第2話 風神ヴァーユに護られてネパールに飛ぶ

文字数 3,493文字

 二〇〇四年七月六日。
 キャセイ・パシフィック航空の飛行機で、関西空港を出発。まずは香港へ。巨大ハブ空港で、ロイヤル・ネパール航空の飛行機に乗り換えた。

 ネパールに行くことになるとは。
 人生には、想定外の出来事が起こるものだ。

 1年間、私を知る人が誰もいない国で暮らす。新しいノートをおろす時のようなフレッシュさを感じる一方で、未知の世界に飛び込む怖さもある。期待と不安は、ちょうど半々だ。



 日本にいる間に基礎的なネパール語を習得しておきたかったが、アルバイトとサンスクリットの自習に忙しく、手が回らなかった。英語が通じるかどうかは不明だ。滞在先すらも決まっていない。これまでのインド旅行の経験から、〈健康〉と〈身の安全〉にさえ気を付ければ何とかなる、と信じてはいた。それにしても準備不足は否めない。

 唯一、たっぷり準備したものといえば――
 胸に秘めたる、サンスクリットに対する情熱!

 サンスクリットの知識が深まれば、多くの聖典や思想書が読めるようになるだろう。

 真実が知りたい。
 なぜ苦しみの多いこの世界に生まれてきたのか、私が五感で把握する世界とは何なのか。
 古今東西の哲学者たちが考え続けた命題を、この小さな私に解き明かせるとは期待できない。万人に証明できるような真理は掴めないかもしれないが、自分自身にぴったりくる、何らかの気付きなら得られる可能性は十分にあるだろう。
 気分は、天竺まで有難いお経を求めて旅をした玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)である。

 ヒンドゥ教の風神ヴァーユのご加護により無事にネパールの地を踏んだ私だが、この時は、まだ知らなかった――ネパールが内紛中であることを。

 いい加減というか、詰めが甘いというか。ネパールの治安事情を調べていなかった。日本にいると、能動的に求めない限りはネパールの情報はほぼ入ってこない。
 人口よりも神様の数のほうが多いといわれる国である。なんとなく「平和なのかな」と。大間違いだった。

 マオイスト(〈マオ〉は、毛沢東の〈毛〉)と呼ばれる共産党員が、王制の壊滅を目指しゲリラ活動を重ねていた。王の軍隊とマオイストの戦いは膠着(こうちゃく)状態で、日を追うごとに泥沼化していく。

 緊迫した国内事情は露知らず、呑気な私は戦乱のネパールに足を踏み入れた。

 首都・カトマンドゥ。
 バックパックを背負って空港の外へ出ると、日は落ちかけていた。

 市街地への移動には、タクシーを利用する。客引き目的の運転手たちが、私のもとへ押しかけてくる。なんとなく見た感じが誠実そうな若者を選び、運賃の交渉をする。
 メーターはなるべく使いたくない。ネパールのタクシー事情は知らないが、インドでは、速く回るように改造されたメーターも存在する。日本のような商売に対する誠実さは、担保されない。

 妥当と思われる運賃で交渉が成立し、年季の入ったタクシーに乗る。後部座席に落ち着き、バックパックを隣の座席に載せた。

 若い運転手の他に、もう一人。運転手と同年代と思われる青年が、助手席に乗り込む。
 運転手が、助手席の青年の肩を揺すりながら、私に説明する。
「こいつは僕の友人だから、気にしないで」
「気にしないで」と言われても。タクシー運転手が友達を連れ込むだなんて、日本ではあり得ない状況だ。早くも外国へ来た実感を得る。

 エンジンが掛かり、タクシーが走り出す。
 美と吉祥(きっしょう)の女神・ラクシュミーの絵が、ダッシュボードに祀られている。豊な髪と大きな目。富の象徴である金貨が、女神の手から足元へと、これでもか、というほどに零れ落ちる。

 ステレオからインドのヒンディ語の歌謡曲が、軽快なリズムで流れる。

 汚れで曇った窓から、外を眺めた。
 
 初めは道路と車ばかりの風景だったが、市街地に近づくにつれ、建物と人々の数が増えていった。賑わいと生活感のある風景に、好奇心が刺激される。

 戸の開け放たれた小屋の中で、大人になりかけの娘が座っている。鼻筋の通った横顔。テーブルに頬杖を突き、物憂げな表情だ。真っ直ぐに向けられた眼差(まなざ)しの先には、皿に載せられた山羊の生首があった。

 道路の真ん中でエンストを起こし、タクシーが止まった。後方の車から、クラクションの嵐が。運転手と友人が外に出て、後ろから車体を押し始めた。なんとか車道の脇に移動させる。2人掛かりで車を出たり入ったり。なんやかんやと(いじ)る。やっとエンジンが掛かった。初日から、この有様(ありさま)。先が思いやられる。

 ゆっくりと発車。
 ああ、ラクシュミー様! 再びエンジンが止まりませんように!

「ところで、泊まる場所は決めてるの? いいホテルを紹介するよ。予算を教えてくれれば」
 助手席の青年が、バック・ミラー越しに話し掛けてくる。客引きだったのだ。
「当てがあるから」と断った。本当は決めていないが、紹介を頼む気になれない。宿代にマージン分を上乗せされそうだ。

「どこに泊まる予定? もっといいところに案内できるよ」
 青年は食い下がるが、私は聞く耳を持たない。観光客向けの土産物店が並ぶタメル地区でタクシーを停めさせた。未練がましい視線を送ってくる青年を残し、バックパックを背負って降車した。

 砂埃(すなぼこり)を含む乾いた風が吹く。息苦しさは、気の所為(せい)か? カトマンドゥの標高は1400メートル。大阪の平地出身の私にとっては、少しばかり空気が薄いような。
 宿を探して歩いていると、象の絵の描かれた看板が目に付いた。《ハッティ・ゲストハウス》。

 疲れている。早く休みたかった。とりあえず1泊は、雨露の(しの)げる屋根さえあれば、どこでもいい。古びた宿屋に飛び込む。
 案内された部屋は、(ひび)割れた壁に囲まれ、(かび)臭かった。いつ交換したのか怪しいシーツの上に身体を横たえる。

 休みたいのに、一向に眠れない。
 原因は、隣のバーの騒音だ。ロック・バンドが、アンプの音量をMAXにして生演奏をする。「1晩だけ我慢して、すぐに別の宿を探そう」と心に決めた。

 真夜中まで続く生演奏には辟易(へきえき)したが、旅の疲れもあってか、いつの間にか眠りについていた。
 迎えた翌朝。寝不足の目を擦りながら、ベッドを這い出る。
 身支度を済ませ、スツールに腰掛けた。バックパックから、旅行ガイド・ブックを取り出す。(ページ)(めく)り、居心地の良さそうな宿を探す。すぐ近くに、日本人バックパッカーが集まるゲストハウスがあるようだ。

 バックパックを背負い、《ハッティ》をチェック・アウトする。
 ガイドブックの地図を頼りに、《トモダチ・ゲストハウス》へ。

 庭には、きちんと手入れされた草花が植えられている。
 戸を開ける。ロビーのカウンターに、受付係の姿があった。

 眼鏡を掛けた真面目そうな女性だ。20代半ばだろうか。彫りの深い顔は、北インドのルーツを感じさせる。深緑(ふかみどり)のパンジャービー・ドレスが似合っている。

 パンジャービー・ドレスとは、インドのパンジャーブ地方を起源とする民族服だ。ゆったりめのパンツと、揃いの上衣。首にはショールを巻く.
 正装が求められるシーンでは、大人の女性はサリーを着用する。パンジャービー・ドレスは動きやすいため、カジュアルな普段着として若者に人気だ。



「こんにちは。お泊まりですか?」
 日本語で話し掛けてくれた。ちょっと辿々(たどたど)しいけれど、ゆっくりと聞き取りやすい口調だ。親し気な笑顔。友達になれそうな予感がする。

 客室を見せてもらった。3階にある広めのダブル・ルームだ。ケミカルなミント・ブルーに塗られた壁は、日本人の感性では違和感がある。が、全体的に小ざっぱりとしていて、住み心地が良さそうだ。

 窓から家々の屋根が見える。隣の家の屋上では、サリーを乾かしてあった。物干し竿やロープに干さず、地べたに広げて四方に重石(おもし)を置いてある。

 明るい部屋と、窓からの生活感のある風景。
 横を向くと、受付係の女性が親しげな笑みを浮かべている。
「私の名前はアラティです」
「いい名前ですね。〈儀式〉って意味ですよね」
 ヒンドゥ教式の、線香や蝋燭(ろうそく)に火を灯して行う儀式である。
「あなたの名前は何ですか?」
「宏美です」
「今日から私たちは友達です」
 気に入った。《トモダチ》に移ると決めた。

《トモダチ》は、《ハッティ》から徒歩5分の距離にある。つまり、夜中に大音響でロック・バンドが生演奏するバーからも至近距離だ。通りから奥まった立地であるため、夜中の騒音は《ハッティ》に比べればマシな気はする。それでも、睡眠の妨げになるぐらい(やかま)しい。
 探せば、もっと静かな場所は他にあるだろう。

 この行き当たりばったりで、未来予測の甘い性格! いい加減かつ無計画な行動が、私の欠点の一つだ。
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登場人物紹介

リカルド

クラスメイト

メキシコ人

40代半ば(当時)

神話やインドの文学に興味があり、『ラーマーヤナ』(インドの代表的な文学作品。ラーマ王子の英雄譚)を原文で読みたい

きっちりした性格

ダニエル

クラスメイト

イスラエル人

30代半ば(当時)

アメリカでカメラマンをしていた際、ヨーガを学び始める。精神世界・瞑想に興味ありいずれはサンスクリットでヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)を読みたい

大の甘党。ディスコでの夜遊びがやめられない

篠田さん

クラスメイト

日本人

65歳(当時)

ヨーガ、瞑想の(自称)エキスパート。日本の某私立大学の英語講師を25年に亘り勤め上げた。サンスクリットを学んで教本を出版したい

本人曰く、動物をも感動させる歌声を有し、森で鹿を泣かせたことがあるらしい

ディーパ

教師

ネパール人

25歳(当時)

幼少の頃から英才教育を受け、サンスクリットをマスターした才女

3児の母でもある

宏美(私)

日本人

27代半ば(当時)

大学1年生の時にインド旅行で衝撃を受け、インドの虜に

基本的にボーっとしてる

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