第三章 正体

文字数 17,421文字

 それから一週間の時が過ぎた。これから死ぬかも知れない。なのに、自分は少年を呼ぶことをせず、独りS市の離れにいた。試してみたいのかも知れない。死の狭間に立たされても尚、神が自分を見捨てないのか? そう言った思いを少年に通して世界そのものを試している。酷く残酷で歪なやり方だ。
 思えば、酷く疲れた。
 少年は自分を見捨てないと言った。だが、この運命の束縛から解放されたところで虚無へ服すことが変わる訳ではない。
 ならば、死ぬのも悪くない。
 ああ、何故この様な選択をしたのだろう。簡単だ。誰かが先に逝かれるのが嫌なのだ。自分の半生は死と濃密に関わりを持ったものであった。
 死に触れ、気が狂い、やがて一つの結論に達した。命は等しく重い。これは綺麗ごとだ。自分は自分の身近なもの達しか愛さない。
 だが、それでも一縷の願いがある。神にとって命は貴いものだ。たとえ、教理がそれを拒んだとしても聖典自身が滅ぶことはない。何かを愛したから全てを愛せざるを得ない。これは違うと少年は語っていた。
 そうではなく『全てに救い』とは最初から神の中にある調和の取れた想いなのだ。
 言い換えれば、神は全てを愛している。
 難しい問題だ。苦しむ隣人達に救いの手も差し伸べられない無力な自分とは何なのだろう。泣くもの達に遠きも近きも関係ないだろうに。誰かが泣いていたら一緒に悲しみを分かち、誰かが飢えていたら食べ物を差し出せば良い筈なのに、自分にはそれが出来ない。
 だが、二千年前に来た男はそれをやった。彼は世界そのものを変えた。いや、正確に言えば今も変え続けている。自分のしているのは言い訳だ。世界に不平を述べるなら声を発さなくてはならない。
 自分は多分死ぬだろう。それでも弱き叫びを放つ。それが自分の存在証明であり、微かな信仰のなす行いなのだから。
 だから、あの少年を巻き込まない。少年は犠牲に捧げるには惜しい者だ。何故だか惜しくなった。自分の愚かな本性の一面を知っても向かい合ってくれる少年を捧げるのは勿体ない。
「ふーん、独りで来るなんて意外だわ」
 少女は突然脈絡もなく現われた。
 突如として現われた少女に恐怖を覚えながら対面につく。それを見た少女は恐ろしい嗤いを浮かべながら感想を述べる。
「本当に意外だわ。あなたはもっと打算的な坊やだと思っていたけど、案外違ったのかしら? 自分が生き残る為なら平然と家族や友人を犠牲に出来る心もあったと思ったのだけど、あの子と接して何か変わったのかしら?」
 首を微かに横に振った。自分は変わっていない。打算的だし、計算の中でしか生きられない愚か者だ。愛すら数値化しようとする自分に少年は示しただけだ。在りし日の自分を。青臭い目標を持っていた自分がいたと言う事実を想い出させてくれただけだ。
そうだった。愛とはそんなものではない。信仰とはそんなものではない。教義以前に、信徒以前に、信じる以前に、自分が持っていた想いがあった。誰かが傍にいてくれたこと。それは時に犬だったり、家族だったり、友人だったり、教会員だったり、職場の上司や同僚だったり、何ら関係もない道端の人達だったりする。自分は今まで都合良く彼らに甘えていたのだ。
 居ても良い。
 ただこれだけのことが何故自分には視えなかったのだろう? 自分は多くの友を裏切り、利用してきてひたすら世界を憎んだ。だが、少年を通して彼らの気持ちが少しだけ解かった様な気がする。きっと彼らに打算なんてなかった。計算なんて言う機械的なことじゃない気持ちだったのだ。
「少年から言伝です。『籠』は渡せない」
「それがあなたの答え? 今なら引き返せるわよ? 支配者への道も場合によっては授けてやらなくもないわ」
 それはとても誘惑的な質問だ。自分が夢を忘れたままなら喜んで受け容れただろう。心が冷徹なままだったら少年を喜んで少女に引き渡すだろう。
 でも、出来ない。
 少年の無垢な表情を思い出すとそれが出来ないのだ。自分が黙ったままでいるのを見て少女は溜め息を吐いた。
「やれやれだわ。所詮はこの程度のものね」
 少女はレイピアを取り出し。ユラリと蠢いて剣先を突き出す。
 死。
 それが目前に迫った時、自分は思った。
 死んでなるものか。罪が出でたのだ。生きたい。自分は未だ何も成していない。愛する者達に先に逝かれるのも嫌だ。自分は自分も愛する者達も全てを選びたい。
 願わくは。
 刹那にそう想い、恐怖から瞼を閉じていたが、一向に痛みは来ない。
 もう死んでいるのか? そう思い、恐る恐る眼を開けてみると。
 そこには少年の後姿があった。
「どうして……」
 ここが判ったのか? どうして来たのか? 
「少年、君には私を助ける理由はない筈だ……」
「理由ね」
 少年は信じられないことに人差し指と中指でレイピアを挟んで受け止めていた。少女は警戒し、レイピアを手放し、一旦距離を置いていた。
「『家族』を助けるのに理由なんて要るの?」
『家族』? 自分が? 少年と自分には何の血の繋がりはない筈なのに『家族』と言うのか。
 そうこう考えている内に少女は側近達を呼び出していた。側近達は銃を構えて自分達に向けていた。対する少年は怯まない、それどころか側近達に対して語る。
「君達も家にお帰りなさい。もう大丈夫だよ。家族は無事だ」
 側近達が動揺する。それを見た少女が冷酷に語る。
「信じる、信じないのはお前達の自由だ。だが、言っておこう。私に背くことは死を意味すると言う事実だけを」
 側近達は恐れながら少女に目を向けている。
「撃ち殺せ」
 少女は淡々と告げた。そして、次の瞬間少女は気迫と共に命令する。
「撃てっ!」
 瞬時に反応した側近達は銃弾を全てこちらに向けた。
 きな臭い薬莢の香りが辺りに立ち込める。こちらに向けられた。その事実にも関わらず、自分は今立っている。
 何故。
 その答えは少年にあった。
 銃弾は全て少年の目の前で止まっていた。どう言う原理か解らないが、時が止まった様に銃弾のみが虚空に静止していた。
 自分が唖然としている間に側近達は弾薬を次々消費する。
 しかし、撃っても撃てども弾はある所で静止するのみだった。側近達は次第にことの重大さを理解し始めた様子だ。彼らは一様に青ざめ、後退りし始める者もいた。
 やがて銃弾が尽き、側近達は少女の意向を伺いながら少年をある種の畏怖を持って見詰めていた。
 しかし、少女は一向に構わず告げる。
「銃撃戦で制せないのだったら、近接戦に持ち込みなさい」
 それはある種の脅しでもあった。
 しかし、形振り構ってられない側近達は少年を包囲しようと近づいて来る。少年は無言で前に進み出る。その行為は自分を人質に取られない為に敢えて少年自身が動いたかの様に見えた。側近達は目配せをすると一様にナイフを取り出した。彼らはそれぞれの構えをし、少年に肉迫した。
 だが、少年は軽やかな動きで彼らをあしらっていく。必要最低限の動きで彼らからナイフすらも奪う。その奪い方が何とも奇妙だった。奪うと言うより無力化か。ナイフの先端を摘んだかと思えば、指でナイフの根元をコツンと叩き折るのだから。
 それはまるで側近達も少年の大事な存在で傷付けるのは善くないと主張しているかの様だ。
「足下が御留守よ」
 少女が不気味な笑みと共に自分に肉迫していた。
 いつの間に。少女は新しくレイピアを何処かから取り出し、こちらの心臓に向かって刺突していた。
 だが、少年は焦ることなく、手を振った。指揮者が指揮棒を振る様にリズム良く振り回した。すると、少女の腕が急に自分の胸元を目掛けるのでなく、引き戻される様に少女の身体ごと後ろに引き擦り戻した。
 少年は踊る様に脚を華麗に舞わせ、自分の所に戻って来ていた。
「成程、あくまで『籠』を渡す気はない様ね」
 少年を睨み付けて値踏みする少女。側近達の表情を見ると既に心が少女への畏怖で満ちているのが判る。自分も畏怖している。
 だが、それ以上に驚きなのが少年だった。少年の人間離れした能力だった。種も仕掛けも解らない理解不能な領域だった。同時に不思議なのはその力を攻撃の為に用いていない、自分を護る為に用いている様子だ。
 しかし、側近達も理解不能な力を目の当たりにして逃げ腰だった。少女は言葉の釘を指す。
「背を向ける者へ死を」
 そう言ったところでもう彼らはどうしようもなかった。彼らの一人が後ろを振り向いたのが切っ掛けで全てが覆った。全員が逃げ出す。
 すると不思議な現象が起こった。少女の周りに突如剣の群れが現われ、矛先を側近達に向け、勢い良く放たれた。
 すると少年は手のみ突き出し拳を握り絞める。それに合わせて剣の群れが制止する。 そして、引き寄せられる様に少年の手元に剣の群れが集まる。
「余計なことを……塵芥にしか過ぎない命を助けて何になると言うのかしら? それとも、お前には私もこいつらも同等に見えるとでも?」
 少年は微笑んで簡単に語る。
「命は皆大切なんだよ、ソフィア姉様」
「運命の忌み子が良くほざくわ、ミカエル」
 運命の忌み子? ソフィア姉様? ミカエル? 何だ? 何の話をしている? 意味が解らない。この二人は姉弟なのか?
 少女はニンマリと笑ってこちらを見遣る。
「どうやら坊やは何も聞いていない様ね? 良い? ここにおわす方をどなたと心得るのか? と坊や達の世界風には言うのよ。ここにおわすのは伝説上の聖者よ、ねえ、大天使長ミカエル?」
 大天使長ミカエル。神話の中に登場する伝説の天使。神の国の副王とも言われ、普遍なる教会の守護者。全ての教会に連なる聖者。神の如き者。全ての天使を束ねる天使の頭。
「馬鹿な……」
 そう呟くしかなかった。
 在り得ない。もし、それが現実なら神の存在証明にも繋がってしまう。神が居ないと思う壮絶な世界でも神は存在し得る究極の論法。本物の神の国の住人の存在証明。
「じゃあ、『籠』ってのは」
 ソフィアと呼ばれる少女は笑って答える。
「勉強不足ねえ、『籠』とは言い換えればノアの『方舟』よ。そして、この場合の『方舟』とは地上における天使の機密組織。人類を守護する組織。あなた、本当に聖典を読んでいるのかしら? 新約でも天使は出て来るじゃないのかしら? もっと言えば旧約の時代にありふれた程に天使は出てくる。新約を読んでも不自然さは感じた筈よ。何故御子が驢馬を必要として弟子達を使いに出したのかしら? 何故使いに出た弟子はただ師の言伝を伝えただけで驢馬が借りられたのかしら? 何故驢馬を持っていた者はその言伝を不自然なく理解し、驢馬を貸したのかしら? ひょっとしたら当時の御子とその一派は危険人物で驢馬を借りられない可能性すらあったのに、預言は成就してしまった。あらあら、果たして世界の何処に天使が隠れているのかしら?」
 馬鹿な馬鹿な、在り得ない。それでは自分が知らないだけで天使達は極身近に日常的に人々に紛れ込んでいると言うことではないか。
 少女は自分の予想を裏切る言葉を発する。
「『方舟』と言う組織は昔からあったのよ。人が文明を興す以前からね。坊や達の日常には目にこそ視えないけれど、最上位の種が混じっているのよ。ああ、あなたの中に疑問が芽生えるわよね? 何故そんな最上位の種が人と混じって暮らしているのか意味不明よね。宇宙すら狭いと感じる私達と小さい星すら広いと感じるあなた達では文明も文化も尺度も全てが異なる。何故ここまで差のある種族が共存しているのか? あなたの疑問は尤もだわ」
 この不自然な状況を一端だけ理解した。この二者は現行人類の遙か彼方の先の技術を持っている。数式には表せないが、恐らく物理法則にも干渉出来るのだろう。でなければ、あんな出鱈目な行動は出来ない筈だ。
 そして、この少女は。この少女の正体は。自分が考えたことを少女は読み取ったかの如く戦慄の走る笑顔で答える。
「御名答! ソフィア・ピスティス! あまりメジャーな名前ではないのだけれど、あなた達の世界ではとぉっても偉い存在なのよ」
 少女は朗らかに答える。
「ま、端的に言えば悪魔よ。そう言う訳。だから死んで、坊や」
 頭上から巨大な火が降り立った。冷たい炎。全てを凍えさせる様な冷酷な炎。
 死ぬ。
 恐怖と共にそう感じた瞬間、炎が消えた。少女が舌打ちする。
「狡いわね、運命の忌み子、因果律の操作なんて」
 今何て言った? 因果律の操作? 物理法則への干渉どころではない。物理法則すら自在に操れると言うのか。
「坊やを殺させても貰えない。じゃあ、お姉さんが昔話をしてあげましょうか。あなたの中には解らないことだらけなのよね? 因果律を操作出来る私達が何故こんな回りくどいことをやっているのか不可思議で性がないのよね?」
 少女は朗読者の様に語り始めた。

       *

 とてもとても遠い昔の話。未だ世界が天国と呼ばれる場所しか存在していなかった時代。そこには神と天使達が仲良く暮らしていました。
 その中には後に悪魔の王様になるルシファーも居ました。彼は天才でした。決して最上の才能ではありませんでしたけれど、天才でした。彼はある時気付いたのです。未来の世界の歪みを、因果律の改変を。彼は因果律の操作する術を手に収めたのでした。でも、一度目は失敗でした。神に叛逆するも多くの部下共々、地獄に落されてしまいました。それでも、彼は天才でした。因果律に干渉出来る力を手にした彼は過去を改変しようとします。彼は神に賭けを申し出ました。神自身は決して捻じ曲がらない。
 そう理解していた彼は世界の運命を一人の少年に賭けさせました。その少年はルシファーにとって愛している存在でもあったのです。
 その名はミカエル。ルシファーの双子の弟でした。少年が堕落すれば世界を悪魔の手に委ねる。神とそういう約束を交わし、歴史そのもの改変に乗り出した彼でした。
 ですが、少年は堕落を退け、こともあろうに兄が棄てた道を拾い始めたのです。
 かつてルシファーは二つの黄金率の同時成立の研究を掲げていました。
 神は全てを厳しく糾し、裁き給う。
 神は全てを慈悲深く愛し、救い給う。
 ところが、これが同時に成立する見込みはありませんでした。この研究はとても危険で、全ての肯定を以ってして肯定する、神から出たものは全て神に帰す、と言う二点の立場から研究されていました。ですが、成立しませんでした。天才は諦め、研究を最重要封印指定し、天の片隅に封印していました。
 ところがある日、少年がそれを見てしまいました。その少年は狂っていたとしか言い様がありません。少年はそれをほぼ完成の位置にまで押し上げた。何故こんなことになったのか誰も解りませんでした。
 ただ私達が解ったのは少年が「神は『全てに救い』をお与えになる」と言う信仰に到達しただけでした。
 少年は兄にすら愛と救いを説いたのです。
 それは赦されざる行為でした。
 だって、そうでしょう? 聖典には『全てに救い』なんて描かれてないのだから。それは被造物が触れてはならない『神のパラドックス』なのですから。
 かくして、兄は少年を堕落せしめたと言えたのでしょうか? 
 むしろ、ルシファーの賭けは神への盲信者を産み出しただけに過ぎないのでしょうか?
 皮肉にも兄が諦めたものを弟が拾い直し、兄の行く手を阻むことになるのが弟になるとは運命って本当に皮肉ですね。
 ルシファーが最も信頼し、愛した『家族』と言わしめた少年は皮肉にも神からも魔王からも愛されてしまった。少年は今日も今日とて『全てに救い』なんて説いているのですよ? だから、運命の忌み子なんて言われるのです。


 朗読を終えた少女は少年を睨み付けた。
「そう、お前は運命の忌み子だ。二つの神に愛されてしまった忌まわしき者よ」
 それは自分の知っている神話とは形こそ異なるが大天使長ミカエルとはそんな印象を与える存在だ。
 少年もまた運命の中でもがいていた。きっと自分には想像出来ない絶望だったのだろう。
 絶望して絶望して狂う位絶望して最後に辿り着いたのが『全てに救い』だったのか。
 自分は愛するものの為に『全てに救い』と言う信仰を持たざるを得なかった。
 だが、少年は違う。少年には『全てに救い』しか残されてなかったのだ。いや、それこそが少年の希望だったのだ。
 少年も自分も救いの外れにいる者達こそ救いに与っていると信じている。ただ違うことは、自分はそれを疑い、少年はそれを信じ続けた。
 そう、気のせいではなかった。少年から感じていたある種、老いた者の雰囲気、それは正しく事実だった訳だ。
 少年はもしかしたら少年自身の救済は愛した誰かが救われて成り立つ、そう言う危うい信仰に縋っているのかも知れない。
「運命の忌み子よ、お前は無残ね。救えないものを救おうとする様が滑稽で痛々しいわ」
「それでも祈り、乞い願いたいんですよ。いつの日か『家族』が全員揃って暖かな陽だまりの中で過ごせる夢を見るんです」
 少女に相対する少年は静かに少女を見詰めた。少女は少年を冷酷に見下す。
「下らない。あいつらが安全圏に逃げたのを見計らってお前も坊やを連れて逃走かしら?」
「そうだね。あなたに『籠』を渡すつもりはない、と言った筈だけど」
 少年は確固とした意志を見せる。
「それは『方舟』の長としての使命かしら、それともお前個人の意志?」
 少年は微かに微笑んで宣言する。
「その両方だよ」
「そう、ならば、やはり坊やの命は盗らせて貰うわ。これは魔王たる盟主の愛を受けるお前にしてやれるささやかな侮辱よ」
 少年はメモを取り出し、こちらに渡す。
「君は一旦逃げて。後で僕も行くから。そのメモの場所に『本当の』同盟国の人が待っているよ」
 少年は光り輝く球を造り出し、少女は無数のレイピアを空中に固定し、お互いに探り合っている様子だった。
「行くんだ」
 少年のその言葉にハッとし、行こうとした瞬間。
「その必要はない」
 厳めしい言葉を発したのは突然現われた牧師だった。その牧師は牧師と言う軍人の様な雰囲気を漂わせている。厳めしい顔付きは生来のものか育った環境によるか判らないが、場を緊張させる特有の気を放っていた。
 少年はこの展開を予想していたのだろうか、何となく溜め息を吐く。
 一方、少女はそれらをせせら笑って牧師をからかう。
「これはこれは親愛なるウォリアー元大将ではありませんか。親愛なる同盟国の人間が何をしにこの場に?」
 ウォリアーと呼ばれた牧師は厳かな声で伝える。
「愚問だな。貴君が我が国の了解も得ず、名前だけ利用している状況を糺しに来ただけだ。貴君が幾ら上位種だからと言っても見逃す程に同盟国は甘くない」
「ハッ、人間如きが偉そうに。正直に言いなさい、怖いでしょう?」
 少女は牧師を馬鹿にした眼で観る。それに対して牧師は毅然とした態度で語る。
「確かに。貴君がその気になれば我々を虫けらの踏み潰しの様に殺すだろうな。だが」
 牧師は啖呵を切る。
「そんなことで引くのが、我々ではない。我々は人類圏の代表として立つ。例え、敵が如何に強大無比であろうと我々の引く理由にはなりえない。然り、神御自身がそう立たれた様に我々も世界が終わるその日まで立ち続けるのだ。先の言葉を返そう、悪魔如きが偉そうに語るではないか。正直に言うが良い。お前は怖れている」
 少女が舌打ちする。少しだけ苦痛染みた表情を浮かべた少女。それは初めて見る少女の表情だった。少年を除いて、人間ならば少女に皆屈してきたのに牧師は屈さない。厄介な人物を見る眼で呻く。
「これだから信仰のある人間と言うのは面倒臭い」
 ウォリアーと呼ばれる牧師は細長い金槌を取り出した。すると奇妙なことが起きた。 金槌から放電が始まったのだ。
「見せてみなさい。神が人に与えた可能性とやらを」
 少女が不気味な笑みと共にレイピアを構え直す。刹那に虚空に静止していた剣の群れを解き放つ。それらの群れは自分、少年、牧師に各々突き進む。
 少年が動く。目にも尽かさぬ速さで動き、拳で剣の群れを瞬時に叩き割って行く。
 そして、牧師が動く。と言っても立ち位置から動かない。帯電している金槌を振り回し、雷撃を繰り出す。
 少女はそれに対応し、レイピアをクルクルと回転させながら雷をレイピアの先端に集める。まるで棒に綿飴を集める様に綺麗に掻き集め、逆に牧師に放ち返した。少年が牧師の前に立ち、両手を広げて雷を受け止める。少年は全くの無傷で驚きだとしか言い様がない。
 その間に牧師は金槌を地面に置き、放電する。それは無秩序な放電ではなく、牧師と少女を結ぶ電磁力だった。
「こんなもので私を抑えられると思わないことね」
「「もちろん」」
 少年と牧師が同時に答える。少年は瞬時に少女に手を翳し、光の珠で少女を覆った。
「まあ、取り敢えず、時間稼ぎは出来たかな」
 少年はホッと胸を撫で下ろす。牧師は頷き、こちらに向き直って語り始めた。
「話は空母の中で聴こう。長よ、頼んで良かろうか?」
 長と呼ばれた少年は頷いた。すると風景が一変し、執務室の様な場所に変わった。自分が要領得なくうろたえていると少年は耳打ちした。
「大丈夫。ここは同盟国艦隊の司令艦の中の司令室だよ」
 どうやって移動したのだ。瞬間移動か? 原理も解らず自分は呻く。すると、コホンと軽く咳をしてウォリアーと呼ばれる牧師が座席に座り、こちらに向き直った。
「さて、貴公の取り扱いについてだが」
 突如と渡される宣告。
 どうなる? いや、どうなるもこうなるもあったものではない。自分は同盟国の一員どころか敵対組織に良い様に使われていた。同盟国の領域内で生活しておきながら裏切り行為を平然としていた訳だ。
 内心では不安だった。少年はどうにかする様な口振りだったが、少年は元々教会側の存在だ。
「不問に処す」
「……へっ」
 思わず唖然として情けない声を上げる。牧師は再度通告する。
「不問に処す、と言ったのだ。感謝するのだな。『方舟』の長が動かなければ、貴公は重要参考人として拘束されていた」
 少年は微笑んで頷いた。
「ありがとう、ウォリアー、君らの国々に感謝を」
「礼は要らん。それより、今はソフィアをどうにかするのが先決ではないかね?」
 牧師は冷静に言った。少年もこちらを見て頷く。
「うん、未だ君は彼女の支配化から解放されていない」
「じゃあ、どうすれば良いってんだよ」
「貴公は昔悪魔崇拝をしていたと言う記録がある」
 内心、冷汗を流していた。それは憶えていた。若き頃、全てに絶望していた自分が悪魔崇拝に走ったのが紛れもなく事実だ。魔道書も少し読んだのは事実だ。
 人類は死ぬべきだと言う絶望感に呪いを込めた日々を憶えている。
 それにしても同盟国の情報活動は凄まじい。こんな個々人の情報すら把握しているのだから。
「エシュロンって怖いな」
「エシュロンだけではない。我々が使ったのは情報を纏めて用いた未来予見システムもあるのだ」
 そんなものがあるのか。どうやら同盟国とはつくづく奥が深いらしい。
「話は戻すが、そのシステムを使ったところ、貴公には特性があり、未来を変える可能性を保持していると結論付けている」
 そんなもの誰だって同じだろうに。世界中の人々の持つ可能性だってあるのに何故自分の特性とやらが注目され、少女に狙われなければならないのだ? その辺りの意味が解らない。
 牧師は厳しい眼付きでこちらを睨んだ。一瞬竦んでしまう。
「ウォリアー、説明してあげないと」
 少年は牧師を諌め、慰める。
「端的に言えば、現代では貴公の信条そのものは異端でしかない。しかし、未来のある地点に於いて歴史の分岐点となる一因を担う可能性がある。ただ、それだけだ」
 まるでそれ以上のことを訊くと宜しくないことが待っていると言いた気だった。
「それっておかしくないか」
 自分の存在が邪魔なら最初から抹消すれば良かっただけだろうし、現に今も狙われている。この不自然さはどう理解したら良いのかさっぱり解らず仕舞いだ。
「未来予見システムとしてやつらの操るシステム『シュビラの託宣』があり、長には『方舟』の『ダビデの神託』がある。我々の未来予見システムもそれらの技術を解明出来る分だけして模倣した代物の一つに『ソロモン・システム』と言うものがある。長の持つシステムと我々の持つシステムを照らし合わせたところ、向こうより僅かに先に貴公の特異性が見出された訳だ」
 成程、最初から自分の存在価値は少女にとって無用だったが、向こうで計算したら実は意外な結果だったと言う訳か。先に気付いた少年が保護に回ったと言うことで良いのだろうか。
 しかし。
「そんな話をして大丈夫なのですか?」
「構わんよ。このシステムの存在は一握りの人間しか知らんし、貴公が幾ら情報を発信しようと『ソロモン・システム』の予見範囲内にいる限り、我々はどうにでも出来るのだから」
 不安に駆られて尋ねるも牧師はあっさりと喋る。自分の納得の行かない表情を見て牧師が付け加える。
「貴公が不安に覚えるのにも無理もない。だが、考えて見ても欲しい。エシュロンですら噂話の領域しか出ていなかった時代に確実に存在したのだ。この時代、我が国の選挙に他国が干渉していることも我が国で選出される大統領も『ソロモン・システム』の計算範囲の中にあることが何か不思議かね?」
 話を聴くと納得出来る部分も多々ある。しかし、そのシステムとやら存在するのにどれ程の技術が注ぎ込まれているのか見当も付かない。全体的な流れを掴むシステムではない。個々人の細かい流れも予測するシステムの様な話し振りだ。ビッグデータを収集する技術、量子コンピュータ、膨大なメモリ、これらでも足りないかも知れない。
 それを神のいる国、同盟国は完成させていると宣言したのだ。
 底の知れない存在達だ。いや、それはあの少女も同じだ。ただ唯一少年のみがそういった威厳を見せ付けず、穏やかに居た。
「それで話を戻すんだけどね、悪魔を崇拝していた話」
 心の中に後ろ暗いものを感じる。
「今も信じているの?」
 自分は肯定も否定もしない。それを見た二人の反応は対極的だった。
「貴公、それでも同盟国の一員か? 悪魔など退けて見せよ」
「うーん、性がないよね。被造物はお父様じゃないし、多かれ少なかれ皆は悪に惹き付けられるもんね」
 二人は顔を見合わせて苦笑した。
「長よ、貴殿らしい答えだ」
「ウォリアーも随分大変厳しい答えを突き付けるね」
 何だろう、この二人は随分古い付き合いに見える。
「でも、悪魔の誘惑を跳ね返すにはそれ相応の勇気が要るよ。場合によっては人生を諦めなくちゃならないんだ」
 人生を諦めるとはどういうことだろう? 既に諦めかけている者にとって何の意味があるのか。
「人生を諦めるとは?」
 思わず尋ねてみる。
「悪魔は皮肉にも人に栄誉を与えることで人を傀儡にしてしまうんだけど、お父様の世界はちょっと違うんだ。僕達の世界は神からの栄誉を受け、その後で人の栄誉に与る」
 だから何だ? それは詰まるところ。
「どっちも人からの栄誉を受けられるじゃないか」
 少年は頷いてその事実を認める。しかし、次の言葉は。
「確かに神の栄誉は受ける。人の栄誉はどうかな?」
 どう言うことだ? 意味が解らない。少年は続けて喋る。
「宗教改革者は今では崇敬の念を持って見詰められているけど、彼ら自身の時代に人の栄誉に与ったかな? もっと言えば旧約に出てくる預言者達が精確に評価されたのは後代の時代なんだ」
「それは……」
「君は悪魔の有用性を良く知っている。呪えば人に不幸が降りかかる事実を確信している。君が憎しみや虚無に満ちているのは悪の有用性を良く知る証明でもあるんだ。でも、君にとって悪魔と徹底的に切り離されるのはどう言う意味合いを持つのかな?」
 暫し、空間が静寂した。自分は独りで過去の歴史を振り返っていた。
 初めて死を意識したのは父方の祖父の死だった。ある日、突然死んだのだ。よく解らないがあの時の自分はひたすら怖くて哀しくて泣いてばかりいた気がする。
 死が解らない。
 当時の馬鹿な自分はそんな感じで周囲の変化になんて知らなかった。父が膨大な借金をしていたこと。祖父の残した遺産が父方の祖母と叔父に独占された、と自覚出来たのは後だった。家は苦しいのにあの連中は楽をしている。特に自分達に味方してくれなかった祖母を自分は恨んだ。自分の親しい家族からも見捨てられる絶望。それは憎しみを募らせた。自分は祖母を呪う様になった。呪う為に魔術の仕来りを読んだものだ。今となってはもう覚えていない残骸だが。すると風の噂で祖母が苦労していると聞くと「もっと絶望しろ」と心の中で怨嗟の呪いと呟いたものだ。結局、祖母は最期に新興宗教に走り、疲れたのか死んでしまった。だが、それでも憎しみは消えなかった。
 そして、いつしか気付いてしまったのだ。信じて祈る者達の祈りが聞き届けられる様に憎しみを願えば、世界に不条理を与えることが出来ると言う奇妙な法則。
 家族すらも例外ではない。自分は家族を憎んでいる。教会の人々は家族を大事にと説くが、自分の中には憎悪の冷たい炎が燻り続けている。
 もし、自分に愛なるものの欠片を教えてくれた犬が世を去ったら自分は冷酷にこの世を裁くかも知れない。
 あの子は自分の存在証明だ。それ以外に存在証明を残せるとしたら人の世の栄誉でしかないだろう。だからこそ、学者を目指したのであって、いつの日か宗教改革者達すら大したことがなかったと云わせしめる程の偉大な業績を残したかったのだ。
 それがどれ程愚かな罪だと気付いていようともそれしか道がなかったのだ。
 そして、少年は暗に語る。その道を諦めなさい、と。
 少年の言い分も解る。それが教会に殉ずると言うことなのだ。それこそ信徒の在り方なのだ。
「神の御子と共に生きよ。その苦難の中にしか人の生の実感は存在せんのだ」
 少年の答えを代弁する様に牧師は答えた。沈黙するしかない。
 すると、少年は視線を上に向ける。少年の視線に気付いた牧師は溜め息を吐いた。
「やれやれ、もう長の封を解くとはな。つくづく化け物染みている淑女だ、いや、淑女でもないか」
 牧師はこちらに目配せして付いて来いと意思表示をした。艦長室を出て通路を通って外に向かう。
 向かうが。おかしい。軍事に疎い自分でも判る違和感。人が誰もいないのだ。それに船の中とはもっと入り組んでいる代物ではなかったか? まるで建物の中の様な整然さを感じさせる。外に出るとそれはそれで異様だった。
 巨大過ぎる。空母とはこんな巨大な船なのか。表現もあれだが、地平線が見えてない程巨大な船だ。
 その異質な空母に佇む少女はニタリと笑って言い放つ。
「いけない子ね。ウォリアー。あなたの狙いは読めているわよ」
「そうかね」
 牧師が手を翳すとそれを合図に次々と甲板の下から何かが出てくる。あれはドローンか? いや、形状が少し違う。プロペラも付いていない少し不可思議な形をした飛行物体。少女が理解していない自分を見て嬉しそうに語る。
「オートマータ大隊ね。ああ、坊やには解らないわよね。説明してあげるわ。同盟国はもう人を使う戦争の時代を終わらせようとしているのよ。人類の制御下にある自律機械が圧倒的な物量攻撃によって戦地で爆撃を行う。これらはね、『ソロモン・システム』と結び付いているのよ。戦争による経済活性化、引いては敵対諸国の属国化を進めていく政策。その為の人類による機械の軍隊オートマータ艦隊が編成されているの。勿論、表向きには公表もされていないわ。今はね。それに、マータを造れる技術はあってもより殺傷能力を発揮出来る形状をした機械があるのだからマータと呼んでいるのは何故かしらね」
 ベラベラと機密情報を喋る少女は機械の軍を見ても平然としている。圧倒的戦力の差。少女には余裕が感じられている風に見える。それに少女の口調は何か疑いを招く言葉振りだ。何故自動人形を造る技術があるのに、出さないのか。
牧師もそれは承知なのか、平然と切り捨てる。
「未完成な艦隊なものでな、本来なら実戦に投入したいところだが、如何せんデータ不足は否めない。故に貴君に使わせて貰おう。我々の技術は悪魔や敵対国に対してどの程度有用なのか? このデータを取ることで我が国の軍事基盤はより一層強固となる」
 その言葉を聴いた少年は哀しそうな表情で牧師を見詰め、少女は嗤いながら牧師を見遣る。
「良いのかしらあ? それ、造るのに金をかなり注ぎ込んだ筈よ。軽く数千億ドル以上は使った筈よ」
 その言葉には、機械の軍隊は全滅するのだ、と言う意志が明白に含まれていた。
 牧師は平然と事実を受け容れる。
「構わん。既に量産体勢にはいつでも入れる。今の我々の関心はオートマータ艦隊がどれ程の有用性を発揮してくれるか、だ。未来の可能性を持った若造を保護する。軍を動かすのにこれ程良い口実はあるまい」
 空海陸に対応している様に見えるドローンはいきなり光を放つと同時にレーザーを放った。何万と言う無人兵器が少女に容赦なく集中砲火を浴びせる。
 しかし、どういう訳か甲板が破壊されない。凄まじい業火なのにも関わらず。
「成程ねえ、世論には電磁シールドの雛形の完成は報告しておいて軍の内実は実戦段階に使えるシールドを開発済みだったのね」
 業火の中、嗤いながら納得した様に高らかに声を上げる少女。
「大したものだわ」
 一定の評価を下す少女。その次に業火は突如已む。一瞬にして煙が晴れ、少女は無傷の姿を晒す。服すら焼かれていない。ただレイピアを一薙ぎ払った様子が覗える。少し見渡すと自律兵器は真っ二つに切られていた。
 全ての無人兵器が沈黙していた。少女は睥睨して感想を伝える。
「神のいない国々相手なら上々の戦果を挙げられるわ。まあ、私達にとっては卵の殻を一砕きする程度の手間は掛けさせたわ」
 少女は牧師の反応を見て楽しんでいる。次はどんな玩具を繰り出すのか、と。
「ふむ、では次の兵器は如何なものか」
 牧師が手を翳すと強烈な衝撃波が走った。その雷は遙か遠くからのもので少女を巻き込み、遠くの洋上で着弾した。凄まじい爆発が鳴り響いた。
 かつて子供の頃に見たアニメ映画を思い出す。神の兵と呼ばれる兵器が放った世界を焼き尽くす様な恐ろしい業火、それを喚起させる様な光景が遠方に見えた。
「成程、戦術核級の電磁砲も開発済みだったのね」
 少女は嘲り嗤いながら答える。
 服すら焦げていない状態で少女は嬉しそうに評価していた。
「あなたの心の内が良く読めるわ。自分の予感は当たっていた、と思っているのでしょう?」
 少女は何処からか徐に幾つかの紙を取り出した。少女が面白そうに読み上げる。
「あなたが書いた論文集よ。何々、『神と悪魔の力とこの世界の関係性について』ねえ。人間ってつまらない議論をするのは得意ね。あなたは同時並列世界の可能性に着目して悪魔が世界を破壊するだけの力を持ちながら何故それを行わないのか論じたのね。そこにいる坊やは自国語以外疎いから私が論文を説明してあげましょう。ウォリアー曰く、『世界は既に破壊されてしまっている。我々の感覚で世界が存在すると感じるのは神の持つ驚異的な世界復元能力によって成り立っている。では、何故悪魔は世界の復元を容認するのか。そこに悪魔の意図がある。神が悪を有用し、善に活かす様に、悪魔も善を有用し、悪に活かすのである。我々の今日を築き上げる軍産複合体を悪魔は巧みに利用している。軍事と科学は密接に結びついている。世界の破壊を観測すれば、一定の科学的考察を人類は行える。それこそ悪魔の意図がある。人類が貪欲に観察を進め、考察を進めていくのに悪魔にとって何の有用性があるのか。端的に云うと悪魔は自分達が出来ない研究を人類にやらせようと言う魂胆なのである。悪魔、及び天使は存在として神に近付き過ぎた。故に彼らは神の柵から抜け出せない。故に悪魔は自分達の最期の戦い、つまり黙示録なるものがいつ訪れるか予測出来ない。ある程度までは予測しているのだろう。しかし、聖典にある通り、終末の日は父なる神しか知らない、とあるならば悪魔達は答えを得ていない。そこで悪魔が目を付けたのが人類だ。悪魔達の戯れにも感じる実験として人類を悪魔は利用している。人類も又神の柵に縛られているが、悪魔程ではない。更に人類が生み出すかも知れない人工知能は更に神の柵に囚われないであろう。機械は恐らく人類を超える存在になるだろう。悪魔の目的は簡単に高度に発達した神の柵に囚われない者達が終末の日を完全とまで行かずともかなり精密に黙示録と一致させる未来を予測させる。そこに悪魔の実験がある』」
 全てを喋り挙げた少女は溜め息を吐いて牧師に愚痴を零す。
「あなたねえ、頭の悪い論文ねえ。研究が中途半端よ。主語も術語も使い方がおかしいし、ルターもアウグスティヌスの引用も中途半端、人工知能の世界に注目したのは認めてあげるわ。で、結論は判ったわよね?」
 少女は笑顔で少年にも牧師にも自分にも突きつけた。
 頭の悪い自分には判らない。ただ、判ったのは人が悪魔の戯れの中で生き続けていることだ。こんな化け物共の思考など読めないが、悪魔は人を塵芥と同列に看做している。
 牧師は反駁する。
「貴君らは確かに我々を利用して終末の日の予測に励んでいるのも頷けよう。だが、忘れてはいないか。我々も又貴君らを利用している事実を」
 牧師は手を翳し、合図する。
 天空が割れ、業火の如く光の群れが墜ちて来る。
「自動空母よ、シールドを最大出力。プランは現状維持」
 牧師がそう命じると少女を底にティーカップ状にボンヤリした何かが覆う。光の群れはその中に包まれる様に墜ちて行く。そして間髪入れずに轟音が鳴り響く。
 火柱が立ち昇り少女を包み込む。
「スーパーズムウォルト艦の大電磁砲が通用せずとも、我々はありとあらゆる手段を用意する」
 牧師がそう語る火柱から高嗤いが聴こえ、火柱達を細切れにした。
「ナノマシンからの電磁集中攻撃ね、味気ないわ。ふうん、それでもアロンまで使う度胸はない様ね」
 散花した火花の中に現われた少女を詰まらなそうに言う。少年が補足を付け加える。
「アロンは現段階では未だ人が持つべきではないとお父様は意志を示されたからね。その辺りは同盟国も弁えているよ。同盟国が世界各地で戦火に塗れようともお父様の意志を無視しなかったのは賢明だよ」
 アロンとは何だろうか? 旧約聖典に出て来る人名だった気がするのだが。それとも兵器の隠語か?
 何て云うか。目の前の光景は見ていてクラクラする。
 非現実的、非常識過ぎて理解が及ばない。
 何もかも現実離れしている。量子コンピュータ、ビッグデータ、オートマータ艦隊、ソロモン・システム、戦術核級の電磁砲、シールドの実用化。かつて千九百八十年代、同盟国はインターネットシステムを実用化し始めたが、これはその比ではない。インターネットを使い、エシュロンを立ち上げ、それらを元手により巨大な計画を進めている。
 これが同盟国なのか。
 しかし、それ以上に恐ろしいのが少女だった。先程からあれ程攻撃を受けて平然としている。
「さて、万策尽きた様子ね」
「いや、未だ一つだけ残っている。祈ることだ」
 何を馬鹿なことを言い始めたのだろう。祈りでどうにかなるなら最初からそうしている。祈りの力は確かに効果はある。
 だが、それは神と人の想いの一致に寄らなければ成就しない。
 すると少年は先頭に立ち跪く。そして手を合わせ静寂な祈りを捧げる。
 牧師も天を仰ぎ、祈りを捧げる。
 この者らは何をやっているのだ? 同盟国に最新鋭の兵器が破壊されたのに祈りも糞もない。そんなものは強大な少女を前に何の意味が生じるのだろうか、いや、意味などない。すると雲の切れ間いから光が差し込んだ。それを見て少女の表情は凍りついた。
天から投擲が放たれた様子に少女は反応出来なかった。
 いつの間にか少年は天高く舞い上がり天で槍の投擲をしていたのだ。槍が少女に深々と刺さる。しかし、少女は何の変化も起きない。少女は忌々しく反応する。少年は慎重に語る。
「成程、私に槍を突き刺すとはねえ。刺々しい槍ね。私に罪を自覚させるつもりかしら? だとしたら、それは無駄よ。でも、同時に不快な感覚を引き起こすわね。何か交換条件でもあるのかしら?」
「機会を与えて」
「坊やの命を助ける為に? 悪魔に魂を売り渡した奴の為に?」
 苛立った少女の言葉に少年は頷く。
「坊やの中に真実の愛の欠片があるなら救われるでしょう。けど、突破出来ない場合は解っているわね?」
 少年は神妙に頷く。
「宜しい! 私もお前と闘うのは不利なのは否めない。では、坊や」
 そう言って少女は自分を見詰める。そうすると急に眠たくなってきた。そのまま意識がストンと落ちる。

       *

 あれから一週間経った。どういうからくりか解らないが悪魔は自分の命を見逃してくれた。同時に詰まらない日常も帰ってきた。人生とは苦難が八割、喜びが二割とは誰が言った言葉だったろうか。とにかく日々の業務に打ち込み続けるしかなかった。
 そうこうしている内に会社の先輩が帰省に付き合わないかとのお誘いがあり、自分の母方の祖母宅に寄ることにした。
 犬がいた。
「よしよし」
 皆が可愛がる犬。確かに愛らしい犬だ。
 祖父も健在だ。相変わらず酒豪だ。
 騒がしくて居づらいと感じる時もある。
 だが、この違和感は何だろう?
 何か掛け間違えた様な感じ。
 幾つかの決定的部分を見落としている。
 犬と遊んでやる。
 犬は好きだが、この子はこんな子だっただろうか?
 闊達で躾も行き届いている。
 だけど、何かが違う。
 その瞬間は不意に訪れた。
 犬が夜布団の中に入り込んで来た時だ。
 撫でて気付いた。
 自分が飼っている犬ではない。
「ごめんな」
 お前じゃないんだ。お前も大切だけど、私にはもっと大事な犬がいるのだ。
 パピ。
 それが名前だ。
 自分の命の大切さを教えてくれた存在。自分の信仰の躓きになり、信仰の要となった子。
 祖父ももうこの世にはいない。
 祖父の逝った時、自分は暫く塞ぎこんでいたのを憶えている。祖父は熱心な仏教徒だった。その為、自分は悩んだ。信じて洗礼を受ける者が救われると言う教会の教義に相反していたからだ。祖父は天に召されたのだろうか? その時、教会の牧師が「君のお祖父さんは天国に行けたよ」と言ってくれた。そこからだった。自分が神は『全てに救い』をお与えになると信じ始めたのは、そこが起点だった。
 ああ、全てが繋がっていたのだな。祖父の死もパピの存在も。だからこそ、神を憎み、世界を憎みながら、家族を恨みながらも、心の何処かで自分は世界の全てに、『家族』に救いが訪れることを祈り願っていたのか。
「ごめんな、お前との別れも嫌だけど、パピが待っているんだ」
 その瞬間、光が燦燦と降りしきり、世界は光で埋もれた。

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登場人物紹介

自分……教会の信徒であり、介護職であり、同時に同盟国の末端でもある。同時に精神的な病も患っており、無気力な人物。少年との出会いで諦めていた人生と信仰に一つの灯火が与えられ、『全てに救い』の信条に触れていくことになる。



少年……風の様に現われ、風の様に去る可愛らしい少女の様な凛々しい少年の様な少年。語り部である『自分』を受け容れ、『全てに救い』の教義を教えることに力を貸す。同時に語り部である『自分』の危機的状況を救ったりもしてくれる不可思議な少年。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)





少女……同盟国の関係者らしいが、実体は不明な少女。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)





ウォリアー……同盟国の重要人物で『使徒』と呼ばれる存在。重々しい口調が特徴的な牧師の格好を纏った軍人の様な男。実際に軍人でもあり、新しい計画にも携わっている。典型的な戦闘型の『使徒』で実際には星一つ滅ぼせる程の力を保有していると思われる。少年と付き合いは古い。(アイコンはあくまで参考用のイメージ像です。読者様のお好みの姿を思い描いてお楽しみ下さいませ)



 



ジューダリア……ユダとマリアを合わせて取られた名で『イスカリオテ』の中でも別格の存在。祈りを具現化する能力に長けており、『使徒』の番外と呼ばれる。

ジ・オーダー……第二部の語り部。オーダー・オブ・オーダーの中核。自分のことを我々と称する。「人は『全てに滅び』をお与えになる」の信条を創り上げたと言われる。世界の破壊者。

クリストフォロス……第二部の登場人物。『使徒』である。ジ・オーダーにとって先が読めない人物と考えられている。恩恵能力『絶対結界』(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ソロモン……第二部の登場人物。『使徒』の一人。恩恵能力『ソロモン・システム』但し、精確には恩恵能力ではない。より厳密に言えば彼女の家系が築き上げた。『ソロモン・システム』については第一部参照。( アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ジョシュア・エイブラハム・ノートン……現代の最古の『使徒』の一人。恩恵能力は不明。判ることは通信系の能力。古典的な通信手段のみならず現代の科学水準を以てしても理解出来ない通信手段を使用している様子。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

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