第3話 初めてのキャバクラ

文字数 4,695文字

 田舎育ちの俺は工業高校を卒業して、都会の小さい電気工事の会社に就職したんだ。大学には行かなかった。
特に理由はないが行く意味が分からなかったんだ。
今どき大卒でも職にあぶれて低賃金。
なら高卒でも給料いいとこに就職しといたほうがいいと思った。
まあ、ともかく俺はそう判断したね。
まあ就職したといっても、最初の一年くらいは研修と勉強付けだったね。
いろんな資格も取らされたよ。
あんま仕事してるって感じはしなくて、毎日、勉強やってるか掃除やってるかって生活だったね。
大学生とそんな変わらねえんじゃねえのけ。
知らねえけどよ。
女とも縁のない生活だよ。
 工業高校だってほとんど男子校みたいなもんだったからな、あれ。
それで電気工事の会社に入っても女なんていやしねえ。事務員のほうにはいたんだが、あんまり縁もねえからね。ナンパ?
まあそういうやつにありがちなように、俺もサブカル関係にのめり込んでいったよ。とくにアニメが好きだった。
マンガやゲームももちろん好きだったけど、一番はアニメかな。
なんでアニメなんだろうな。
アニオタって言えるほどかどうかはわかんねえけど、深夜アニメはだいたい録画してたし、DVD借りたりネット配信でもいろんなアニメを観てきたよ。
いわゆる王道ファンタジー作品が好きだったし、今も好きだ。
まあ、現実がそうなっちまったからというのもあるわけだが。
 会社から帰ってきたら、寝るまでアニメ観てた。
やがて研修期間が終わって、現場に出るようになっても、プライベートの生活はあんまり変わらなかったな。
二次元が唯一の心の拠り所ってやつ?
 アニメ観てたらさ、まあ、心癒やされるわな。
俺、日本に生まれてよかったよ。
そう思ってた。
 で、ある日のことだ。
 あっちの世界とのビザが大幅に緩和されることになってな。
それまでは、トンネルを抜けた先の帝都のことは、どこか遠い別世界の話だと思ってたんだ。
だって政府が厳しく管理してたし、情報統制もされてたし、一般人は通行不可だった。そう、気軽に行くなんてことはあり得ない話だったんだ。
俺より上の世代は最初大騒ぎしてたらしいけど、俺が東京に来た頃には、もうすっかり、そこらへんの騒動は収まりがついてたんだ。
話に聴くだけの世界だったんだ。
おとぎ話とそう大差なかったのよ、その頃はね。
それがだ。身分証明としてパスポートさえ常時携帯してれば、行っていいんだ。
マジか。
俺は半信半疑で、大江戸線に乗ってみたよ。
俺が電気工事やったりアニメ観たりしてるあいだに、いつの間にか大江戸線には新しい路線が増えてて、そこから長い特殊なトンネルを潜れば、もう亜人たちのいる世界についちまうんだ。
 俺は正直なところ恐怖も感じてた。
誤魔化さねえでいうよ。
だってチートスキルなんて持ってないし。
転生してねえんだぜ。
普通の人間だよ、俺。
トラックに轢かれたりしてもない。
普通に電車に乗っていくんなんて。
それでいきなり、亜人とか、魔物が出てくるような世界に行ったら……。

十年前は実際に戦争やってたっていうしさ。
さすがにビビってたよ、俺。

だけど……。

行ってみたら、全然想像と違ったんだ。
確かに、中世ヨーロッパ風な街並みが広がってたよ。
アニメで観てきた世界観が、現実に広がっていたんだ。
大江戸線の終点から降りたらさ。
別の意味でビビったね。
世界が、本当に変わっていた。
だけど本当に驚いたのは、それとはまたちょっと違ったことなんだ。
駅から出たところで、俺たち渡航者は政府関係者に集められた。
そして説明を受けたんだ。
この世界での、俺たち日本人に許された制限範囲を。

〝恋愛特区〟
そして――その条例を綴った〝恋愛特区法〟
これは要するに、日本で言う風営法に近い。許される範囲でなら、自由に歓楽街を楽しんでいい、ってわけだ。
これが日本政府と、帝都上層部が下した妥協案にして、最初の折衷案。
日本人の観光を、まずこの帝都プラザ駅周辺にだけ限定する。
この帝都プラザは実験都市であり、モデル都市だっていうわけなんだ。
そして――歌舞伎町のような歓楽街が築かれることになった。
日本人を骨抜きにするハニートラップ、なのかどうかは知らない。
もしそうなら、帝都の狙いは的中したみたいだ。

俺はキャバクラ通いになっちまったよ。
そうなるのも無理はない。
ただでさえ異世界アニメが大好きで、それが現実に目の前に広がってるってだけでも夢みたいなのに、日本人とは比べ物にならないくらいに、エルフやサキュバスは美人揃いなんだ。
それが楽しく接待してくれる。
もう、日本の女なんてどうでもよくなるね。
長い時間はかからなかったし、同じことを、東京中の男たちが思ったわけよ。
尤も、東京の女たちだって、インキュバスなんかのイケメンホストにやられて、日本の男じゃ満足できなくなったみたいだけどな。
この帝都プラザの歓楽街は、毎晩大繁盛。大盤振る舞いってわけだ。
俺も毎日のように、キャバクラ「エンゼル」に通ったもんだ。


最初は恐る恐る入ったんだが…まず出迎えてくれたのは、エレナというサキュバスだった。
人間とは比べ物にならない、まさに悪魔のような美しさだった。俺の心は一瞬でズタズタに引き裂かれちまったよ。
まあ、のちのち長い付き合いになるんだがね、このエレナっていうサキュバスとは。まさか、腐れ縁になろうとは、最初は思いもしなかったよ。
それより、俺が夢中になったのは、あるエルフだった。
 人間離れした美貌は言うまでもねえけど、大迫力の巨乳で、キレイな金髪をした人だった。顔は優しげで、上品な身のこなしで、お淑やかなお嬢様を思わせた。
名刺を渡されて、それ以来、俺は彼女に会うために毎日仕事を頑張った。
帝都の高級ブランド品や、宝石の数々を、プレゼントしまくった。
傍から見れば、見事なキャバクラ狂いってやつだったんだろうけど。
後悔はなかったよ。

とにかく惚れてた。

本気で、人を好きになるって、こういうことなんだって思った。
「ヒロ、あなたの本気が伝わってくる……。本気でわたしのことが、好きなんだね」
ある日、彼女は、複雑そうな表情で、そう言ってきた。
俺は戸惑った。いつも優しげに微笑んでくれる彼女が、初めて見せる表情だった。
少しだけ、陰りが見えたんだよね。
 薄幸の美女って、あるだろ。可哀想な生い立ちがあるように思えちまったんだ。
俺、そういうのにめっぽう弱くてね。
底なしの泥沼に、もう鼻まで浸かっちまった気分だったね。
「当たり前だろ。何を今さら」
 言いながら、俺は、彼女が本音を見せようとしているのに気づいた。これまでの彼女は、きっと「キャバ嬢」だった。
彼女は店側の人で、俺はただの客だったのだ。
その境界線が、今、崩れようとしているのが察せられた。
俺は期待半分、そして恐怖半分だった。

キャバ嬢と客が結ばれるなんてのは、おとぎ話のそれだ。
女でいうシンデレラのようなおとぎ話だ。
とても現実じゃない。それがエルフと人間なら尚更だ。
 そして、俺ももう大人だった。
「ガチ恋愛は禁止、か……。俺たちの関係を、見直すべき時期に来たってことか」
「待って、ヒロ。先走らないで。違うよ。少し、違うのよ。あなたが思っていることとは、少しだけ違うの」
 彼女は焦っていた。
俺に嫌われないように気を使っている感じもした。
おかしい。
彼女は売れっ子で、売上も上位。
俺はたしかに太客だが、新しい客を作って売上上位をキープすることなど、彼女なら余裕のはずだった。
それがどうして、ここまで俺を失うことを恐れているのか。
「ヒロ、ごめんなさい……」
「なんで謝ってんだ」
「わたしには、いろいろと事情があるの。このお店にも、もう長くはいられないのよ」
 衝撃だった。彼女は何か闇を抱えている。そしてどこかへ行ってしまうのだ。何より衝撃だったのは、俺を一緒に連れていってくれるつもりがないと察せられるところだった。
「ヒロ、お願いがあるの。あなたはとても信用できる人だわ。たくさんのお客さんを見てきたけれど、あなただけは全幅の信頼を置けると思うの」
「持ち上げすぎじゃないですかね……」
 しかし彼女は、俺の手を握って、真っ直ぐな目を向けてきた。
「ヒロ、あなただけに教える。もうすぐ、このお店は潰れてしまうの」
「えっ」
「一旦、売上や嬢たちも清算されて、綺麗さっぱり白紙に戻ってしまうの。だけどそのあと、どうすればいいのか路頭に迷ってしまう子たちが出てくるのよ。誰かが、みんなの世話をしてあげなくちゃいけないの」
「店長は?」
「もういない。昨日から、もういないのよ」
「なんだって?」
「ヒロ……ヒロ」
彼女は、握りしめる手に、さらに力を込めて、ぎゅっとした。
「あなたは常連さんで、嬢たちからの人気もある。あなたは他のお客さんと違う。信頼できるのはあなたしかいないの。ヒロ……このお店が潰れたあと、また買い取って、新しいお店を開いて」
 話が急すぎて、よく理解できなかったよ。仕方ねえだろ。いきなりそんなこと言われても、すぐに飲み込めるわけねえよ。それからしばらく、仕事にも身が入らなかったね。
 それで三日ぶりにお店に行ってみたんだ。ほとんど毎日通ってた俺からしたら、三日空けるってのは初めてのことだぜ。まるで数年ぶりに行くような懐かしさを感じたね。その三日で、すっかりお店は閉められてしまってたんだ。
代わりに、一人のハーフエルフがいた。
ガリガリに痩せて、骨張った子だった。
純血のエルフでも、ここまで痩せないだろうっていう子だった。
店の前に座り込んでた。
「君、何やってんの」
俺が思わず話しかけてみると、少女は顔を上げた。あの彼女に、少しだけ似ていた。
「ここにいろって言われた」
「誰に」
「おばさま」
「ふーん……。それで?」
「ここで待ってれば、きっと世話してくれる男の人が来てくれるって。その人は、絶対に裏切らない人で、とてもいい人で、世界でただ一人、信頼できる人だから。その人のことだけを、信頼しなさいって、言われた」
澄み切った純粋な目をしていた。水晶玉のような瞳だった。
「そっか」
「あなたが、ヒロね」
「そう思うか?」
「目が、とても優しそうだから。おばさまが、その目が好きって言ってた。世の中にはいろんな人間がいるけど、ヒロだけは、違うって」
「俺んち来るか」
「うん」
少女は立ち上がった。セリア、と名乗った。
俺はその足で、たまの仮宿だった部屋と本契約を結んだんだ。

 で、今に至るわけ。
「はいとっとと起きる!」
布団が、がばっとはぎ取れた。さむっ。何やってんだ、こいつ。
「勝手に人んち来て、何やってんだ。エレナ」
エレナ。そう、俺の異世界キャバクラ初体験で、最初に俺についてくれた、あの超美人なサキュバスだ。
それが今、俺の家にいて、妻か幼馴染みのように布団をはぎ取ってくれやがったわけだが……期待してはいけない。彼女はじつは既婚者だった。夫がいるのだ。知りたくなかった裏事情。これだからキャバ嬢は信用ならん。
「そろそろ仕事に行く時間でしょ。さっさと起きなさいよ」
やれやれと息をついて、彼女は俺の肩書きを言い放った。

「店長」

「……へいへい」
脱サラして、キャバクラの店長ね……。
気持ちだけは、生まれ変わったつもりでやりますか。


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