第3話

文字数 1,606文字

 塔下部の制御室は無人で、錆びだらけのデスクに載ったディスプレイが一台、音も立てず青い光を放っている。

 部屋の中央では、円錐形真空管が塔先端に向けて大木のように一気に(そび)えている。
 制御盤の警告ランプは点灯しておらず、今のところ出力異常はない。

 森内は指差し点検の後、砂まみれのタイルを進み、ディスプレイの前に立った。

 電子加速電圧、最大発振周波数、共振器内磁場強度の値が適正であるのを確認し、「試験ビーム射出」タブを押す。

 真空管内部から、虫の羽音のような稼働音がうなりとなって響き始める。共振器内の電子が回転により、高エネルギーのマイクロ波を発生させるところを想像する。

 塔先端から発射されたマイクロ波ビームは、ポッド底部のリフレクターにエネルギーを供給する。一秒にも満たない時間で、ポッドから集光強度と推定推進力の数値が返ってくる。

 よし、全て正常に動いている。

 背後でドアの開く音がし、その後すぐに床から規則的な振動が伝わったきた。明らかに誰かが侵入し、こちらに向かってくる。直感で比嘉でないことは確信した。

 微かな嫌気とともに振り返ると、すでに腕を伸ばして触れられる距離に、紫の作業着を着た男が立っていた。ヘルメットは白のキャップタイプで、顔面に走る無数のしわがよく見える。ジャメルの爺さんだ。

 ジャメルはしきりに口を動かして、こちらに何事かをつぶやいている。
 森内はシールド左上の「設定」アイコンを睨み、スピーカーの「外音取り込み」と「外部放声」をオンにした。数秒間のノイズの後、自動言語検出が済み、翻訳された音声がスピーカーから流れる。

「あなたは比嘉さんですか」アナウンサーさながらの整った男の声。しかし実際は、「お前、比嘉か」くらいのニュアンスだろう。声だって、こっちがヘルメットを取れば、やすりで削ったようないつものしゃがれ声に変わるはずだ。

「違うよ」森内は言いながら、もう一度シールド左上のアイコンに目をやる。新たに出現したスピーカーのマークの下には、「取り込み言語:ポルトガル語」と表示されている。
 そう、この表示を見るたび、この老人の国籍が不明であることを思い出す。

「それでは、あなたは誰なのですか」今度も、きっと「じゃあ、おめえ誰なんだよ」といった具合だろう。そういった想像、そしてやり取りそのものにも辟易し始め、森内はディスプレイに向き直った。

「森内だよ。爺さん、仕事に戻らなくていいのか」
 ジャメルはなおも、森内の横顔にねばりつく視線を向け続けた。
「森内さんですか。仕事はもう終わりました。ところで」

 言葉を切ったジャメルに反応して森内は、デスクに両手をつきながら、横目で老人をちらっと見た。
 ジャメルの口は大きく歪み、そこからさもおかしそうな笑みが漏れている。さらに、上下二本ずつ前歯の抜けた黄色い歯列もむき出しになっている。

「なんだよ」森内は、にやにや笑いを止めようとしないジャメルに言った。
「あなたの会社の従業員がいなくなったらしいですね」

 森内の体が一瞬、硬直した。浅井について詳しく訊いた方がいいだろうか。先ほどの黒池との会話を思い出す。

 ジャメルは元請けの所属ではない。そもそも、どこの所属か聞いたこともない。
 しかし───黒池さんは「ことを大きくするな」とも言っていた。森内は慎重に言葉を選んでから、首だけ相手に向けた。

「どっかに飯でも食いに行ったんだろ。何にせよ、俺はよく知らない」
 ジャメルはそれを聞いて笑い声をあげた。それは翻訳されず、シールドの向こうから壊れたからくり人形のような振動として伝わった。

 それから森内は何も言わず、ジャメルの横を通り過ぎ、出口に向かった。老人はその背中にさらに言葉をかけたようで、ヘルメットはその声も翻訳して伝えた。

「今頃、ハデスが盗人を料理しているかもしれませんね」

 森内は「外音取り込み」をオフにして、振り返らずにドアを開いた。
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