1.知りたがりエジソンと攫われお嬢様

文字数 18,780文字

 抜けるような青空。その青を反射し煌めく海面。
 遮るもののない視界いっぱいに広がるこの水の下に、ビルや民家などが建ち並んでいるなどと誰が思うだろうか。数十年前、ここは極当たり前に高層ビル群や首都高の走る都市風景が広がっていた。
 温暖化による海面上昇。異常気象,地殻変動に伴う地震など自然災害の多発。諸々の理由により、国の要と言うべき東京の都市部はそのほとんどが海の底へと沈んだ。
 もちろん、政府も指をくわえて眺めていたわけではない。浸水から重要機関を守るため、関連する建物とその周辺を透明なドームで覆った。それもある日突然に、だ。当時は余りの短期間での建設に、様々な憶測が飛び交った。中でも一番吹っ飛んでいたのは、透明なドームの材質が企業秘密のため『情報を明かせないのは、宇宙人から技術を買ったからだ!』というものだった。しかし追及の手も、数か月経てば新しい話題へとすり替わり消えた。
 その、新しくできた海岸線沿いに伸びる砂利道を、一台の自転車が猛スピードで走っていく。
 白衣の裾をはためかせ、ペダルを漕ぐ眼鏡少年の思考はどうやらここにはないようだ。薄ら笑いを浮かべ、しきりに何やらブツブツと呟いている。その視線は、前方を見据えているようで、その実遥か遠くへと思いをはせているようだった。
「ふふふっ。やっと…やっと!」
 遠くを見ていた視線が、ふいに前から歩いてくる少年を捉えて帰ってきた。捉えた瞬間、いっそう笑みが深まる。ハンドルを切り、進行方向が少年へと向けられた。
 だるそうに歩いていた少年が欠伸の合間に見たものは、猛スピードで自分へ突っ込んでくる親友の姿だった。
「トォォウタァァァァッ!」
「は…はあっ?!」

  ガシャアァァァァン!!

 凄まじい衝突音。と、

「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!!」

という悲鳴が夏の始まりを告げる蝉の大合唱の中に、響き渡ったのであった。
 合掌。

「痛い、痛い。痛いよニアくん。何故に毎回新発見をするたびに俺に突っ込んでくるわけ?毎回聞いているけどさ、そろそろやめていただけません?」
 半袖のワイシャツから覗く肘をさすりながら、夜名(やな)トウタは恨めしげに白衣の親友――江寺(えじ)ニアを見た。当の本人は自転車の籠の曲がりを直すのに夢中で全く聞いていない。白衣の裾が地面につくのもお構いなしだ。
「あぁ、ウメコ一号。ごめんよ。後で直してあげるからね」
「おーい。親友より愛車の心配かい」
「トウタは頑丈だからね」
 顔も向けずにさらっと言われ、トウタのこめかみに青筋が一瞬浮き出る。が、すぐに息を吐いて気持ちを切り替えた。
「はいはい。俺は最年少博士号取得者のニア先生様とは違って、頑丈だけがとりえですからね。で?今回は何なの」
「うん?ああ、うん。膜が、出来たのだよ」
 きらりと少々歪んだ眼鏡を光らせて、ニアが自信たっぷりに告げた。
 トウタの皮肉はスルーである。
「膜?なんの?」
「膜と言えばあれしかないでしょう?海の中に張られた膜。海中ドームだよ、トウタ君」
海面上昇に対応するため、頑丈なドームで覆った場所のことは総じて“海膜街(シースキンガイ)”と呼ばれていた。透明なドームは一般的に触ることは出来ないが、情報誌等には関係者の話として『透明だが硝子とも違い、一切の繋目も見えない。表面は一見ツルツしているようだが、その触り心地は滑らかなシルクのようだ』という記事が載った。そのため興味を持つニアのような研究者などからは膜に例えられ、それがマスコミの目に止まり一般化していた。
「最近学習システムをいじりに来ないと思ったら、その研究に没頭していたのか」
 多くあった学校の全てをドームで覆うことは難しく、シースキンガイ内の学校へ通える人数にもどうしても制限がかかる。高校ともなれば私立の多くは、海中に土地とドームを維持するためその授業料などはとても一般家庭には払えない金額になっていた。そのため、新しい学習システムが作られ、学校へ行かず国から貸し出されたコンピュータに組み込まれたカリキュラムをこなすことを義務化した。
 ニアは飛び級で大学へ入り既に卒業した身である。学校へ行くのはもっぱらそのシステムに自分のオリジナル改造データを入れて、もっと効率の良い学習方法を開発しようと目論んでいるためであった。
「研究者の間じゃ今は、この膜を作り出すことが研究テーマのトレンドだからね。そしてなんと!それに昨晩成功したのだよ!!これはまさに世紀の大成功だよ、トウタ君!!僕が民間で初かもしれない快挙だ!」
「へー。そいつは凄いな。ところで、お前最近その膜の研究ばっかりで、ニュース見てないだろ?」
「はへ?」
 間の抜けた声を上げて向けられた顔に、トウタは背負っていたリュックから引っ張り出した雑誌を投げつけた。
「へぶっ!ちょっと、顔は止めてよ!顔は――」
 文句を言いつつ顔に貼り付いた紙面を見たニアの視線が、一瞬で釘付けになった。
 そこに載っていた見出しはこうだ。
 “スクープ!今度は空か?!空中都市計画の全貌に迫る!!”
「く、く、くっくくく、くうちゅうとしぃぃぃっ?!」
 思いっきり記事に顔を擦り付けたかと思えば、今度は頭を抱えて震え出した。その手からばさりと雑誌が落ちる。
「お、おい。ニア?」
 尋常じゃない様子に思わず声をかければ、今度はそのまま大きく仰け反った。
「ありえなあぁぁぁぁい!!」
「うわっ」
「ありえないのだよ、トウタ君!物体を宙に浮かせる技術など、現代日本ではまだまだありえないのだ!ましてやそれが都市一つ分だよ?一体どうやって、どんな原理で浮かせるというんだい?あの大空の上に!!」
「知るか。俺に聞くな。でも、ここにはもう、実験段階にまで進んでいるって書いてあるぜ?」
 落ちた雑誌を拾い上げ、再度記事のページを開いて見せる。
「気に入らないな」
 それを横目にちらりと見て、ニアは親指の爪を噛んだ。何か思考する時の彼の癖である。
 真剣に海を見つめるニアに、トウタは嫌な予感が頭を過る。
 自分の知らない未知の科学的何事があるのを、ニアは嫌う。そして、知るために行動する。
「トウタ」
「…何?」
 キッと、鋭い視線が飛んできたかと思えば、レンズ越しの目がにっこりと弧を描いた。
「行こう!その実験場へ」
「待て、待て!そんな簡単に行けるわけがないだろ?そんな国家機密が詰まった所!!それに、その場所が何処だかもわからないのに……」 
 何とか諦めさせようとするトウタに、ニアは人差し指をたてて左右に振る。「チッチッチ」という口からの擬音付きで。
「分からなければ、知っている人間に聞くまで」
「聞くって……どうやって?」
 訝しげに眉を顰めたトウタに、ニアはにやりと笑った。
「トウタ君。君は僕を誰だと思っているのかね?若干十六歳にして、博士号を取得し数々の発明による特許を持ったこの僕に、引き出せぬ情報などないのだよ」
「…要するに、お前の広い人脈頼りね。いいけど、法に触れるような行為さえしなければ」
「法に触れる行為とは、はて、どんな事を言うのかな?僕には分からないなぁ」
 そう言うといそいそと携帯電話(ガラ携の自作改良機)を取り出し、何処かへとかけだすのだった。
喜々として相手と話し出すニアに、トウタは一抹の不安を感じずにはいられなかった。
「――はい、はい。分かりました。有り難うございます!えぇ、えぇ、もちろん!あの商品の特許の件は、数日の内にそちらへ……。はい、はい。お待ちしております。では、はい。また、よろしくお願い致します」
 何度も見えない相手に向かって頭を下げると、最後は深々とお辞儀をして電話を切った。いつも自身満々なニアとはまた違った営業スマイルと仕草。しかしそれも、電話が切れれば直ぐに消えた。
「よし。わかったぞ、トウタ」
 キラリとレンズが夏の正午間近な陽ざしを反射して光る。
「…早いな。なんか、裏のやり取りが聞こえたような気がしないでもないけど…一体誰に聞いたんだ?」
「それは言えないな。ビジネスのやり取りは、何処で誰が聞いているか分からないからね。この情報一つで社運はおろか、自分自身の人生図すら決まってしまう世の中だからね」
「ああ、うん。じゃ、いいや」
 人差し指を口に当ててウィンクする眼鏡少年。トウタはすかさず顔を逸らして見えないようにした。聞いたら聞いたで、後悔しそうな情報でもある。
 あっさり引き下がったトウタに、ニアの顔につまらなそうな表情が浮かぶ。
「えー。聞きたくないの?僕だったら気になって夜も眠れなくなるレベルなのに……」
「言いたくないのか、言いたいのかどっちだよ。っていうか、いいよ、言わなくて。大体想像はつくから」
 伊達に親友をやってはいない。実験の助手と称して毎回強引に手伝わされていたトウタにとって、ニアの廃別荘を改造した研究所で見かけた取引相手などからすぐに目星はついていた。某大手医療系企業か、某大手工業系企業のどちらかだろう。
「それより、良かったのか?特許権を取引に持ち出したりして」
「いいの、いいの。こういう時のための権利なのだから。知識と技術の更なる発展のためなら、易いものだよ。それに、僕の所有する特許は数百個以上。一つ減ったところで何も変わらない。また新しく取得すればいいだけのことだよ、トウタ君」
 胸を張って自慢されるのも、もう慣れたものだ。
「あっそ。ところで、俺も行くことは決定事項なわけ?」
「もちろん!頼りにしているよ、トウタ君!!必ずや、空に都市を浮かばせる謎の技術を二人で突き止めようじゃないか!!」
 海原を指して宣言するニアに、トウタは肩を竦めてため息をついたのだった。


「空中都市を空に浮かべる実験なのに、海中なんだな」
 透明なドームに覆われた国道をアクアシティ東京の都心部へ向けて走る、ニアのスクーター(改造済及び、公共道路の走行許可取得済)ウメコ二号。運転をニアに任せ、トウタは後ろに乗った。無茶苦茶なことばかりするが、ニアは事故だけは起こさない。言い方を変えれば、事故さえ起こさなければどんな走行方法でも走るということで。心なしかトウタの顔色は悪い。
気を逸らそうと向けた視界に、海中に沈み今は魚の住処と化している民家が映る。割れて歪んだ窓枠の向こうには海藻が揺らめき、瓦屋根にはフジツボがびっしりとついていた。まるでゴーストタウンの中を走っている気分になる。
「何を言う。シースキンガイの中ほど実験に適した場所はないじゃあないか。空中都市を地上で作って浮かせたら、企業秘密もくそもないだろう?それに比べてここの中なら、通行も情報の行き来も制限できるし外から見られることもないと思わないかい?」
「まあ、そうだけど。効率悪くないか?本格的に浮かせる時とか。…俺が心配することじゃないけどさ」
 風で顔にかかってきたヘルメットの余ったひもを片手で払う。
「そうだねぇ。浮かぶ島を作り出されるくらいだから、どうにかすることは簡単なんじゃないかな。というか、それぐらい余裕でクリアしてくれなければ困るよ。僕を差し置いて、高度な技術を開発した企業なのだから」
「いや、普通に考えて企業の方が金も人手もあるんだから、お前より先でもおかしくないだろ」
「ふむ。資金はともかく人手の違いは否めないか」
 納得したようにニアが頷いた時だった。
 背後から軽くクラクションの音が響いた。
 車にしては随分と軽く空気が抜けるような音に、トウタが首を捻ってそちらを見た。
 二人の背後からゆっくりと、しかし同じスピードでスクーターに追いついてくる自転車の姿があった。乗っているのは少女のようだ。トウタにはその来ている制服と顔に見覚えがあった。
 隣に並んだ自転車の車輪は動いておらず、代わりにその両脇についた小さな噴射口から青白い炎が勢いよく吹き出し浮いていた。よくよく見れば、それは先程ニアの乗っていたウメコ一号のようだ。
「ちょっと、ニア!私を置いて行くなんて酷いじゃないの!」
 黒いツインテールを風になびかせ、眉毛を吊り上げた少女が叫ぶ。半袖のワイシャツに薄いベージュのベスト、胸元の赤いスカーフは蝶々結び。青と緑と黄色のチェック柄膝丈上スカートが捲れるのも気にしていない。下に、クロのスパッツを履いているためだろう。
「ナツはお菓子を食べかけたまま、無断で僕のラボのソファーに寝ていたじゃないか。わざわざ起こして連れて行く必要はないだろう。それに、きちんと何処へ出かけるか書置きはしてあっただろ?現に、今こうして追いかけて来られているのだから、何も問題はない」
ニアはちらりと一瞬視線を向けただけで、正面を向いたままだ。
それが気に入らなかったのか、少女――(ふじ)ナツはムッとした。しかし、それ以上の文句を言うことはなかった。ただブツブツと「幼馴染なんだから、別にいいじゃない…少しぐらい」などとぼやいてはいたが。
「紙切れを読んだのならば、何をしようとしているのかは知っているだろう?」
「もちろん。だからこそ追いかけて来たんじゃないの」
 そう言うと籠の中に入れているデジタルカメラのケースを指さす。
「バッチリその実験の様子をカメラに収めて、出版社に売り込むんだからね!」
 鼻息荒く意気込むナツ。彼女は将来、世界をあっ!と驚かせる記事を一つでも書くことが夢なのだそうだ。ただし、ニアの記事を書くことだけはお断りらしい。彼女曰く「ニアで大スクープをとったら、後で何を要求されるかわからないから嫌だ」とのこと。とはいえ、ニアを大スクープのために利用することは厭わないらしい。
「いいけど…訴えられても僕は知らないよ」
「大丈夫!私が送り主だって分からないようにやるから。私が訴えられるのは、もっともっと大きな記事。そう、世界中が注目するような事でと決めているんだからね!!」
 ハンドルから両手を離して広げたせいで、自転車がふらりと揺れる。
「おっととっ!危ない、危ない」
 慌てて握り直すと、すぐに体制を立て直した。
「ちょっと、すぐ真横で事故とか勘弁してよね。ウメコ一号が壊れたら弁償してもらうよ。あと、ウメコ一号がいくら僕の改造で特別な自転車になっているとはいえ、自動運転機能はまだつけてないんだから気をつけてくれるかい」
「む、幼馴染より自転車の心配?!」
 ニアに食ってかかるナツ。
そんな二人のやり取りを眺めながら、前にもこんなことがあったようなトウタはしていた。
「まあ、ニアだからな」
「あ、夜名君。さっきぶり。あなたも大変ね、こんな行き当たりばったりなやつと友達になっ
ちゃって」
「あはは。もう慣れたよ」
 ため息交じりに同情の視線を向けるナツに、トウタは苦笑を浮かべた。
 クラスメイト達から二人と知り合いになったことで初顔合わせ数カ月後に同じような同情を受けたことは、トウタだけの秘密である。個性の強いこの幼馴染たちは、とにかくクラスの中で目立つ存在だった。それが良いことであるにしろ、悪いことであるにしろ、である。
 ふいにニアが速度を落として脇道へと入る。ナツもその後を追った。
 暫く走ると、広い敷地を壁で囲われ更にその周辺を透明なドームで覆われた場所へと出た。ぱっと見それは、法人の持つ個人的シースキンガイのようだった。
 ニアはそのまま壁沿いに走り、建物の裏手へ回る手前でウメコ二号を止めた。
 二人ともそれぞれ降りると、被っていたヘルメットを脱いだ。
「ここか?」
「ああ、ここだ」
 簡易的な鉄の格子で周りを囲まれ、中の様子が見て取れる。景観のために埋められた数本の木々と、ツツジの木の茂みが綺麗に剪定され敷地内の道沿いに植えられていた。庭には池があるのも見える。中央に建てられた四角い建物は、白い壁で統一され如何にも何処かの会社の研究所と言った作りだった。東京にあってこの敷地の広さから、企業規模の大きさが窺えた。
「ここは商品研究中心の場所。都庁の近くに自社ビルがあって、そっちが本社」
 ヘルメットを籠に放り込むと、ニアはすたすたと歩き出した。向かう先は建物の裏手の方だ。
「へぇ」
 興味なさげに建物を眺めつつ、ヘルメットを荷台に置いてニアの後を追う。
 ニアの向かった先は裏口のようで、人一人通れるほどの白い鉄門が同じ幅のコンクリート壁に囲まれた通路を塞いでいた。取手もなく、軽く押して見たがびくともしない。外見以上にしっかりとした作りのようだった。
「これ、どうやって開けるんだ?」
 じっと門を見つめて考え込むトウタを脇にどけると、ニアは白衣の胸ポケットから一枚のカードを取り出した。そしてそれを、門と壁の間に滑らせる。すると、ピッと言う音と共に、鉄格子の門が横へとスライドした。
「ここの門は引戸式で、一見するとカードリーダーだと分からない場所に電子キーの読み取り口があるのだよ。そこにカードキーを滑らせれば、まあ、見ての通り開く仕組みさ」
 得意げに言うと、カードキーをしまいつつ中へと入って行く。
「えっと…聞きたいことが結構あるんだけど」
 納得の行かない表情のままその後に続いてトウタが入ると、門がシュッと音をたてて閉まった。
「言わずともわかるよ。まず、何故僕がこの鍵を持っているか?という事。簡単なことだ。ここの鍵は僕が作ったものだからさ。直接企業から頼まれて作ったのだよ。オーダー目的は製作時に存在していたどの鍵とも全く違う種類の鍵が欲しいからだそうだ。専門店にオーダーすると、必ず現存する鍵に多少なりともどうしたって似る部分が出てしまうからね。それすらも嫌うほどのセキュリティを求めてまで守りたいもの。当時はたいして気にも止めていなかったが…今回の件で判明したな」
 そう言うニアの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
「ああ、そうなんだ。でも、それをお前が持っていたら意味がないんじゃないか?」
 ニアの胸元を指さしながら聞くと、キラリと眼鏡が光る。
「そんなことはない。僕はこの鍵のメンテナンスも請け負っているからね。それに、オーダー内容に一年以内に数回不定期更新にて、カードキーの仕様を変更するというものがあるからね。僕が持っていなければ、中に入って作業ができないじゃないか」
「なるほど。そして今、お前はそれを悪用しようとしていると」
 トウタの言葉に、ニアが肩を竦める。
「何の事かな?僕はただ、いつもの抜き打ち更新に来ただけだよ。時期的に、そろそろ変更しようと思っていたからね」
「……」
 ああ言えば、こう言う。江寺ニアとはそういう性格の人間である。
「ちょっと、何でこの扉閉まっているのよ!」
 背後でナツの声が響き、トウタはハッとして振り返った。
「ああ、ナツは外で待っていてよ。流石に女子高生を連れて中に入る訳にはいかないからね」
 どんな顔をして言っているのかトウタには見ることはできないが、さぞにこやかな笑みを浮かべているだろうことだけは想像できた。ニアは、こうなることを知っていて、書置きなどを残し、わざとナツを煽ったようだ。入れないナツを見て、優越感に浸るために。
「…ここまで捻くれていると、もはや治しようがないよな。あいつの性格って」
 ぼそりと呟いて、トウタはため息をついた。
「夜名君は良いの?彼だって男子高校生じゃない」
「それを言ったら、僕もだよ。さ、行こうかトウタ」
 それだけ言うと、ばさりと白衣を翻して建物背後にある裏口へと歩き出す。が、すぐにピタリと足を止めて振り返った。
「あ、ちなみに。ここの建物、壁以外にも目に見えないレーザー網でドーム付近まで囲ってあるから、無断で鉄格子を越えようとすると警察にお世話になるから。気をつけるように」
 それだけ告げると、再び向きを変えてさっさと建物内へと入って行ってしまった。
「……まあ、そうだけど。って、答えになってないわよ!ニア!!こらっ!」
 ナツの叫ぶ声は聞こえないふりをして、内心謝りつつトウタもその後を追って建物へと入った。
 入って直ぐ。そこはドアが一枚あるだけの小さな部屋だった。見渡すと右天井付近にマイクの付いた監視カメラが付いていた。
「すみませーん。江寺ニアですけれどもー。セキュリティキーの更新に参りましたー」
 普段聞かないニア営業色全開の声色に、トウタの背中を悪寒が走る。両腕を抱えて擦りながら、信じられないものを見る目でニアを見つめていた。
 ニアが営業スマイルを保って数分。
 一向に何の反応も返って来なかった。
「…おかしいな。いつもならセキュリティ部門の窓口から応答があって、ここの鍵が開くはずなんだけど……」
 流石に訝しげな表情を浮かべ、ニアが目の前の銀色の窓のないドアへ手をついた。瞬間、シュンという音と共に、ドアが真ん中から左右に開く。
「お、開いた」
 真ん中から開くことは予想外だったが、初めて見たトウタの軽い反応とは違いニアは険しい表情を浮かべた。
「……いよいよ変だな。セキュリティの不具合か?いや、しかしそんなことは……」
「たまたま点検中とか?」
「もっとありえない。だったら、この扉は開かなくなっているはずだ。それに、それならそうと返事があるだろう」
「…それもそうか」
 納得して頷くトウタを置いて、ニアは小走りに中へと入って行く。
「あ、おい!いいのかよ!!」
 慌てて声をかけるも、流石にドアの中には入りづらく恐る恐るトウタはドアの向こうを覗いた。出て直ぐ右手に業者用らしい小さな小窓があり、右横にはパイプ椅子が一つ置いてあった。受付ともう一人、その椅子に座って怪しい動きをする人がいないか見張っていたのだろうか。その椅子のすぐ横に、白衣の背中が屈みこんでいた。その向こうには、警備員らしき人物が一人壁を背に預けて座っているようだった。黒い手袋と半袖の警備服、防弾チョッキもつけているようで中々厳重な装備のようだ。しかし、彼はピクリとも動かない。
「……その人、大丈夫なのか?」
 不安そうに尋ねたトウタに、ニアは小さく頷き立ち上がった。
「大丈夫だ。頭を強く打って気を失っているだけのようだ」
 トウタは安堵の息をついた。こんな所で、人の死体など見たくはない。
 視線を開け放たれた受付部屋へと向け、ニアはそっと中を覗いた。部屋の床に二人、同じ警備服と装備を身に着けた男性が倒れていた。近寄り脈をとる。規則正しい心音が聞こえ、命に別状はないようだ。こちらの二人は手酷く暴行を受けたらしく、その顔は赤黒く所々腫れていた。
「酷いな」
 ひょっこりとドアから顔を出し、中の様子を見たトウタの表情が曇る。
「…おそらく、目的のモノがある場所を聞き出すために手荒な手段に出たんだろう。ここの警備員さんたちは、結構口の堅い人が多かったからね」
 そう言いながら、ニアは二人を壁に寄りかかるように姿勢を変えている。
「手当をしてあげたいが、生憎何も持っていないな。それに、何処の誰だか知らないけど、こんなスマートじゃないやり方の人物に先を越されるのも癪だな」
「この状況を作り出した人物の目的も、俺たちと同じってわけか」
 トウタの言葉に、ニアは指を鳴らして肯定する。
「さ、そうとなれば急がなければいけないな。行こうか、トウタ」
「ああ」
 部屋を出て真っ直ぐに伸びる廊下を速足で、しかしなるべく足音は立てないように歩く。何処で誰が潜んでいて、急に飛び出してくかもわからない。用心するに越したことはないだろう。
「地下へ向かう。おそらく警備員さんを襲った連中もそっちへ行ったんだろう」
「何でわかるんだよ」
「答えは簡単。この研究所の地上部分はただのカモフラージュにしか過ぎないのだよ、トウタ君。この施設の真の姿はきっと地下にあると、さっきから何度も言っているだろう?」
「ああ、そういえばそんな事言っていたな。全部仮説かと思っていたわ。でも、何度も来ているお前も知らないのはおかしくないか?」
 トウタの疑問には答えず、ニアは廊下を右に曲がった。同じに曲がった目の前に円形の少し広いホールが現れる。白い壁で囲まれたその場所には、天井から照らす蛍光との明かり以外何もない。その中央でニアは足を止めた。
「トウタ、ホールの真ん中まで来ていた方が良いぞ」
 辺りを見回すトウタに一言注意を促してから、再び胸ポケットからカードキーを取り出す。
「わかった。けど、それが何か重要なことなのか?」
 言われた通りニアの傍らまで来る。それを見届けてから、ニアはカードキーの上に持っている手とは逆の指を滑らせた。
『――照合、江寺ニア様と確認。お連れの方は御学友の夜名トウタ様と確認』
「おわっ?!な、何だよ、これ!」
 ホールに機械音声で作られた女性の声が響く。
「セキュリティシステムの一環だそうだ」
 驚くトウタに構う事無く、ニアはカードキーを見てその表面をタップした。
「このカードキーがそのまま照合システムになっているのだよ。ちなみに、残念ながら僕が作ったものではない。……だが、その構造等々は既に把握済みだ。同じものを作ろうと思えば、簡単に作って見せるよ」
 鼻息荒く悪い笑みを浮かべて宣言するニア。
「いや、それ、自信満々に言うことじゃないだろう……」
 ニアらしい怖いぐらいの行動力に、トウタは内心不安になる。いつか、本気で逮捕されるんじゃないかと。しかし、それと同じぐらいニアなら何とかできるという思いもあり、色々複雑だ。
「大丈夫だよ、トウタ君。自分の作ったセキュリティシステムとの相互性を調べたいと言って、向こうから資料を出すように仕向けたから。僕は何もやっていないよ。あ、ちなみに、君のデータはさっきラボで登録しておいたから。こんな所で足止めくらっても仕方ないしね」
「それは、用意のいいことで」
 仕事の速さに呆れを通り越して感心すら覚える。親友の心配も知らないで、である。
『了解致しました。これよりセキュリティ部門へご案内いたします。危険ですので、ホール出入り口より離れて下さい』
 そう、機械音声が告げると、新たな白い壁が現れスライドし、ホールの出入り口をピタリと閉じてしまった。一面、真っ白な円柱状の部屋に、二人は閉じ込められていた。
「あれ、これって大丈夫なのか?」
 一瞬青ざめたトウタに、ニアは「問題ない」と言ってカードキーをしまう。
「部屋がまるまるエレベーターになっているのだよ。ただ、これで行けるのは建物下直ぐにあるセキュリティ部門のオフィスまで。その下に行くにはもっとセキュリティレベルの高いカードキーが必要だ。僕のはあくまで入るためのもので、それ以上の鍵は全部そのオフィスに保管してあるのだよ。こればかりは、僕の技術を持ってしても外部で作ることは不可能なのだ。おオフィスにある世界でただ一つしかない機械で操作するしかない。…まあ、そういう風に作ったのは僕なわけだが」
「結局、自分で自分の首を絞めているのな」
 呆れるトウタに、ニアは肩を竦めて見せるだけだった。
 エレベーターの動く機械音は一切聞こえないが、体にかかるなんとも言えない重みのようなものがこの部屋が動いていることを示していた。
 ややあって、チン♪というハイテク機器からは想像もできない軽い音が響き、体から重みが消えた。目の前の壁が再びスライドし、一つだけ出入り口が出現する。
 開いた先の部屋は薄暗く、床にエレベーター内の明かりが白く落ちている。
 機械の動くモーター音の中に、キューキューという引きつるような警報の音が鳴り響いていた。
「セキュリティ警報が鳴っているのに、なんか全然慌ただしい感じかないというか誰もいないんじゃないか?」
 エレベーターの出入口から顔を出してトウタが様子を窺うと、暗い部屋の中に動く人の姿はなかった。
 出てすぐ前に上半分が硝子張りの窓口があり、中で三人の女性がそれぞれ机につっぷしたり床に倒れたりしている。よくよく見れば、目の前の硝子にひびが入っていた。しかし割れる様子はなく、近づいてコンコンと叩いて初めて、その厚さをトウタは知った。
「防弾硝子か」
「そりゃあね。でも、一応役にはたったみたいだ」
 そう言うと、ニアは周囲に視線を配りつつトウタの横まで来てひび割れた箇所を指示した。
「これ、銃痕。泥棒さんは拳銃を持っている危ない人のようだね。さて、人数は何人かな?あっさり制圧したところを見るに、結構いるのかな?」
「何でお前はそんなに余裕なんだよ。少しは慌てろ。っていうか、もう引き返した方がいいんじゃないか?俺たちまで巻き込まれるぞ」
「もう巻き込まれているよ」
 トウタの言葉にさらりと返すと、ニアは窓口の両端に伸びる右の廊下へと歩いて行く。
 戻る気などさらさらない態度に、トウタも渋々後をついて行く。
 廊下は窓口をぐるりと一周しており、その後ろにはいずれも行き止まりの丸いホールが三つあった。それぞれ一つしかない出入口にドアはない。左手に曲がる廊下が続いていたが、それも数メートル先で行き止まりになっていた。その中央に硝子が一枚、ドアのように壁に埋まっていた。おそらくあの硝子も防弾性なのだろう。
「意外と狭い」
「トウタ君。見えるものだけを全てだと思わない方がいい。君の悪い癖だよ」
 ぽつりとこぼした感想に、ニアから呆れたように言葉が返ってきてトウタはムッとする。
「あの一枚硝子の向こうがセキュリティ本部だよ。中はかなり広いが、今は残念ながら入っている暇がない。僕らの目的はここではないからね」
「ふーん」
 興味のない返事をして、トウタはニアと共に受付窓口の部屋へと続く扉を開けた。
「モニタールーム…かな?」
 入った瞬間、目に入ったのは両脇の壁に並ぶたくさんの小さなモニターだった。モニターにはそれぞれ、色々な場所に設置されているのであろう、監視カメラの映像が流れている。しかしそれは小さく、鮮明には見えない。大体何処が映っているのか、知っている人が見ればわかる程度のものだった。
 そして、そのモニターを操作する席の一つにも、スーツを着た女性が一人意識を失って机に伏せていた。首に手をあてると脈はあり、近づいたせいかスースーという寝息が聞こえてきた。
「もっと大きなのが本部の壁にはたくさんあるね。ここはあくまで簡易チェックの場所かな。窓口が連絡を取る時に分かりやすいように。さ、まずは施設案内図を窓口で探すとしよう」
「ニア、この人たち眠っているだけだ」
「それは良かった。なるほど、なるほど。泥棒さんは銃弾を撃ったというよりは、睡眠薬入りの特殊な何かを撃ち込んだようだね。前言撤回。防弾硝子役立たず」
 感心するように頷き、ニアは受付窓口へと入って行く。ドアはなく、直接向こうへ行けるようだ。こちらとあちらの出入口は小さく細いため、窓口の防弾硝子越しからは見えない作りになっている。一人分のその隙間をすり抜けると、意識のない女性スタッフをカウンターに寄せているニアがいた。床に倒れていた一人だ。もう二人は席に座ったまま眠っている。
「さてと。人が尋ねてきた時にサッと見るようの、案内図はここらへんかなあ?」
 そう言いながら、眠っている女性に気をつけつつカウンター上のデスク部分をあさりだす。
 流石にものはなくさっぱりとした半円形の小さな部屋だ。背後を振り返ると、英語でセキュリティ本部である旨を記す文字が壁に書いてあった。そして、企業の名前も。
「“MIKUNA”…ミクナ製薬か?」
 ミクナ製薬と言えば、テレビCMもしている割とメジャーな医薬品会社だ。最近はジェネリック医薬品に押されて苦戦を強いられていたようである。
「ふーん。製薬会社が新分野に進出のために作った施設ってわけか。それにしても、確かシースキンガイのドーム膜技術も、この会社の新開発だった気がしたけど。どうだったっけ、ニア」
「うーん?そうだね、そうだよ。僕を出し抜いて、新しい技術を生み出した会社だ。お、あった、あった」
 嬉しそうな声を上げて、ニアは机の上の書類束下からラミネート加工された案内図を引っ張り出した。
「これは持って行こう。えーっと、ここが多分そうだから、ここに行くには…ふむふむ。よし、ここを出て三つある内の一番左端のエレベーターだよ。さ、行こうかトウタ君」
 そう言うと、トウタの返事も待たずにさっさと部屋を出て行く。
「ったく、研究の事となると本当に向こう見ずに行動するんだから…」
 頭を掻きつつトウタも部屋を出ようと、半開きのドアを押して開けた。
「そう言えば、いまだに警報が鳴り止まないのに、警備員の姿を一人も見ないけどなんで――」
 ドアから出た瞬間、カチャリと米神に冷たい感触が当たる。
「動くな。動けば、頭、吹き飛ぶ」
「!」
 すぐ横から聞こえたしわがれ声と、硬い感触にトウタの体は言われなくても固まった。
「なんだ、子供じゃないですか。あなたたち、こんな所で何をなさっているんです?」
 丁寧な物言いで聞いて来たのは、ドアを出て直ぐに立っていたニアの向こうにいる人物だった。目の部分以外、全て黒い布で覆い隠しており顔も何もわからない。ただ、見えている瞳は獲物を追い詰めた捕食動物のようにギラギラとしていた。心なしか左腕部分が膨らんでいるようにも見える。お前は忍者かとツッコミたくなるような黒ずくめだが、トウタそれよりも同じように刃物を首に突き付けられたニアの隣にいる人物に驚愕した。こちらも黒い布を被っていて顔ははっきりしないのだが、ニアに刃物を向けている腕が人の腕ではなかったのだ。青緑色の鱗に覆われ、指の間には水掻きのようなものも見えていた。皮膚病と思い込むには無理がある異質なものになっていた。
(……あれ、鱗だよな。全身はみえないけど、あいつの腕半魚人みたくなってないか?)
 ふとトウタは、昨晩見たニュースの一つを思い出した。今世間で深刻な話題になっている『先祖返り病(スローバック症候群)』。その病気を取り上げたものだった。
 それは人の体が段々と魚のようになっていく病気だ。血色が悪く貧血気味になり、皮膚の一部が鱗状に変化し始める。次第に足が変形し、真っ直ぐに立ったり歩いたりできなくなる。顔も変化し、鼻が落ち蛙のような魚のような見た目になっていく。最終的に肺呼吸が困難になり、窒息して死んでいくのだと言っていた。今の医療技術では何が原因で起こるのかも、それに対する治療法も何も確率していない。そのため、一度発症すると数年の内に死亡するケースがほとんどだと言う。
 ただ例外もあり、完璧な水中対応の呼吸機能へと変化した患者に限り水の中にいれさえすれば死亡を免れるという。確認されている事例が一件しかないうえに、どうすれば完璧な変化が起こるのかも分かっていないため、確実なことは何も言えないのが現実である。もし、中途半端な変化であれば、無理矢理水中にいれても溺死することになってしまう。
 確かそんな内容だったなと、トウタは内心呟く。おそらく、ニアの横にいるあの黒い布に身を隠した人物も、発症した患者なのだろう。
「目的を言えば、解放してもらえるのかな?」
 白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、案内図を脇に挟んでニアが尋ねる。トウタからその表情は見えないが、声は先程までと変わりのない余裕のある調子だ。
「そのように見えますか?」
 目を細めて小馬鹿にしたように言う男に、ニアは肩を竦めて首を横に振った。
「いや。そういう風には見えないね。誰であろうと、邪魔なら消すって感じに見えるよ」
「では、そうなのでしょうね」
 クツクツと笑う声は、何処か人間らしからぬ響きを持っていた。いや、ただあの鱗状の腕を見てしまったがために、トウタにはそう思えてしまっただけなのかもしれないが。
「うーん。僕としては、別に敵同士って訳でもなさそうだし、同じ忍び込んだ仲ということで見逃して欲しいのだけれども」
「ほお、何故そう言えるのです?」
 ニアの飄々として微塵も恐怖を見せない態度に興味を抱いたのか、男が話に乗って来た。
「全身黒ずくめで正体をわざわざ隠しているのに、侵入方法がスマートじゃない。ということは、別に忍んで入る気は更々ない。それは何故か?はい、僕の後ろの親友君。答えをどうぞ」
「は、俺?えーっと、えーっと……騒ぎを起こす事が目的、とか?」
 振り返ることなく、急に話題を振られてトウタは米神に拳銃を突き付けられていることも忘れて考えた。とっさに出てきたことを答えれば、男ではなく何故かトウタに銃を突き付けている人物の腕がピクリと震えた。それが、トウタにも振動で伝わる。
「あれ?もしかして…当たってた?」
 ぽそりと言った言葉に、男が目を伏せる。それと同時にトウタに向けられた銃口が、小刻みにカタカタと震え出した。
 不思議に思い、ちらりと向けた視線の先には予想に反して普通の人間の手があった。黒い手袋をしていて手首より上は見えないが、黒い色の作業着からちらりと人肌が見えていた。もちろん、頭からつま先まで黒いぴったりとしたものを着ており、その上から更に黒い作業服のようなものを着ていて顔も何も判断はできないが。たった一つだけわかることがあった。それは明らかにこの人物が男性であるということだ。
「半分正解です。中々良い洞察力をお持ちのようだ。あなたも、後ろのお友達も」
「それはどうも」
 男の賛辞にニアは軽く礼を述べるだけにとどめた。
 そんなニアを値踏みするような目で見ていた男の視線が一瞬、トウタの方へと向く。と言っても、トウタを見たわけではない。トウタに震えながら銃口を向けている仲間を一瞥した。それだけなのに、見られた仲間はびくりと大きく体を震わせ、あからさまに怯えているようだった。
「それに比べて…情けない。後で躾をし直さなくては」
 そう言って男がため息をつく。
「ひっ……」
 鳴り止まない警報の中で短い悲鳴が洩れるのを、トウタは聞き逃さなかった。
 あのリーダーらしき男は、恐怖統治でもしているのだろうか。それとも、失敗した時の後の何か…あの男の言葉を借りていえば躾が余程恐ろしいのかもしれない。
 そんなことを思っていたトウタだったが、不意にリーダー格の男の膨らんだ左腕側がもぞりと動くのを見た。
(え?今、動いて……)
 目の錯覚だったかと思い瞬きをした次の瞬間、またその膨らみがもぞりもぞりと動いた。
 リーダー各の男がそれを気にした様子がないことと、明らかにその男の意思で動いているわけではない不自然な動きにトウタは血の気が引く思いがした。
(まさかとは思うが、変なものとか出てこないよな?!化け物とか生物兵器とかなんか、そんなもう考えも及ばない大変なものとか!!)
 隣につられたわけではないが、トウタも銃口を向けられた時よりも強い恐怖で冷汗が流れていた。
「はばばばば……」
「しかし、その答えでは不十分ですね。残り半分の回答を頂きまっ……ぐあっ!?」
 不意に男が歪んだ声を上げてよろめく。
 驚く間もなく、膨らんでいた左側からどさりと何か重たいものが落ちた。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「「?!」」
 それが得体の知れない恐怖のものだと思い込んでいたトウタは、それだけで周囲が驚くような悲鳴を上げていた。警報すら掻き消す叫び声に、トウタの隣にいた人物もニアの横にいた人物も何事かとトウタに気を取られた。
 その瞬間、ガシャンッ!!と硝子の割れる音が響き、辺りが真っ白な煙でいっぱいになった。
「ぎゃあぁぁぁぁっ!何?!なんなんだよっ!!」
「逃げろ!」
 ニアの声が煙の中に響く。
 一連の流れに何が起きたか分からず、トウタは既にパニック寸前だった。訳も分からずとにかく言葉に従い逃げようと勢いよく左を向きながら叫ぶ。が、うまくいかず足がもつれ、そのまま隣の男に突進していた。
「え?何っ?!」
 煙に咽ていた男はその突進をかわすことができず、背中から床に叩きつけられたのだった。
「ぐえっ!?」
 トウタの体重が鳩尾にかかり、後頭部をしたたか打ち付けた男はそのまま気を失ってしまった。いつもの彼ならば平謝りしている場面だが、今はそんな心の余裕はこれっぽっちもない。
「あわ、わわっ」
 焦ってもつれながらも何とか立ち上がると、今来たエレベーターの方へと駆け出していた。
 幸い円形ホールの口は開いており、トウタはその中へと体を滑り込ませた。そのすぐ後にニアも駆け込み、すかさずポケットから取り出したカードキーでエレベーターを作動させた。
 白い壁がホールの出入口を塞ぎ、体に上へと昇る重みがかかってやっとトウタたちは一息ついたのだった。
「はあぁぁぁっ。びっくりした……」
 壁に寄りかかって息を整えるトウタの肩を、ポンポンとニアが叩く。
「いやぁ、ナイス、ナイス。トウタが叫んで気を引いてくれたおかげで、上手く逃げられたよ。あの後どうしようか考えてなくてね」
「……ああ、うん。そう」
 それだけ言うのが精一杯だった。もはや、叫び過ぎて喉が痛かったのだ。
「…それ、より、あの、硝子の割れる音。お前、だろ?」
「うん、そうだよ。チャンスだと思ってね。一応持ってきた煙幕ようの試験官を割ったんだ。でも、予想以上に煙が出ちゃったなぁ。これは、もっと改良が必要だね。今頃、あのフロア、スプリンクラーの水で大変なことになっているよ。取引先に悪い事しちゃったなぁ」
 あははと笑う姿には、全く悪びれた様子は微塵もない。
 それを横目に見ていたトウタの目に、ニアの足下で倒れている人の姿が目に入った。十四、五歳ぐらいだろうか。白銀に輝く髪は肩程の長さで、着ている病院服のようなものから伸びる手足は透き通る程に白かった。閉じられた目からその色を知ることはできないが、長いまつ毛に整った顔立ちをしている。
 その眠るような横顔に、トウタはふと見覚えがあるような気がした。気はするのだが、それが何処だったかもいつだったかも全く思い出せなかった。多分昔見た雑誌のモデルか何か似ているのだろうと、トウタはその疑問を頭の隅に追いやった。
「ニア、それは?」
 トウタの視線を追って、ニアも足元へと視線を向ける。
「これ?あの異様に目がギラギラした奴が落としたのだよ」
 あの時、男の左側から落ちた塊は化け物でも兵器でもなく、可憐な少女だった。
 その事実に、トウタは体から力が抜ける思いだった。
「な、なんだ…そっかぁ…。俺は、てっきり…」
「何だと思ったの?」
 クスクスと笑うニアに、トウタは決まり悪そうに頭を掻いた。
「まあ、仕方ないよ。目の前には黒ずくめで銃器を持った相手がいて、しかも一人は魚の鱗が生えた腕を持ったよく分からない人がいれば、誰だって不気味でパニックになるよ」
 慰めてくれているつもりなのだろうが、その顔は楽しそうで全く意味をなしていない。
「……まあ、いいや。話は後で、ゆっくりしよう」
「了解。今は、ここから出ることに集中しよう」
 そう言うと、ニアは携帯を取り出した。何処かへかけ始めた。
電話の相手はコールなく出た。
「もしも――」
『ニアァァァッ!よくも置いて行ったわね?!絶対、ぜぇぇぇったい!許さないんだからあぁぁっ!!』
 携帯から、トウタにも聞こえる少女の叫び声が響いた。ニアは慣れたもので、顔から携帯を遠ざけて相手の怒りが収まるのを待っている。一しきり叫んでスッキリしたのか、ややあってから『で?』と、問いかける声が聞こえた。
「今から逃げるから、僕のウメコたちをスタンバイさせといてくれるかい?」
『……オッケー。何があったか、今は聞かない。でも、帰ったら全部話してもらうから覚悟しておくのよ』
「了解」
 そう言うと、電話を切った。
 それと丁度同じくして、軽い音と共にエレベーターが地上に辿りついた。
「さ、行こう」
 携帯をポケットにしまうと、ニアは少女を小脇に抱え上げ走る。いつも研究ばかりして色白のくせに、力だけはあるのだ。本人曰く、研究は体力も必要だからとのこと。そんな彼の趣味は数キロメートルを往復するサイクリングである。
 駆け抜ける二人を止める人はおらず、何の障害もなく裏口の鉄格子へと辿り着けた。
 ニアは迷うことなく少女を抱えたまま鉄格子の扉を飛び越えた。何故開けないのか不思議に思いつつも、トウタもそれに習って飛び越える。ニアの言っていた目に見えないレーザー網は作動する気配がない。
「こっち、こっち!」
 何故作動しないのかを考える余裕もなく、角から既にウメコ一号に乗ったナツが手を振っていた。近づいて行くと、それぞれヘルメットが投げられそれを受け取った。
「トウタ」
「うん?って、わっ?!」
ヘルメットを被りあごひもを止めていると、ニアがトウタへ向かって少女を放って来た。それを寸での所で受け止めた。少女は思いのほか軽く、ニアが小脇に抱えられたのも頷けた。
 白い手足は細く、明らかに栄養不足なのが見て取れる。
「その子抱えて後ろ乗って。僕はウメコの運転に集中するから」
「分かった」
 頷いて、トウタは少女を抱えニアの待つ、ウメコ二号(スクーター)の後ろへと乗った。
「よーし。じゃ、とっととずらかろうか」
「ずらかるって、俺たち何も悪いことしてないのに…」
 気合を入れて発進するニアに、トウタはため息をついた。
「あら。でも、現に誘拐して来ているじゃない。立派な犯罪よ?その子」
 そう言って背後からついて来ながら、トウタの方を指さすナツ。
「ち、違うぞ。これはニアが勝手に連れてきちゃったのであって、俺が連れてきたわけじゃ……」
「はいはい。お話はあとあと。とにかく今は逃げるが第一だよ」
 そう言うとスピードアップしたニアに、トウタは舌を噛まない様に閉口するしかなかった。

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