第11話 瞑想センターでの体験①

文字数 3,364文字

 リカルドと別れてから、15分ほどの道のりを歩く。瞑想センターのカトマンドゥ事務所に到着した。事務所からセンターまで、シャトルバスが出る予定だ。

 私の通学路の中間に位置する事務所には、手続きの窓口の他に瞑想室があり、一般に開放されている。自由に出入りして、好きな時に瞑想できる。

 既に大勢の合宿参加者が詰め掛けていた。外国人の姿も散見されるが、それ以上をネパール人の10代が占めている。少年少女が長期休暇を瞑想道場で過ごす――お釈迦様が生まれた国・ネパールらしい習慣だ。

 若いチベット僧の姿もあった。背が高くて、目鼻立ちが整っている。僧を目立って見せる原因は、容貌(ようぼう)だけではない。立ち振る舞いが、実に美しい。

 瞑想修行を積んでいる人は、観察するとわかる。無駄な動きが少ないからだ。私たちは日頃、無意識の間にも動き続けている。髪の毛を(いじ)ったり、鼻の頭を()いたり、周囲を見回したり。姿勢よく立つ僧は、歩く時も足音がしなかった。まるで浮いているようだ。足が地上から3㎜だけ浮くドラえもんみたいに。

 3台のシャトルバスが到着し、順番に乗り込む。満員のバスが出発した。国道を走り、長い坂道を上っていく。在ネパール日本大使館の前を通って、更に進んだ。
 高いフェンスに囲まれた敷地の前で停まる。大学キャンパスのように広々とした敷地。手入れの行き届いた庭で、蝶が遊ぶ。居心地の良さそうな雰囲気の一方で、参加者の脱走を防ぐための頑丈な壁とフェンスに囲まれている。修行の(つら)さに耐えかねて逃げる人がいるのだ。

 まずは荷物預かり所で、貴重品を預ける。読書や筆記、外界との通信も禁止なので、本、ノート、筆記用具、コンピュータ、携帯電話などを持っていれば、併せて渡すルールだ。

 部屋割りでは、外国人ばかりが集められた。ベッドだけが並ぶ簡素な6人部屋だ。自分のベッドを確保し、荷物を置く。

 オリエンテーションまで時間があるので、庭を散策することに。

 多種多様な草木が植えてあった。びっくりするほど大きな実を成らせた木が、爽やかな風に枝を揺らしている。ブダニールカンタは私の住むタメル地区よりも高地なので、少し肌寒く感じた。

 時間を持て余して困る。メール・チェックがしたいが、コンピュータはない。インターネット中毒気味の私にとって、ネット断ちは、久しぶりだ。

 普段は、インターネット・カフェに通っていた。コンピュータに向かう旅人や長期滞在者の姿をよく見掛ける。外国人の中には、何年もカトマンドゥに居座る者もいる。物価が安いので、篠田さんみたいな年金受給者であれば悠々と暮らせた。FXや株式による投資で、ネパールでの生活費を(まかな)う人も。コンピュータの前でガッツポーズをする外国人の姿は珍しくない。

 安いインターネット・カフェの場合はセキュリティ対策が甘く、高確率でコンピュータがウイルス感染していた。起動すると、たちまち女性の裸の画像が幾つも開き、ディスプレイを一杯にする。

 外部刺激に満ちた環境に身を置いてきた私が、瞑想生活に耐えられるか? たった10日間とはいえ心配だ。夜中にフェンスを()じ登って、逃亡を図る結果にならないよう祈る。私の重たい身体では、フェンスを越えられないだろう。途中で落っこちて怪我をする惨事は、容易に想像できる。

 ただ中庭を彷徨(うろつ)く。牧場の牛のようだ。いや、草を()む用事があるだけ、牛のほうが忙しそうである。

「ハロー。お湯をもらいに行かない?」後ろから、声を掛けられた。

 見知らぬ女の子が立っている。年の頃は二十歳(はたち)そこそこだろうか。浅黒い肌に豊かな黒髪。肉付きのよい体格だ。毛糸で編んだポンチョを被っていて、見た目はペルーあたりの南米人である。



「付き合いますよ。食堂の近くに、電気ポットがありますよね」
 特にお湯が欲しい訳ではないが、絶望的に暇なので()いていく。

 電気ポットの傍に備えてあるコップに湯を注ぎ、2人で飲んだ。国籍やコース参加の理由を訊いてみたい気もしたが、やめにした。他人についての詮索は、翌日から本格始動するコースの妨げになる。彼女も何も尋ねない。互いに見つめ合い、湯気の立つコップで手を温めるだけだ。

 初対面だが、どこかで会ったような。懐かしい感じがして落ち着く。

 彼女はポンチョの下から水筒を取り出し、湯を入れた。入れ終わると、再びポンチョの中に入れて抱き締める。冷えるので、湯たんぽ代わりにするようだ。

 コース参加者が、ぞろぞろと食堂に入り始めた。食堂でのオリエンテーションが始まる。私たちも向かった。

 食堂は、男女が別になっている。女性ばかりが集まる食堂の中で空いている場所を見つけ、茣蓙(ござ)の上に座る。

 女性講師から、センターでの生活の心得を教わる。器用にも、ネパール語と英語を交互に話しながらの説明だ。

「これから、一切の私語は厳禁です。ジェスチャーやアイ・コンタクトも駄目です」
 
 他人への関心を排し、徹底的に自己と向き合うよう求められる。何か困ったことがあれば、参加者に声を掛けず、ボランティアで働く奉仕者に相談するように、と。

「野生の猿が出ますが、近づかないでください。餌もやらないで」

 カトマンドゥの都心を少し離れただけで、ずいぶんと山深い。たしかに野生の猿も出没しそうな雰囲気だ。

 細かな注意事項が続き、オリエンテーションが終わった。
 
 続いて、食事の時間。カレー・ピラフとローティ(平パン)が、給食形式で出された。列に並び、ステンレスの皿に盛られた食事を奉仕者から受け取る。コース期間中はずっと奉仕者が調理してくれるので、食事の心配はない。

 献立は、菜食だ。野菜であっても、刺激の強い玉葱(たまねぎ)大蒜(にんにく)は入っていない。油や香辛料も控えめで、心を落ち着けて瞑想に入れるメニューが練られている。

 食事が終わると、体育館のような瞑想ホールに移動した。初日から盛沢山である。

 座る場所が初めから決められていて、座布団の前に参加者の名前の書かれた紙が置いてある。修行期間の長い人が前だ。外国人は外国人で(まと)められ、男女もきっちり分かれる。

 男女の分離は厳格だ。宿舎も食堂も別になっている。うっかり休憩中に接触しないように、散歩できる敷地や歩ける道すら別々。気の散ることなく瞑想に専念できるよう配慮されている。

 初参加の私は、女性外国人が固まる片隅の、後ろから2番目だ。

 ホールのスピーカーからゴエンカ師の声が響く。低音の声でゆっくりと、ヒンディ語と英語を交互に話す。

 ゴエンカ師の声に(なら)って、参加者全員でパーリ語のマントラを唱える。

 パーリ語は、仏典によく用いられる言語だ。サンスクリットの兄弟のような位置付けで、互いに酷似している。文法体系はサンスクリットが厳格であるため、サンスクリットを学んでからパーリ語を学ぶ流れが近道だ。「サンスクリットのこの文法規則が、パーリ語のこれに当たるのか」と当て嵌めていくと、理解が速い。

 三帰依文(さんきえもん)を唱える。

बुद्धं सरणं गच्छामि। ブッダム・サラナム・ガッチャーミ
धम्मं सरणं गच्छामि। ダンマム・サラナム・ガッチャーミ
संघं सरणं गच्छामि। サンガム・サラナム・ガッチャーミ

 「『仏(ブッダ)』、『法(ダンマ)』、『僧(サンガ)』に従う生き方をします」

『仏』、『法』、『僧』には諸説あるが、私は次のように解している。

『仏』 お釈迦様
『法』 お釈迦様の教え
『僧』 お釈迦様の教えに従う者の集まり

 躊躇(ためら)いなく三帰依文を唱える私だが、実際のところは仏教よりも、ヒンドゥ教が好きである。ヒンドゥ教の神話には個性的な神様が次々と登場し、派手で面白い。仏教を批判するつもりはなく、あくまで相性の問題だ。お釈迦様もシヴァ神みたいに、額から火炎を出してくれたら、仏教をもっと好きになるのに。不殺生(アヒムサー)を説く仏教では、無理かもしれないが。

 宿舎に戻ったあとも、ルームメイトと目を合わさないように気を付ける。まるで他人は誰一人いないような振舞いで、黙々と寝支度を済ませる。

 ベッドに入っても、なかなか寝付けない。

 朝になったら、本格的にコースが始まる。軟禁状態のセンターの中で、どんな体験が待ち受けているのか。期待と不安が入り混じる。
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登場人物紹介

リカルド

クラスメイト

メキシコ人

40代半ば(当時)

神話やインドの文学に興味があり、『ラーマーヤナ』(インドの代表的な文学作品。ラーマ王子の英雄譚)を原文で読みたい

きっちりした性格

ダニエル

クラスメイト

イスラエル人

30代半ば(当時)

アメリカでカメラマンをしていた際、ヨーガを学び始める。精神世界・瞑想に興味ありいずれはサンスクリットでヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)を読みたい

大の甘党。ディスコでの夜遊びがやめられない

篠田さん

クラスメイト

日本人

65歳(当時)

ヨーガ、瞑想の(自称)エキスパート。日本の某私立大学の英語講師を25年に亘り勤め上げた。サンスクリットを学んで教本を出版したい

本人曰く、動物をも感動させる歌声を有し、森で鹿を泣かせたことがあるらしい

ディーパ

教師

ネパール人

25歳(当時)

幼少の頃から英才教育を受け、サンスクリットをマスターした才女

3児の母でもある

宏美(私)

日本人

27代半ば(当時)

大学1年生の時にインド旅行で衝撃を受け、インドの虜に

基本的にボーっとしてる

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