10 ハンナはヘブライ語で
文字数 2,138文字
「へえ、シンプルだね」
礼拝堂に入るなり、息子がつぶやいた。吹き抜けの会堂には、絵画的なステンドグラスも、十字架のイエス像も、聖母像もない。
息子はさらに、「いいんじゃない」とか、「線香はないんだね」とか、独り言を発していた。もの珍しいのだろう。
細長い窓の、白い曇りガラスから、やわらかな光が射しこんでいる礼拝堂の空間は、清々 しい花の香りに満ちていた。正面の白壁に、直線を交差させただけの十字架が、控えめに掲げられている。その下にある講壇には、ピンクや白、黄色や水色の洋花を主とした花飾りが一対、左右に配置されていた。
木調のフロアには、講壇に向かって四人掛けのベンチが整然と並び、その最前列の中央に、棺 が縦に置かれていた。
棺の上には、上品な白いレース編みのクロスがかけられている。
瑠都 が息子の横に立ち、静かに、ゆっくりと説明した。
「天国へ旅立つ人も、ここで私たちと一緒に、神様を礼拝するの。あなたのおばあちゃんにとって、今日が、この世で守る最後の礼拝なのよ」
息子は素直に頷いていた。
オルガンが和音を奏でて式は始まり、起立して讃美歌を歌い(俺は口パクで失礼した)、黙祷し……と式次に従って進んでいったが、俺はそれらをすべて上の空でやり過ごした。頭のなかは真っ白で、むしろ積極的に思考を停止していた。
なにかを考えようとしたら、浮かんでくるのはおふくろのことしかない。
まだ俺がガキだったころの他愛のない思い出や、ホームの個室であきらめたように窓の外を眺めていた彼女の横顔、気に入っていた部屋着の、水色の小花柄、そこから伸びた細い腕。
そして、あの手紙――。
やがて牧師が説教を始めた。
葬儀でも説教ってやつはやるんだなと、ぼんやり思った。
牧師は黒いスーツ姿で、壇上に上がった。三年前にこの教会に赴任してきたという、若い牧師だ。まだ三十そこそこだろう。
そういえば今朝、瑠都がぽつりと「前の牧師先生だったら、お母さんのこと、よく知ってくださっていたんだけどね。ご高齢で、引退されちゃったのよ」と、こぼしていた。
若い牧師は荷が重いのだろうか、緊張した面持ちで講壇のマイクに向かった。
「ハンナとは、旧約聖書のサムエル記に出てくる女性の名で、ヘブライ語で〝めぐみ〟という意味を持つ言葉です。三池 花菜 さんは、クリスチャンホームに生まれ、信仰の厚い人生を送られた女性です。私はまだ、この教会に来て日が浅いので、花菜さんとお話をさせていただく機会はあまり多く持てなかったのですが、教会員のみなさんは、ご本人をよくご存知であると思います。今日は、教会員のみなさんからお聞きした、花菜さんの生前のエピソードをいくつか、お話しします」
随分、正直だなと感心した。知ったかぶりをしないのは、好ましい。それがキリスト教的な考えからなのか、この牧師の人柄 なのかはわからないが。
牧師の話は続き、前ふりのとおりに、教会でのおふくろのエピソードがいくつか紹介された。ときおり参列者から、笑いとまではいかないものの、ほほ笑ましいという意味合いの息が漏れ、礼拝堂の空気を温めた。
悲しいだけではない。仏式の葬儀では味わったことのない、清冽 なぬくもりが会場を包んでいるようだった。
牧師は、こう結んだ。
「天に召された人は、神様の御許 で幸せのうちにあると、私たちクリスチャンは考えます。だからといって、大切な人や、親しい人との別れが、つらくない、悲しくないというわけではありません。残された人は、私たちの生きるこの世では、二度と故人に会えないのですから、さみしいし、つらい。だからこそ、これから死にゆく人をどうやって送ったらよいのか、その判断は難しく、誰もが悩みます。なぜなら、我々人間には、正解がわからないからです。私たちにできるのは、間違いに気づいたらその度に、心の向きを改めて生きていくこと。私たちの神様は、愛のお方です。御許に召された人と、地上に残された私たち、その誰一人として、悪いようにされるはずがありません。亡くなった人のことは神様にゆだねて、祈りましょう」
無宗教を貫いてきた俺には、牧師の言葉は受け止めようがなかった。
心を動かされないようガードして、ただ「そういう考え方もあるのか」と、ひたすら自分に言い聞かせていた。その一方で、どういうわけか、そういう自分がみじめに思えた。
何人かの信徒が弔辞 を述べたが、頭には入らなかった。
「ではここで、ご遺族を代表して、長男の三池基和 さんからご挨拶 をいただきます」
突然、名前を呼ばれて我に返った。
俺が?
聞いてないぞと思ったが、そういえば、うっすらと、瑠都に頼まれた覚えがないこともなかった。朝からぼうっとしていて聞き流していたのだ。
「基和さん、どうぞ」
妻と息子が俺を見ていた。不安げなその視線に、とにかく俺は腰を上げ、いつの間にか用意されていたスタンドマイクの前に立って、咳払 いを一つした。
頭のなかは真っ白だった。
礼拝堂に入るなり、息子がつぶやいた。吹き抜けの会堂には、絵画的なステンドグラスも、十字架のイエス像も、聖母像もない。
息子はさらに、「いいんじゃない」とか、「線香はないんだね」とか、独り言を発していた。もの珍しいのだろう。
細長い窓の、白い曇りガラスから、やわらかな光が射しこんでいる礼拝堂の空間は、
木調のフロアには、講壇に向かって四人掛けのベンチが整然と並び、その最前列の中央に、
棺の上には、上品な白いレース編みのクロスがかけられている。
「天国へ旅立つ人も、ここで私たちと一緒に、神様を礼拝するの。あなたのおばあちゃんにとって、今日が、この世で守る最後の礼拝なのよ」
息子は素直に頷いていた。
オルガンが和音を奏でて式は始まり、起立して讃美歌を歌い(俺は口パクで失礼した)、黙祷し……と式次に従って進んでいったが、俺はそれらをすべて上の空でやり過ごした。頭のなかは真っ白で、むしろ積極的に思考を停止していた。
なにかを考えようとしたら、浮かんでくるのはおふくろのことしかない。
まだ俺がガキだったころの他愛のない思い出や、ホームの個室であきらめたように窓の外を眺めていた彼女の横顔、気に入っていた部屋着の、水色の小花柄、そこから伸びた細い腕。
そして、あの手紙――。
やがて牧師が説教を始めた。
葬儀でも説教ってやつはやるんだなと、ぼんやり思った。
牧師は黒いスーツ姿で、壇上に上がった。三年前にこの教会に赴任してきたという、若い牧師だ。まだ三十そこそこだろう。
そういえば今朝、瑠都がぽつりと「前の牧師先生だったら、お母さんのこと、よく知ってくださっていたんだけどね。ご高齢で、引退されちゃったのよ」と、こぼしていた。
若い牧師は荷が重いのだろうか、緊張した面持ちで講壇のマイクに向かった。
「ハンナとは、旧約聖書のサムエル記に出てくる女性の名で、ヘブライ語で〝めぐみ〟という意味を持つ言葉です。
随分、正直だなと感心した。知ったかぶりをしないのは、好ましい。それがキリスト教的な考えからなのか、この牧師の
牧師の話は続き、前ふりのとおりに、教会でのおふくろのエピソードがいくつか紹介された。ときおり参列者から、笑いとまではいかないものの、ほほ笑ましいという意味合いの息が漏れ、礼拝堂の空気を温めた。
悲しいだけではない。仏式の葬儀では味わったことのない、
牧師は、こう結んだ。
「天に召された人は、神様の
無宗教を貫いてきた俺には、牧師の言葉は受け止めようがなかった。
心を動かされないようガードして、ただ「そういう考え方もあるのか」と、ひたすら自分に言い聞かせていた。その一方で、どういうわけか、そういう自分がみじめに思えた。
何人かの信徒が
「ではここで、ご遺族を代表して、長男の三池
突然、名前を呼ばれて我に返った。
俺が?
聞いてないぞと思ったが、そういえば、うっすらと、瑠都に頼まれた覚えがないこともなかった。朝からぼうっとしていて聞き流していたのだ。
「基和さん、どうぞ」
妻と息子が俺を見ていた。不安げなその視線に、とにかく俺は腰を上げ、いつの間にか用意されていたスタンドマイクの前に立って、
頭のなかは真っ白だった。