第14話 衝撃!工場の爆発事故

文字数 5,606文字

清水の部屋を出たのは深夜4時を過ぎていた。

部屋に帰って退職願いを書いた。
家を出る時父ちゃんが「手紙・挨拶状の書き方」の本をくれた。
まだ家には手紙を出した事がなかった。
父ちゃんは自分に出してくれることを期待していたに違いない。
あんな父ちゃんに手紙を出す筈がない。その本を押入れの奥のほうから取り出した。
その中に「退職届の書き方」があった。父ちゃんに貰った本が役に立った。
荒木田先生から貰ったパーカーの万年筆で書いた。青いインクの色が寂しかった。

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退職願
株式会社○○○○
代表取締役社長○○○○殿
 私事、この度一身上の都合により、
昭和43年3月25日をもちまして退職いたしたく、ここにお願い申し上げます。
                        昭和43年2月27日
                        保全課保全係 早川 孝史

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2回ほど書き損じて、やっと3枚目にまずまずの字で出来上がった。
白い封筒に「退職願」と書いて便箋を封筒に入れた。

今日は2番勤務、寮に午後4時頃バスが迎えに来る。
退職のことは誰に話せばいいだろう。
伊藤主任か、上田係長か、芋生課長か、それとも総務の小池係長なのだろうか。
「退職願」は誰に渡せばいいのだろう。
布団の中で、このあと工場で過ごす1ヶ月を思いながらうつらうつらしていた。
宮原澄子の顔が何回も浮かんでくる。

その時、部屋のドアを激しくたたく音がした。
「おおい、早川いるか~」
伊藤主任が作業服姿でドアを開けた。
「おお、早川、さっき工場で爆発事故があったんだよ」
「ええ~~、ほんとですか」
「早く支度して社宅の前まで来てくれ」
「どうすればいいんですか」
「保全係全員に緊急招集がかかってるんだよ」
「私も行くんですか」
「そうだよ、社宅前でタクシーに乗って待っているからすぐに来いよ」
「はい、わかりました。すぐに行きます」

急にドキドキしてきた。午前4時半頃だった。まだ空は薄暗かった。
社宅前では5~6台のタクシーがライトをつけたまま並んでいた。
篠原さんや土井さん等保全係の人がタクシーの前に集まってきた。
1台目のタクシーは4人乗り込むとスタートした。
2台目のタクシーに伊藤主任が乗っていた。隣には利重さんも乗っている。
「おおおお~、早川こっちだ、前に乗れ」
「はい・・・」
先輩の岸田さんも乗り込んできた。4人が乗るとタクシーが出発した。
伊藤さんの顔が緊張している。伊藤主任と利重さんが小声で話をしている。
聞き取れないが、だいぶ大きな爆発事故らしいことはわかった。

タクシーが工場へ近づいてきた。
大きな原油タンクの近くから黒い煙がもうもうと上がっている。
黒い煙は薄暗い上空に吸い込まれている。
何台もの消防自動車の赤いライトがクルクル廻っている。
「だいぶ大きそうな爆発事故ですね、どのへんまで行ったらいいですか」
タクシーの運転手が聞いてきた。
「行けるところまで行ってください」伊藤主任が答える。


初めて目にする爆発事故。頭の中は真っ白になっている。
工場の正門の前には十数台の消防自動車が乱雑に止まっていた。
おびただしい数の薄汚れた白いホースが爆発現場に向かって伸びていた。
消防隊員と工場の人間が火災現場に向かって走っていく。
上空にはヘリコプターが2~3機が飛んでいた。
火災現場の黒煙はだんだん白い煙に変わっていった。
すべての生産ラインがストップし、いつものコンプッサーの轟音はなかった。
あわただしい状況の中ではあるが、今日の工場は普段の日よりは静かだった。
保全係の人間は爆発現場ではなくいつもの修理工場へ向かった。
保全課の工場内には普段の2倍の人がいた。
爆発で破損した部品の交換のため、修理工場内の工作機械はフル稼働していた。
現場からの指示で、焼失した部品や破損した部分の組立作業を行なっている。
市原と私は先輩達から指示された工具や材料の運搬をしていた。
外では何台かの救急車のサイレンが近づき、そしてまた遠のいていった。

十数人の重軽傷者が出たようだ。石油化学工場はやはり危険と隣りあわせだった。
工場へ到着してから4~5時間後に火災は鎮火した。
保全課の修理工場内も落ち着きを取り戻し始めた。
午前10時ごろ休憩所で一段落の休憩をした。

保全課の上田係長が状況の報告をした。
パイプラインの接続部分の緩みによるガス漏れだった。
それに何らかの摩擦による静電気の発生でガスが爆発したといっていた。
負傷者が15名、重傷者が4名と報告していた。
重傷者の名前の中にはコーラス部の先輩の名前も出てきた。
報道関係者からの電話や取材は一切総務課に回すように注意もあった。

市原が寄って来た。
「早川、2番勤務でよかったな」
「市原は近くにいたんだ」
「そうだよ、すげえ爆音と地響きだったよ。雷が落ちたのかと思ったよ」
「どこにいたん」
「ここだよ。休憩室でタバコを吸っていたんだよ」
「それが原因じゃないのか?」
「ばか、こんなときにふざけると怒られるぞ!」
「あ、そうだな」
「コーラス部の片山先輩が救急車で運ばれたんだって」
「ええ~、片山さんが爆発現場にいたん?」
「うん、何か計器に異常があって現場の人と打ち合わせしていた時だって」
「ええええ、恐いな」
「保全課ってさ、異常や故障の時に現場に行くわけだろう」
「うん、他の課よりも危険が多いよな」
「まさか近くで爆発事故が起こるとは思ってもみなかったよ」
「市原も一歩間違えばやられたな」
「うん、爆発の一時間前にそこの減圧弁のパッキンを交換したんだよ」
「ええ、運がよかったな。市原、ボルト一本閉め忘れなかった?」
「ふざけている場合じゃねえよ、ホントに怒られるぞ」
「ああ、ごめん、ごめん」
「まったく、早川って、馬鹿か利口かわらねんだから」
「市原、3番の勤務時間は過ぎたけど今日はどうするんだ」
「うん、帰るわけには行かないよ。上司の指示を待ってみるよ」
「これで、しばらく工場は生産中止だろう?」
「そんなことはねえよ、現場検証が終わり次第復旧作業があるよ」
「へえ、そんなに早く始めるんだ」
「1日ラインが止まると、何千万円も損するんだって」
「でも、これからは現場に行くのが恐いな」
「大きい声じゃ言えないけど、一生勤める所じゃないな」
「うん、考えちゃうな」

退職願いを出す時期が悪いような気がしてきた。
でも退職願は1ヶ月前に出さなければならない。
明日にでも出さなければ間に合わない。

休憩室に宮原さんと先輩の千葉さんがやってきた。宮原さんは市原に声をかけた。
「ああ、市原君無事だったんだ、よかった」
「おお、宮原心配してくれたんだ」
「うん、朝のNHKニュースで爆発事故の事やってたよ」
「ええ、テレビでか?」
「うん、ここの上空からの撮影だったよ。煙がすごかったんだね」
「音もすごかったよ、死ぬかと思ったよ」

宮原さんは私にも声をかけてきた。
「早川君は今日2番勤務で工場にはいなかったんでしょ」
「うん、朝早く呼び出されてタクシーで来たんだよ」
「早川君って運がいいね」
「なんで、特に運がいいとは思わないけど」
「だって、そんな気がするんだもん」
「宮原さん、心配してくれたんだ?」
「当たり前でしょ、同期なんだから」
「それ以上の気持ちはないんだ?」
「こんなときにふざけないでよ」
「ああ、ごめん。ごめん」
「早川君って、いつもふざけているんだから、やな感じ」

たった1年経っただけなのに宮原さんが大人っぽくなっている。
薄化粧もうまくなっている。トロンとした目の周りには何か黒く塗ってある。
入社した当時のような眠そうな目ではなかった。
話し方や仕草も色っぽい感じになっている。見つめられるとドキドキしてくる。
男は身近なものと恋をするのだろうか。デートに誘えばついて来るような気がする。
平凡な顔でも見慣れると可愛いいと思えてくる。
それに言葉や仕草に女っぽさ加わっていっそう可愛いと思えてきた。
誘いたいと思う時があるが財布の中身を考えると勇気が出ない。
宮原さんとも3月末でお別れになる。文通くらいならしてみたい気持ちになった。

休憩室に土井係長がやってきた。
「火災現場がやっと落ち着きましたので通常勤務に戻ります」
「一番勤務の人以外は帰宅してもけっこうです。ご苦労様でした」
伊藤係長は継続してこのまま仕事をするといっていた。
利重さんと岸田さんの3人で寮まで帰ることになった。
総務課でタクシーを呼んでもらった。

タクシーの中で利重さんが話しかけてくれた。
「早川もそろそろ1年じゃな、仕事に慣れると危ないから気をつけなあかんど」
「はい、気をつけます」
「仕事と女は同じだからな、慣れると注意せんようになる」
「ああ、そうですか」
「どんなことでも、慣れと気の緩みには気をつけなあかんな」
「そうですね、気をつけます」
「ちょっとしたことで、女は爆発するもんじゃ」
利重さんは私の興味ありそうな事に例えて教えてくれる。

「先輩はそういう経験あるんですか」
「馬鹿いうな、俺は女にもてんでな、なんも危険はありゃせん」
「そうですか」
「早川はこれからじゃ、気いつけんとあかんど」
「私はもてませんから、大丈夫です」
「おまえ、まだ女は未経験じゃろうが、これから何が起こるかわからんぞ」
「はい、まだ子供ですから」
「若いと、どんな女でもよく見えてくるもんじゃ」
「そうなんですか」
「すぐに結論ださんと、色々経験してみることだな」
利重さんは宮原さんの事を言っているのかもしれない。
確かにこの頃女の人がみんな魅力的に見えてきている。
受験勉強から開放された途端、いっそうそんな事ばかりが頭に浮かんでくる。
何か目標を持たないと頭の中が女の事ばかりになってしまうような気がした。

利重さんは気持ちが優しい。私の事をいつも気遣ってくれている。
会社を辞める事はこの人に最初に話そうかと思った。
「先輩、ちょっと部屋に行っていいですか」
「うん、ええけど、どうした」
「ちょっと話したい事があるんですが」
「まさか、辞めたいって言うんじゃないじゃろうな」
「ええ、そのまさかです」
「どうした、爆発事故で仕事をするのが恐くなってきたか」
「ええ、それもあります」
「じゃあ、部屋まで来いや、すぐに結論ださんでもええじゃろ」

寮には11時ごろ着いた。部屋に帰って私服に着替えた。
10分くらい部屋にいた。何から話そうか考えていた。

「おお、早川、早く入れや」
2階の利重さんの部屋は臭かった。
食堂のお皿やどんぶりが散乱していた。
利重さんは食事をトレーごと部屋に持ってきて焼酎を飲みながら食べていた。
小さな丸いちゃぶ台の上にはニクロム線の湯沸かし器が置いてある。
湯沸かし器のコードを壁のコンセントに差し込んだ。
赤くなったニクロム線の上でスルメを焼いている。私の前に紙コップを差し出した。
「適当な所へすわれや」
「はい」
「まあ、そう緊張せんでいっぱい飲めや」
「あの~、今日は5時から仕事ですけど」
「まだ7時間もあるから大丈夫やて」
「すいません、心配かけちゃって」
「ええがな、誰でもそういう時がある」
「3月末で辞めるつもりでいるんです」
「まあ、そうすぐに結論を出さんでもええじゃろ」
「はい」
「わしも何度も辞めたい時期はあった」
「先輩もですか」

先輩はしみじみと話し始めた。
「中学を卒業して、すぐに炭鉱に入ったんじゃ」
「炭鉱って、石炭を掘る仕事ですか」
「そうじゃ、炭鉱の中はそら~恐いで。この工場の危険なんて比較にならんど」
「そうなんですか」
「電機の故障で灯りが消えた時なんか、恐くてションベンちびったで」
「そんな事もあったんですか」
「辺りが真っ暗で、逃げるなんて出来はせんしな」
「闇の世界ですね」
「海底の岩を機械で破壊しているんじゃから、いつ坑道が崩れるかわかりゃせん」
「信じられない恐さですね」

「石油工場なんて外の世界じゃろ、いつでも逃げられる」
「でもいつ爆発するか、わかりませんよね」
「炭鉱に比べりゃ危険なんて何万分の一だぜ」
「そうでしょうか」
「今は二重も三重も安全対策がしてあるんじゃ、滅多に事故なんて起こりゃせん」
「でも今度の事故は?」
「人間の慣れと慢心じゃな、この位は大丈夫だろうという気持ちが悪いんじゃ」
「今度の事故もそうですか」
「まだわからんけど、おおかたそんなもんじゃろ」
「この工場はいつも危険と隣り合わせですよね」
「そら~、道を歩いていても同じじゃ。いつ車に轢かれるかわかりゃせんで」
「そう言われてみればそうですが」
「女の上で楽しい事をしていて死ぬ奴もいるんじゃ」
「先輩酔っ払っているんですか」
「危険はいつも隣り合わせと言う事じゃ。危険を恐れていたら何もでけん」

仕事が恐くて辞めたいとのだと思っている。話が面白いでそのまま聞いていた。
私を慰めるために色々な例を出して話をしてくれる。どれも興味深い話だった。
このまま話を続けるのは申し訳ない気がしてきた。

「先輩、違うんです」
「どうした急に、まだ話が残っちょるど」
「辞めたい理由が違うんです」
「どうした、田舎の母ちゃんのおっぱいが恋しくなってきたのか」
「やめて下さい、子供じゃないんですから」
「ほかにどんな理由があるんじゃ」
「4月から、大学に入りたいんです」
「早川、夢を持つのはいい事だよ」
「もう大学に合格したんです」
「ええ~、嘘じゃろ~。嘘つきはいかんぞ」
「4月7日が入学式なんです」
「ほんとか、どこの大学に行くんじゃ」
「高田馬場の近くにある、早稲田の文学部です」
「聞いたことがあるな、よくテレビで学生が騒いでいる所じゃな」
「はい。それです」
「誰でも入れる大学なのか、私立じゃお金が高いじゃろ」
「ええ、入学金だけは貯めましたし、勉強もしました」
「う~ん。そりゃいい事だが、おまえ何を考えてるんじゃ」

利重さんなら本当の気持ちを伝えても、理解してもらえるような気がする。


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