6 彼の愁いを教えて

文字数 1,661文字

 結局、奏斗が言いたいことの意味がわからないまま。
 だが、なんとなく自分と別れて結菜とつき合うまでの間に何かあったのだろうということを察した。

──奏斗がわたしとの復縁を拒むのはそれが理由?

 彼が抽象的にしか話そうとしないのは、知られたくないことだから。恐らくそういうことなのだろう。

 愛美は一人、カーテンの隙間から差し込む月明かりのもと膝を抱えていた。
「愛美?」
 今日はもう何もしないから泊まっていってと懇願すれば、意外にもあっさりと奏斗は承諾した。
 その彼が愛美に向かって手を伸ばす。愛美は彼の手を握った。
 温かくて大きな手。その温もりだけが欲しかった。
 それなのに、彼は他の人のもの。
 どうして手に入れられないのだろう?

「風邪、引く」
「うん」
 今日の彼はとても優しい。あの頃のように。
「おいで」
 温めてあげるとでも言うように掛け布団をめくる奏斗。もっと深く考えれば彼が自分とどんな関係を望んでいたのか理解てきたのかもしれない。
 しかし愛美にはそんな心の余裕はなかった。

──誰に聞けば高等部時代の奏斗のことがわかるのかしら。

 知らなければ進めない。
 彼の憂いを理解できない。

 彼の胸の中に大人しくおさまって、その鼓動に安らぎを感じる。
「奏斗」
「ん?」
「どうしてわたしじゃダメなの?」
 そう問えばぎゅっと抱きしめられる。
「違うよ、俺じゃダメなんだ」

 どうしてそんなことを言うのだろう。
 こんなに奏斗のことが好きだと言うのに。

「それは奏斗が誠実ではなくなったから?」
 確かに恋人がいるのに自分とこんな風に一緒にいることは誠実とは言わないだろう。だが彼の言う誠実は『愛美に対して』限定のものにも感じる。
 だとするなら、それが彼の苦悩の原因。
 少し間があったあと、
「そう……だね」
と彼は言った。
 気になるのはその歯切れの悪さ。
「奏斗のいう誠実って何?」
 彼が息を飲む。どうしてそんなことが問われたくないことなのか、理解に苦しむ。

 以前の彼はいつだって、愛美からの信頼を得ることに必死だったように思う。
『そんなに不真面目に見えるの?』
 ただ髪を染めている、それだけ。
 K学の男子学生の制服はブレザー。首元を多少緩めてはいるものの、著しく乱れた格好をしていたわけじゃない。
『黒くしようか?』
 その言葉に酷く驚いた。
 愛美のために。愛美と一緒にいるためになら、自分を曲げることも変えることも容易いと言われているように感じた。

『ううん。いい』
『なんで?』
と彼。
『奏斗はそのままがいいと思うから』
 そっかと言って嬉しそうに笑う彼を見つめていた。
 それは染めなくていいからではなく、似合うと言われたからなのだろう。

 あの頃、奏斗は愛美といる時は表情豊かだったように思う。だが今の彼は投げやりで、時々憂いを纏っている。

 彼の誠実とは、もしかしたから愛美だけに向けられたものなのかも知れない。そう感じた時、新たなピースを見つける。

「ねえ、奏斗」
「うん?」
「大川さんの前につき合った人、いた?」
 大川結菜は『まだ』清い交際関係にあるはずだ。
 奏斗は婚前の性交渉を望まない人だった。だが人は変わる。奏斗だって、男なのだがら人並みに性欲くらいあるだろう。
 奏斗はそれを理性でねじ伏せる。
 少なくとも愛美に対しては。
 そういうところが逆に愛美を夢中にさせていることに彼は気づいていない。

──もう、子供じゃないんだし。

「いたよ」
 凄く切なげな表情。なぜそんな顔をするのか気になった。
「まだその人のことが好きなの?」
 愛美以外の人を好きだから拒み続けるのなら、今の状況もなんとなく納得はできる。
「好き?」
 愛美の質問に不思議そうな彼。
「だって、好きだからつき合うんでしょう?」
「そう……なのかな」
 奇妙な反応。それは誰に向けた問いなのだろう。

 例えば告白されてなんとなくつき合った。それが良いか悪いかは別として、それならそうと言えばいいだけ。
 けれども彼の反応はまるで『自分自身でもわからない』と言っているように聞こえた。

──奏斗に何があったのか知りたい。
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