(二)娘

文字数 2,768文字

 これは松堂星砂が二十二歳の誕生日の夜に、新宿ネオン町三丁目にある風俗店エデンの東の風俗嬢、雪に語った思い出話である。

(二・一)夢国島
 ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……って生まれた時から、海の音がしていた。さわさわさわーって、さとうきび畑を駆ける潮風も生まれたばかりのわたしの頬を撫でていってね。
 わたしの田舎、夢国島なの。そう、たこさんと一緒、吃驚でしょ……、うん。今日八月六日生まれ、凄い暑い朝だったらしい。ふーふー唸りながら、汗だくで産んでくれたんだって、お母さんが二十一歳の時。
 お母さんの名前が美砂、美しい砂で、わたしが星の砂って書いて星砂。島の海辺のきらきらと光る星の砂のようになって欲しいって願いを込めて、付けてくれたんだって、おとうさんが。おとうさん……、うん、実はたこさん。えっ、嘘でしょ、冗談じゃなくてって。うん、ほんとにほんと。御免なさい、わたしもさっき知ったばかりだから……。
 おとうさん、ずっと島にいるつもりだったけど、さとうきび畑で働きながら。でも畑が駄目になっちゃって、それで仕方なくおとうさん島離れて、ずっと海に出た切りだったんだって。
 おとうさんが海に出たの、わたしが二歳の時からだから、何にも覚えてなくて、おとうさんのこと、わたし。おとうさんの写真も見たことなかったし。それで全然気が付かなかったの、ほんとばかみたい、今日まで気付かなかったから。うん、仕方ないよって、そうだよね。気にしない気にしない、うん、そうだね。大丈夫、ほんとに。
 しばらくは仕送りとかしてくれてたみたいなんだけど、おとうさん。でも船の事故かなんかあったらしくて、行方不明になったって連絡が乗っていたマグロ船から入ったのが、お母さんが二十四、わたし三歳の時で、それから後はもう音沙汰なし。
 お母さんずっと待ってて、死ぬまで待ち続けるつもりでいたんだけど、おとうさん帰って来るの信じて。いつもお母さんが海辺で一日中待っていたの、覚えてる。わたしを背中におぶったり、ふたり並んで遠い水平線眺めながら。
 そんな時いつもお母さん唄ってくれた、You Are So Beautiful……って。おとうさんの大好きな歌だったんだって。その歌聴くとわたしいつも直ぐに眠ってしまうらしくて、それはぐっすりと幸せそうな寝顔して。何でかっていうと、わたしが生まれたその時から、島にいる間ずっとおとうさんが子守唄代わりに唄ってくれてたからだよ、きっと、ってお母さん。ああそうかあって、でも全然覚えてない。
 でも結局おとうさん、帰って来なかった。おとうさんいないままそれから六年が経ち、お母さんだってまだ若かったし、おとうさんいないの星ちゃんも不憫だろうって島のみんなも心配してくれたから、お母さんあんまり気乗りしなかったけど一旦離婚の手続きをして、再婚することにしたの。お母さん三十歳、わたしが九歳の時、周りに勧められるまま、相手は松堂勝。おとうさんと同い年、幼馴染みだって。今のお父さんがこの人。
 その時母もわたしも松堂の姓に変わったの、だから松堂星砂が今のわたしの名前。翌年松堂のお父さんとお母さんの間に子どもが出来て、弟、海人(うみと)が生まれたの。これで松堂家は四人家族。だからこの時もう……、夢国島にはおとうさんの帰れる場所はなくなってしまったの。だって洌鎌美砂も洌鎌星砂も、もう何処にもいないのだから……。うん、洌鎌ってたこさんの本当の姓。御免なさい。(と星砂は涙を流す。)
 小学校、中学校までは島にある学校に通い、でも島には高校なかったから、中学を卒業したわたしは島を離れ、沖縄市の松堂の親戚の家に下宿しながら高校に通った。入って来る情報量が島とは比べ物にならない位多くて最初は戸惑ったけど、慣れて来ると歌手とダンサーを夢見るようになり、華やかな芸能界と東京に憧れたの。
 毎日大好きなミュージカルのビデオを見て、ため息を零していた。一番好きな歌は、Elaine PaigeのMemory. お母さんも大好きなの。この歌をバックに、眩しいスポットライトのステージで踊るのがわたしの夢、だった。芸能スクール、うん、沖縄にもあるある。でもそんなとこ通う余裕ないから、兎に角少しでもお金貯めなきゃって、高校の間ずっとケーキ屋さんでバイトしてた。
 高一の時、渡辺瞬って三年生と付き合って、その人地元では有名な会社のお坊ちゃまなんだけど、卒業式の日初めて一晩を共にした。二年したらわたしも東京行くから待っててねって約束して、彼東京の大学に行っちゃった。だから高二、高三の間は、ずっと遠距離恋愛でメールと電話だけ。大学休みの間は帰って来ればいいのに、ちっとも帰って来なかった。やっぱり東京の方が面白いのかな、なんて嫉妬しつつ、あーあ早くわたしも東京行きたいなあってずっと思ってた。
 だから高校卒業したら、すっかりもう東京行くつもりでいたんだけど、高三になったら家族ともめちゃった、東京に行くか地元に残るかで。大学なんて無理だから就職して東京行くつもりでいたのに、みんなから反対されて。お母さんなんか泣いて縋り付いて引き止めるの、あんなとこ行ったら暴行されるとか、事件に巻き込まれて殺されてしまうとか、何処の国の話って感じ。
 でも、お父さんがいなくなって今度はあんたまでいなくなったら、お母さん死ぬ程寂しいって言われて。その一言で堪んなくなって……、ずっとこっちにいようって決心したの。うん分かった、何処にも行かないから安心してって。だけどいざ地元に残るとなるとそれはそれで大変で、ちょうど不況だったから就職難で結局仕事決まらないまま高校を卒業。
 仕方ないから下宿を続けて、ケーキ屋さんでバイトしながら仕事探したけど見付からない。流石にそんなわたしを可哀想に思ったのかお母さん、あの時は引き止めて御免ね、今更遅いかも知れないけど、何だったら東京行ってみるって。お母さん申し訳なさそうに謝るから、わたしもどう答えていいか分からなくて。適当に、じゃちょっと東京見物でもして来るかなあなんて答えたら、あんた、夢あるんでしょうって。知ってたみたい、お母さん。
 うん、夢、そうだった、わたしの夢。悔いが残らないように、しばらく向こうで夢を追い掛けてみたら。しばらく夢を、うん、そうだね、じゃ……、三年位。三年。うん、三年間だけ東京で頑張ってみようかな。そうよ、頑張って、でもお金はあるの。大丈夫、バイト代貯めてるから何とかなると思う。宛ては、宛てはあるの。うん、それなら高校の先輩で渡辺さんて人いるから、その人頼って行ってみる。そう、じゃ良かった。でもなんかあったら直ぐ電話頂戴。嫌になったら、いつだって帰って来ていいんだから、ね。うん、分かった、有難う。
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