その④ あの子は温泉旅館の女将

文字数 4,264文字

 それは、とある温泉旅館に泊まりに来た時のことだった。
 
「あー、なかなかいい部屋だなあ」

―失礼いたします。女将(おかみ)がご挨拶にまいりました。
「あー、旅館の女将さんが挨拶に来たよ。はいはい、どうぞ」

―(ネットリとした口調で)……邪魔するよッ?
「その口調は……あっ、きみは!」

―そおーだよ!先週行われた運動会で実行委員を務めた秋葉原響子だよッ!
「はいはい、俺が腰を痛めた時に無理やりムチ打ちに仕立てあげようとした……ところで、なんで女将さんなんかやってるの?」

―それはね、この旅館の一日女将を任されているからだよ。
「一日女将?何でまた?」

―本日はね、アタシがアルバイトしてる店がこの旅館を借り切って、常連客をもてなすイベントをしているんだよ。知らなかったのかい?
「ええーっ、知らなかった……ということは、今日この旅館に宿泊している客は全部マゾ?」

―逆に従業員は全部女王様だよッ!
「なんてこった!どうしてよりによってそんな日に」

―ようこそ、一日SM旅館『添奴夢(ソドム)』へ!
「それがバイト先の店名なんだ」

―奴隷の夢に寄り添うと書いて添・奴・夢と読むよッ!
「知らねえよ!」

―ところでお前こそ、どうしてこんな所にいるんだい?
「いや、たまたま出張でこのあたりに来たんだよ。明日は休みだし、せっかく温泉のあるところに来たんだから、自分のお金で一泊していこうかと思って」

―まったく、神出鬼没とはお前のことだねえ?
「一番言われたくない人に言われたね、今……それよりも女将なんだろ?部屋とか料理の説明をしてよ」

―生意気な男だねえ?手始めに有料チャンネルの説明から始めてやろうかッ!
「いきなりかよ。いいよ、そういうのは興味ないから」

―(素に戻って)小さなお子様が見ると、ショックを受ける可能性もありますのでー。
「ああ、そりゃそうだな」

―ちなみにこれが、主演女王様(しゅえんじょおうさま)別の番組表になります。
「何だよ、主演女王様って。主演女優だろ、こういうのは普通」

―1000円のプリペイドカードでひざまずき放題だよッ!
「はるばる温泉に来た客にこんなもの見せるな!子供じゃなくてもショック受けるわ」

―(再び素に戻って)さて、当館の宿泊プランでございますが、二食付き、朝食のみ、夕食のみ、素泊まり、寺泊(てらどまり)になっております。
「寺泊って佐渡ヶ島行くフェリーが出る所だろ。行かないよ、そんなとこには」

―ちっ!
「舌打ちするな!つうか何が何でも佐渡ヶ島に連れて行きたいみたいだな、俺を」

―ところで食事の時のお飲み物ですが、いかがいたしましょうか?
「ああ、ビールで」

―かしこまりました、変態(ビザール)で。
「ビールで!」

―おビールですが、アサヒとサッポロの二種類がございますけれども、
「あー、じゃあサッポロで。好きなんだ、黒ラベル」

―かしこまりました。翌朝の新聞もサッポロでよろしかったですか?
「あるのか、サッポロ新聞……じゃあ持ってきて、サッポロ。がぜん読みたくなってきたから」

―夕食のメニューなんですが、お刺身、天ぷら、牛肉の陶板焼き、川魚の塩焼き。
「ああ、旅館の夕食の定番だね。ところで川魚は何?」

―(意地悪そうに)言わなーい。
「イワナなんだね。めんどくさい人だな、つくづく」

―あと、お鍋の種類が選べます
「へえ~色々あるんだ。ちなみに一番人気は何?」

―土鍋ですかね、やっぱ。
「材質かよ!中身じゃないの?具とか出汁とか」

―中身はよせ鍋一択でして。
「一択じゃしょうがないな。じゃあ土鍋で」

―次にお箸とお茶碗の種類なんですけど……
「まだ続くのかよ、材質選び!いいよもう、お任せで」

―ちなみに露天風呂ですが、男性と女性が一日ごとに入れ替わります。
「ああ、二か所あるんだな。それが日替わりで入れ替わる、と」

―その都度、それぞれ違う景色を見ることができまして。
「なるほど。ちなみにどんな景色が見えるの?」

―女性側からは山に囲まれた湖と、そのほとりに位置する小さな村落が。
「ああ、いいねえ。温泉宿って感じで」

―男性側からは大都会が。
「見えるの、大都会?こんな場所から」

―男性になったアタシはバイト代をスイーツに使い果たし、女性になったオレはバスケの試合で大活躍。
「そっちの入れ替わりか!つうかなんで替わり方が『君の名は』みたいになってるんだよ。変わるのは風呂場だろ?人の性別変えるなよ」

―(歌って)お湯が全全然出な~くて~♪
「やかましい!」

―それではお茶をお入れしますね~。
「ああ、なんか旅館って感じがするね。こう、ポットから急須(きゅうす)でお茶を淹れてもらうと。

―けど、中身はジュースだよッ!
「ほんとだ、オレンジ色してら」

―(得意げに)どうだい?急須でジュースを入れられた気分は!!
「安い手品か。つうか、くだらないよ、解説がいちいち」

―お茶うけに、こちらの和菓子はいかがでしょうか?
「ああ、嬉しいよね、こういうの。普段食べないから」

―(突然笑い出して)アーッハッハッハハ!
「ど、どうしたの?いきなり笑い出して」

―お、お茶うけにバカ受け……
「フツーに食わせろよ!いいよもう、お茶もお菓子も自分でやるから」

―(ふくれっ面で)むーう!……それではゆっくりとおくつろぎ下さいませっ!
「はいはい、あーやっと出ていったよ……さて、テレビでも見るか。(スイッチを入れる)……うん、このテレビをつけると、いつもと天気予報の地域が違うっていうのがいいよな。コマーシャルなんかもその土地だけしか放映されてないやつが流れてたりして」

―(アナウンサーの声で)次に、明日の降水確率ですが、山間部では六十パーセントから九十パーセント。
「ああ、ずいぶん高い降水確率だな」

―寝ている間に浴衣ゆかたがほどけて裸になる確率なみに高いと思われます。
「……やっぱ違うな、温泉街の天気予報は」

―なお、上空には秋雨前線が活発化しており、
「ホントだ。日本列島ほとんど覆い隠してるじゃん、これ」

―お部屋から浴室までの距離を思わせる長さにまで広がっております
「確かに長いけどさ、温泉宿の浴室までの距離って」

―また、雷が発生する確率もUFOキャッチャーに深はまりして散財する確率なみに高く、
「つうか、なんでさっきから例え方が温泉旅館あるあるかなあ!?」

―一日を通して天候は、木製の座イスのツルツルの座面に乗っている座ぶとんなみに落ち着くことなく、
「なんのこっちゃ!」

―エアコンを効かせすぎた翌朝に喉がガラガラになっているレベルで警戒が必要です
「いいよもう、温泉旅館あるあるは」

―それではコマーシャルです(CMに切り替わって)パラッパッパ~I'm lovin’ it!
「ハンバーガーショップのCMか。さすがにこういうのはどこも同じだな」

―今年もやってきました、プルプルの温泉卵を挟んだ温玉(おんたま)バーガー!
「あるの?初めて聞いたよ、温玉バーガーって。つうかハンバーガーのCМまで温泉バージョンかよ」

―ギョーザ一日1万個
「今度は中華か」

―温玉一日100万個
「また来たな、温泉バージョン。それにしてもめっちゃ温玉売れてるな。ギョーザの百倍かよ」

―ハトムギ、玄米、月見草~
「今度はお茶のCMか」

―湯の花、炭酸ガス、ナトリウム~
「……お茶にもあるんだ、温泉バージョン」

―温泉たまご♪
「どんだけ温玉推しなんだ、この土地は!ったく、ほかに名物無いのかよ……そうか、明日雨なんだ。だったら今日のうちにこのあたりをブラブラしておくか。おーい、女将さーん」

―呼んだかいッ?
「ちょっとブラブラしてこようと思うんだけど、なんか観光スポットってない?」

―ハンコ押すスポットでしたら駅の改札に。
「絶対わざと聞き間違えたよね、今。興味ないから、スタンプラリーとか」

―(声を潜ひそめて)実はこの旅館の前を流れている川の滝壺に、山菜を摘みに行った人の死体が浮かんだことがあってねえ?
「え、そんなことがあったの?」

―警察は事故だって公表したけれど、地元のみんなは……
「犯行スポットだろ、それは!俺が言ってるのは観光スポット!この辺でお勧めの見どころだよ」

―お、オスメスの見どころだって?破廉恥な男だねえッ!
「それもわざわざ聞き間違えたよね?つうか、なんだよオスメスの見どころって。自分で言ってて顔が赤くなってきたわ……いいよもう、その辺を適当にぶらつくから」

―いいのかい……?さっきも言ったけど、今日はうちのSMクラブがこの旅館を借り切っているんだよ?
「ああ、それがどうしたの?」

―部屋の外に一歩出れば、そこにはうちの看板女王様たちと、それにかしづく無数のマゾ男どもが徘徊しているってことだよ。
「ということはつまり……」

―出た瞬間、寄ってたかって調教されて肉奴隷にされること間違いなしッ!
「ゾンビ映画かっ!つうか、なんでこんな鄙ひなびた旅館でバイオハザードみたいなスリルを体験しきゃいけないんだ!」

―迫りくる鞭の音!蝋燭の炎の下に響き渡る苦悶の声!日々のしがらみから解放されて、愛しいご主人様とのマゾヒステイックな絆を確かめ合う奴隷たち!倒錯と悦楽の支配する旅館からあなたは生還できるか!?
「だからバイオハザードみたいなアオリはいいって」

―黙示録の日(アポカリプス・ナウ)!
「やかましいわ!」

―と言うわけで、キョー子女王様に一目会いたいがために無理やり有給をとって温泉旅館にやってきた肉奴隷の生き様を描いた話題作『繁忙期の中心で有給を叫んだ社畜』。ただ今こちらの有料チャンネルで絶賛放映中です!
「誰が社畜だ。つうか別に繁忙期でもなけりゃ有給も取ってないよ……って、放映中?まさか……(テレビのスイッチを入れて)うわっ、俺が映ってる!」

―(笑って)アーッハッハッハ!やっと気が付いたのかい?ここに着いた瞬間からお前とアタシのやりとりは、すべてこの有料チャンネルで館内に放送されていたんだよ!」
「くそっ、こんな所に隠しカメラがあったなんて!」

―主演女王様さまとお呼びッ!!
「単なるドッキリ企画じゃないか。もういいよ」

〈了〉
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