文字数 2,410文字

 N映画学校は、N撮影所の敷地内にある映画の専門学校である。映画産業が斜陽と言われ、N撮影所も老朽化が進み賑わっていた頃の面影は無い。ただ、その施設内の撮影機材やスタジオを利用できるという点では、N映画学校は恵まれた環境だった。煌びやかなパンフレットとは異なり、錆ついたプレハブ校舎と廃工場を思わせるスタジオ。やがて卒業し、この業界で働くのかと思うと心に仄暗いものが降りてくる。けれど、もう後戻りしたくなかった。N映画学校への進学は、故郷の両親の反対を押し切ってのことだった。幼い頃から飽きっぽく、部活も習い事も途中で投げ出してきた人生。もう引き返すことなどできない。投げ出したいと感じ始める心の痛みは、杉針のように目立たないが、微かな腫れぼったさを残した。小さな棘が刺さったままの状態を黙殺するのに似ている。
 その日は朝から撮影実習の準備があり、テツヤはA組の仲間たちと打ち合わせがあった。ミライは俳優科のダンスレッスンを受けた後、各組の出演要請を受けた者だけが打ち合わせに加わるという形で、B組のところに行っていた。授業が終わったら、どこかで食事でもして帰ろうとミライを誘った。先日、ミライの家族の話になった時、急に不機嫌になった理由が知りたかった。それに、すぐにでもミライを抱きたかった。裸のままで、互いの胸の鼓動を聞いていたかった。
 帰り道、いつものコンビニエンスストアで待ち合わせて、そこで夜食や飲み物、それと避妊用のゴムを買う。翌日が休みの時は、更にレンタルDVDで映画を借り、ファミリーレストランで食事をした。ミライは故郷である山口から単身上京して来て、両親からの仕送りは無いと言っていた。だから、これらの全てをテツヤが支払っていた。テツヤにとっては、ミライの体を自由にする、せめてもの罪滅ぼしであった。ミライはそれを当たり前のように思っていた。部屋に入るなり、抱き寄せた。
「荷物を片付けてからにして」
 ミライを抱きしめたまま、離さなかった。すでに下着の中に指が滑り込んでいる。ミライにとって、下着の中で男の人の指が蠢くのは不思議な感覚だった。自分が愛玩具にでもなったような気分になる反面、男が子供のように思えてくる。
「困った人ね、いいわ」
 手に持っていたコンビニエンスストアの袋を床に置き、その場で目をつむり、長く深いキスをした。そして、そのままベッドに倒れ込み、上半身、服を着たままでセックスをした。
「まるで獣ね、パンツだけ脱いでる姿なんて」
「ブラウスが皺になってしまった」
 行為の後、テツヤは叱られた子供のような顔をする。
「いいのよ、それよりシャワーを浴びさせてくれないんだもの」
「ミライの匂いがした。僕は君の匂いが好きなんだ。おかしい?」
「テツヤくん、可愛いわね。あなた、将来の女優さんを抱いているんですからね、そのこと、わかってる?」
「僕にとっては、ミライはミライだよ。女優さんだろうが、何だろうが、ミライに変わりはない」
 コンビニエンスストアで買ってきたミネラルウォーターに手を伸ばした。
「ところで、この前さ、家庭の話をした時、怒ってた?」
「ん? そうだったかしら?」
 ペットボトルのキャップを開け、水を口に含んだ。
「僕の気のせいならいいんだけど、何か気に障ることを言ってしまったんじゃないかって、心配してたんだ。君に嫌われてしまうんじゃないかって」
「気のせいよ、きっと。だって怒ってなんかないもの。」
「なら、いいんだけど」
 ミライがペットボトルをテーブルに置き、脱ぎ捨てた下着を手に取った。
「それより、明日は学校に行くの?」
 ミライに聞いた。
「一応ね、行こうかしら、B組の本読みがあるし」
「明日、学校休もうよ、僕もそうするから」
「悪いのね、あなた演出家でしょう?」
「今夜は泊まって行きなよ」
「いいわよ、さっきしたばっかりなのに、もう我慢できなくなったの? 本当に男の人ってしょうがないわね」
 手に持った下着を再び枕元に戻し、ベッドに横たわった。乳房を服の上から丁寧に触りながら、体を寄せ、首筋の匂いを嗅ぎ、唇を這わせ、そのまま深いキスをした。ミライはそれを受け入れ、舌を絡ませ、硬くなったペニスを握りしめた。背中が一瞬硬直して仰け反った。
「跨いであげる」
 二人はしばらく愛撫を続けた。
「カップルって、皆こうやってセックスしているのかしら?」
「さあね」
「テツヤくんてさぁ、アソコばっかり触ってくるじゃない?」
「そうかな」
「男の人って、みんなそうなのかな? って思う時があるのよね。女の子としては、ゆっくりキスをして、雰囲気が大切なのよ」
 汚れた下半身を雑にティッシュペーパーで拭き、それを丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
「それでいつも、みんなこんななのかなって気にしてるんだ?」
 ミライが微笑みながら頷いた。
「人には聞けないもの」
「女の子のアソコってさ、男には絶対的に無い部分なわけで、やっぱり性の象徴だと思うんだよね。それと、実際に目の前にすると奥が深いというか、何と言うか、我を忘れてしまうんだ。愛しいものを口に入れたくなる子供のような気持ち」
「ふうん、それって愛されてるってこと?」
「勿論だよ。アソコへの偏愛も立派な愛情表現のつもり」
「よくわかんない」
「それよりテツヤくんの前の彼女の話、聞いてもいい?」
「だめだよ」
「どうして?」
「君が初めてだから」
「私はね、高校の時、一年先輩と付き合ってたわ。でも、セックスしたのって数えるくらいしか記憶にない。殆んど覚えていないわ。卒業と同時に別れたし」
「あまり聞きたくないな、そういう話、想像しちゃうから」
「そうよね、ごめんね、つい私ったら」
「じゃあ、罰としてもう一回いい?」
「いいわ、好きなだけさせてあげる」
 目を閉じた。
「今ここで死んでしまってもいいよ」
「まぁ、そんなこと言っちゃっていいの?」
「どうして?」
「ううん、いいの別に」
 首を小さく振った。
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