第23話

文字数 5,238文字

 ツッコミどころが存在――つまり、提唱した理論に批判が集中したとはいっても、パーソンズといえばアメリカ社会学の水準をぐっと押し上げ、1950年代から60年代にはパーソンズの社会学こそがスタンダードであると言わしめた、さながら綺羅星のように輝く社会学者だ。

 だけど――

「何を言っているのかよくわからない」
「悪文で読みにくい」「難しすぎて退屈に感じる」
 これまで目にしたパーソンズに対する辛辣なコメントがカンナギの脳裏をかすめた。

 パーソンズはその著作の難解さと抽象度の高さゆえか、少々敬遠されるきらいがある。
 たしかに、ゴフマンやデュルケム、ウェーバー、ジンメル、あるいはマートンなどのように、関心が集まりやすいテーマを扱っていたり、読者を引きずり込むような記述ぶりではないかもしれない。さらに白状するなら、パーソンズ社会学は取り立ててカンナギのお気に入りというわけでもない。
 
 けれども――

 社会秩序がいかなる要件によって成立しているのかを解き明かさんとする熱意に溢れたパーソンズの構想や議論を前にすれば、どうしたって心は跳ねるし、そもそも「社会」がどうやって成立しているのか、なんて途方もないテーマに立ち向かうとはカッコ良いじゃないか。
 カンナギの意識が自然とパーソンズに向けられる。

 機能主義を代表する社会学者、タルコット・パーソンズ。パーソンズの機能主義といえば、すべての社会現象や相互行為を、社会全体の統合(≒秩序の形成、維持)に対する機能(=作用や貢献)と捉え、その観点から分析する立場のことをいう。
 広義では、社会の中のある部分が、別の部分や全体に対してどのような働きをするかに着目して相互の関係を分析・追究する立場を機能主義とよぶ。
 ただ、この機能主義、背景が少しばかり複雑なのである。

 社会学において最初に「機能」という言葉を使って議論をしたのは、かの有名なデュルケムとされている。デュルケムの議論からはいわゆる機能主義的な発想がうかがえるのだが、デュルケム自身が機能主義を確立したわけではなかった。人類学者のマリノフスキーとラドクリフ=ブラウンが、デュルケムの「機能」に示唆を得て、それぞれ機能主義的なアプローチを提唱したのである。
 したがって、機能主義にはまず人類学における発展がある。パーソンズは人類学的な機能主義の成果を視野に入れつつ、社会学的な議論も取り入れて社会学的機能主義を展開したのだ。

 パーソンズの広範囲にわたる業績すべてを概観するのはさすがに憚られるので、社会理論の構築に力点が置かれた時期の議論にリミットをかけるのが得策だろう。カンナギはパーソンズ社会学の中期頃に関連する記憶を取り出していく――――

 ――20世紀初頭のアメリカにおける社会学では、人々の暮らしを観察したり、インタビューを実施するなどして社会を把握しようとするフィールドワークや社会調査が主流だった。そのため、実際に起きている個々の「事実」――いわゆる現象を把握することには優れていたものの、そうした現象や人々の行為を説明する理論……いわば全体的な視点は不足している状態にあった。

 そこでパーソンズだ。
 彼は、デュルケムに由来する機能分析(社会のある現象が他の現象に対し、または社会全体に対してどのような作用ないし働きをもつのかを分析する)や、ウェーバーの行為理論(行為とは他者との関係において主観的に意味づけられた人間の行動。人間の行為の動機に着目し、それを考察する)、経済学者でかつ社会学者でもあるパレートの議論などを引き継ぎながら、社会全体がどのように成立し、存続し得ているのかを説明しうる体系的な一般理論を構築すべく「社会システム論」を発展させ、「構造−機能主義」と呼ばれる独自の方法論を展開した。

 中期のパーソンズ社会学において特に重要な概念は「社会システム」と「構造–機能」である。

「システム=体系」とは、一般に多数の要素が集まってまとまりをもった組織や体系のことをさすが、とりあえずの定義をしておくならば、「一定の様式のもと、個々の要素が相互に依存・作用することにより成り立つあるひとつの全体」といったところだろう。

 たとえば人体――生命体というシステムを例に考えると、脳が命令を出し、心臓が血液を送り出し、さまざまな臓器、血管、神経といった個々の部分がそれぞれに影響を与え合い、支え合うことで生命体としてのひとつ――人体が成り立っている。このとき、どこかに不具合が生じると、他にも影響が及んでしまう。こうして、さまざまな要素が互いに連関しあって原因なり結果となっているのが「システム」である。ただ要素が集まっているだけではシステムとはいえないのだ。

 この、システムという見方を採用することによって、部分と全体といった複雑な問題を、それらの関係性という視点から説明することが可能になる。システムという考え方を導入すれば、ひとつの要因から説明しようとするのではなく、さまざまな要素間の相互の関係を解き明かしつつ、全体の問題を考えることもできてしまう。すごいぞシステム。

 ――そう、パーソンズが目をつけたのはまさにその「システム」だった。

 パーソンズは生物学などで用いられている「システム」の考え方を社会学に導入し、それを「行為」に接続した。つまり、行為をひとつの全体――「行為システム」として捉えたのである。なぜここでパーソンズがシステムの接続先として「行為」に着目したのかといえば、社会は個々人の行為によって成立しているものであるとする彼の見方が関係しているからだ。

 行為システムを構成するのは、「文化システム」「社会システム」「パーソナリティ・システム」「有機体システム」という四つのサブシステム。これらの行為システムのなかでも、パーソンズがとりわけ社会学の考察・分析対象として重視したのが「社会システム」だった。
 
 パーソンズにとっての「社会」とは、人々の相互行為が複雑に結びついたシステムといえる。別の表現でいうなら、パーソンズ社会学では、「社会システム」を構成する基本要素は「行為」であると考えられていた、というわけだ。のちに、ドイツの社会学者ルーマンは社会システムの要素を「行為」ではなく「コミュニケーション」であると考えたのだけれど、それはまたの機会に譲るとして――

 話を戻すと、パーソンズは、そのさまざまな要素が複雑に連関しあった「社会システム」をどうやって分析しようとしたのか?

 そこでパーソンズが提唱したのが「構造–機能分析」だ。その手法は、まず社会の「構造(≒秩序)」がどのようなものかをあらかじめ仮定し、その構造に対して、個々の要素(社会現象や人々の行為など)が、どういった「機能(=作用)」をもっているのか、という観点から社会を分析するものである。

 換言すると、パーソンズは社会システムの活動を、「構造」と「機能」二つの概念によって捉え、社会システム論を展開していったのだ。この構造と機能との組み合わせによって社会を分析する立場を「構造–機能主義」という。

 ここでいう「構造」とは、あるひとつの現象の中で、比較的変わりにくく安定した関係性のパターンを指す。具体的には、「家族」は親子や夫婦といった役割構造が備っているように、人々の間に成立した「役割の体系」と考えることができる。ちなみに、パーソンズの社会システム論に登場する「役割」というのは、個人や集団が社会システムを維持・安定・統合させるために貢献している状態のことだ。パーソンズはこの「役割」という概念をとても重要視していた。
 一方の「機能」とは、ある部分がそれを含む全体(≒構造)に対して果たす有益な作用や効果のこと。

 これらを踏まえたうえで、社会システムの構造分析とはどういうものかというと、社会において比較的安定的な状態を保っているもの――すなわち役割や制度といった体系のあり方を分析することであり、機能分析とは、諸部分が社会の構造の維持・存続のためにどのように作用しているのかを分析することをいう。
 次に、パーソンズは社会システムの存続に何が必要かを考えた。政治? 経済? 法律のほうが大事? いや、文化はどうだろう? 社会が社会として存続するために必要なものとは?

 パーソンズの答えはこうだ――
 社会システムの存続には「適応(adaption)」「目標達成(goal-attainment)」「統合(integration)」「潜在的パターンの維持(latent-pattaern-maintenance)」という四つの機能的要件が満たされなければならないと主張し、それぞれの要件が社会システムを維持するため機能しているというのである。パーソンズはこれを、各機能の頭文字をとって「AGIL図式」とよんだ。

 そう! あのAGIL図式である。パーソンズといえばAGIL。もしパーソンズがライブでもしようものならコールアンドレスポンスは「AG〜?」「IL〜!」で決まりだろう。

 パーソンズはAGIL図式によってシステム全体の変動を説明することが可能となり、彼の理論は飛躍的な展開を遂げたのだ。

 「適応(A)」はシステムが外部環境に適応するために必要な資源を獲得すること――すなわち「経済」の領域が「適応」の機能を受け持つサブシステムに該当し、「目標達成(G)」は社会システムにおける具体的な目標を設定・目標を達成するために必要な資源を動員すること――「政治」の領域にあたり、「統合(I)」は社会システムを構成する個々人の結合や連帯を維持したり逸脱的な行動をあらかじめ予防する社会的な制御を担う――このサブシステムには「法律」や「社会共同体」が該当する。
 最後の「潜在的パターンの維持(L)」。これは、システムを安定的に保持するためには、そこでの役割行為の規範パターンやそれらを根拠づける共通の価値が世代を超えて維持されなくてはならない。この「潜在的パターンの維持(L)」を担うのは「文化」や「教育」「家族」などである。

 AGIL図式からは、社会秩序の成立および維持にあたって政治や経済の重要性を認めつつも、文化や価値もきわめて重要であるとするパーソンズの考えがうかがえる。

 ――ちなみに、「統合(I)」の要件からは、「連帯がなければ社会はない」というデュルケムの思考が色濃く反映されているようで、なんというかエモい。日頃エモいなんていう表現を使わないカンナギだけれども、脈々と受け継がれる発想やつながりめいたものを垣間見るとやはり感情が揺さぶられる。つまるところエモーショナル、エモいのである。

 それに、このAGIL図式。まだまだ説明し足りない。なんなら全てにおいて物足りない。それぞれの理論や図式を支える発想、それらに至るまでの背景、もっと掘り下げたいことが山ほどあった――けれども、今回の主役はパーソンズではない。あくまでマートンの役割葛藤に紐づけてパーソンズ社会学の一部を取り出しているに過ぎない。いくらカンナギの記憶がコンマ秒単位で展開されているとはいえ、取捨選択を意識するべきだ。届ける相手が不在の脳内ですら、社会学の話となればこうして長広舌をふるいがちになるのだから。
 カンナギは名残惜しさに後ろ髪を引かれながらも、マートンに繋がる最短ルート――パーソンズ理論への批判へシフトする。

 さて、社会システム存続のため必要な機能はなんたるかを構想し、システムの構造および機能に関する記述・分析に注力したパーソンズ。しかし、やがてその理論が現状維持的であるとの批判がなされた。つまり、社会(システム)を分析する際、その安定性や秩序に焦点を合わせすぎるあまりに、実際の社会に存在する不平等や紛争といった葛藤や分裂が考慮に入れられていない、というわけである。

 また、社会全体を説明せんとするパーソンズの理論体系はたしかに意欲的な試みではあったけれど、抽象的すぎて社会の実像が見えていないとの批判も強まっていった。適用範囲の広すぎる理論は、実際に検証することが難しくなってしまうのだ。

 そして、弟子のマートンも、師匠パーソンズが提唱する抽象的な一般理論は現実に起きている個々の現象を考察するには適さないと考えた。
 スラム街で育ち、少年時代にはマジシャンとして生活費も稼いでいたマートンは、貧困や犯罪、非行、差別、社会階層といった社会学が取り上げる事柄の多くと隣り合わせにあった稀有な社会学者である。そんな彼だったからこそ、パーソンズの構想する壮大な一般理論が、いっそう空虚なものに感じられたのかもしれない。

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主要参考文献(既出のものは省略しています) 
 T.パーソンズ(著),佐藤勉(訳)『現代社会学体系 第14巻 社会体系論』1974,青木書店. 
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