第19話 チッ!

文字数 3,106文字

 土曜日になり、「アキテン作戦」と名づけられた作戦の細かい打ち合わせが再び会議室で行われた。アキテン作戦とは、誰が考えたのか「秋葉原歩行者天国における違法薬物掃討作戦」の略称らしい。この作戦には東江戸川署と秋葉原署との合同捜査本部が設置され、主幹は東江戸川署の生活安全課から刑事課に移されていた。
 さて、会議室の一番前の長机を前に、東江戸川署刑事課の白田課長が真ん中、その右隣に生活安全課の倉橋、左隣には秋葉原所轄刑事課長が座っていた。また、本庁にある組織対策本部、いわゆる「組対(ソタイ)」のメンバーが会議室の壁際に数名構えており、かなり大掛かりな作戦となっていた。
 集められたのは東江戸川署の大会議室であり、本庁、所轄の精鋭たちが各長机に2人ずつ席が割り当てられ、読者諸兄お馴染みの東江戸川署生活安全三課の山根巡査部長は今会議室にいるメンバーでは一番下っ端のため一番後ろの出入り口に近い場所に1人で座っていた。
 各長机の上には捜査資料がそれぞれ置かれ、今回の事件の概要や明日の配置などが記されていた。山根巡査部長の隣の席には誰も座っていないが、確認などしなかったのだろう、同じ資料が一揃え置かれたいた。

「上田係長、とりあえず概要説明を」
 白田課長から促され、一番前の端に座っていた東江戸川署生活安全一課の上田警部補がおもむろに立ち上がって左手でマイクを持った。
「東江戸川署の上田です。えー、それでは本職から大まかな説明をさせていただきます。だいたいの事件の概要は前回の会議で話した通りですが、その後に判明した事実とそこから推測されたことについて、前回の会議資料に加え補足説明をいたします。お手元の資料をご覧ください」
 落ち着いた渋みのある上田の声が大会議室に響く。山根も机の上に置かれた捜査資料を手にし目を落とした。
 そのときそっとドアが開いてふわっと風が頬を撫でるような感じがした山根は何気なく横目で出入り口をちらりと見ると、黒髪のロングヘアーの黒縁の眼鏡をかけた女性警察官が俯きながら静かに入って来たかと思うと山根が座っている同じテーブルの席に着いて、そこに置かれている資料を手に取った。
 ——誰だ?
 山根が訝しげに彼女を見るのだが、長い髪が垂れているため顔をはっきりと視認できない。
 ——うちの署にこんな人、いたっけ?
 山根はそんなことを思いながら視線を前に移し、再び上田係長の説明を聞き、一言も聞き漏らすまいと集中しながら、一生懸命にメモをとっていたところへ、突然横に座った先程の女性が手にした鉛筆で山根の左腕を突いたのだ。
 山根が驚いて彼女を見ると、その黒髪の女性がじっと山根を見ていた。そしてようやくそれが日暮のんのであることに気がついた。
「ひ、ひぐ……」
 山根が思わず声を上げそうになったところを、のんのから手のひらで口を塞がれぐっと言葉を飲み込んだ。

 ——何やってんすか! 警部補は入ってきちゃダメでしょうが! 

 前の席のザ・柔道の署員の背に隠れるように身を潜めながら山根はのんのに小声で部屋から出て行くように促した。

 ——いいじゃん、ちょっとぐらい聞いたって。自分だけずるいでしょ!

 のんのも声を潜めて反論する。

 ——ずるいとかいう問題じゃなくって。作戦内容は極秘なんですから、部外者は聞いちゃいけないんですよ。少しでも作戦が漏れると全部がダメになるんですよ。
 ——知ってるわよ、それぐらい。ほんと気の小さな男の子ね、山ちゃんって。

 「山ちゃん」呼ばわりにはすっかり慣れている山根であるが、のんのの頑固さにはなかなか慣れない。

 ——もういいですよ。わかりましたから、絶対目立たないように座っててくださいね。くれぐれもバレないように。いいですね?

 諦めた山根がそう言うと、天使のような笑顔でのんのが微笑み、Vサインで応えたのだ。

 そんな2人のやり取りの間にも、作戦の説明が着々と進んでいた。

「えー、以上がまずは東江戸川署管内におけるガールズバーにおける摘発の手順になります。ここまでで何か質問は」
 そう言って上田が見回すと東江戸川署捜査員の1人が手を挙げた。
「ということは、そのガールズバーへは秋葉原での作戦の着手の合図があってから、という認識でよろしいですか」
「そういうことになります」
「着手の連絡は」
「私も秋葉原の方へ行きますので、着手があったら私の方から現地で指揮を取るうちの生活安全課の倉橋課長へ電話で連絡を入れる手筈です」
「もし秋葉原が空振りに終わったら」
 捜査員の質問に上田は一回刑事課の白田課長の顔を見て、
「その件については、これから刑事課の方から説明があります。班長、後をよろしく」
と言いながら、隣に座っていた「班長」にマイクを回した。
「東江戸川署刑事課の土居です」
 「班長」は捜査員たちに向かって一度軽く頭を下げた。

「刑事課の内偵によると、この東江戸川にあるガールズバーへ流れている薬は、関東蜷川組を出所に半グレ集団「風の会」が取り扱っている可能性が非常に高いと思われます。関東蜷川組については秋葉原署が作成した資料を目に通していただければわかりやすいので、一回読んでいただきたい」
 班長はそこで一旦言葉を区切った。捜査員たちがカサカサと資料を読んでいる。しばらくその様子を見てから、再び班長が語り出した。
「さて、問題の風の会ですが、リーダーは山田風雅という男で、写真も資料に入れております。この男を中心に10名ほどのチームですが、素行の悪さは折り紙付であり、どうもこの風の会は実際には関東蜷川組の指図で動いている節があります。おそらく暴対法対策で目立つ悪さはこの集団にやらせているのではないかと私どもは踏んでおります」
 班長はグイッとコップの水を飲んだ。
「東江戸川署管内のガールズバーは確かに薬漬けにして女性を食い物にしているのは間違いないところではありますが、今回の作戦はあくまでも風の会、そして関東蜷川組を挙げるのが狙いです。もし秋葉原がうまく着手できなかった場合、こちらの動きを感づかれないためにも、ガールズバーも今回は着手しない方向で考えております」
 そう言って班長は席に座った。

「何か他に質問はあるか」
 白田課長が言うと、会議室の一番後ろで手が上がっていた。
「ええっと、はい、そこの女性の……」
 白田が言うと、山根が止める間もなく一番後ろの席ののんのが勢いこんで立ち上がったのだ。
「そうすると、ガールズバーで薬漬けにされている女の子たちは見殺しということですか」
「いや、あっ、見殺しでは決してない。ただ、その場でガールズバーだけ摘発しても結局同じことを繰り返すだけであるし、隠蔽工作も余計に慎重になってくる可能性が高い。これは社会の未来のためだ」
「つまり、未来のためなら、女の子は犠牲になれと?」
 のんのの気迫に押されるように、白田課長が黙り込んだ。と、そこへやっとのんのに気がついた倉橋課長が立ち上がった。
「日暮警部補、あなたはこの作戦のメンバーには入ってないでしょう。部外者は立ち入り禁止です。いいですか、あなたは明日はお休みです。すぐに出ていきなさってください」
「誤魔化すんですか!」
 のんのの抗議に、矛先が山根に飛んだ。
「山根! お前警部補が来てることを知ってたのなら、すぐに連れて出て行け。命令だ! 出ないとお前も追い出すぞ」
と怒り心頭となった。山根は仕方なく、
「ほら、すぐに出ていかないとやばいっすよ。行きましょう」
とのんのの背中を押しながら、追い出しにかかると、振り向きざま「チッ!」という舌打ちを残しながら、日暮のんのは部屋を出て行ったのだった。
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