じゅうなな

文字数 2,825文字

「委員長号令」
「起立、礼、着席」
 今日は大澤先生の様子がいつもと違った。両手を教卓において一呼吸して始めた。
「今日、佑太郎が佐々木先生に歯向かったらしいな。授業のやり方が悪いとか言ったんだって?そしたら春海、おまえも加担したそうじゃないか。え?どうなんだ」
 いきなりの本題に、春海は心の準備が追い付いていなかったようだ。それにしても、教師間での情報共有はいつも不思議と早い。唐突な取り調べに対して、春海は返す言葉を探しているようだったが、凛とした様子で言った。
「確かにもっと言い方はあったかもしれませんし、その点は反省しなくてはいけないかもしれません。でも、佑太郎の言ったことはリアルな意見だと思います。なんでもかんでも教師が正しいみたいなことを押し付けられると、私たちが自由に意見を言えなくなります」
「そうだな。意見が言いやすい場にしていくことも大切かもしれないな。しかしな、権利を主張するなら義務を全うしないとダメだぞ。時間を守るとか、宿題を提出するとか、そういった基本的なことができていれば、こちらも耳を傾けるんだぞ」
 言われっぱなしで終わっては教師としての威厳が保たれなくなるので、論点をすり替えてでも教師が生徒に指導をする、という構図を作った。
「分かりました。これから気を付けます」
 春海は大人しく返事をした。ここで余計な返しをすると、余計にややこしくなると判断したのだろう。佳澄が空気を読んで大きく何度も頷いている。
「あまりこういったことが続くと、職員室での先生の立場が無くなるからおまえら頼んだぞ」
 大澤先生は新任なので、職員室では肩身が狭く色々と大変なのだろう。さすがに思ったことをストレートに言い過ぎではないかと思ったが、思わず同情をしてしまった。
 これ以上場が荒れることなく、無事にホームルームが終わった。藍美は用事があるということで、私は1人で寂しく帰ることにした。
 下駄箱に手をやり、靴を手前に引き入れた刹那、私の肩に手が置かれた。
「柚季」
 振り返るとなんと、夏実がいた。
「えっ!」
 思いもよらぬ人物からの声掛けに、私は数秒戸惑った。「ど、どうしたの?」と訊くと、靴を持ったままの私を力尽くで昇降口の外へ連れていった。
「ちょっと何?まだ靴履いてないんだけど」
 困惑する私の目を見て正気に戻ったのか、「ごめん」と一言だけ言い、手を離した。
 私はゆっくりと靴を履き、「一体どうしたの?」と理由を訊いた。
「一緒にかえろ!」
 何か覚悟を決めたように言われても、私にとって夏実のようなギャルはあまり得意ではないので気が進まない。しかし断り切れないので、「うん」とだけ返事をして校門へと向かった。
 
「一体どういう風の吹き回し?」
 校門までの沈黙を破ろうと私は夏実に問いかけた。しかし彼女は「うん・・・」とだけ言い俯きながら歩を進めている。お互いに気まずい空気が漂っているが、ここは少しずつ会話を広げていくしかない。そう決心して夏実の方を見た。
「夏実と一緒に帰るの初めてだね」
「そうかも」
 話してみると意外と柔らかい印象を受けたので、この調子でイケるかもしれない。せっかくの機会なので、初めて夏実をお茶に誘ってみた。
「ねえ夏実、お茶でもシバキに行く?」
「何その言い方?うん、行こう」
 夏実にほんの僅かではあるが笑顔を覗かせていた。足早に、前日に行ったあのカフェの扉を開けた。
 
「いらっしゃいませ」と同じウエイトレスが出迎えた。私が軽くペコッとお辞儀をすると、前日と同じ奥の席に通された。
「柚季、ここよく来るの?」
 夏実はカバンを横に置き、テーブルの端にある袋に入ったおしぼりを私に差し出した。オレンジブラウンの髪が、西陽に照らされてキラキラと光っていた。
「ありがと」と言い受け取り、おしぼりの袋を開けて手を拭いた。そして、「よく来る訳じゃないよ」と首を横に振った。
 早速メニューを取って2人の飲み物を注文した。いきなり本題に入るのも気が引けるので、女子トークというやつをしてみた。
「わあ、これネイル?かわいい」
 私は夏実の指がキラキラ光っているのに気が付いた。
「ああこれ?かわいいでしょ!ジェルネイルってやつ。柚季もやってみなよ」
 夏実は嬉しそうに両手の指を目一杯開いた。
「これ、自分でやってるの?」
「うん。これ、いくつか道具がいるんだよ。キューティクルとか筆とか。あ、リスの毛ではないけどね」
 なぜリスの毛でないことを強調したのか一瞬分からなかったが、藍美が美術室に向かう移動教室で言っていたのを思い出した。自分から遠い存在だと思っていた夏実が、私たちの何気ない会話を覚えていたことに感心してしまった。
「さすがに模様を付けると先生にバレるから、ラメだけにしてるんだ」
 夏実は薄ピンクに彩られた指を私に見せてきた。普段夏実を近くで見ることがないので、初めての発見だった。
「あと前から気になってたんだけど、その髪染めてるでしょ!」
 ネイルの話を聞いたところで、ずっと気になっていた疑問を率直に訊いてみた。
「うん、染めてるよ。てか、みんな普通に気付くでしょ?」
「みんな気付いていると思うよ。気を遣って言えないだけで。」
 みんなの疑問を代表しているような気がして、少し誇らしくなってきた。
「そうかなー?やっぱ私って、近づきにくいのかな?」
 夏実は不安そうな口調に合わせて、テーブルに体を乗り出した。少しずつではあるが、彼女との心理的な距離が縮まっているような気がしている。誰に対しても、他人に対してのはじめの一歩はワクワクするものだ。
「うーん、なんか近づきにくい雰囲気はある・・・かも」
 思い切った感想に、「やっぱそうなんだぁー」と夏実は髪を人差し指でグルグル回していじけている。
「でもこうして話してみると、話しやすくて楽しいよ」
「ホント?よかった」すかさず入れたフォローにより、夏実の機嫌を損なわずに済んだ。その後も話は盛り上がった。最近、聡や善行たちと仲良くなっていることや、たまにゲームセンターに行っていることなど、夏実は意外そうな顔で聞いている。段々と打ち解けてきたところで、少し踏み込んだ話題を振ってみた。
「夏実ってさあ、好きな人とかいるの?」
 今までの楽しそうな表情から打って変わって、夏実の表情は曇り始めた。
「うん・・・」
「えーそうなんだ!だれだれ?」
 何か言いたくなさそうな雰囲気だったが、ここはテンションを少し上げて、言いやすそうな雰囲気を無理やり作ろうとした。
「あのさあ柚季、ちょっと頼みがあるんだけど」
「え、なに?」ととぼけてみせたが、恐らくこれを言いたいがために今日私を呼んだのだろうと確信した。
「次の投票・・・春海に入れて欲しいの・・・」
「え・・・」
 予想だにしない一言で、全身の筋肉が一気に強張った。ギリギリまで大きく膨らんだ風船が爆発するくらいの衝撃があった。あまりに唐突な告白に、私たち2人は大きな沈黙に包まれた。
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