第1話 マカレナ

文字数 3,958文字

「耐性型原発性扁桃体覚醒症」

医師から告げられた病名を、私は他人事と捉えていた。
国立感染症センター第2棟、23階の隔離室から空を望めば、吸い込まれそうな蒼の世界が広がっている。
さっきまで、自己顕示欲の強かった飛行機雲は、意志をなくしたジプシーのようだ。
輪郭はぼやけて、今にも空と同化しようとしている。
その必死さは、私のコーラルピンクのルージュみたいに見苦しい。
私が、ドクター見城のセカンド・オピニオンに集中出来ないのは、自分の身体の状態は全て把握しているという事実と、今日があまりにも美しい景色であるという、幻覚作用の意識のブレのせいだ。
それは、単なる認知の相違に他ならない。
私は、生きているうちに感じ捕る全てのモノは、まやかしだと思うようにしているから、悲哀も憎悪も、慈悲も醜態も、別の世界で起こったなにかだと決めつけている。
私なりの防衛本能、とでも言うべきだろう。

「せんせいは?」

私はわざと上目遣いで聞いた。
ドクター見城は、満更でもない素振りで首を傾げて私を見つめる。
視線が時折、私の胸の膨らみに移るのは、キャミソールという武器のお陰だろう。
男の不自然な首の角度に、私は内心興ざめしていた。
鏡でも見たら?
貴方はそこまでイケてないわよ。

「せんせいは、どうしてこの2棟へ?」

当たり障りのない会話で、私は彼のインジュアリータイムを、充実した幕切れとして締め括るつもりでいた。
苦痛もなく、ただなんとなしに滅ぶ。
幸福な終焉とは、そういうものだから。

「2020年までは、私は帝都大にいたんですが、医局の連中と反りがあわなくてね。真島の根回しですよ」

「真島って、今の教授の?」

「そう、医学とかけ離れた出世合戦が嫌でね。ま、こんな私を不憫に思ってくれたのか、同窓の坂口厚労大臣の口利きでこの2棟に流れ着いたって訳です」

「いいのかしら、せんせいは私を疑らないの?」

「別に大丈夫ですよ」

「ボイスレコーダーを隠してあるかも」

「面白い冗談ですね」

「けど、信頼されるのってイイかも」

私は48時間前に仕留めたマトの、人格者としての最期の表情を思い返していた。
その男は、北陸漁協の若手の幹部で、地元では名の知れた名士だった。
ところが裏の顔は、東北氷菓組合の氷を貪る悪魔だった。
空になった冷凍倉庫を前に、数多くの職人や子供達が絶望し、工場や駄菓子屋から去っていった。

「本当のガリガリくんになってしまった」

そう言い残した零細企業の社長は、189センチの痩身だった。
氷菓的危機、別名氷菓期を回避すべく開かれた、国家安全保障会議の席上で、官房長官の述べたひとことが機運を変えた。

「本当のガリガリくんになってはならぬ。ガリガリくんはガリガリにあらずだ!分かるか諸君!」

それは、虎穴に入らずんば虎子を得ずと似ていたー。

マトを崩壊させるのは簡単だった。
私は海女に変装して、野良猫たちと一緒に港で日焼けを楽しんだ。
寂れた漁港で若い女がひとり、海女の格好で寝そべっているのだから否が応でも目立つ。
側に置かれたフジツボやワカメも、リアリズムを追求したメソッドとしては上出来だ。
死にかけのアサリを除いて。
おあいにくさま、ボンゴレロッソは好みじゃないの。
私は瀕死のアサリを日光にかざして、無造作に放り投げた。

「いてっ!」

声のする方へ目をやると、私が探している男・マトがいた。
アサリが額に刺さったままで、気にする素振りもなく笑顔でこちらに向かって来る。

「なにかご用?」

「いや、あまり見かけない顔だね。それに美しいからつい、話しかけてみたくなったんだ」

漁港には不釣り合いなコムサのスーツ。見かけは若く、健康的な褐色の肌と切れ長の目。
ミステリアスな男。
それがマトの第一印象だった。
私は、マトの額に刺さったアサリから流れ落ちる、真っ赤な血の筋を見てどきりとした。
セクシーだと思った。

「アサリ、取らないのかしら?」

「いや、このままでいいよ、俺好みだ」

ワイルドでセクシー、オマケにイケボ。
次の言葉が出てくるまで、私はマトに心を射抜かれそうになっていた。

「ところでお嬢さん?」

「なにかしら?」

「チミの名前は?」

「・・・ちみ?」

「そう、チミの名前は?」

私には衝撃だった。
チミという言葉は、伝説のコメディアンが扮するキャラクターでしか聞いた覚えがないからだ。
耐性ができてないから、危うく吹き出してしまうとこだった。

「私は・・・」

脳裏にちらつく◯○なオジサンの幻影と、日本人特有の生まれながらにインプットされたあのフレーズ。

「私は・・・マカレナ」

ひきつり笑いで自己紹介を済ませ、私はマトを食事に誘う。

「せっかくだから、一緒にボンゴレロッソでもいかがかしら?」

「チミが良ければ」

「もちろんよ、奢るわ」

「どうして?」

「貴方を傷モノにしちゃったからよ」

「チミは小悪魔だな」

マトはそう言って、額のアサリを引き抜いた。
血が滴り落ちたけど、私はそれどころではなくて「あのフレーズが貴方の口から聞きたいシンドローム」と、必死で闘っていた。

その日の夜。
私は任務を遂行すべく、マトとふたりでモーテルに居た。
男を罠にはめるのは簡単だ。
関係を迫れば、大抵の人間は食らいつく。
マトも、結局は男なのだ。
貴方はもうすぐ終わるのよ。
ヒトとして。

「ああ、チミはなんて美しいんだ」

マトの手が私を愛撫する。
その唇が、私に迫る。

「キスはまだダメよ。もう少し私を楽しませて」

マトの舌が、私を貪る。
そんなさ中でも、私に芽生えた「あのフレーズが貴方の口から聞きたいシンドローム」は健在だった。

「イイわ。もっと激しくお願い」

「わかったよ」

「アッ、イタイわ」

「なに・・・?チミは感じやすいんだね」

惜しい。

「やめないで」

「わかったよ」

「アッ、イタイわ」

「なんだ・・・ココもチミはダメか・・・」

惜しい。

「もっと感じさせて」

「わかったよ」

「アッ、イタイわ」

「なんだ、チョット待ってね」

極めて惜しい。

「続けて欲しいわ」

「わかったよ」

「ねえ」

「なんだい?」

「早く言って」

「チミをイカせたらね」

「言ってよ」

「俺はまだイカないよ」

「言って欲しいの〜お願いだから言って!」

「イクならチミと」

「もおダメ〜言っちゃってええええええ!」

私は絶叫していた。
勘違いしたマトは、私のマタから顔を上げて笑った。

「なんだチミは・・・そこまでして俺のオレサマー」

私は満足出来たから、マトにキスをした。
これで貴方とはバイバイ。
原発性扁桃体覚醒症は、私の脳内で分泌された大量のドーパミンが、どういうわけか唾液に含まれるアミラーゼと反応して、ひょんなことからマカレナード結合体を生成する。
それに感染すると、脳内のセロトニンとアドレナリンは偶発的な暴走を始め、感染者は本能人間として何故だか覚醒するのだ。
私は自らの訳の分からない病を武器に、社会から悪者を抹消する耐性型スーパースプレッダー処罰人。
コードネーム・マナレナ。
雇い主は政府。
マトはシャキーンとなって、素っ裸のまま踊りはじめた。

「ひとつ出たほいのチントンシャン。おっぱいいっぱいチントンシャン。むんずむんずでムンムンムン。よいしょコラしょのボインちゃん。たっちゃったあルンパッパあ、おれのおれさまルンパッパあ」

マトは単なる喋る股間と化してしまった。男はいつもこうなる。
私は、振り向きもしないでモーテルを後にした。

「倉庫の前で絶望した全ての人間に詫びな」

とだけ、言い残して。

同化した飛行機雲に代わって、ちぎれ雲が浮かんでいる。風に流されながら、ゆっくりと姿を変えている。
私とドクター見城は、隣り合ってそれを眺めていた。
どれくらいの時間が経過したのだろう。
ドクター見城は、親身になって私にアドバイスをくれた。

「こうして、空を眺めるのも気分転換には良いですよ」

垂れ目で団子っ鼻。
一見優しそうに見えるが、裏の顔はドクターハラスメント&セクハラ男。
本当なのだろうか?
肌が触れ合う距離にいるのに、彼は何にもして来ない。

「せんせい?」

「どうかしましたか?」

「いえ、別に」

「何でも聞いて良いですよ」

「なんでも?」

「ええ」

私は、ドクター見城にまつわる様々な風評をぶつけた。反応を見るのも面白いと思ったからだ。
私が性悪女なのか、この男の前だから素直になれているのかは判らない。
ドクター見城は、にっこり笑っていた。

「みんな私の権威目当てなんでしょう。過去数人、言い寄られたのは事実ですが、考えて見てください。私みたいな風体で女性にモテると思いますか?」

「それは・・・わからないわ」

「それと、真島の嫌がらせですよ」

「ふぅ〜ん」

私の方から、さりげなく手を握る。
ドクター見城は、私の肩をそっと掴み。

「もうお帰りなさい。また来週」

と、笑った。
敗北するのは貴方。
私じゃないわ!
与えられた任務を全うすべく、私は自分を殺してドクター見城にキスをした。
信じてしまいそうで怖かった。
負けを認めるのも嫌だった。
男なんて、喋る股間だ。

「駄目ですよ。さ、帰りなさい」

何も起こらなかった。
私は駄々っ子みたいにキスを迫った。
ドクター見城が言った。

「無意味なことですよ、きっとね」

「え?」

「私だって貴女と同じ」

「・・・それって?」

「耐性型原発性扁桃体覚醒症同士は感染しない」

私は呆然と、ドクター見城を見上げた。
彼にまつわる風評も納得出来た。
彼にフラれた女達もきっと、半ば強引にキスをしたのだろう。既成事実をでっち上げる為に。
そして、ドクター見城のマカレナード結合体に感染した。
男が喋る股間だとしたら、女は喋る感情爆弾なのだ。
悲哀も憎悪も、慈悲も醜態も曝け出す。
それらは別世界の物語ではない。
現実に存在している。

「さ、ゆっくり静養して、身体を大事になさって下さい」

ドクター見城は、いつまでも優しかった。
私は今日、愛を見つけた気がした。
蒼色の空の下で。

コードネーム。
マカレナ。
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