-vana- 第13話「朱色の鳥」

文字数 2,199文字

――からん。
何かがぶつかる軽い音がして、おれは目を開けた。

「――葵。どうかしたか?」
傍らで文机(ふづくえ)に向かう養父に、そう声を掛けられた。

「…何か、音が聞こえたような気がして」
――そう言って起き上がると、ふわあ、と欠伸(あくび)が漏れた。

ぼんやりと外を見る。
まだ薄暗い。そろそろ日が明ける頃合いだろうか。

「…? 気のせいだろう。」
父は手元の文に目を落とし、首を傾げながらそう言った。

「…父上は、まだ起きてらしたんですか?」
「ああ。…そろそろ少し眠ろうと思っていたところだ。」

「…どうか、ご自愛ください」
「有難う。――葵も、もう眠りなさい」

「はい――」
――からん。
「…!」

聞き間違いなどではなかった。
「…父上、やはり――何か聞こえます。」

「………。……お前、寝呆けているんじゃないのか」
――どこか焦ったように、朱鳥は読みかけの文を素早く仕舞った。

「…その、文は?」
「お前には関係ない。」――そう言いながら、朱鳥は僅かに狼狽えた。

『外に出すな』――仕舞われる間際にちらりと見えた文面は、そんな内容だった。
「さぁ、もう寝るんだ。起きるにはまだ少し早い。」

「…。ええ…。」
――何気なく外を見る。農具らしきものを持った村人たちが、どこかに向かう様子がちらりと見えた。
こんな時間からしごとを…?

確かに、今は秋だから、忙しいのは間違いない。
けれど、まだ夜も明けていないうちから、こんなに大勢が…? まるで、示し合わせでもしたかのように――

「こんなに早くから…、しごとなんですね…」
「…。今は、忙しい時期だからな。」

「そうですね。」
――どこか、妙な気がする。単に田畑に赴くだけの、軽やかな気配ではないような…。
「…ちょっと、様子を見てきます。」

「必要ない。」
聞いた此方がはっとさせられるほど、ぴしゃりと遮られた父の言葉は、妙に重かった。

「……………、…?」
『外に出すな』。――まさか、おれを? 何故?

「村の皆を励ますだけですよ。少し声を掛けて、すぐに戻ります。」
「必要ないと言っている。」

――朱鳥はさらに強く言い放つと、ぎろりと此方を向いた。
「…!?」

「お前はいつも――俺の言い付けを守らないな。」
「…。」

「銀翅さまのことには深入りするなと言っても、お前はあれこれ詮索をする。――挙句、村の為とはいえ、禁忌である山に、毎日のように踏み入って…」
「あれは、玄鋼さまにもお許しを得て――」

「山に足を踏み入れることが許されているのは、巫の方々だけなんだぞ。――低俗な者が足を踏み入れるのは、本来、許されないことなんだ。」
「…? 父上は、玄鋼さまの許しを――良かれと思っていない…?」

「違う。仮に許しを得たからといって、我々のようなものが、濫りに足を踏み入れて良いわけではないはずだと言っているんだ。時折ならまだしも――毎日のように足を踏み入れるなど、以ての外ではないか!」
「…!??」
――唐突に怒鳴られた。突然のことに、頭が回らない。

「お…、落ち着いてください…。どうなさったんですか…?」
困惑しつつも、まずは落ち着かせようと、おれはつとめて冷静に問いかけた。

「…。穢れを――祓わなければならない。」
「…?」

「山に棲む物怪を。――狐を、誅たねばならない。」
「は…?」――狐など、山で見たことはないのに。
何を言っているのか、すぐには解らなかった。仮に狐を祓うにしても、農具如きで――

「……!!!? まさか、銀翅さまを――」
「助けに行くのか?」

「………。」
「お前は――やはり、あの者の手先なのか。所詮『外から来たもの』に過ぎないんだな。」


「…。おれは――」
言いかけて、咄嗟に身をかわした。――何から?

見れば、朱鳥はいつの間にか鎌を手にしている。
朱鳥から放たれる尋常ではないその気配が――村人たちが放っていたそれと同じであることを理解し、更に戦慄した。

「――赦せ。こうするより仕様がないんだ…!」
「!! 待っ――」

殺気に怯み、動けなくなったおれの目の前を、何かが横切った。
それとほぼ同時に鈍い音が響く。

「!!?」
「…。」
「…っ…」――咄嗟に目を瞑ったが、痛みはない。一体、何が起こった?

「悠…!?」――悲鳴じみた声が上がった。
「く…っ!」――その声に驚いて見開いたおれの目に映ったのは、悠の背中だった。

「悠…、お前、何故…!」
――刹那、くずおれた悠を咄嗟に抱え、尋ねた。
振り下ろされた凶刃は、悠の胸元を深く裂いた様だ。これでは、おそらく…。

「葵は――ひとだからだ…。」
「は…!?」

「銀翅さまがそう断じたから――わたしはそれをしんじる。なにかを守るために身を呈するのは、…ひとのもつ、善いところだから――」
「…!」
血を流しながらそこまで言うと、悠は微笑んで。

がくりと力の抜けたそれを、鎮かに、ちに下ろす。
――伽藍(がらん)、と音が響いたが、朱いそれには目もくれず、家の外に目を向けた。

――まだ、間に合うはずだ。遅すぎるということはない。きっと走れば、まだ…。
朱を滴らせながら外へ向かう。纏う匂いに足を取られながら、どうか今度こそ間に合ってくれと祈らずにはいられなかった。
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登場人物紹介

十六夜

山に棲む狐。

銀翅

陰陽師の男。

銀翅に仕える少年。

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