第16話 ベイビー・ドント・クライ

文字数 2,732文字

 史緒里(しおり)は弟の亜蘭(あらん)を抱いたまま、墓の前で手を合わせる。
 今日は母方(ははかた)の実家に来ている。史緒里の父がお盆の期間に仕事を休めなくなったため、前倒しで墓参りしているのだ。

 母の芳子(よしこ)が、史緒里の肩に手を置いた。

「よし、お墓も掃除したし、お(ばあ)ちゃん()に行きましょうかね」
「うん」

 寺の駐車場へ戻って、史緒里はチャイルドシートに2歳の亜蘭を乗せる。後部座席が彼と史緒里の定位置だ。
 父は全員が車に乗ったことを確認し、無言で発進させた。

 高架下のトンネルを抜け、細い道をくねくね曲がると、史緒里の祖母ヤス子の住む家が見えてきた。古い大きな木造家屋で、ヤス子ひとりで住むには広すぎる。庭にある小さな池では数匹の(コイ)が泳いでいる。

 玄関前のスペースに車を停める。

 引き戸を()けて、芳子が元気な声を出す。

「お母さーん、ただいまー!」

 しばらくして、少し腰の曲がったヤス子が台所から出て来た。

「よーいりゃあたな。お()がり、お上がり」

 芳子に続いて、亜蘭を抱いた史緒里も靴を脱ぎ玄関の土間を上がる。父は外で煙草(たばこ)を吸っていた。長い距離のドライブが終わってひと休憩だ。

 ヤス子はまた台所へ向かう。芳子もつられて台所に入った。

「へぇ、蒸し饅頭(まんじゅう)。私たちが来るから作ったの?」
「ほーやけど、いっつも作っとるよ。今日はいっぺんによーけ蒸したわ」

 亜蘭がグズり始める。見慣れない場所で、古めかしい木や畳の匂いに気が立っているのだろう。史緒里が抱っこしてあやすが、泣き止む気配がない。

「史緒里。私が外に連れてくから、お婆ちゃんを手伝って」
「あ、うん。分かった」

 史緒里が台所に入ると、ヤス子は昼ご飯の準備をしていた。

「史緒里ちゃん、足りんもん()うて()るで、ついてりゃあせ」
「はい。……このトートバッグ持っていけばいい?」
「よー()ぃつくなぁ。さ、おいで」

 そう言ってヤス子は裏口の戸を()けて道路へ出た。史緒里は土間で靴を履き、玄関から裏へ回って追いついた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 買い物を終え、史緒里とヤス子は川沿いを横並びで歩いていた。

「こないだここで祭りがあったわ。花火がようけ上がっとった」
「ああ、ここって毎年大きなお祭りがあるんだっけ」

 ヤス子が遊歩道のベンチに座り、曲がった腰をトントンと叩く。史緒里も横に座って幅の広い川を眺める。夏の強い陽射しを反射して、川面(かわも)がギラギラと輝く。カラスとも違う、名前の分からない大きな黒い鳥が川辺から飛び立って行った。

「史緒里ちゃんがちっちゃい頃にな、みんなで祭りを見たわ。お(じい)とよっちゃん、旦那さんと史緒里ちゃん。覚えてりゃーすか」
「うーん……思い出せないなぁ。物心つく前だったんだろうね」
「そのあとすぐお爺がのうなって、祭りはそれっきりやね。ほら、これ」

 ヤス子がポーチから花柄の髪留めを取り出した。

「そん時、お爺が()うてくれて。最後の贈りもんだわ」
「へぇ、お爺ちゃん、優しかったんだね」

 ヤス子は顔を(しわ)くちゃにして笑みを浮かべ、大事そうに髪留めをしまった。

「史緒里ちゃんは好きな人、おりゃあす?」
「好きな人……。いるにはいるけど、多分お婆ちゃんの言う好きとは違うかも」
「なんでぇ。好きは好きやら」

 史緒里は頬をポリポリ掻きながら、照れくさそうに答える。

「あ、あのね、ボクの好きな人、女の子なんだ」
「ほぉ、どえらいことやねぇ。テレビでそんなん観たことあるわ」
「だけどその……、あ、愛とかじゃなくて、こう……大好きな感じ?」

 ほぉかね、とまたニッコリ笑って、ヤス子は川を眺める。

「お婆は史緒里ちゃんくらいの歳に見合いで嫁いだでねぇ。好きとかよう分からんかったわ。ほんでなかなか子供ができんくてお義母(かあ)さんにいびられて」

 史緒里はヤス子の言葉に耳を傾ける。静かな川辺、ヤス子は穏やかな表情で話す。

「そいでも、お爺が優しかったもんでここにおれたんやろうねぇ。史緒里ちゃんと亜蘭ちゃんの可愛い顔見ると、あー、頑張ってよかったー、って。ほんに嬉しいんだわ」
「……今は、お爺ちゃんのこと、好き?」
「そうね、お爺もお婆も、いっぺんも好きって言わなんだけど。好きやったんろうねぇ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 今日はヤス子の家に泊まるということで、夕食後のお風呂上がり。麦茶を飲む史緒里に芳子が(ささや)く。

「なんか色々話したんだって? お母さん、すごく楽しそうだったけど」
「お婆ちゃんの昔話だよ。とボクの、……なんでもない」
「何よ。私も混ぜなさいよ」
「嫌だ。センシティブなことなんだから」

 ええー、と悪戯(いたずら)っぽく笑う芳子を放っておいて、史緒里は亜蘭のオムツを取り替えた。ウトウトしているのでお風呂には()れず、歯磨きジェルを塗って布団に寝かせる。

「そういうところは、女の子なんだよね。()い奥さんになれそう」
「ほっとくと誰かさんが手を抜くから。それに、亜蘭の身の回りの世話はボクの仕事なんだ」

 父は風呂上がりにまた外で煙草を吸っていた。

 床の間に布団を敷いて、夜22時。(みんな)が寝静まった頃、史緒里は縁側で星を眺めていた。

「お茶、飲みゃあせ」

 ヤス子が湯呑みの乗ったお盆を縁側に置いた。

「ありがとう。お婆ちゃんは寝ないの?」
「人がいるとそわそわしてかんね。明日みんなが帰らさったら、よーけ寝るでええわ」
「そっか……」

 庭の鹿威(ししおど)しがコンと鳴る。ヤス子が史緒里の隣によっこいしょと座る。

「史緒里ちゃん。ちゃんと言わなかんよ。お婆は好きって言えんかったこと、後悔しとるで」
「……うん。言うよ。この(あいだ)は上手く伝えられなかったから。ちゃんと目を見て、心を込めて言う」

 ヤス子は微笑みながら、うん、うんと(うなず)いた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 荷物をトランクへ積み込み、父は運転席に座った。芳子がドアガラスを()け、ヤス子に声をかける。

「じゃあ、またね。正月に来るから」
「気ぃ付けてな。待っとるで」

 微笑みながら手を振る史緒里に気付いたヤス子は、顔を皺くちゃにして満面の笑みで手を振り返す。

 芳子がいいよ、と言うと父は「ん」と(つぶや)き、ヤス子に一礼して車を発進させた。

 史緒里は手を振りながらリアガラス越しにヤス子を見る。どんどん姿が小さくなっていくヤス子は、笑顔のままいつまでも手を振り続けていた。

「おねぇ、め」

 亜蘭が史緒里に声をかける。

 指摘されて史緒里は、自分の目から涙がポロポロと(こぼ)れていることに気付いた。

「あれ? ハハ……なんで泣いてるんだろうね」
「どうしたのぉ史緒里。里心(さとごころ)ついちゃった?」
「違うよ。……多分」

 亜蘭が史緒里の頬をその小さな手で(ぬぐ)おうとする。
 史緒里は驚いて、泣き笑いしながら亜蘭の手を優しく握る。

「ありがと。亜蘭は優しいね。大きくなったらきっとモテモテだよ」

 そう言って、史緒里は亜蘭の頭をそっと()でた。
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