その6の1 なぜパイプオルガンだったのか
文字数 2,163文字
(2008.12.29) (2021.5.27補足)
パイプオルガンを習いはじめたのは、2003年の秋だ。私の人生における他のすべての重要な決定と同じく、なんとなくいいなぁと思って、始めてしまった。その頃住んでいた世田谷の町を歩いていて、たまたま入った教会の神父さまがとても優しそうで、たまたま鳴っていたオルガンの音が、とても暖かかったのだ。
運命の出会いだった。
パイプオルガンというと、サントリーホールやNHKホールにあるような最終破壊兵器みたいなやつを想像される方が多いかもしれない。でも、洋服ダンスくらいの小さいものも、けっこうあるのだ。
私が好きなのは、そういう小さめのオルガンだ。アルトリコーダーのような穏やかな音がして、安らぐ。
ちなみに、クリスチャンにもなってしまった。(カトリックです。)
運命の出会いって、オルガンと神父さまと、どっちに惚れたんだと言われると、かなり僅差で、神父さまだ。
厳格な信者の方からはヒンシュクを買うだろうけれど、クリスチャンでない方には、こういういいかげんな人間もいるということを知っておいていただいても、損はないと思う。(得もないけど。)
まあ、カトリックの司祭は妻帯してはいけないから、もともと望みはない。禁断の恋だ。しかも私の神父さまは、ただいま御年八十二歳。あまり、無理をさせてはいけない。
そんなわけで、オルガンの話。
2007年4月から2009年3月までの二年間、ドイツに住んだ。(付記:じつはこの文章を書いている時点では、まだドイツにいました。)
南ドイツのレーゲンスブルクという町の教会音楽学校に通っていた。
ヨーロッパでは、コンクールで競いあうようなソリスト養成だけでなくて、町の教会のオルガン弾きさんを育てる学校もあると聞いて、探した。そこで出会ったのが、レーゲンスブルクの学校だった。そこの校長先生、といってもまだ四十代後半の溌剌とした方なのだけど、彼が来日なさったときに、お会いする機会に恵まれたのだ。
(付記:私の小説『ジークフリート・ノート』に教会音楽長のシュトイバーという素敵なオルガニストさんが出てきますが、この方がモデルです。フランツ=ヨーゼフ・シュトイバー先生。)
私は子どもの頃ピアノを習っていただけで、音高や音大で学んだ経験はない。オルガンも数年前に始めたばかりだ。そのことを正直にお話しすると、にこにこして「大丈夫、大丈夫」とはげましてくださる。その気になって、うっかりドイツに来てしまった。
それが、ぜんぜん、まったく、ちっとも、大丈夫なんかではなかったのです!!
シュトイバー先生のばかー!(泣)
(ばかって言ったほうがばかなんだよ)
ドイツ語と音楽、どちらも、死ぬほど大変だった。死にはしなかったけど、疲労のあまり、ジーンズを半分脱ぎかけたままで寝てしまったことはあった。
いちおう入試を受けて、正規の学生として登録してもらったけれど、もともと四年半の課程に仕事の都合で二年しかいられない私は、卒業はできない。「音楽史」「宗教概論」といったドイツ語の講義もちんぷんかんぷんで、免除してもらった。
それでも、とにかく科目が多い。宿題も多い。
たしかにレーゲンスブルク教会音大は、ソリストではなく「町の教会のオルガン弾きさん」を育てる学校だ。ミサの間、歌の伴奏やBGMが弾けるようにしてくれる所だ。
名づけて「教会音楽家」、キルヒェンムジカーKirchenmusikerという。プロテスタント教会ではカントールKantorとも呼ばれる。かの大バッハもそうだった。
そう、もうおわかりのとおり、私がうっかりまぎれこんでしまったのは、
ソリスト養成とは別の意味で、とっても本格的なコースだったのだ。
賛美歌の伴奏からして、楽譜がない。いや、あるんだけど、メロディーしか書かれていない。和音や装飾は、オルガニストがその場で考えてつける。
つまり、即興だ。
それに、「教会音楽家」の資格には、オルガニストだけでなく、聖歌隊指導者もふくまれる。じっさいに就職していくときはどちらかの仕事が主になるけれど、学ぶ段階では両方を身につけなくてはならない。医学生が内科も外科もまんべんなく学ぶのと同じだ。
だから、授業には、オルガンのレッスンの他に、歌の個人レッスンと、合唱のグループレッスンと(たしかに「合唱の個人レッスン」はないよね)、合唱指揮のレッスンと、ピアノのレッスンがある。オルガンは既成の曲を弾くのと即興の両方で、合唱はグレゴリオ聖歌と一般の曲(といってもアカペラの宗教混声合唱曲)の両方だ。
いちばん大変だったのが、トーンザッツTonsatzと呼ばれる授業だった。音楽理論なのだけど、机の上の知識だけではなくて、実技の宿題が毎週出る。
(1)指定された賛美歌一曲に、特定の時代のスタイルで伴奏をつけてくる。
(2)与えられた短い曲を、すべての長調と短調に移調して弾けるようにしてくる。
この二つが、宿題の定番だった。これを確実にこなしていくと、即興演奏ができるようになる仕組みになっている。完璧なプログラムだ。
プログラムは完璧なのだけど……、
無理!
私という素材が、無理!!
死にました!!(泣)
死んでないけど!!(泣)
(6の2につづく)
パイプオルガンを習いはじめたのは、2003年の秋だ。私の人生における他のすべての重要な決定と同じく、なんとなくいいなぁと思って、始めてしまった。その頃住んでいた世田谷の町を歩いていて、たまたま入った教会の神父さまがとても優しそうで、たまたま鳴っていたオルガンの音が、とても暖かかったのだ。
運命の出会いだった。
パイプオルガンというと、サントリーホールやNHKホールにあるような最終破壊兵器みたいなやつを想像される方が多いかもしれない。でも、洋服ダンスくらいの小さいものも、けっこうあるのだ。
私が好きなのは、そういう小さめのオルガンだ。アルトリコーダーのような穏やかな音がして、安らぐ。
ちなみに、クリスチャンにもなってしまった。(カトリックです。)
運命の出会いって、オルガンと神父さまと、どっちに惚れたんだと言われると、かなり僅差で、神父さまだ。
厳格な信者の方からはヒンシュクを買うだろうけれど、クリスチャンでない方には、こういういいかげんな人間もいるということを知っておいていただいても、損はないと思う。(得もないけど。)
まあ、カトリックの司祭は妻帯してはいけないから、もともと望みはない。禁断の恋だ。しかも私の神父さまは、ただいま御年八十二歳。あまり、無理をさせてはいけない。
そんなわけで、オルガンの話。
2007年4月から2009年3月までの二年間、ドイツに住んだ。(付記:じつはこの文章を書いている時点では、まだドイツにいました。)
南ドイツのレーゲンスブルクという町の教会音楽学校に通っていた。
ヨーロッパでは、コンクールで競いあうようなソリスト養成だけでなくて、町の教会のオルガン弾きさんを育てる学校もあると聞いて、探した。そこで出会ったのが、レーゲンスブルクの学校だった。そこの校長先生、といってもまだ四十代後半の溌剌とした方なのだけど、彼が来日なさったときに、お会いする機会に恵まれたのだ。
(付記:私の小説『ジークフリート・ノート』に教会音楽長のシュトイバーという素敵なオルガニストさんが出てきますが、この方がモデルです。フランツ=ヨーゼフ・シュトイバー先生。)
私は子どもの頃ピアノを習っていただけで、音高や音大で学んだ経験はない。オルガンも数年前に始めたばかりだ。そのことを正直にお話しすると、にこにこして「大丈夫、大丈夫」とはげましてくださる。その気になって、うっかりドイツに来てしまった。
それが、ぜんぜん、まったく、ちっとも、大丈夫なんかではなかったのです!!
シュトイバー先生のばかー!(泣)
(ばかって言ったほうがばかなんだよ)
ドイツ語と音楽、どちらも、死ぬほど大変だった。死にはしなかったけど、疲労のあまり、ジーンズを半分脱ぎかけたままで寝てしまったことはあった。
いちおう入試を受けて、正規の学生として登録してもらったけれど、もともと四年半の課程に仕事の都合で二年しかいられない私は、卒業はできない。「音楽史」「宗教概論」といったドイツ語の講義もちんぷんかんぷんで、免除してもらった。
それでも、とにかく科目が多い。宿題も多い。
たしかにレーゲンスブルク教会音大は、ソリストではなく「町の教会のオルガン弾きさん」を育てる学校だ。ミサの間、歌の伴奏やBGMが弾けるようにしてくれる所だ。
名づけて「教会音楽家」、キルヒェンムジカーKirchenmusikerという。プロテスタント教会ではカントールKantorとも呼ばれる。かの大バッハもそうだった。
そう、もうおわかりのとおり、私がうっかりまぎれこんでしまったのは、
ソリスト養成とは別の意味で、とっても本格的なコースだったのだ。
賛美歌の伴奏からして、楽譜がない。いや、あるんだけど、メロディーしか書かれていない。和音や装飾は、オルガニストがその場で考えてつける。
つまり、即興だ。
それに、「教会音楽家」の資格には、オルガニストだけでなく、聖歌隊指導者もふくまれる。じっさいに就職していくときはどちらかの仕事が主になるけれど、学ぶ段階では両方を身につけなくてはならない。医学生が内科も外科もまんべんなく学ぶのと同じだ。
だから、授業には、オルガンのレッスンの他に、歌の個人レッスンと、合唱のグループレッスンと(たしかに「合唱の個人レッスン」はないよね)、合唱指揮のレッスンと、ピアノのレッスンがある。オルガンは既成の曲を弾くのと即興の両方で、合唱はグレゴリオ聖歌と一般の曲(といってもアカペラの宗教混声合唱曲)の両方だ。
いちばん大変だったのが、トーンザッツTonsatzと呼ばれる授業だった。音楽理論なのだけど、机の上の知識だけではなくて、実技の宿題が毎週出る。
(1)指定された賛美歌一曲に、特定の時代のスタイルで伴奏をつけてくる。
(2)与えられた短い曲を、すべての長調と短調に移調して弾けるようにしてくる。
この二つが、宿題の定番だった。これを確実にこなしていくと、即興演奏ができるようになる仕組みになっている。完璧なプログラムだ。
プログラムは完璧なのだけど……、
無理!
私という素材が、無理!!
死にました!!(泣)
死んでないけど!!(泣)
(6の2につづく)