6 鎮圧

文字数 2,615文字





 初夏。
 シェーンブルン宮殿のバルコニーの下を、松明を持った国民兵が、行進していく。

 ヨーハン大公妃アンナは、バルコニーに立ち、それを見下ろしていた。
 赤々と燃え盛る松明が、きれいだと思った。
 彼女は、国民守備隊の発起人として、名を連ねていた。つい先日も、隊旗授与式に参加したばかりである

 「メラン伯爵夫人に感謝を捧げる!」
「我らが国民守備隊の守護者、美しきメラン伯爵夫人、万歳!」

 メラン伯爵夫人というのは、アンナのことだ。ヨーハン大公との間に生まれた息子が与えられた爵位により、彼女も、こう呼ばれている。

 メラン伯爵の名を提案したのは、メッテルニヒだった。メランというのは、南チロルの景勝地の名だ。
 その頃既に、政治能力のない皇帝を傀儡に、旧弊な姿勢を崩さないメッテルニヒは、時代からの乖離を自覚していたのだろう。
 敵も増えるばかりだった。
 彼は、国民に人気のヨーハン大公を、味方につけたいと考えたのだ。
 メッテルニヒは、自分がさんざん「監視」をし続けた、アルプス王ヨーハンに、いざとなったら、頼る腹づもりだった。


「メラン伯爵夫人、万歳!」
「心からの感謝を。万歳!」

 歓呼の声は、鳴り止むことをしらない。
 若々しい声だった。兵士たちの大半は、学生たちだ。

 国民軍は、皇帝の命令で作られた、半ば官製の軍隊だ。王族守護を建前としている。
 しかし、民衆である彼らは、たやすく、市民(ブルジョワ)労働者(プロレタリアート)の不平分子と結びつく可能性があった。

 国民軍を、皇室の軍隊と共存させ、皇室警備に当たらせるために、アンナは、一役買ったのだ。

 ウィーンに革命の起きた今、民衆を宮廷に繋ぎ止めることは、彼女にしか、できなかった。
 アルプスの郵便局長の娘にしか。
 かつて、ヨーハン大公の、村の情婦、田舎妻と蔑まれ、宮廷に居場所のなかった、彼女にしか。



 ヨーハンは、部屋の中から、妻の後ろ姿を見守っていた。
 メッテルニヒがいなくなった後、国民に人気の高いヨーハン大公が、摂政についた。




 彼の甥であるフェルディナント帝は、インスブルック(チロル。皇室支持が根強い)へ、逃亡中である。そもそも、あの皇帝に、政治能力はない。彼は、意志を持たず、メッテルニヒの傀儡だった。


 バルコニーの下から、国民兵たちの、歓声が上がった。妻が、それに手を振って、応えている。
 ヨーハンは、窓辺へ近寄った。
 昼間なら、室内からでも、地平線に浮かぶグロリエッテ(シェーンブルンの庭園にある、ギリシア風の記念碑)が見える筈だ。だが今は、遠景は闇に沈み、ただ、松明の灯りのみが、時ならぬ明るさで燃え盛っている。


 漆の部屋へと続くこの部屋は、かつて、ナポレオンが占拠し、陣頭指揮を取った部屋だ。
 ヨーハンと、兄のカールが負けた戦いで。

 そして、その息子フランツが、死んでいった部屋……。

 フランツなら、どうしたか。
 3月この方、ヨーハンは、考えずにはいられない。

 あの時、荒れ狂う群衆の中に進み出たのが、アルブレヒトではなく、フランツだったら。
 群衆は、彼に、投石しただろうか。
 陣営に戻り、フランツは、民に銃を向けることを許したか。

 無益な問だった。
 フランツは、とうの昔に死んでいる。

 ……彼は、ウィーンにいては、いけなかったのだ。

 (ナポレオン)の子であるがゆえに、不必要に警戒し、母の国(オーストリア)への忠誠さえも信用しなかった宮廷。
 鷲の子(レグロン)に、羽ばたくことを許さず、狭いウィーンに閉じ込めたままで死なせてしまった宮廷を、ヨーハンは、憎んだ。



 「夜露は体に毒だ。そろそろ中に入りなさい」
ヨーハンは、バルコニーに出ていった。妻の横に、並んで立つ。
「いいえ、あなた。みんながこんなに喜んでくれるんですもの。ここを離れることなんか、できないわ」
 兵士たちに手を振り続け、アンナは答えた。

 突然現れたヨーハンの姿に、兵士たちの熱狂は、いや増すばかりだ。

「若いのね。みんな、すごく若いわ……」
手を振りながら、アンナはつぶやいた。
「あと10年もしたら、私達のフランツも、こんな風になるのかしら……」

 二人の息子、フランツ・ルードヴィヒは、まだ9歳だ。

「兵士にはしたくないな」
ヨーハンは答えた。
「皇室を守る兵士には、特に」







 10月に入ると、逃亡中の皇帝の名で、オーストリア全土から、ウィーンへ、軍隊が差し向けられた。

 血なまぐさい戦闘の末、皇帝軍は、ウィーンを制圧した。殺されたのは、その多くが、郊外に住む、貧しい労働者(プロレタリアート)達だった。プロレタリアートの犠牲者は、正確な数さえ、わかっていない。

 年末、皇帝フェルディナンドが退位した。18歳の甥、フランツ・ヨーゼフが、後を襲った。




 数年後には、全てが、元に戻った。あんなに憎まれたメッテルニヒさえ、ウィーンに帰ってきた。
 皇帝フランツ・ヨーゼフの治世は、実に68年間にも及ぶ。







 ウィーン革命の翌年、大公ヨーハンは、妻を伴い、シュタイアーマルクへ帰っていった。
 真の意味での、彼の故郷へ。
 そして、死ぬまで、アルプスの民に囲まれ、アンナと共に暮らした。




 フランツ・ルードヴィヒは、ヨーハンとアンナのたった一人の子どもだった。
 だが今や、この「シュタイヤアーマルクのプリンス」、メラン伯爵には、900人以上もの子孫がいるという。







fin







*~*~*~*~*~*~*~*

お読み頂き、ありがとうございました。


このお話は、13万語にもおよぶ大河小説のサイドストーリー集となっています
「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129


Novel Days さんには、彼の幼少時代を扱ったチャットノベルがあります。
「ナポレオン2世ライヒシュタット公―スウィートフランツェン」
https://novel.daysneo.com/works/3e4f3649d09f9258ae65e5ada3f9bebb.html


アルファポリスさんには他に短編があります
「ライヒシュタット公とゾフィー大公妃―マクシミリアンは誰の子?」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/427492085





参考文献はブログにまとめてあります。
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-78.html



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登場人物紹介

カール大公

1771.9.5 - 1847.4.30

(カール大公の恋)


ライヒシュタット公の母方の大叔父。1796年の革命戦争では、ジュールダン麾下サンブル=エ=ムーズ軍、モロー麾下ライン・モーゼル軍と戦い、両軍を分断させ、勝利を収める。1809年のナポレオン軍との戦い(対オーストリア戦)の後は軍務を退き、軍事論の著述に専念する。

レオポルディーネ

 1797.1.22 ‐ 1826.12.11

(もう一人の売られた花嫁)


ライヒシュタット公の母方の叔母。皇帝フランツの娘。ポルトガル王太子ペドロと結婚する。ナポレオンの侵攻を受け、ポルトガル王室は当時、植民地のブラジルへ避難していた。ペドロとの結婚の為、レオポルディーネも、ブラジルへ渡る。

ヨーハン大公

1782.1.20 - 1859.5.11

(アルプスに咲いた花)


ライヒシュタット公の大叔父。皇帝フランツ、カール大公の弟。兄のカールに憧れ、軍人となる。

アダム・ナイペルク

1775.4.8 - 1829.2.22

(片目の将軍)


オーストリアの軍人。フランス革命戦争で赴いたオランダで片目を失う怪我を負うも、捕虜交換の形で帰国した。

ドン・カルロス

1787.初演

(「ドン・カルロス」異聞)


シラー(シルレル)の『ドン・カルロス』は、ライヒシュタット公の愛読書だった。

チャットノベルもございます

「ドン・カルロス」異聞

マリア・テレサ

 1816.7.31 - 1867.8.8

(叶えられなかった約束)


カール大公の長女。

マリー・ルイーゼ

1791.12.12 - 1847.12.17

(2つの貴賤婚)


ライヒシュタット公の母。ナポレオンの二人目の妻、かつてのフランス皇妃。ウィーン会議でパルマに領土を貰い、5歳になる直前の息子を置いて旅立っていった。以後、全部で8回しか帰ってこなかった(最後の1回は、彼が公的に死の宣告をされた後)。

エドゥアルド・グルク

1801.11.17– 1841.3.31

(画家からの手紙)


ウィーンの宮廷画家。メッテルニヒに見いだされ、採用された。グルクの死から約170年後、彼が描いた絵が、モル男爵の屋敷で発見された。モル男爵は、かつてライヒシュタット公の補佐官で、その死の床に最後まで付き添った。

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