一、

文字数 3,411文字

怒鳴り声が響いて、魂を縮こまらせた。

 こわい、こわい、こわい。

 だめなさやがみだと罵られて、役に立たないと唾棄される。
 人は、このような刃も持っているのか、と驚く余裕もない。

 いたい、いたい、いたい。

 けれど、その通りだ、とうなずきもする。
 己は望まれたことを何一つ出来なかった。そうあれ、と創られたはずなのに。

 使って欲しかったのだ。
 けれどあなたでは使えないのだと伝えることすらおそろしい。

 折れた方が良いのだろうか。

 使ってくれる人を見つけなさいと言われたけれど、もうどうでも良かった。
 あの人の所に帰りたかった。

 いらないのなら、捨ててほしい。

『なあお前さん。その刀、いらねえんだったら俺がもらおうか』

 新しい、声が、聞こえて。
 この身に染み渡るそれが、なんなのか。わからなかったけれど。
 とうとう出会えたのだと、思ったのだ。







 *







 平蔵は最悪の気分で目覚めた。
 はじめに我が家としている四畳半一間に申し訳程度に庭のある割長屋(わりながや)は、この江渡(えど)で独り者には十分な広さがある。しかし、さんさんと日が差し込むと、あっという間に不快な温度まで上がるという欠点がある。
 案の定、昨夜から着たままだった綿の単衣は汗でじっとりと濡れており、万年床まで湿っていた。

 次に、ずきずきと頭を悩ませる痛みと吐き気は、なじみ深い二日酔いの症状だ。
 酒が抜けづらいと感じるようになったのは、三十路を過ぎてからだろうか。
 一番は、恐ろしく夢見が悪かったことだ。

 ひどく、のどが乾いた。

「くっそ、みず……」

 四畳半とはいえ、起きあがることすらおっくうな今は遠かった。
 平蔵はおっくうな体を起こして、土間においてある水瓶へと這いずろうとした。

「あい」

 あどけない、声が聞こえた気がした。
 木槌で殴られているような頭痛のせいで、幻聴でもしたのだろうか。
 だが眼前に、小さな手で湯飲みが差し出される。

 独り者の平蔵に子はいない。
 この長屋に悪童(わるがき)はいるが、寺小屋に通う年齢であり、さすがに勝手に上がり込んで来ることはない。

「ん」

 考える前に、さらに湯飲みが突き出されて、なみなみと注がれた水がこぼれる。
 忘れていた乾きを我慢できず、平蔵は湯飲みを掴んで一気にあおった。

 ぬるい水がのどを通っていき、胃の腑に染み渡っていく。
 ようやくまともに頭が回ってきた平蔵はあぐらをかいて、小さな手の主を見下ろした。

 あどけない表情でこちらを見上げているのは、ちいさな手にふさわしい幼子だった。
 しかし、割長屋に不釣り合いな、美しい童女だった。

 年の功は4つか、5つほど。
 表情は乏しいものの、ふくふくとした頬には紅が差し、瞳はどんぐりのようにぱっちりとしていながらも切れ長で、濡れたまなざしに妙な色香がある。
 肩口でそろえられた黒髪は幼子特有の柔らかさを持っていながらも、ぬばたまの艶を帯びていた。
 愛らしく肩揚げをされた華やかな赤の振り袖をまとい、ちょこんと座っている。
 割長屋の男所帯には場違いな浮き世離れした童女を、しかし平蔵は鋭くにらみつけた。

「てめえ誰だ。どこからはいってきやがった」

 ざんばら髪を無造作にくくり、三白眼気味のまなざしが必要以上に鋭い平蔵は、まだ年端もいかぬ子供であればそれだけで泣き出す。
 だが童女は、濡れたような瞳をゆるりと瞬かせただけだった。
 それだけでただの童女ではないと知るには十分である。

 童女は臆することもなく、平蔵を見上げると、つぼみのような唇をひらいた。

「つれてきてくれた」
「んなこと、あるわけ……」

 言いかけた平蔵だったが、童女の瞳が滑った先を見て言葉が止まる。

 そこに転がっていたのは、見慣れぬ刀だった。
 長さは目測で4尺(120cm)ほど、打刀の区分ではあるものの少々大きい。
 しかし、その存在感にふさわしい拵えだった。

 柄は黒い革巻きで、鳥のような意匠をした目抜きが共に巻かれている。
 三所物(みどころ)である小柄と笄は朱雀だが、鍔は透かしの花模様。
 何よりすごいのは鞘だった。朱塗りなのだろうが、赤よりも深い艶を持っており、所々金で表現された朱雀が飛んでいる。

 これを作り上げた者はあるいは頼んだ分限者は、よほどの趣味人だったのだろう。
 若干明るい赤の下げ緒に至るまで、細やかに目が行き届いた見事な刀装だった。

 有り体に言うならば、その日暮らしの平蔵には無用の長物な一品だ。
 そもそも平蔵は刀を持っていない。

「ぁんでこんなもんが……」

 眉をひそめた平蔵だったが、かすみがかった思考の向こうの、昨夜の出来事を思い出した。

 昨夜は、雇い主からさんざん嫌みを言われた憂さを晴らすために酒を飲んだ。
 用心棒にも関わらず、刀を呑んでいないことを当てこすられたのだ。
 仕事を続けたいなら獲物を調達しろと厳命されたが、金に困って働きに来ているのにそんな金なぞあるわけがない。

 さらに悪いことは続くもので、頼みの綱である行きつけの店に、つけを払うまで出入り禁止を言い渡されたのだ。

 酔いは回ったが気分は悪いまま平蔵は憮然と帰路につく。

 その道すがら、なぜか刀に向けてわめき散らす男に遭遇したのだ。

 提灯があっても、照らされるのは足下だけだ。
 それでも、闇夜にすかされるたたずまいから、町人ではないのはわかる。

『使わせないんだったら、お前なんていらないんだぞ! わかったらとっとと出てこい!』

 妙な言い回しであることを、したたか酔っていた平蔵の頭は気づかなかった。
 ただ、がしゃん、と床に投げ出された刀の拵えが闇夜でも見事に見えて、ふと雇い主の嫌みがぼうっと頭に上ってきた。

 目の前に手頃な刀が落ちており、あの男はいらないといっている。
 にいっと笑った平蔵は、さぞ悪い顔をしていただろう。

『なあお前さん。その刀、いらねえんだったら俺がもらおうか』
『ああ?』

 おそらく、虫の居所が悪かったのと、自分で思っているより酔っていたのだろう。
 いぶかしげな男が何かをわめいていたが、適当に撫でれば倒れ伏し、意気揚々と刀を持ち帰った記憶が途切れ途切れながらあった。

『よぉし、今日から俺の刀だ』

 拾った打刀は意外なほどしっくりくる重みで、酒の勢いも相まり年甲斐もなくはしゃいでいたような気がする。

 気絶した男を放っておき、意気揚々と刀を振り回しつつ、大家に不気味そうにされながらも木戸を開けてもらい、我が家に着いたとたんそのまま眠り込んだのだった。

「あー……」

 刀の出所を思い出した平蔵は、頭痛に耐えながらも、おそろしく嫌な予感がしていた。
 平蔵の胸中など知らぬ下に、童女は水に濡れたような黒々とした瞳で見上げてくる。

「おれのかたなって、いわれた」

 たしかに、言った。だが言ったのは拾った刀に対してだ。
 普通ならば、年端も行かない子供が、何を世迷い言を断じただろう。
 しかしながら、平蔵はこのような奇妙な現象に心当たりがあったのだ。

「だからきょうからさやは、あるじのさやがみなの」

 まっすぐこちらをみあげくる童女のまなざしが正視できず、平蔵は顔を引きつることを抑えられなかった。

 鞘神(さやがみ)、それはこの和沙ノ国を脅かす、虚神(うろがみ)を断つことのできる唯一の存在だ。
 虚神は、心の(うろ)に入り込み、人の精気を食らう悪しきもの。
 対抗する唯一の手段が、何百年もの時を経た神霊の宿るご神木を材料に、丹精込めて作り上げた鞘に宿る鞘神の神力だった。
 意志を持つ彼らは、自ら抜く相手を選び、時として人知を超えた力すら与えるという。

 そして今、一番大事なのは、気に入った人間の前には、()()()を取ってみせると。

 背筋をついと伸ばした童女は、赤の振り袖を畳に広げると、三つ指をついて頭を下げた。

「ふつつかものですが、よろしくおねがいいたします」
「まじかよ……」

 辛うじてそれだけをつぶやいた平蔵の後ろで、うるさく蝉が鳴いていた。

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