられていたんだろう。――間違いないな?」
「ええ、そうよ。私は――

のよ。それも毎晩。大希さんと肌を合わせるのは快楽を覚えるけど、兄から犯されるのは肉体的にも精神的にも苦痛でしかなかったわ。それで――私はあることを決心したの」
「――実の兄を殺害することか」
「そうよ。数日前、裸で交わっている時に――私は兄の首を思いっきり絞めたわ。でも、それで兄は死ななかった。だから――開発中だった『賢者の石』を兄の口に含ませたわ。どうせ、こんなモノなんてまやかしでしかないんだから。当然、兄は即死だったわ。『賢者の石』には、硫黄と水銀が大量に含まれているからね」
「――だからって、坂下大希の両親を殺害するのは間違っているだろう」
「そうね。でも、大希さんの両親から結婚を反対されたから仕方ないわ。だから、結婚を反対された日にピルケースをわざと置いていったの。――まさか、本当にピルケースの中に入っていたあのサプリを飲むとは思わなかったけど」
 化野薫は、俯いた表情をしている。――矢張り、思う部分があるのか。それでも、僕は話を続けた。
「薫さんは、『わざと』じゃなくて『敢えて』そのピルケースを置いていったのでは? 大希さんは飲まずに生き残るという算段で。でも、結局大希さんもそのサプリを飲んでしまった。――多分、薫さんが天国へ先立つと思っていたからでしょう。でも、結局薫さんは死ななかった。なぜなら――『パワハラへの報復攻撃を実行してから天国へと旅立ちたかった』から。それは間違いないだろう?」
「そうよ。どうせ死ぬなら、私に対してパワハラやセクハラをしてきた社員に対して報復してから死のうと思ったのよ」
「――遺体を鳥葬に見立てるというアイデアは、兄を殺害する時に閃いたのか」
「そうよ。ほら、ゾロアスター教って『鳥葬』が基本じゃないの。だから、私は兄の死体に対してカッターナイフで無数の傷痕を付けた。でも、それだと裂傷を作ることができない。それで――自社製品である『ペリカンジューサー』の容器で裂傷させることを思いついたのよ。結果的に――兄の死体には、鳥の嘴のような傷痕が付いたわ。もちろん、他の死体も同様の方法で殺したわ」
「だから、松島電器の社員ばかりが狙われたのか。――危うく、一連の事件に対して僕の友達も巻き込まれるところだったが」
「友達? 期間工にそんな存在がいるのかしら?」
「こんな僕でも、友達ぐらいはいる」
「誰よ?」
「オートモーティブ事業部でエンジニアとして働いている西川沙織という社員だ」
 そう言って、僕の隣に沙織ちゃんが駆け寄った。
「そうよ、私が西川沙織よ。――ウッキー、そろそろ『アレ』をやる時じゃないの?」
「ああ、そうだな」
 沙織ちゃんに言われて、僕は松島電器の制服――というか、作業着を脱いだ。作業着の下には、聖職者が着るような黒い法衣を着込んでいた。そして、首には――黄金のロザリオをかけている。ロザリオには、赤い宝石が埋め込まれている。
「そ、その巫山戯た格好は何なのよ!」
「――まさか、令和にもなってこんな事をやるとは思わなかったんだけどな。それはともかく、薫さんに取り憑いた悪魔は僕の方で祓わせてもらう」
「悪魔? 何を言っているのよ?」
 僕が突然変なことを口走ったことによって、化野薫は困惑している。当然だろうか。
「ああ、紹介が送れた。僕の名前は、卯月礼華だ。職業は――一応、悪魔祓いということにしておこう」
 こう見えて、僕の家系は――エクソシストである。日本でそういう職業は珍しいかもしれないが、時折実際に「取り憑かれた悪魔を祓って欲しい」という相談を受ける事がある。特に、僕の両親は有名なエクソシストだったらしいのだが――矢張り、こんなクソ田舎町だと「異端者」扱いされてしまうらしい。おまけに、僕は先天性の発達障害を患っているので尚更「異端者」扱いされてしまう。だから、この現実から抜け出すために――僕は専属のケースワーカーから「仏教徒に改宗した上で芦屋へ引っ越すこと」を提案されたのだ。結果的に、僕はそれで平穏な生活を送ることが出来ているのだからいいのだけれど。――とはいえ、崇高なカトリックである沙織ちゃんは、未だに僕をそういう類の聖職者だと思っているのだが。
「それじゃあ、後は頼んだわよ?」
「ああ、分かっている。――沙織ちゃん、後ろに下がっていてくれ」
 そう言って、僕は沙織ちゃんを後ろへと下げた。そして――化野薫に向かって聖言を放った。
 聖言を放った途端、化野薫という「悪魔」は――胸を抑えて苦しみだした。そして、白目を剥いてこちらに飛びついてきた。
「――きええええええええええええええええッ!」
 化野薫という名の悪魔は、奇声を上げている。
「ああ、本性を表したか。――エクソシストがゾロアスター教の邪神である『アンリ・マユ』を祓うというのも変な話ではあるが、仕方がない。――薫さん、もう少しであなたに取り憑いた悪魔は祓える。だから、僕の話を聞いて欲しい。薫さん、あなたは――本当は『死にたくない』と思っているのでは?」
「シ、死ニタクナイ……」
「そうか。死にたくないのか。――でも、どうして愛する人間であるはずの大希さんを殺害したんだ?」
「ソ、ソレハ――私ノモノニスルタメヨ! 他ノ人ニ奪ワレルノガ厭ダッタノヨ!」
「それで、大希さんを『私のモノ』にするために――彼に対して屍姦をしたのか」
「し、屍姦!? それってどういうことよ!?」
「沙織ちゃん、黙っていてくれ。――邪魔だ!」
 僕の一言で、沙織ちゃんは沈黙した。そして、「悪魔祓い」は最終段階へと入った。
「そういえば、ゾロアスター教では叡智を得るためにあるモノを使っていたらしい。それはやがて、ゾロアスター教がイスラム教へと転じた時に――ある暗殺集団が使っていたと言われている。当然の話だけど、現代の日本においては――所持することさえ違法だ」
「――ア、アッ……」
 僕が化野薫に対して「あるモノの使用と所持」を指摘した瞬間、化野薫はその場に倒れ込んだ。彼女は、まるで魂が抜けたように――眠っていた。
「やれやれ。僕はこういう仕事をするために芦屋へ引っ越した訳じゃないんだけどな」
「ウッキー、もう喋っても大丈夫だよね?」
「ああ、大丈夫だ」
「それで、ゾロアスター教が叡智を得るために使っていたモノって何なのよ?」
「――麻薬だ」
「じゃあ、薫さんに取り憑いていた悪魔の正体って――麻薬の禁断症状?」
「正解だ。恐らく、薫さんはこれから尿検査を受けるところだろう。その件に関しては、既に阿川刑事が手配している。――まあ、あれだけの禁断症状が出ていたら100パーセント陽性だろうけど」
 そう言って、僕は眠っている化野薫を阿川刑事に託した。
「それにしても、あの悪魔祓い――圧巻でしたね」
「いや、別にそういうつもりで演じた訳じゃないんだけど」
「でも、卯月さんが『尿検査の手配』を頼まなかったら――この事件は迷宮入りしていましたからね」
「殺害方法があまりにも残忍だったから、精神鑑定を頼もうと思ったけど――精神鑑定の前に、まずは尿検査だろうと思って勝負を打ってみたんだ。――もっとも、勝負を打つまでもなかったけど」
「そうですか。――とにかく、化野さんに関してはこちらで身元を預かります」
「分かった。――夜が明けるな」
 CEO室に、朝陽が差し込む。壁掛け時計を見ると――午前6時を指そうとしていた。いくら12月といえども、矢張り朝は早い。
「なんだか――夜通しで事件を解決していたら疲れたな」
「そうね。――まあ、私が言い出しっぺだから仕方ないけど」
「そうだな。――とりあえず、沙織ちゃんの家で仮眠を取らせてくれ」
 そう言って、僕は――沙織ちゃんの肩にもたれかかった。もちろん、その後の記憶はない。

 僕が目を覚ますと――天井が見える。ここが、沙織ちゃんの家だろうか。
「ウッキー、寝るのはいいけど――いびきがうるさいわよ」
 どうやら、僕のいびきがうるさかったらしい。それぐらい疲れていたのか。――謝っておこう。
「ご、ごめん……。そんなつもりで寝ていた訳じゃないんだけど」
「良いわよ? どうせ疲れてただろうし。――それはともかく、あの事件の詳細についてもうちょっと詳しく話してくれないかしら?」
「そうだな。――正直言って、あの時化野薫に対して行った『悪魔祓い』は半分以上インチキだ」
「でも、ウッキーがエクソシストの家系っていうのは事実よね?」
「そうだ。――本当は秘密にしておきたかったけど」
「確かに、現実において『エクソシストっていう仕事があります』って言っても信じてもらえないわね。――まあ、私がカトリック教徒で助かったと思いなさいよ」
 そもそも、沙織ちゃんが「カトリック教徒である」ということを知ったのは――中学1年生のクリスマスだった。確か、僕が「図書館に行こう」と誘ったのに「その日は忙しい」と断られてしまったことを覚えている。当時は「他の友人との約束があるなら仕方がない」と思っていたが、自転車で沙織ちゃんの家の前を通ったら――赤い屋根の教会が見えていた。それで、僕は漸く「沙織ちゃんが崇高なカトリック教徒である」と知ったのだ。だから――クリスマスに予定があるのは仕方がないのか。
 沙織ちゃんが、ポットでお湯を沸かす。テーブルの上には、カップ麺が置かれている。
「――こんなモノしかないけど、食べていって」
 そう言って、沙織ちゃんはカップ麺にお湯を注いだ。普段はしょうゆヌードルしか食べないけど、偶にはカレーヌードルも悪くはないだろう。
 カップ麺を啜りながら、僕は沙織ちゃんと話を続けた。
「それで、化野薫が麻薬を所持しているってどのフェーズで分かったのよ?」
「CEO室に入ったときだ。――明らかに、嗅いではいけない匂いがしていたんだ」
「匂い?」
「まあ――なんというか、普通の煙草の匂いではない匂いだったのは確かだ」
「なるほど。――要するに、普通の煙草の匂いじゃなくて、麻薬の匂いだったってこと?」
「そうだ。麻薬は古くからゾロアスター教において叡智を得るために使われていたし、ネイティブアメリカンが儀式を行う時に使われたこともある。――要するに、リラックス効果があるんだ」
「覚醒剤とは真逆ね。――ああ、私はそんなモノに対して手を出すつもりはないから安心して」
「当然だ。捕まるぞ。――まあ、中には『医療用大麻』を合法化してほしいと単願している団体もいるみたいだけど」
「医療用大麻?」
「ほら、癌患者はその痛みを和らげるために鎮痛剤を使うことがあるだろう。特に有名なのは『モルヒネ』だろうか。モルヒネの材料はアヘンで出来ているから、製薬会社では『麻薬』として指定されているんだ。――突然だが、沙織ちゃんは『アヘン戦争』を知っているか?」
「知ってるわよ。中国――当時の清国とイギリスが、アヘンの利権を巡って戦争を起こしたヤツでしょ? 確か、イギリスが勝利したことによって香港がイギリス領になったんだっけ?」
「正解だ。――もっとも、香港は1997年に中国に返還されたんだけど」
「それ、ニュースで見たのを鮮明に覚えてるわ」
「しかし、香港の現状を見る限り――矢っ張り『イギリス領のまま』の方が良かったんじゃないかと僕は思っている。――話を麻薬に戻そう。アヘンは強力な鎮痛剤である一方で、依存性が高い。故に、現代の病院においてモルヒネは慎重な取り扱いの元で管理されている。当たり前の話だけど――麻薬は効果が切れると『禁断症状』が出てしまう」
「禁断症状ねぇ。――あの時にも言ってたけど、それが出るとどうなっちゃうのかしら?」
「具体的には、『凶暴になる』とか、『幻覚が見える』とか『酷く落ち込む』とか――そんな感じだ。僕は、それを見越して化野薫と対話していたんだ。焦燥する彼女の顔を見て――僕は『ある事』を確信したんだ」
「――それが、化野薫に取り憑いていた悪魔の正体だったのね。なーんだ、『悪魔祓い』ってその場しのぎのインチキじゃないの」
「そうだな。――矢っ張り、悪魔祓いなんて所詮はインチキにすぎない。けれども、僕がいなければ――この事件は、本当に『悪魔の仕業』として闇に葬られていたかもしれない。それだけは確実に言える」
「そうよね。――ありがと」
「いや、そこまででもない」
 そう言って、僕はカップ麺を食べきった。――現在時刻は正午を少し回ったところだろうか。
 僕は、沙織ちゃんに「これからのこと」を聞くことにした。
「これから、どうするんだ?」
 沙織ちゃんは――意外な答えを返した。
「とりあえず、松島電器に戻ろうかしら。多分、大方の取り調べは終わってるはずよ?」
「そうか。――本当は、戻りたくないんだけどな」
「でも、最終的に犯人を追い詰めたのはウッキーじゃないの。刑事さんに話すべきこともまだまだたくさんあるだろうし、戻って損はないはずよ?」
「――仕方ないな」
 そう言って、僕は沙織ちゃんが運転する赤いアウディに乗せられた。矢張り、一流企業に勤めていると愛車も高級車になるのか。僕はそんなことを思いながら――車の中で千里丘を眺めていた。
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