第2話

文字数 3,765文字

 15歳という年齢には明らかに無理な背伸びをしているのに、自分では気づいていない。髪をかきあげるのが癖のようだ。わたしと同じ黒い髪は、入浴が週3日と定められているのでやや脂っぽい。わたしの一挙一動に翻弄され、苦し紛れに髪をかきあげるの、ちょっとださい。しかし、わたしはかれを使って人形遊びをしているのではない。わたしを受け入れてほしいだけだ。そんな単純な欲求が精神病と見なされる。ひどい。

 優しかった山岸の婆さん。わたしは死んだお祖母ちゃんに重ね合せて仲良くしていたのに、最近はテレビばかり見ている。間もなく山岸は急に冷たくなり、あまつさえ盗みを働いた。こんなことってあるか。

 かれに無理やり連れられ1階の談話室(24時間開放の部屋だ。消灯後はエアコンが医局で集中管制になるので寒いことこの上ない)で、わたしとかれ――松永君は9時からの映画を見ていた。途中でおっさんが入って来て写経をはじめた。
「あれ、おいしかったよ。また飲みたいなあ。あのね、さっき詰所に行ったら顔赤い、お前匂うぞって言われちゃった(写経をしている筆ペンが止まる。おっさんはわたしたちをちらちらと見ている)。でね、松永君と飲んだって看護師さんに言っちゃった。でも酔ってたんだし、しょうがないでしょ?」

 結局、酒は没収され、煙草とライターも詰め所預かりとなった。
 その数日後、近場の山でピクニックを楽しむという行事があった。天気はあいにくの曇りだが、かの女はすたすたと登ってゆき、「松永君、早く。いい眺め」と手招きをした。気持ちよさそうに「いい景色」という。
 僕も苦労して登りきり、かの女の待つ高台の広場へとたどり着く。息を整えようとベンチにかけていたら、横にかの女がしずかに座ってきた。
「ねえ、松永君」「うん?」
 かの女は急に脱力したように僕にもたれかかる。「死んだら空に行くんだって」
 僕が言葉を探しているうちに、「この病気、治らなかったら空に行きたい」といった。
「じゃあ――」探した言葉はどれも陳腐なものばかりだった。でも、なにも話さなくてもいいんじゃないのだろうか。
「松永君」僕に煙草を勧めてかの女はいう。「会いたくなったら、空でも見てね」
 そういうとかの女は広場の方へ歩き出し、バドミントンの中に加わった。




 かの女は故意犯だったのだろうか。それとも試していたんだろうか。この時はかの女のことが好きではなかった。それが、退院してからS病院を懐かしむようになった僕はかの女にまた会いたいと思った。かの女と一緒にいる時に僕は翻弄されっぱなしで、離れ離れになってからはじめて恋慕を抱く。
 学校は今でも嫌で、もう二度と行くつもりはなかった。それなのにかの女とは、また会いたい。単純だ。よくある思い出の美化だ。

 省みるにあの時はどうかしていた。内因反応だと一応診断は下されていた。今でも診断名はころころと変わり、いったい何がわたしを表す病気なのか、わからない。でも、と考えを改める。わたしはわたしだ。たまたま病気が介在していただけ。今は当時よりは病気とうまく付き合っている(とはいえS病院には三度入退院を繰り返したが)。病気を異物として否定し排するのは、ひいては自分への強い自己否定につながるし、ある程度は容認することに決めた。それが楽な苦しみ方だ。
 わたしには経血を流すように、生存のため定期的にリストカットする必要があるらしい。方法自体は異常かもしれないが、それしか知らなかった。

 12月に退院したのち、病院に電話してC棟の詰所を出してもらった。かれと何度も話をしたが、苛立っているように聞こえた。状態が悪いのだろうか。2月に電話した時は「松永さんは退院されました」と、そっけなく告げられた。

 入院当時はわたしを認めてくれる人を探していた。今のわたしには一応の分別はある。自分の支配下にないひとでもわたしの望む行動をとることもあった。今のわたしには、関係していることをいちいち確かめずに済む関係ができた。一浪して入学した大学で、恋人ができたのだ。恋人は年上で、父のように大らかで、母のように気が利いた。バイトも始めた。毎日いろんなこと――楽しいことがたくさんあって忙しい。わたしは、確実に充実している。




 S病院に勤務するそのカウンセラーは手紙を受け取った。中にもう一通、手紙があり「中西麻里子様」とあった。松永謙太郎からだった。添え状では中西に渡すよう依頼してあり、松永本人の住所はどこにも書かれていなかった。守秘義務がある医療者は、患者の情報はどんなに親しい友達にでも絶対に教えられない。連絡先の分からない患者同士で、往々にしてこういった手段をとる。

 カウンセラーは精神科という特殊な環境の馴れ合いから脱却できていない松永のことを憂いた。不登校、引きこもり、そして縊首自殺を企図。精神科病院と救急病院で青春の大切な時を送った松永。無論、添えられた手紙に何がしたためられているのか分からない。松永が首を吊った時と同じような晩冬、カウンセラーは再々入院してきた中西麻里子に松永謙太郎からの手紙を渡した。中身は私文書であり、開封に立ち会うことはできるが、中を読んだり、秘匿や没収をしたりはできない。


 こんなことがあった。
 最後にS病院に入院したときに松永から渡すように言付けられたとして、カウンセラーから手紙を受け取った。署名を見ると書いてから1年近く経っている。あれから、いつものようにC棟の詰所に電話をかけ、松永さんは退院されました、といわれてから2年後の春に書かれている。よろしければ連絡ください、とあった。


 中西麻里子に手紙を出したのは2014年の3月。突然の退院(敷地内で首つり自殺を図って救急病院に担ぎ込まれた。ひどい退院の仕方だが、手紙ではそれは伏せて、ある事情で、と書いた)を詫びた。また、あのころは状態が悪く、かの女からの電話の対応が不味かったと思ったので重ねて詫びた。でも、そんなものは口実に過ぎない。無理とは分かってはいたが、一度でいい、かの女にどうしても会いたかったんだ。
 かの女を何度夢見たのだろう。その朝には自失とも恍惚ともつかぬ気分で目覚め、夢の中であってもかの女に会えた事を喜んだ。




 自分に都合の悪い記憶? 忘れようとする。雑多な写真? 選り好みする。
 気分のよい色鮮やかな記憶のみを反芻し、そうして思い出は事実と乖離してゆく。アルバムにはきれいな写真しか残らない。分かっている。あのころは確かにかれに愛着を持っていた。わたしを受け入れてくれると思っていた。かれからの手紙は受け取って一週間ほどしてから開封した。

 だが、あの頃のわたしと今のわたしは違う。あの頃のわたしは本物の病気で、かれには悪いことをしたと思っている。それなのにかれから手紙が来るなんて。わたしは過去と訣別したかった。今のわたしは日々よりよいわたしになっている気がする。当時の幼稚なわたしを反面教師とすることはあっても、懐古趣味に耽溺したりはしない。かれには申し訳ないが、昔のわたしを掘り返すのは気が引けた。あれから8年経った。わたしも26歳、かれも23歳くらいか。充分に大人だ。思い出を大切にすることと、感傷にひたるのとは違う。ふたりとも将来がある。振り返る理由も余裕も、ない。
 クリスマスには新しい恋人といかにもお定まりといったデートをした。テーマパークで人ごみにもみくちゃにされながら恋人はずっと手をつないでくれた。「星がきれいだね」と恋人が呟き、わたしは「今この瞬間に何人のひとが星を見てるんだろね」と空に向かって言った。「この空を見るのはふたりだけでいい」と恋人が言った。聞き取れなかったので「え?」と耳を近づける。頬に口づけをされた。
 
 かの女にすでに手紙が渡っていることを人伝てに聞いた。それは切ない思いを生じさせたと同時に、なぜかの女は連絡しなかったのだろうと僕に考えあぐねさせた。愚かだった。昔のかの女はもういない。僕の思い出の中にのみ存在するかの女とは連絡の取りようがない。思い出は現実だが、実現はしない。そんな簡単なことに気づくと無力感に襲われた。
 
 職場の内輪同士で気楽な飲みに出かけた。クリスマスが仕事だなんて、仲間と飲むしかないじゃないか。仕事と同じメンツだけど、だからこその仲間なんだ。1軒目で早くも酔いが回った僕は空を見上げた。名前も知らない星座がいくつもある。この星座のすべてに名前を付けたのだと思うと、先人たちの視力と発想力に敬意を表したくなる。田舎だから星もきれいなのだ。こんなゆっくりとした美しさには都会に住んでいたころには気づかなかった。

 不意にかの女を思い出した。何年ぶりだろう、僕の意識にかの女が存在するのは。かの女も会社の同僚や、同窓生や、恋人と酒を飲んで星を見ているのかもしれない、今、この瞬間に。僕らの道は再び交わる可能性は限りなくゼロに近い。でも、この星空のもとにかの女は、僕の知らない姿になったであろうかの女は現実として実在している。きっと幸せなのだろう。そう願うことがかの女のためであり、自分のためのような気がした。「見上げてごらん 夜の星を――」かの女と唯一の接点である空に向かって僕は歌った。


――了
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