第2話

文字数 1,665文字

 フリガナをつけないと、読めない名前をつけた。彼女が、字画やらの本を読んで、これが良いのだった。いい名前だと思った。男の子だったら、翔という名にしようとしていた。私には何の想像力もなく、彼女に任せきりの名づけであった。
 子どもを、可愛いと思った。不思議な気もした。こんな小さな生き物が、どうやって大きくなるのかと思った。
 ほとんど二時間おきに授乳するので、夜泣かれると、つい、イライラして、違う部屋で寝ようとして、申し訳なかった。ふたりでつくった子どもなのに、ひとりにまかせては、いけなかった。ただ、朝早くからバイトに行くことを思うと、ちゃんと寝なくてはと思っていた。

 友人が、何人も、訪れてくれた。友達にも、どんどん遊びに来てほしかった。女友達も少なくなかった。しかし、一緒に暮らしはじめてから、波がサーッと引くように、遠ざかっていった気がする。不思議な感じだった。私自身が、そんな雰囲気をつくっていたのかもしれない。淋しく思った。
 ハイハイしはじめて、ひとりで立てるようになり、三人で一緒にご飯を食べる。何か会話の拍子に、おめえが…、と私が妻に言ったら、子どもが、おめめ、おめめ、と自分の目を指さした。意表を突かれて、笑うしかなかった。
 妻も私も、子どもの一挙一動に、幸福なのだった。

 家庭というのは、子どもがいて、はじめてそれらしくなったように感じる。まるで、共同体である。三人のうち、だれか一人が欠けたら、がらがらと崩れさるようなあやうさも、同居していた。
 安住しながらも、私は、どこかへ行きたい気持ちに、よくさいなまれた。何も、不満はなかった、といえば、嘘になる。何か不満はあった。
 それは、自分の中で処理することもできる。相手に言って、相手にどうにかしてもらうことも、できるかもしれない。
 しかし、私は自分の根本的なものを変えられないように、相手も、相手の根本的なものを、変えられるはずもない、と思っていた。

 私は、そんな、相手を、好きになったのだ。私は、ひとづきあいが好きだった。彼女は、どちらかというと、ひとづきあいが苦手のようだった。そんな彼女を好きになったのは、自分の中にも、知らない私がいて、ほんとうはひとづきあい、私は苦手なのではないか、と思った。
 彼女の中の何かと、私の中の何かが、共鳴しあって、おたがいに好きになれるものだと思っていた。ひとが、ひとを好きになるというのは、そういうものではないか、と。
 私は、そとへ、出たくて、しようがなかった。しかし、妻と子どもの存在というのは、私の後ろ髪が引っ張られるようだった。私は、妻子をだいじとしていた。だいじとするなら、そのまま、だいじにすればいい。しかし、それが、なかなかできない自分が、たしかにいるようだった。

 私は、自分を、病気かもしれないと思った。知人から、「Kさんは、強迫観念症ではないか」と云われたことがあった。~すべきだ、~すべきだ、との強迫観念にとらわれているのなら、この世のひとたち、みんな強迫観念症ではないか、と思った。
 妻を、私は、ありがたいと思っている。「病気に、逃げちゃダメ」とも、言ってくれた。一緒に、いてくれた。いつも、そばにいてくれた。そばが、たまらなくいやになるときもあった。
 私は、自分勝手な人間だと思う。だから、妻にも、自分勝手さを求めたのだろう。勝手になってくれれば、私と同罪だ。共犯してくれれば、私の罪、軽くなる。甘ったれた根性があったのだろう。

 しかし、とまた考える。私はずっと、こんな人間でありつづけて生きてきた。こんな自分でありつづけることの限界も、見えてきた。
 私は妻を、ありがたいと思う。それをどう表現し、体現したらいいのか、術を知らないでいる。きっと、わかってくれるだろうというのも、甘えた思惑だ。
 何も考えず、ひとを愛せたら、と思う。何か考えても、同じなのだということも分かっている。分かっているつもりで、何も分かっていないことも、知っているつもりでいる。
 私には、思いやりというものがないのだろうか。
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