第23話
文字数 1,662文字
佐藤麻衣ではなく鈴野菓乃として記憶が統合されていく中、無軌道な感情が涙腺をバグらせ水溜りを床に広げる。
母親は止まらない娘の涙をティッシュで拭った。
「ごめんなさい。本当に。
これからもあなたは、記憶を取り戻す度に理由の知れない悲しみに襲われて、混乱と怒りを覚えるかもしれない。
ご、ご、ごめ、んね。」
心の奥底で沈殿していた母親の悔恨が滲む表情に、菓乃は言いたいことをぶちまけることも出来なくなり、気が楽な方の怪しさ満載の女性に尋ねることにした。
「まだ頭が混乱しているから整理して話せないけれど・・・・思いつくままに質問をしてもいいですか」
「当然よ。こうやって話せているだけで立派だわ」
「あなたこそ、誰ですか? 」
「最高よ、お嬢ちゃん。
アハハハハ!
私は菓乃ちゃんの友達だった可愛い子のお母さんとして、あなたと出会っているのよね。
黒歴史の遠い昔、まだ蜂谷だった時に。
うーん、思いだしたくねえぇ」
「まだ、蜂谷だった?
今は名前が違う?
バツイチ? 」
「はい、そうですよ。今はレイカ・ファスビンターですけど何か?
人生波乱万丈なの察してよ。
アハハハハ、ふう。さあ、ひと笑いさせてもらったからなんでも聞きなさいな。
あなたのお母さんが答えられないことも私にお任せあれ」
こんなファンキーな大人は記憶の中に存在していないように思えたが、まだ脳神経も良化途中かしらと納得させておくことにした。
「記憶まで消すなんて。
私が名前を変えてまで、麻衣として生きなければいけなかったのはなぜ?
そこまでする程のことって何ですか? 」
零香はまじめな表情へと一瞬で変わり少女の母親を見つめた。紗耶はすぐにアイコンタクトでお任せしますという意思表示を表した。
「概要程度になるかもしれないけど、お母さんの代わりに話すわね。
そう、あの時の私は、あなたたちを助ける為、最悪の先の更にその先のリスクを考えて、やり過ぎな程に実行したのもあなたを思ってのことよ。
それは真実だから、疑わずに受け入れておいて」
「なんで、助ける必要があったのですか」
「まあ、個人的な感情にはなるんだけども、あなた方家族に対しての罪滅ぼしってことかな。亡くなった事実は重いからね」
菓乃が零菓に対して悪い感情を持つ事がないように紗耶は会話に割り込んだ。
「零香さん、そんなことは言わないで。圭吾さんが悪かったことも要因の一つです。少なくとも、あなたの汚名を晴らせず死んだ申し訳なさはこっちにも有るから。それなのに、あなたは十分すぎるケアをしてくれて・・・・う、うっ」
菓乃は母親の背中を優しくさすりながら零香に尋ねた。
「若年性アルツハイマー病で療養中に脳内出血で亡くなったって聞いたんです。
違うのですか? 殺されたとかってこともあるんですか。
もし、知っているのなら教えていただけますか」
「もちろんよ。私の役目だからね。
あなたのお父さんが患っていたとされる病は人為的な事故による記憶障害の可能性が高かった。
死因の脳内出血においても、ある施術の際に使ったナノジェルの一部が血栓となって脳内で破裂した可能性も捨てきれない・・・・。
あなたのお父さんが被験者にされる道筋を私が引いた。ごめんなさい」
紗耶は零香に軽く首を振ってから、娘の顔を胸に抱きながら小さな声で謝るのだった、
「私も逃げてしまって、あなたを守れなかったし。違いますと言えなかった・・・・」
腰を落として座り込んだ菓乃は母親の胸のあたりから上を向いた。あの時も下からこの顔を見ていた。悔しさを滲ます母の顔が記憶と重なりあの時の喧騒を再び呼び覚ます。周りには怖い大人たちが舌なめずりしながら唾を飛ばしながら押し寄せていた。
― 「旦那さんと最後に会っていたのは、娘さんと同級生のお母さんだということですが」
「ご関係は」
「知りません」
「それは」
「痛いよ、ママママ」
「やめてください」
「知りません。どいてください」
怖くなって逃げだすように家に向かう時に背後から心無い声が聞こえた。
「浮気されたってことだな」 ―
菓乃は思い出した。
「フウちゃんのお母さん・・・」
「どうも」