第1話 あなたより彼が

文字数 1,729文字

 和真(かずま)がモテはじめたのは、中学のバドミントン部で活躍するようになってからのことだ。
「他校でも王子って呼ばれてるらしいね」
 そんなからかいの言葉を口にして笑う璃子(りこ)だって、昔からクラシックバレエのコンクールで上位に入り続けている。
「二人ともいいなぁ」
 あの頃はまだ無邪気に言えていた。
「あたしだけ、なんにも無いや」
 成績は良くも悪くもなく中ぐらい。
 バドミントン部では補欠。
 習っていたピアノもバレエも上達しなくて、結局やめてしまった。
「チカはお菓子作り得意だろ」
 和真は()めてくれるけど、プロ級なわけじゃない。
「チカは可愛いし!」
 璃子のそんな言葉には、馬鹿にしないでと反発したくなる。

 あたしたちは同じ団地で育った幼なじみの同級生だ。
 しっかり者の璃子とやさしい和真。
 姉と兄がいるみたいで、あたしは三人の時間を心地良く感じていた。
 そう……自分だけが平凡であることに気が付くまでは。

 バドミントン王子と、未来のバレリーナが並んで歩くと、ものすごくお似合いのカップルに見える。
 引け目を感じて、少し遅れて歩くようになった。
 なのに、いつだって二人はあたしを気にしてふり向く。
「チカ、早く」
 屈託のない笑顔の璃子に呼ばれると複雑な気持ちになって、それでもあたしは口角を持ち上げてかけ出す。
「可愛いっ」
 待ちかまえていた璃子につかまり、頬ずりされる。
「手もほっぺも白くてスベスベ」
「変態っぽいぞ」
 和真はあきれたように言うと、あたしを璃子から引きはがした。
「チカも抵抗すること覚えろよ」
 真顔で注意され、別に嫌だと思ってなかったあたしはドキッとする。
「抱き心地いいんだよね、チカって。細いのにやわらかくて」
 璃子の目は熱っぽくて怖い。
「和真も一回ぎゅってしてみ?」
「ばか、なに言ってんの」
 あたしは慌てて和真から離れた。

 和真は高校に入ると急に身長が伸び、ずっと年上の選手にも勝てるほど強くなった。
 少年が大人の男に近付いていく様子は、どこか神秘的でもある。
「チカ」
 すっかり声変わりした低音で呼ばれると、嬉しさがこみ上げて頬がゆるむ。
 あたしを見る和真の目に、特別な「好き」が宿っていないか探してしまう。

――和真が好き。

 自覚したときには、引き返せないほど想いが深くなっていた。


 ある夜、バレエの国際大会に出る璃子が、旅立つ前に会いたいとやって来た。
「充電させて」
 いつもみたいに長い腕で抱きしめてくる。
 璃子はパッと見は細いけど筋肉質で、しなやかな肉食獣のようだ。
 顔立ちも華やかで、切れ長の目と整った鼻筋に意志の強そうな口が、卵型の小さな輪郭にバランスよくおさめられている。
 百六十四センチという身長より大きく見える光のオーラをまとい、圧倒的な存在感があった。
「璃子はそのうち有名なプリンシパルになるね」
 思わず口に出していた。
 そして和真も、オリンピックに出るような有名な選手になるだろう。
「あたしだけ、置いていかれる」
 冗談っぽく言ったけれど、本当は絶望すら感じていた。
 もし璃子と和真が恋に落ちたりしたら、あたしは死んでしまおうと思った。
「置いてくわけないでしょ」
 やさしい声で璃子はささやいた。
「私はチカが好き。誰よりも好き」
 知ってる。
 でも璃子、わたしはノーマルなの。
「チカは私のこと好き?」
 素直にウンと言えたら幸せなのかもしれない。
 でも璃子に対する思いは、好き嫌いで表せるような単純なものじゃないんだ。
「和真が好き」
 あなたにだけは取られたくない。
「璃子より和真が好き」
 どうか邪魔しないで。お願い。
 璃子はスッと、あたしから手を離した。
「でも和真は」
 彼女は表情の消えた顔で恐ろしいことを言った。
「私と……」
 嘘だ嘘だ嘘だ!
 必死に首をふった。
 震えが足元からはい上がって来る。
「和真のキス、おしえてあげよっか」
 璃子の指が、あたしの唇をなぞって、それから強引に目をふさいできた。
「和真だと思っていいよ」
「やめ……」
 抵抗は間に合わなかった。

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登場人物紹介

チカ

高校二年生。趣味はお菓子作り。見た目も成績もなにもかも平凡だと自覚していて、将来の夢も特にない。和真が好き。

璃子

高校二年生。クラシックバレエで将来を期待されている。見た目も才能にも恵まれ目立つ存在だが、チカにべったりで男子には目もくれない。チカのアップルパイが大好物。

和真

高校二年生。活躍ぶりと見た目の良さからバドミントン王子と呼ばれていて人気があり、次のオリンピックへの期待も大きい。厳しく食事制限しているがチカの手作り菓子だけはやめられない。

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