第5話
文字数 1,598文字
空を見あげた。空自体はアマーナにいたときに見上げたものと変わりはない。なのに、今の自分ときたら。
あの勇者の、ごちそうを前にしたような表情を思い出し、吐き気を覚えた。
そこに控える姫を献上せよ、だと?
人のことをなんだと思っているのだ。
ここに連れてこられた時に目通りした王と王妃を思い出した。悪い人ではなさそうだった。おそらく、自分は傍らに座っていた王子にあてがわれるのだろう。
王子はさげすんだような目でエズメラルダを見て、母親に何かをささやいた。色が白く華奢な体つき、神経質そうに怯えた目。
予言者たちは自分を「姫」と呼ぶけれど、実際自分は姫でも何でもない。ただの下級貴族の娘なのだ。どれほどの力を持とうとも、血の力には勝てない。王家に生まれた者が自分をさげすむのは当然と言えば当然なのだ。
予言者は「エズメラルダの愛を勝ち得たものは」と言った。王家の者と他国の下級貴族の娘。その間に愛など生まれえない。皆、わかっているのだ。だからその部分に執着する者など一人もいなかった。たくさんの男がエズメラルダを奪い合う。なのに、誰一人として彼女を一人の人間として、女としてみてくれる者はいない。ただの「最強の姫」と名前を付けられたメスに過ぎなかった。
アルハンドロ様。
今頃どうしてらっしゃるのですか。どうして、あたくしを助けに来てはくださらない? もうあたくしは……限界です。
そう心の中でつぶやくが、あきらめに支配されて涙さえ出なかった。少しの希望を求めて、森の王子を思い出した。
あたくしは、あの方を愛することができるだろうか。
あの、冷たくさげすんだ目。契りを交わしても、そこに愛がなければ王子は生まれない。そうであれば、不毛に子作りのための行為が続くだけだ。
いっそのこと死んでしまおうか。
祖国アマーナのことを思い出そうとする。父母、兄弟。いつ会えるともしれぬ者たちは、死んだ者も同然だった。実際、もう一度会えるかどうかもわからないのに。
ドレスをたくし上げ、太ももに巻き付けたベルトを探る。ナイフを取り出した。首筋にあてがったとき、何か、獣の咆哮を聞いた気がした。
もう一度空に目をやる。
龍王だった。
仲間の龍たちを従え、その銀色でつややかな鱗を光らせ、真っ赤に燃え盛る炎のような目でまっすぐ一点を見ながら空を舞った。美しい、と思った。
龍王の国は自国で富を生み出さない。常に略奪と戦争の手助けをし、その褒美を受け取ることで国を維持している。
昼間出会った勇者の、あの下卑た笑みを思い出した。
王からもらった報奨金で、龍王を雇ったのか。もしくは、森の王国にあたくしがいると聞いた別の誰かに雇われたのか。
どちらでもかまわなかった。どうせ、自分は死ぬのだ。首筋にその刃を押し当てた。そのとたん、空を優雅に待っていた龍王がその美しい体をしならせ、こちら側に進路を向けた。その、燃え盛る炎のような目に捕らえられた。
あっ、と思う間に近づいてきた。地上に降り立つなり、龍は美しい青年の姿に変わった。従っていた仲間の龍たちは、王を見守るようにその上空を旋回するように飛び回っていた。
屋敷の外を守る兵は最初こそ龍王に槍を向けたが、王が一言二言声をかけると、怯えたように槍の先を収めた。
これ以上、逃げ回るのはいやだ。
もはや、ここまで。
指先に力をこめた。
「待たれよ!」
血しぶきが飛ぶのと、ドアを蹴破って龍王が入ってくるのが同時だった。
「早まったことを」
どこか遠くで、声が聞こえた。アルハンドロの声に聞こえた。
あの方が来てくださるはずはないのに。
小さく笑った。
体が宙に浮いた。抱きかかえられていたことはわかった。
「まだ間に合う。はやく、手当を」
あたくしを助けたいのなら、このまま放っておいてください。
そう思った後、すぐに意識が途切れた。
それが、龍王との出会いだった。
あの勇者の、ごちそうを前にしたような表情を思い出し、吐き気を覚えた。
そこに控える姫を献上せよ、だと?
人のことをなんだと思っているのだ。
ここに連れてこられた時に目通りした王と王妃を思い出した。悪い人ではなさそうだった。おそらく、自分は傍らに座っていた王子にあてがわれるのだろう。
王子はさげすんだような目でエズメラルダを見て、母親に何かをささやいた。色が白く華奢な体つき、神経質そうに怯えた目。
予言者たちは自分を「姫」と呼ぶけれど、実際自分は姫でも何でもない。ただの下級貴族の娘なのだ。どれほどの力を持とうとも、血の力には勝てない。王家に生まれた者が自分をさげすむのは当然と言えば当然なのだ。
予言者は「エズメラルダの愛を勝ち得たものは」と言った。王家の者と他国の下級貴族の娘。その間に愛など生まれえない。皆、わかっているのだ。だからその部分に執着する者など一人もいなかった。たくさんの男がエズメラルダを奪い合う。なのに、誰一人として彼女を一人の人間として、女としてみてくれる者はいない。ただの「最強の姫」と名前を付けられたメスに過ぎなかった。
アルハンドロ様。
今頃どうしてらっしゃるのですか。どうして、あたくしを助けに来てはくださらない? もうあたくしは……限界です。
そう心の中でつぶやくが、あきらめに支配されて涙さえ出なかった。少しの希望を求めて、森の王子を思い出した。
あたくしは、あの方を愛することができるだろうか。
あの、冷たくさげすんだ目。契りを交わしても、そこに愛がなければ王子は生まれない。そうであれば、不毛に子作りのための行為が続くだけだ。
いっそのこと死んでしまおうか。
祖国アマーナのことを思い出そうとする。父母、兄弟。いつ会えるともしれぬ者たちは、死んだ者も同然だった。実際、もう一度会えるかどうかもわからないのに。
ドレスをたくし上げ、太ももに巻き付けたベルトを探る。ナイフを取り出した。首筋にあてがったとき、何か、獣の咆哮を聞いた気がした。
もう一度空に目をやる。
龍王だった。
仲間の龍たちを従え、その銀色でつややかな鱗を光らせ、真っ赤に燃え盛る炎のような目でまっすぐ一点を見ながら空を舞った。美しい、と思った。
龍王の国は自国で富を生み出さない。常に略奪と戦争の手助けをし、その褒美を受け取ることで国を維持している。
昼間出会った勇者の、あの下卑た笑みを思い出した。
王からもらった報奨金で、龍王を雇ったのか。もしくは、森の王国にあたくしがいると聞いた別の誰かに雇われたのか。
どちらでもかまわなかった。どうせ、自分は死ぬのだ。首筋にその刃を押し当てた。そのとたん、空を優雅に待っていた龍王がその美しい体をしならせ、こちら側に進路を向けた。その、燃え盛る炎のような目に捕らえられた。
あっ、と思う間に近づいてきた。地上に降り立つなり、龍は美しい青年の姿に変わった。従っていた仲間の龍たちは、王を見守るようにその上空を旋回するように飛び回っていた。
屋敷の外を守る兵は最初こそ龍王に槍を向けたが、王が一言二言声をかけると、怯えたように槍の先を収めた。
これ以上、逃げ回るのはいやだ。
もはや、ここまで。
指先に力をこめた。
「待たれよ!」
血しぶきが飛ぶのと、ドアを蹴破って龍王が入ってくるのが同時だった。
「早まったことを」
どこか遠くで、声が聞こえた。アルハンドロの声に聞こえた。
あの方が来てくださるはずはないのに。
小さく笑った。
体が宙に浮いた。抱きかかえられていたことはわかった。
「まだ間に合う。はやく、手当を」
あたくしを助けたいのなら、このまま放っておいてください。
そう思った後、すぐに意識が途切れた。
それが、龍王との出会いだった。