昼食はお洒落にしたい 3
文字数 3,173文字
食後はあれこれ激しく動かずに大人しくじっとしていた方が健康にいいというのは、どこかの賢者たちが長年にわたる試行の結果として導き出した著名な研究結果だったと記憶している。
それをいつ何で読んだのかは覚えていないものの、人は自分に都合の良い情報は覚えているもの。
そうでなくともこの家から全く出ないカトレアが疲れるほどの激しい運動をする機会は全くないので、この場合は普段通りに過ごせば問題ないのだろうが、この有名なる説を特に意味なく尊敬している彼女は、毎回忠実にそれを実践している。今の所それによる健康被害は一切発生していないので、この先も実践していくことに問題はない。
皿を洗い終わって居間に戻るなりいつもの一人がけの椅子の上に転がって、だらしなく伸びをする彼女を見ては口うるさく何かを言う存在も毎回いるのだが、事は彼女自身の健康に関わる問題なので最終決定権はカトレアにある。
つまり全く聞く耳を持たない。
そもそも彼女からすれば、ここで二階の寝室に戻らずこの居間で過ごしているだけでもかなりの妥協なのだ。本当ならば食後はベッドの上でゴロゴロしたいのが本音のところ、そこまでだらしなく午後を過ごそうとすると更に投げられる小言が増えるので(一度だけ試して確認した)間をとってここにしている。
昔はベッドに戻っていたものだが。
その相手曰く、起きている間は、間違っても寝室で午睡を貪る可能性が発生するような行為をすべきでない。就寝時以外でベッドに入るな、まっとうな人間ならば常に動き出せる状態で日の昇っている間は過ごすべきだ、という。
常日頃から生活態度の細かい部分にうるさい青年の主張。お陰で、出逢う前はほとんど恒例だった昼寝の時間が今はない。
実の親よりも厳しいしつけである。
一体どんな厳しいところで育ったのだか知りたいものだが、記憶がない相手では知る手段などない。記憶がなくてこれなので、きっと彼はそういう性格なのだ。
なんとも生き辛そうだと思う。
それはともかく、ここまで自分も妥協したのだから、この椅子の上でのんびりと食後くつろぐくらいは見逃すべきだ、が彼女の主張だった。
「本当に貴方は、放っておくとどんどんだらしない生活を送りそうですよね」
そんな彼女を見ると不満そうに彼は言うが、カトレアはむしろ昼寝の楽しさも知らない人生を送っているとは、なんて可哀想なのだろうと言いたい。
明るい昼間でも、食後の短い睡眠は非常に幸せなものだ。
これに関しては別にだらしない生活をしたい訳ではなく、楽に心地よく生きたいだけなのだが、その違いを説明するのは案外難しい。何しろ見た目はどっちも同じ行為をするし、行為によって得られる心地よさというのは個人の主観なので同じことをしても同じように感じるとは限らないから。
彼女がどれだけ昼寝の素晴らしさを訴えた所で、それを心地よいとこの堅物が思わない限り、この主張は成立しないのだ。
そうなると狙うは何時かこの男が限りなく寝不足か疲れ切っている日の午後だろうか。
出会ってからずっと、何時でも身なりが整い仕草が優雅でだらだらとすることもなく、何でも無駄なく動くこの男のそんな姿は想像もできないが。更に言えば、万が一この男がそんな状態の時に自分が側にいる可能性もないだろう。これもやっぱり無駄な妄想である。
妄想は捨て、椅子の背もたれに顔を半分埋めて現実的な反論を試みた。
「昼寝の楽しさがわからない相手と死ぬまで一緒に過ごすのは難しいわね」
「…………休日の午後に僕のそばで寝るなら考えます」
「結婚に妥協しすぎると何時か無理が祟るわよ」
「妥協じゃないんですけどね。まぁ今はいいです」
そう言う本人は定位置の壁に午前と同じようにもたれる。もたれる、と表現しているが、背筋が伸びていて、その姿勢は綺麗なものだ。
大体いつもこの部屋で彼はその状態で何時間も過ごしているが、よくそれで神経が保つなと感心するばかりだ。
祭典など長時間立たされるような公の行事ですら、じっとしているのが辛くなって仕方なかったカトレアの方が落ち着きがないだけなのだろうか。いやあれは周囲の賢者たちも辟易して押し付け合っているような行事なので、辛いと思っているものはそれなりにいたはずだ。
そういえばああいう祭典であっても軍の兵士などは、いつでも最後までじっとしているものだ。たまに生きているかどうか疑う程に身動きしない強者もいる。あれは元々の性格よりも、慣れが大きいと何かで読んだ。
もしかして彼もそういう経験を多く積んできたのだろうか。それにしてもただの日常でも自らじっとして過ごすのは自分なら遠慮したい。来客中はそういう部分が助かっているが、客もいない時間になると途端にそんな事を考えてしまう。
毎日、その姿を見る度に。
「午後は誰か来るかしらね?」
「どうでしょうね」
なんとなく呟いてみたが、彼からは曖昧な返事。
勿論彼女だって、いくら暇でもそれを望んでいる訳ではなかった。
彼女の家に来る客は全員が霊。死霊は言うまでもなく死んでいるし、生き霊もそうなる何か大事が当人に発生して身体から抜け出ており、一刻も早く身体へ戻るべき危険な状態になっている。彼ら霊が訪れるのは、この国の誰かに何がしかのそういう事が発生した証でもある。それが不幸と絶対に言える訳ではないが、悪い事ならば何も起こらない方がいいに決まっている。
しかし死霊や生き霊の全てがここに来る訳ではない。
ここに来るのは、行き場を見失った者だけだ。殆どの場合は己が霊になった瞬間自らわかっている行き場に真っ直ぐ向かっているため、まず迷ったり彷徨ったりしない。国中の霊全員が常に此処に来ていたら今頃家は大混乱だろう。つまり彼女の前に現れるのは、全員が何故か己の行き場がわかってないという点だけ見れば、共通した不幸を抱えている。
そうなる原因はよくわかっていない。
余程思い残りが強いのか、それとも場所が悪いのか、状況が悪かったのか、そういう体質があるのか。
霊がどれだけ見えようが、その答えは見えない。
わかっていたなら代々の賢者だってなんらかの手を打っていただろう。手立てがないから、せめて案内ができるよう、噂話を広く流しているのだ。
案内の賢者になるには霊と交流が出来る事が最低条件だが、霊と交流が出来たら全員が賢者になるわけではなく、当然にもう一つの前提として賢者としての頭脳が求められるので、別に代々のそれが今まで間断なく継がれてきた訳ではない。この国だけにしかいない案内の賢者という存在が、百年空くのもよくある話だ。他の賢者たちもそういう存在がいることは知っていても、無理に用意しようとはしない。不在なら不在のままだ。
不在の間の霊は恐らく全員が迷って消滅していると思われたが、そんな死後のことまでは生者だって面倒は見ない。賢者ならば尚更だ。霊のために能力が不足する者を賢者になどしない。
そんな中でも代々どこかで現れた案内の賢者たちによって蓄積されてきた情報は受け継がれ多くが残っているが、それを全て読み返したところで、行き場を無くした霊となる理由の法則性を見出した賢者は彼女を含め一人もいないのだった。
だから毎回現れる彼らを減らす方法などないし、現れるからには全員を案内する。
行き先を見つけ出すのが大変だが。
「魔法みたいなものでパッと送れれば楽なのにねぇ」
「そんなものがあったとしても貴方は使わなそうですよね」
「なんでそう思うの」
面白そうな表情で言う彼に理由を問えば、わかりきった答えとばかりに肩をすくめて金髪の青年は断言する。
「だって話をするのが好きじゃないですか」
だから結局相手の話を色々聞きそうですよね、と言われれば、否定も出来ずに目を逸らすしかなかった。
それをいつ何で読んだのかは覚えていないものの、人は自分に都合の良い情報は覚えているもの。
そうでなくともこの家から全く出ないカトレアが疲れるほどの激しい運動をする機会は全くないので、この場合は普段通りに過ごせば問題ないのだろうが、この有名なる説を特に意味なく尊敬している彼女は、毎回忠実にそれを実践している。今の所それによる健康被害は一切発生していないので、この先も実践していくことに問題はない。
皿を洗い終わって居間に戻るなりいつもの一人がけの椅子の上に転がって、だらしなく伸びをする彼女を見ては口うるさく何かを言う存在も毎回いるのだが、事は彼女自身の健康に関わる問題なので最終決定権はカトレアにある。
つまり全く聞く耳を持たない。
そもそも彼女からすれば、ここで二階の寝室に戻らずこの居間で過ごしているだけでもかなりの妥協なのだ。本当ならば食後はベッドの上でゴロゴロしたいのが本音のところ、そこまでだらしなく午後を過ごそうとすると更に投げられる小言が増えるので(一度だけ試して確認した)間をとってここにしている。
昔はベッドに戻っていたものだが。
その相手曰く、起きている間は、間違っても寝室で午睡を貪る可能性が発生するような行為をすべきでない。就寝時以外でベッドに入るな、まっとうな人間ならば常に動き出せる状態で日の昇っている間は過ごすべきだ、という。
常日頃から生活態度の細かい部分にうるさい青年の主張。お陰で、出逢う前はほとんど恒例だった昼寝の時間が今はない。
実の親よりも厳しいしつけである。
一体どんな厳しいところで育ったのだか知りたいものだが、記憶がない相手では知る手段などない。記憶がなくてこれなので、きっと彼はそういう性格なのだ。
なんとも生き辛そうだと思う。
それはともかく、ここまで自分も妥協したのだから、この椅子の上でのんびりと食後くつろぐくらいは見逃すべきだ、が彼女の主張だった。
「本当に貴方は、放っておくとどんどんだらしない生活を送りそうですよね」
そんな彼女を見ると不満そうに彼は言うが、カトレアはむしろ昼寝の楽しさも知らない人生を送っているとは、なんて可哀想なのだろうと言いたい。
明るい昼間でも、食後の短い睡眠は非常に幸せなものだ。
これに関しては別にだらしない生活をしたい訳ではなく、楽に心地よく生きたいだけなのだが、その違いを説明するのは案外難しい。何しろ見た目はどっちも同じ行為をするし、行為によって得られる心地よさというのは個人の主観なので同じことをしても同じように感じるとは限らないから。
彼女がどれだけ昼寝の素晴らしさを訴えた所で、それを心地よいとこの堅物が思わない限り、この主張は成立しないのだ。
そうなると狙うは何時かこの男が限りなく寝不足か疲れ切っている日の午後だろうか。
出会ってからずっと、何時でも身なりが整い仕草が優雅でだらだらとすることもなく、何でも無駄なく動くこの男のそんな姿は想像もできないが。更に言えば、万が一この男がそんな状態の時に自分が側にいる可能性もないだろう。これもやっぱり無駄な妄想である。
妄想は捨て、椅子の背もたれに顔を半分埋めて現実的な反論を試みた。
「昼寝の楽しさがわからない相手と死ぬまで一緒に過ごすのは難しいわね」
「…………休日の午後に僕のそばで寝るなら考えます」
「結婚に妥協しすぎると何時か無理が祟るわよ」
「妥協じゃないんですけどね。まぁ今はいいです」
そう言う本人は定位置の壁に午前と同じようにもたれる。もたれる、と表現しているが、背筋が伸びていて、その姿勢は綺麗なものだ。
大体いつもこの部屋で彼はその状態で何時間も過ごしているが、よくそれで神経が保つなと感心するばかりだ。
祭典など長時間立たされるような公の行事ですら、じっとしているのが辛くなって仕方なかったカトレアの方が落ち着きがないだけなのだろうか。いやあれは周囲の賢者たちも辟易して押し付け合っているような行事なので、辛いと思っているものはそれなりにいたはずだ。
そういえばああいう祭典であっても軍の兵士などは、いつでも最後までじっとしているものだ。たまに生きているかどうか疑う程に身動きしない強者もいる。あれは元々の性格よりも、慣れが大きいと何かで読んだ。
もしかして彼もそういう経験を多く積んできたのだろうか。それにしてもただの日常でも自らじっとして過ごすのは自分なら遠慮したい。来客中はそういう部分が助かっているが、客もいない時間になると途端にそんな事を考えてしまう。
毎日、その姿を見る度に。
「午後は誰か来るかしらね?」
「どうでしょうね」
なんとなく呟いてみたが、彼からは曖昧な返事。
勿論彼女だって、いくら暇でもそれを望んでいる訳ではなかった。
彼女の家に来る客は全員が霊。死霊は言うまでもなく死んでいるし、生き霊もそうなる何か大事が当人に発生して身体から抜け出ており、一刻も早く身体へ戻るべき危険な状態になっている。彼ら霊が訪れるのは、この国の誰かに何がしかのそういう事が発生した証でもある。それが不幸と絶対に言える訳ではないが、悪い事ならば何も起こらない方がいいに決まっている。
しかし死霊や生き霊の全てがここに来る訳ではない。
ここに来るのは、行き場を見失った者だけだ。殆どの場合は己が霊になった瞬間自らわかっている行き場に真っ直ぐ向かっているため、まず迷ったり彷徨ったりしない。国中の霊全員が常に此処に来ていたら今頃家は大混乱だろう。つまり彼女の前に現れるのは、全員が何故か己の行き場がわかってないという点だけ見れば、共通した不幸を抱えている。
そうなる原因はよくわかっていない。
余程思い残りが強いのか、それとも場所が悪いのか、状況が悪かったのか、そういう体質があるのか。
霊がどれだけ見えようが、その答えは見えない。
わかっていたなら代々の賢者だってなんらかの手を打っていただろう。手立てがないから、せめて案内ができるよう、噂話を広く流しているのだ。
案内の賢者になるには霊と交流が出来る事が最低条件だが、霊と交流が出来たら全員が賢者になるわけではなく、当然にもう一つの前提として賢者としての頭脳が求められるので、別に代々のそれが今まで間断なく継がれてきた訳ではない。この国だけにしかいない案内の賢者という存在が、百年空くのもよくある話だ。他の賢者たちもそういう存在がいることは知っていても、無理に用意しようとはしない。不在なら不在のままだ。
不在の間の霊は恐らく全員が迷って消滅していると思われたが、そんな死後のことまでは生者だって面倒は見ない。賢者ならば尚更だ。霊のために能力が不足する者を賢者になどしない。
そんな中でも代々どこかで現れた案内の賢者たちによって蓄積されてきた情報は受け継がれ多くが残っているが、それを全て読み返したところで、行き場を無くした霊となる理由の法則性を見出した賢者は彼女を含め一人もいないのだった。
だから毎回現れる彼らを減らす方法などないし、現れるからには全員を案内する。
行き先を見つけ出すのが大変だが。
「魔法みたいなものでパッと送れれば楽なのにねぇ」
「そんなものがあったとしても貴方は使わなそうですよね」
「なんでそう思うの」
面白そうな表情で言う彼に理由を問えば、わかりきった答えとばかりに肩をすくめて金髪の青年は断言する。
「だって話をするのが好きじゃないですか」
だから結局相手の話を色々聞きそうですよね、と言われれば、否定も出来ずに目を逸らすしかなかった。