第11話 山の上のモーツァルト

文字数 718文字

 ボスコフスキーさん指揮による「ポストホルン・セレナーデ」。ジャズのチック・コリアと、やはりジャズの著名ピアニストによる「2台のピアノのための協奏曲」、この2曲の第一楽章が頭から離れない。

 殊に、ポストホルンは…「モーツァルトの夕べ」と題して、埼玉の山の上で小イベントをやった時、友達が素晴らしいステレオ装置で、下界に見える東京の街にも聞こえるかというほどの大音量で、最初にかけた楽曲だった。ぜんそくで亡くなった、友人の子どもにも、聞こえていたろうか…

 何も悪いことをしていない友人の、子ども生命を奪った病気。あれほど神を憎んだことはなかった。神なんていないことは知ってはいたが。

 友人は、全共闘世代の人だった。私はその後の後辺りの世代だが、「既成のものを壊していく」… 世の中をよくしていこう、なんて言わないけれど… その時代の学生運動のようなものに、心情的に共鳴するものがあった。
 少なくとも彼は、黙々と畑を耕し、自分の生き方を生きようとしていた。何も言わなくても、ものは言えること、伝わること。それを知らせてくれた、教えてくれた人だった。

「おもしろいよ。じゃがいもなんか、植えれば勝手に芽が出てきて」
 養鶏もやり始めたが、「せっかく産んだ卵を、取るのが気が引けて…」と笑っていた。
 その彼も、癌で亡くなってしまった。

 音楽は、思い出を蘇らせる。

 モーツァルトに、「書きかけの曲」がある。交響曲なのか、管弦楽の協奏曲なのか、第一楽章の途中までしか書かれていない。心が洗われるような、快活な曲。演奏も途中で終わってしまうけれど、それでも、ぼくには大好きな曲。

 人の生に置き換えるなら、… 最後に完成して終わる人生なんて、あるだろうか?
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