第4話
文字数 11,252文字
「俺たちが付いてくる必要はあったのか?」
ナツたちはある企業の建物に来ていた。
鏡張りのような窓を使用して中が見えない建物だ。
第一印象は、人の出入りできるブラックボックスである。
もっとも、外見がホワイトだからと言って怪しくないわけではない。
「そりゃあね、僕らがいないと妖怪が関係しているかどうかわからないじゃない」
「俺向きの仕事でないような」
「妖怪側のほうは文友たちがうまくやってくれてるよ」
文友と朱音はさらわれた恋人と行方不明になっている妖怪について調べている。
「だから、心配なんだが」
「黄月、仲間を信用するんだ」
「できればそうしたいが」
普段から文友にからかわれている黄月は納得いかないようだ。
ときどき何かを嚙み潰すような渋い表情をする。
「この事件は妖怪が操られているから、妖怪同士の信頼関係も問題になっているんだ」
「妖怪について気にする人間などいないだろ」
「そうかな? 僕らが信頼関係を取り戻す鍵になっていると思わない?」
「言ってろ」
「今回はこっちを手伝うんだ」
そう言いながらナツは自分の年中を通しての苦労が人間関係への気遣いであるような気がしてきた。
会社の内部のロビーを見渡す。
このビルのロビーだけで文友の実家の寺ぐらいの広さがある。
建物の大きさが会社の急成長を物語っている。
この会社は小さな企業としてスタートした。
一度、破産しかけたらしいが“奇跡”の回復をして今や大企業にまで成長している。
「どうもいい気分はせんな」
黄月は居心地が悪そうでときどき身をこわばらせている。
「何かわかると思うか?」
「そもそも聞くことは山ほどあるから何かわかるにちがいないよ」
白雲の言葉にナツもうなずきながら同意する。
事件のこと、事件の被害者のこと、被害者の恋人のこと、妖怪のこと、などなど。
「山野辺はここに勤めていた」
「で、最近辞めたらしいね」
「部屋にあったものから他に分かったのは、会社を急に辞めたということだ」
ナツは自分の眉が歪むのを感じた。
この企業は不況などとは無関係に成長しているのだ。
理由が無い限り辞めるはずがない。
「でも、この会社には辞めたあとも来ていたことがメモに書かれているねえ」
白雲がカメラで撮影されたメモの数字を見せる。
自分たち用に撮影したもので、写りは悪いが書かれた文字はよく見える。
「わからねえ。辞めた後でも会社に来ることなんて珍しいことじゃねえだろ」
心の中で少しだけ呆れてナツは口の端が無意識のうちに歪んでいた。
無法者のように放浪して、ナツたちの暮らす家に出入りする黄月はそれほど意識しないことなのかもしれない。
理由があって辞めた人間が元の組織に出入りするのは心理的に苦しいものなのである。
「そのメモにあったのは会社と時刻を示す数字だ。しかも大量にあった。なつかしさで出入りするのとは違うような気がする」
ナツは所在なく指を動かしながら考え始める。
答えが無くても考える、しかし何も思いつかない。
「刑事が戻ってきた」
会社に出入りする人間はスーツを着ていて、普段着で着ているナツたちは非常に目立つ。
たぶん、じゅうたんや観葉植物のほうがナツたちよりも見てくれが良いにちがいない。
「社長が話を聞くそうだ。すぐに降りてくる」
森屋刑事は社長に事情を聞く約束を取り付けていた。
しばらくして社長がやってきた。
社長は強面で社員たちが怖がりながら挨拶していく。
「私が社長の田島だ」
社長が穏やかに自己紹介を始める。
ナツたちは彼の後ろをついていきながら話を聞く。
田島社長は歩きながら新築の建物を自慢するように身振り手振りを踏まえて説明してくれる。
そんな社長の熱心さを無視する黄月は置いてある怪しげなオブジェクトに顔をしかめる。
「もう少し態度に気を使ってくれ」
小声でナツが注意する。
あまりにあからさまな態度である。
「なあに、気にしないよ。初めて見た者は皆そういう反応をする」
どうやらナツたちやり取りは気付かれていたらしい。
社長は怒らずに、無作法な黄月に配慮してくれる。
見かけによらず実はいい人なのかもしれない。
一同は来客用の部屋に案内される。
「建物の美術品は私の趣味でね。社員たちにも趣味が良くないと言われたりもするよ」
部屋に入って改めて森屋刑事が自己紹介して、さらに協力者としてナツたちを紹介してくれる。
「さて、事件の捜査だそうだね? 答えられることなら何でも答えよう」
「では、さっそくですが山野辺という人はここの社員だったと聞きましたが?」
森屋刑事がメモ帳とペンを手にもって質問を始める。
「うむ。最近まで我が社に勤めていた」
「辞めたと聞いています。その理由については知っていますか?」
「私は山野辺という社員については詳しく知らないのだ」
森屋刑事がペンで頭を掻き始めた。
この刑事は困っているときは頭を掻く癖を持っている。
相手の知らぬ存ぜぬの一点張りの会話で困っているのかもしれない。
「失礼ですが、自分の社員のことなのに本当に知らないんですか?」
ナツが無礼を承知で森屋刑事と田島社長の会話に口を挟む。
白雲の視線はナツでなく社長のほうを向いているのを感じる。
この無礼な行動は白雲が止めるほど危ういものではないのだろう。
「もっともな質問だ、答えてあげよう」
森屋刑事は態度を改め、田島社長はますます寛大な態度を見せ始めた。
「山野辺について少しは知っている」
田島社長は椅子の背もたれに背中を預ける。
「彼が不満を持っていたのは知っているが無視していた。我が社が強引に他の会社を吸収することに反対していた」
虚勢を張っているのかなとナツは思った。
横にいる白雲は意味ありげな視線をナツに送る。
社長は何かを隠しているのかもしれない。
「だが、急成長している会社なので、否定的にとらえる必要はないと思った。波に乗る必要があったのだ」
ナツは妖怪についても聞きたかった。
妖怪を知っていてその存在を利用していれば何らかの反応があるはずだ。
「山野辺に恋人がいたことを知っていますか?」
「残念だが、私は彼のプライベートについては知らんのだ」
田島社長は刑事にそっけなく答えた。
会話の途中で黄月が抜け出そうとしたので、ナツは断ってから後を追いかける。
まだこの建物が安全な場所とわかったわけではないからだ。
黄月は妖怪のくせに本能で動くことが多い。
ナツは妖怪に遭ったときから知性と理性の生き物であると考えていたが、黄月が仲間になって過ごしていくうちにそうでもないと考え直すようになった。
「トイレか?」
ナツは黄月の背中に声をかける。
敵地かもしれない場所に一人で行動させるのは心配である。
文友は黄月ひとりで行動させると“相手”のほうが危ない、といつも言っている。
「建物に妖怪がいないか、調べてるところだ」
警備員が離れたところの通路を歩いていくのが見える。
「警備員が多いな」
「厳重だけど、あの警備員に妖怪の気配は感じられない」
「どこにでも妖気はある。地元の駅のほうが強いぐらいだぜ」
それは駅の利用客の中に妖怪が何人も交じっているからだ。
妖気の強度から考えて、もしこの建物に妖怪がいたとしても上手に存在を隠していると言わざるをえない。
二人が戻ると、まだ刑事が社長と話している。
「むしろ我々のほうが困っているぐらいだ」
どうやら社長はトラブルを抱えているらしい。
「最近になって不審人物が私や会社を監視しているらしいのだ」
「警察に届け出は?」
「まだ何かが起きたわけではないからな。おそらくはライバル企業の者かもしれん。敵が多いものでな」
刑事がさらに質問をしたが、それらの追加の質問からは何も情報は得られないようだった。
会見もおひらきという雰囲気が漂う。
お互いにそれを感じ取って今日のところはこれで終わり、ということになった。
立ち上がる際に刑事が服をひっかけて、置いてあった怪しげなツボを落としそうになる。
それを早業でつかんで、黄月が落とすのを防ぐ。
ナツは安心して胸をなでおろす。
いつの間にか仲間の言動がプレッシャーになっている。
「いやいや、ありがとう」
黄月の行動を見た社長が驚きもせずに感謝する。
社長との面会を終えてナツたちは、森屋刑事と別れた。
3人は会社を遠巻きに見ることができる人のない通りにやってくる。
「知らぬ存ぜぬを通したけれど、何も無さすぎるような気がする」
「元社員が会社絡みで死んだかもしれないのにねえ」
「加えて言うなら、妖怪が絡んでいる可能性だってあった」
「怪しいだけでは決めつけでしかないけど、動揺が見られなかったねえ」
白雲は普段どおり穏やかな口調だが、話す内容は真面目である。
二人して黙って黒い箱のような会社を見上げる。
「動揺と言えば、あいつ気にしなかったな」
黄月が苦いものをかんだように口の端をゆがめる。
「ツボをつかんだことか?」
「そうだ、まるで驚かなかったな」
社長との会見の時に黄月が妖怪の早業を見せたことだ。
「僕ら妖怪なら黄月の人間離れした早業に驚かないけれど、あの田島社長は今のところ妖怪については何も知らないはずだからねえ」
妖怪側で生きるようになってから、世の中は偶然で片づける者のほうが多い、と学んだ。
けれども黄月の動きを、偶然だから驚かなかった、で済ますには無理があった。
「不審人物がいるなんて言ってたが」
「黄月が疑問に思うのも無理はないよ、言い逃れかもしれないし」
「調べればわかることだ」
ナツは落ち着いて二人に言う。
人間びいきな白雲も不満を持っているようだ。
社長も嫌がらせを強調するなら証拠ぐらい所持して欲しいものである。
結局、お人好しが骨を折って動くことになるのだから。
ナツは考え込んで、自然と腕を組んでいることに気づいて組むのをやめる。
「あの会社に悪いうわさが多い。だから敵がいるというのも説得力がある」
「そうかもしれんがな」
「とは言っても、後ろ暗い会社のために事件解決となるとやる気がなくなるな」
ナツは肩から力が抜けるのを感じた。
「同感だぜ。哀れな奴のため、というのならともかく」
「金持ちなら金で解決できる、とは思うんだけどねえ。動きが鈍いねえ」
本当に消極的なのか、それとも他に理由があるのか。
曇り空が晴れて太陽が地上を照らして3人に促す。
黄月だけがまぶしそうにしている。
妖怪のように長い間生きていれば、後ろ暗いことがあるのかもしれない。
単に太陽をうっとうしく思っているだけなのかもしれないが。
「どうやって見つけ出す?」
「その辺をふらついて確認しておこう」
白雲が笑顔でぬけぬけと提案する。
「はっ、そんなんで見つかるか」
「わからないよ? それに周囲ぐらい確認しておかないと」
ナツは自分に向けて空気の塊のようなものが押し付けられるのを感じた。
長く妖怪と行動しているので、妖怪の使う術との違いはわかる。
空気の塊というのは例えであって、人間の何らかの行為が向けられているにちがいない。
「視線を感じるな」
刺すような尖った感覚もあったのでうっとうしそうに周囲を見回す。
「ちっ、誰かに見られてるな」
自分たちが誰かに監視されていると考えて周囲の異常を探そうとする。
「あそこだ」
黄月の示した方角に物陰からカメラを撮影していた者を見て取ることができた。
見つけた黄月がすぐに走り出した。
「警察の人かな?」
「それなら逃げたりしないだろ」
ナツと白雲が走りながら会話する。
逃げているのは男で40代ぐらいの年齢と思われた。
粗野な容貌からは犯罪者の雰囲気が感じられた。
それは偏見かもしれないが、休日のにぎわっているデパートの服飾売り場で楽しんでいるような人間とは思えなかった。
「社長の言っていた妨害する人かな?」
「つかまえてみればわかる」
男は横道に一階建ての平屋の並ぶ通りに逃げ込んだ。
そこは道幅が狭くて向かい合う家のプライバシーが筒抜けになりそうな場所だった。
人間が通る足元の近くに植木などが置いてあったりもして邪魔なのだが、それは妙に手が込んでいて赤、黄、紫などで華やかだったりもする。
車が横になって入ろうとしても引っかかりそうだ。
「入り組んだ場所に逃げこんだな」
ナツは気持ちが重くなる。
白雲や黄月は妖怪とはいえ、種類としては動物型である。
人間が苦労するような狭い場所でも気にせずに押し通ることができる。
「臭いを残したまんまだぜ」
ナツの先を走っていた黄月が妖怪としての正体を現す。
二足歩行の狐、二本の尻尾、無駄に鋭い牙と爪。
太陽の下では黄色の体毛がまぶしいけれど、良く見るといくつもの古傷が目立つ。
「人に見られたらどうする?」
「平気だ、見つからねえからよ」
仲間の間でたまに江戸時代の話になる。
そういうときに黄月は覚えていることをいちいち答えたりする。
まだ侍が刀で切り合いをしていた時代のことだ。
たぶん黄月の古傷は刀傷もあるに違いない。
「俺はこっちから追いかける」
ナツが声をかける間もなくわき道に走っていく。
「僕らは普通に追いかけるよ」
白雲は男が逃げた方向を指さして、自分も正体を現す。
二足歩行の白猫、二本の尻尾。
白雲は黄月と違って見た目通りの年月しか生きていない。
ナツと同じぐらいの年齢だそうだ。
「追いかけっこは、ガキの頃のケンカで卒業したと思っていた」
「じゃあ、再入学だ」
「補習かもな?」
ナツの皮肉に白雲が軽口で答える。
ともかくナツは地道に走って追いかける。
白雲は身の軽さを活かして屋根を伝い、ときどきナツに相手の場所を教えて誘導する。
周囲の家々の汚れていて雑然とした印象とは対照的に、白い化け猫の体毛はいつ整えているかわからないぐらい清潔に見える。
逃げた男はさらに細い道に入っていった。
ナツがその細い道を見ると、道というよりも誰も通らないような物置に見えた。
木材など何のために立てかけてあるのか想像もつかなかった。
追っ手から逃れるために入り込んだのだろうが、もっと道を選んでくれ。
「ガキの頃に遊び仲間がこういう所に住んでいたな」
木材とかクーラーボックス、植木などに気を付けながら追いかける。
「それで、あちこちにぶつかって生傷だらけだった」
ナツは家の屋根にいる白雲に話しかける。
離れてはいるが猫は動物だけに耳は鋭いはず、そのうえ白雲は妖怪なのでナツの声はじゅうぶんに聞こえるはず。
「猫は狭い場所を通って傷だらけにならないのか?」
「残念、猫は見た目よりもずっと慎重に移動するんだ」
悠々と屋根を通りながら白雲が答える。
ついに逃げている男の背中が見えた。
この一見して通れそうにない場所は相手の方に不利だったようだ。
ナツは背中をつかんで服を引っ張り、男は手を振り払おうともがく。
「脳筋め!」
ナツの力まかせの行動に男が言い捨てる。
屋根の上から男に向けて猫型人間が跳び下りて覆いかぶさる。
男は異形の生き物の姿を見て声にならない悲鳴を上げる。
ナツが背後に引き倒そうとするが、とっさに男は持っていたバッグをナツに向けて投げつける。
ナツはぶつけられないように男をつかんでいた手を離して、しっかりとバッグを受け止めるが、見た目よりも重くて、よろけてしまう。
その様子に白雲が気を取られて、隙ができて男は逃げようとする。
「大丈夫?」
「平気だ、それよりも奴を追いかけよう」
何が入っているのかわからないがナツは重いバッグを地面に置く。
「へいきへいき、だって近くに来ているもの」
ナツが白雲に聞き返すよりも先に、男に向かって横道から黄色い塊がぶつかってきた。
男はぶつけられた勢いで地面に倒される。
倒された男は声を上げようとするが、その口をふさぐために長い爪がノドに突きつけられる。
「もっと大きな声を上げたいか?」
ぶつかった塊の正体は二本尻尾の黄月だった。
倒れた男は妖怪たちに対して開き直ったのか、まだ攻撃的な態度を持っている。
白雲が毛を帯のように伸ばして男の口に巻き付けて黙らせる。
「はいはい、そこまで~」
ナツがバッグを開いて中身を見るとカメラと撮影道具が入っていた。
「この辺りは観光名所だったのか?」
カメラを見せながらおどけて見せる。
男はため息をついてナツに答えた。
「警察じゃないのか?」
「違うな」
「じゃあ、なんだ?」
「質問したいのはこっちのほうだ」
「警察だと思って逃げたんだ。そう、ではないようだな」
地面に座り直した男は妖怪たちの姿を見て言い淀む。
無理もない。
人間ほどに大きい猫と狐は、熊のような猛獣にも見えてくる。
遠くの空を飛ぶ飛行機の轟音が聞こえてきた。
ここは人の領域で誰かがいる場所だ、長くいられない。
妖怪の姿のままだし、人間に戻ったとしても、尋問の様子は他から見ても良いものではない
「とりあえず質問に答えてもらおう。でないと警察のほうが良かったと思うことになるぞ」
「ルール無用の尋問タイムだ」
黄月が爪を見せびらかしながら脅す。
「わかった、話すよ、話せばいいんだろ?」
幸運なことに男を尋問している通りはまだ誰も人が通らない。
黄月たちはまだ妖怪としての姿のままだ。
この状況で相手に質問するのに都合が良いと判断したのだろう。
すこし落ち着いた後、男は茂谷と名乗った。
「お前さんが社長の言っていた不審者か?」
「不審などと言われる筋合いはないが、そうだと言うしかない」
「会社の撮影は何のためにしていた?」
茂谷はまるで意に介さずに肩をすくめた。
駆け引きをできる立場なのだろうか?
彼は暴れる黄月の姿を見てはいないからそんな態度ができるのだ。
殺しをためらわない者の暴走を止めるのは大変なのだ。
「さっきの社長の前に連れて行ってもいいんだぞ?」
「突き出されるのは奴のほうさ」
神妙になってしまったナツたちは顔を見合わせる。
茂谷は田島社長の企業が急成長している原因を探っている。
急成長の原因は不明である。
ライバル企業の役員が謎の死をとげたり、倒産をしたりして、それらの企業を吸収して大きくなっている。
「田島社長が裏でライバル企業を潰して大きくなっている、と」
「まあな」
茂谷が自分の事情を説明しながら白雲の姿を再認識するように見た。
その視線を白雲はまるで気にしない。
ナツがわざとらしく咳払いして茂谷が妖怪を眺めるのをやめさせる。
「俺はゲーム開発会社に勤めている」
ナツに促されて茂谷が話を続ける。
大手企業の子会社であるらしい。
「田島社長にとって競争相手のひとつである、と」
「そうだ。最近になって、不審なことがいくつか起きて産業スパイか何かなのではないか? と疑い始めて、こっちから調べることにした」
茂谷が横目に自分を拘束している妖怪たちを見る。
「それは妖怪の仕業かもしれないな」
ナツは茂谷の視線に嫌々ながら答える。
明確な証拠があるわけではないが妖怪絡みの事件の延長であるわけだから、可能性は高い。
何よりも妖怪の存在を見せる状況になったら人間の仕業と言い張るわけにはいかない。
「確かに妖怪の仕業かもな。そうして探っているうちに捕まってしまったわけだ」
「犯罪者にしては間抜けだと思ったぜ」
黄月が皮肉に溢れた物言いをする。
相手がおとなしくなってしまったせいか、黄月は自分の気力を持て余しているように見える。
ナツは皮肉に関する教本を百冊読みこんだとしても黄月のような皮肉は言えそうにない。
白雲が茂谷の持ち物を探っている。
「持ち物を調べてみたけど、たいした情報はないねえ」
茂谷のバッグを探ってみた白雲が言う。
「小説なら有力な情報を見つけ出す場面だけど」
白雲が田島社長の外出の記録が書かれた紙を手にもってナツに見せつける。
茂谷は数分前まで妖怪の存在をまったく知らなかった。
それは田島社長の裏に深入りしていないという証拠だ、彼は情報源としては有用でないかもしれない。
「法は破っていない。それにあいつを疑っているなら共通の敵だ、逃がしてくれれば協力する」
茂谷が苦しまぎれか意外なことを言い出す。
「どうする?」
黄月がナツに判断をゆだねる。
「しっかし、妖怪が人間の飯になじんでしまうとはねえ」
黄月の車は見た目よりも掃除している。
几帳面というよりも自分の所有物だから大切にしているためである。
三人は車内で黄月が買ってきた弁当を開いている。
特売だったらしく同じ弁当を三つ買ってきたらしい。
鳥と魚と豚の照り焼きが入っている。
「妖怪なんて身勝手なもんだ」
「昔もそうだったのかな」
「人間の移り変わりと一緒だ、妖怪の着る服だって時代と一緒に変わっていってるぞ」
黄月は自分の着ている服の袖を見せつける。
皮肉なことに白雲は人間の若者並みの年齢しか生きていない。
妖怪として長生きゆえの貴重な知識や経験がなくて、妖怪の人生を本業の小説家に活用できないでいる。
「自分自身のことはわからないもんだ、両方とも」
人間と妖怪の両方ともどのように気持ちが変化するかわからない。
「ちがいねえ」
黄月が弁当のふたを開けると白い湯気が出てすぐに消える。
すぐに食べずに何かを探し始める。
「箸がないぞ」
「こっちもないねえ」
二人に言われて箸が無いことにナツも気づく。
「意外と気付かないもんだ」
「やっぱり黄月でなく僕らが買いに行ったほうが良かったねえ」
弁当を買ってきたのは黄月だった。
本人が自分で行くと言い出して聞かなかったからだ。
ナツたちの知らないこだわりがあるらしい。
「しょうがないから俺が行ってもらってこよう」
「だ~いじょうぶ」
白雲が自信満々な態度でナツを止める。
身体のどこかからか体毛を抜いて、それが伸びて箸代わりになった。
便利なものである。
「それはそうと食い終わったら頼みがある」
箸を受け取ってその具合を確かめながらナツが話しかける。
「ふむふむ、茂谷を逃がさないためにね」
ナツと黄月は自分たちの住んでいる家に戻ってきた。
彼らの家は物言わぬ家臣のように主の到着を出迎えた。
家といっても、屋敷と言った方がいいぐらいの広さがある。
屋敷は雰囲気だけが古くて、電気も水道も通っている。
「車に鍵をかけなくていいのか?」
ナツが黄月の車に余計な心配をする。
黄月は大切に扱う一方で、大雑把に扱うこともある。
「心配ねえ。俺の臭いをすりつけてある」
「そりゃ、警報装置よりも効果あるな」
「だろ?」
黄月の悪評はこの街の妖怪たちも聞いている。
そして、イタズラをしかける妖怪は貧弱な奴が多い。
さすがに好き好んで黄月の恨みを買うような弱い妖怪はいないだろう。
「イタズラする妖怪なんていねえよ」
「おお~い」
イタズラ好きが一人だけいた。
化け狸の外見に戻った文友が近づいてくる。
狸にしては痩せているけれどナツが聞いたところでは栄養の問題でないらしい。
「白雲はどこにいったの?」
戻ってきた面々を見回して違和感を指摘する。
「白雲は俺たちが逃がしてあげた男をこっそりと尾行している」
「相手が人間だから見つからないだろうよ」
白雲は協力すると約束した茂谷の跡を追跡している。
嘘を言っていないかどうか、本心から協力するかどうか、を確かめるためである。
「何かわかるといいね」
そう言いながら文友は黄月の車を興味深そうに眺め始めた。
周囲の木々は普通のものなのに妖怪の気配に当てられたのか、動揺するように騒がしい。
「妙にざわついているぜ」
黄月が嫌悪感を隠しもせずに吐き捨てる。
「確かに妖怪の気配が多いな」
ナツも屋敷の周囲に潜む妖怪の気配を感じ取った。
普段、屋敷の住人以外で周辺に妖怪が集まることは無い。
「屋敷で何が起きている?」
「妖怪たちが恐がっているんだよ」
文友は黄月の車から目を離さずに、ナツに当然のごとく話す。
「みんな自分達が支配されていたことを思い出して落ち着かなくなっているんだよ」
「妖怪は支配されるのに慣れているわけじゃあねえからな」
黄月が歯をむき出しにして口で笑う。
彼が誰かの言いなりになったという話は聞いたことが無い。
乱暴な態度を考えれば当たり前のことか。
「俺は敵だと思われているようだ」
妖怪たちのナツに対する評価はまだ終わっていないようだ。
「まあな」
黄月はナツの感想を否定しない。
ナツは渋いお茶でも飲んだような気分になる。
敵対か服従か。
「支配なんて大昔のことだよ」
文友は黄月の車に近寄りながら話題を否定する。
「う~ん、昔はともかく最近にだって似たようなことはあっただろうに」
「みんなが襲ってくるって思ってる?」
「ともかく、何が起きているかもわからないことばかりだから、放っておくしかない」
そう言いながらナツは天を仰ぐ。
太陽が少しだけ傾いている。
まだ日差しがまぶしくなっていない。
「襲って来たって返り討ちだぜ」
黄月が車に近づこうとしている痩せ狸をにらみつける。
妖怪は昔からイタズラ好きなのである。
けれども、ナツの周囲の妖怪はイタズラ好きが少ない。
ナツの性格と同じような妖怪が寄ってくるものなんだよ、と白雲が前に言っていた。
「そんなこと言うけど、都合よくどうにかなるのはゲームの中だけだよ」
「俺はお前のゲームのキャラじゃないぜ」
「ゲームもまた現実の縮図だよ。これだから年寄りは」
ゲーム三昧の現代っ子に言われてしまった。
「こいつをくらっても年寄り呼ばわりか?」
黄月が手から爪を伸ばしてその鋭い切っ先を文友に向ける。
会ったばかりのころ、黄月のこういう行動を危険だと思っていた。
しばらく経つと黄月の爪が仲間を傷つけるつもりが無いとわかったので慌てたりしなくなった。
「何でも力づくで解決するつもり? 短気だねえ」
黄月の爪の威力をしっているのに文友はまるで恐れない。
「現実でもゲームでもルールってものがあるんだから」
「それなら、ここで俺のルールを見せてやろうか?」
ナツは、妖怪たちの取り締まりは別としても、あまり強引なことをしたくない。
呪術の「法」に従った妖怪支配は望むところでないし、そういう性格でもないから。
とはいえ、ナツがどう思っていても、周囲の妖怪には伝わらない。
「ルールの押し付けは客に嫌われるんだ」
「ほらね」
「お前みたいなのは、いっぺん痛い目を見た方がいいんだ」
黄月が回り込んで車に近づこうとする文友を邪魔する。
化け狐の正体を現して唸り声で威嚇する。
「妖怪だって、連中のやり方を押し付けていることにはかわりないぜ」
「まったくだね」
「ゲームと違って逃げられねえってことだ」
文友は車に何かをしようとするのを諦めたようだった。
黄月が無言で安堵の息を吐く。
「逃げる前に真相を調べないと」