第4話 夏穂

文字数 2,530文字

 夏穂(かほ)がその写真を初めて見たのは、公民館の事務所でだった。
 
 岩田から写真を見せられた時、夏穂は別の事に気を取られていた。
 岩田の言葉を聞き逃してしまった。
 夏穂にとってそれは見知った人々が写っているただの集合写真に過ぎなかったのだ。
 
 だが後に夏穂は後悔することになる。
 どうしてあの時、岩田の話をよく聞かなかったのかと。
 


 夏休みも間近というあの日、夏穂は公民館の事務所で夏期講習会のテキストを印刷していた。

 傍らには従姉妹(いとこ)(りん)が、テニスラケットを抱えながら夏穂の作業が終わるのを待っていた。

「ねえ、まだ? 早くコートに行こうよ」

「凛ちゃんも子供会の夏期講習に参加するんでしょ? 手伝ってよ」

「絶対、行かない!」

 凛がふくれっ面をした。

 凛は夏穂より三つ年下の中学ニ年生。小柄で痩せていて、真っ黒に日焼けした姿は小学生の男の子にしか見えない。
 手入れのされていない濃い眉に、短い髪。きかん気の強そうな顔立ちの少女だった。

「真理子先生から講習会に出るように言われてるんだよね?」

 夏穂が諭すように言うと、凛はプイと横を向いた。

「あの人、大っ嫌い!」

「真理子先生が担任に決まった時、喜んでたじゃない」

「だって先生まで、一輝さんのスマホのことしつこくきいてくるんだよ! 何度も同じこと答えンの、マジめんどくさい!」

 そういうことかと、夏穂は納得した。

 先週、凛は町外れにある廃社になった神社、通称『首吊り神社』でスマートフォンを拾った。
 スマホが誰のものか分かった凛はすぐに届けに行ったが、それが町中でちょっとした騒ぎになってしまった。

 そのスマホが去年事故死した鷲宮一輝(わしみやかずき)の持ち物だったからだ。

 凛にしてみればスマホを届けただけなのに、周囲からあれこれ問い詰められて、うんざりしているようだ。

「凛ちゃん、なんで夜中にあの神社に行ったの?」

「全然、怖くなかったよ。お化けなんか出なかった!」

「……そりゃあ、そうだろうけど……」

 昔その神社で首を吊った女の人がいたらしいが、大人たちは詳しい事は教えてくれない。
 そんないわくつきの場所、昼間でも薄気味悪いのに、夜一人でなんか絶対行きたくないと夏穂は思った。

「あたしが見つけたスマホ、警察に持って行くんだって。お祖父(じい)ちゃんが言ってたよ」

「へーっ、警察に調べてもらうんだ」

 夏穂は驚いて顔を上げて、凛を見た。

 凛の祖父は夏穂にとっても母方の祖父に当たる。
 秀じいと慕われ、去年退任するまで長年この町の町長を務めた人物だ。

「だってさあ、死んだ人のスマホが出てきたんだよ。今まで隠し持ってた人がいるってことじゃん。調べたら、なんかすごいことがわかるかもよ!」

 凛は大きな目を輝かせた。

「アタシ、まだ誰にも言ってない事があるんだけど、警察にだったら話してもいいかなあって思ってるんだ」

 その時、事務所のドアが開き岩田が入って来た。
 夏穂は笑顔で岩田に会釈する。

「ガンちゃん、凛ちゃんがサーブの練習したいんだって。教えてあげてよ」

 夏穂が言った途端、凛はさっと手提げかばんを肩に担いだ。

「アタシ、先にコートに行ってる」

 岩田の横をすり抜けて、凛はラケットと荷物を持って出て行った。

 夏穂は苦笑いで凜を見送った。
 凜が岩田を避ける気持ちは、分からなくもない。

 岩田はみずほ町のテニス協会会長。子供達にボランティアでテニスを教えている。
 だが岩田のレッスンは子供達に受けが悪かった。
 マナーに口うるさく、講釈ばかりでなかなかボールを打たせてもらえないからだ。

 夏穂も昔、延々とサーブのトスだけをやらされて、うんざりしたことがあった。
 だが今となっては子供の時にしっかり基本を教えてもらえてよかったと、岩田に感謝している。
 お金のかかるスクールに通ったこともないのに、今の高校で一年から活躍出来ているのは岩田のおかげだと思っていた。

 急に出て行った凛には目もくれず、岩田は夏穂に近づくと低く言った。

「ちょっと、いいか?」

「もうすぐ終わるよ。なに?」

 岩田は夏穂が綴じている印刷物を見た。

「夏期講習のプリントか。おまえが教えるのか?」

「お手伝いだよ。真理子先生に頼まれたの」

 岩田は口の中で「そうか、真理子さんか……」とつぶやいた。

 七十過ぎの岩田の声は、常に痰がからんだような掠れ声で、非常に聞き取りにくい。

「これを見てくれ」

 岩田は手に提げてきたヨレヨレの紙袋から何やら取り出して、夏穂に手渡した。

「郷土資料館に飾るつもりでいたんだが、人目にさらすのもどうかと思って、ずっと家に保管していたんだ」

 岩田が見せてきたのはパネル大に引き伸ばされた集合写真だった。

「坊っちゃんが来たらこれをお渡ししようと思っているんだが、どう思う?」

 夏穂の心臓の鼓動が急に早くなった。

 この町の年寄り達が『坊っちゃん』と呼ぶ相手は、一人しかいない。
 夏穂の幼なじみの鷲宮秀一(わしみやしゅういち)だけだ。

 岩田から見せられた写真の中央には、秀一の兄の鷲宮一輝が写っていた。

「……別に……いいと思うよ……」

 秀一が貰って困るものではないだろうと、夏穂はあまり深く考えずにそう答えた。
 写真を岩田に返す。
 赤くなった顔を悟られまいと、窓に目をやった。

 岩田は、写真を見つめたままつぶやいた。

「そうか、おまえもそう思うか……一輝さんにとっては本意ではないだろうが、しかたがない……これで、全てが丸く収まる。
 真理子さんも安心して町を出ることが出来るな」

 夏穂がこの言葉を聞いていたら、それはどういう意味かとたずねただろう。

 だが夏穂は窓の外、公民館前の駐車場を横切る二人に気を取られていた。

(……うわあ……やっぱあの二人、付き合ってたんだ……)

 子供の時からの遊び仲間だった武尊(たける)涼音(すずね)が手をつなぎ歩いているのを、夏穂はポカンと眺めた。

(……二人に会ったらなんて声かければいいのかな? おめでとうは、変かな? しれっとスルーすんのは冷たいよね?)

 そんな思いで頭がいっぱいだった夏穂は、岩田の言葉を聞き逃してしまった。



 岩田に見せられた写真に写っていたのは五人。
 岩田本人と夏穂の幼なじみの武尊、涼音、コータ。

 そして去年亡くなった鷲宮一輝。

 五人は全員、笑顔でこちらを向いていた。
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登場人物紹介

鷲宮秀一、主人公の高校生

九我正語(くがしょうご)、秀一の従兄弟、警察官

九我正思(くがしょうじ)正語の父親。人の恋愛感情を瞬時に見抜く特殊能力を持つ。

九我光子、正語の母親。秀一の伯母。

雅、介護士。雅は熟女スナックにいた時の源氏名。本名は不明

夏穂、秀一の幼馴染。秀一に片思い。

涼音(すずね)、秀一の幼馴染

武尊(たける)、秀一の幼馴染

賢人、秀一の甥っ子

真理子、みずほ中学の教師

コータ、真理子の弟、秀一の幼馴染

野々花、パンケーキ店の女主人

岩田、秀一のテニスの師匠

鷲宮一輝(故人)秀一の兄

鷲宮輝子(故人)秀一の母親。正語の母親、九我光子の妹

水谷凛、夏穂の従姉妹

鷲宮智和、秀一と一輝の父親

鷲宮高太郎、智和の兄

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