第一笑 殺人現場はそのままに

エピソード文字数 1,595文字

 その街が何処にあるのかは定かではないが、その街の所轄署には名探偵と呼ばれるほどの凄腕の刑事がいるとかいないとか、まことしやかに噂されている沢賀市(さわがし)――。
 その中心街から車で二十分ほどの場所にある、築四十年はくだらないであろうと思われる古い二階建てのアパートの一室。

 時計の針は、午前五時三〇分――

「――なるほど。玄関のドアは施錠されていたというのだな」
 刑事部捜査第一課の波謎野(はなぞの)警部が開口一番、一番最初に現場に駆けつけたという新米警察官に、その時の状況を訊いていた。

「現場は誰にも触れさせてはいないだろうな? 現場保存は、基本中の基本だからな!」

「えっ……、は、はい!」

「よろしい。では、現場検証を始める」
 波謎野警部は、ぐるっと周囲を見渡す。
 そして、きっぱりと所見を述べる。

「うーむ、これは……、犯人によって用意周到に計画された密室殺人に違いない!」

「えっ? 警部! ざっと見ただけでわかるのですか?」
 波謎野警部とコンビを組んでいる相棒の幇間(ほうかん)刑事が、尊敬の眼差しを向けて言う。

「ワタシほどの超ベテラン刑事になると、そのくらいは、

の朝飯前よ」

 ――たしかに……、今は朝飯前の時間ではあるが……。
 新米警察官は心の中で、そう思う。

「おぉお……、さ、さすがっすね警部! で、警部が殺人だと断定なさるその根拠は?」
 ホウカン刑事が、更に尊敬の眼差しを向けて問う。

「よく見ろ、ホウカン君! 否、特に新米君! まず第一に窓が施錠されている。これは犯人が、他殺を自殺に見せかけるために何らかのトリックを使って作り出した密室。そう、これは犯人からのワタシへの暗黙のメッセージ、謂わば無謀なる挑戦と受け取ってもいいだろう。如何なる姑息な手段を駆使して行われた事件であろうと――密室殺人の謎は、ワタシが解く!」
 わかったかね――と言わんばかりに、波謎野警部が新米警察官に不敵な微笑みを投げかける。
 その横でホウカン刑事が、「ブラボー!」と叫びながら拍手喝采。

 パチパチパチ(ブラボー!)……!

「…………」
 その光景と言い知れぬ(あつ)に、新米警察官は否応なく拍手を強いられる。

「それに、そのコップだ!」
 波謎野警部がくるっと華麗に回って、テーブルの上に置かれたコップを指さす。

「被害者は何かの毒物を飲まされた可能性が高い。いや、睡眠薬を飲まされた後で殺された……。まあ、そんなところだろう。指紋などは消されているとは思うが、それこそが他殺の確固たる証拠となるのだよ。わかるかね新米君!」

「はぁ……」

「そして、極めつけがこれだ! 板の間の上に残っている足跡。これが何よりの証拠ではないか! 余程、周章(あわ)てていたとみえて、犯人もそこまでは気が回らなかったようだな」
 そう言って波謎野警部は高らかに笑い、ホウカン刑事が横で盛大に拍手をする。

 バチバチバチ……!

「…………」

 新米警察官は、(きびす)を返し、ゆっくりと玄関先へと向かった。

 新米警察官は周章狼狽していた。

 ――どうしよう。(言い出せなくなっちゃった)

 窓を施錠したのは、僕だ。
 現場に到着した時に、少し窓が開いていて、入り込んでくる外気があまりにも寒くて、思わず閉めちゃった。

 それに、急いで駆け付けて喉がカラカラだったから、食器棚からコップを取り出して、それで水を一杯飲んじゃった。

 そ、それに……、
 あと、もうひとつ……、
 初めてのことで、狼狽(うろた)えていたというか……、
 気が動転していたというか……、
 土足のまま部屋に上がっちゃってた。

 ――今更……、
 今更、言い出せない。

 どうしよう……。


     了
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