らしき存在

文字数 6,064文字

 レビュー欄には暴言じみた一つ星が「アドバイス」として列をなし、どこまでも偉そうに居座っていた。期待外れ。デビュー作とは大幅に違って。何年も待っていたのに。半分までは読みましたがそこでリタイアです。気持ち悪い。申し訳ないけれど作者の精神状態を心配しまう。はたして、このようなことを考える人間が作家を名乗っていていいのだろうか?
「…………お前らに俺の小説の何がわかるんだよ」
 手の中の、縦長の小さな画面に向かって吐き捨てる。
 五十六件のレビュー、うち三十七件が星一つ、残りの八件が星二つ、三つ星は二件、四つ星は三件。信者じみた、たった六件だけの五つ星は空しくもブーイングにまみれ、何の価値もない。


『こんなにも切ない純愛の物語なんてもう二度と生まれないのだろう、僕らはこんなにも美しい恋の形を物語でしか知ることができないのだろう、僕はそれを何よりの悲劇と思う』
 日本を代表する小説家である梅林羽瑠が書いた、このあまりにも大袈裟な帯コメントのおかげで売れたとしか思えない俺のデビュー作は、人気若手俳優たちを寄せ集められ実写映画化し、その後も順調にアニメ映画化、コミックス化、実写ドラマ化、韓国ではリメイクドラマ化までされ、発売から五年経った今でも本屋の「泣ける純愛小説特集」のコーナーなんかではそれなりに見栄えのいい位置に飾られる。
【中学一年生の“僕”には思いを寄せる幼馴染の女の子がいる。ある日、彼女の父親が逮捕され彼女は母親と共に名前を変え夜逃げ同然で遠くの町へ、別れの夜に彼女へ再開を誓った僕だったが、複数の悲劇が重なり彼も高校二年生の夏にある罪を犯す。果てのない逃亡の末、僕は冬の終わりに幼馴染の彼女と再び出会う。犯罪者の娘である彼女と、犯罪者である僕。逃げ切れるなんて思っていない、愛し合っていいだなんて思っていない、それでも僕らは互い強く手を握り締め合いどこまでも走り続けた――】
 そういう、チープな物語だった。
 けれど、ただただ安っぽいありきたりなその小説は、作者である俺が考えもしなかった考察がSNS上で繰り広げられ、適当に辻褄を合わせただけの展開は「これまでにない斬新な発想」と評され、日本中が馬鹿の一つ覚えみたいに涙を流し、推薦図書に選ばれ、皆は口々に、
「先生の次回作が楽しみで仕方ありません!」
 そう言って俺の足首を見えないロープでがんじがらめにした。
 自分でいうのもなんだけれど、こいつらはこの小説のどこが評価に値すると思ったのだろう? どいつもこいつも耳障りのいい言葉やわかりやすい展開に騙される程度の馬鹿ばかりだな。そうやって心中鼻で嗤いつつ、しかし定期的に振り込まれる大量の金や「先生」という甘美な響き、書店へ行くたび目に入る山積みの処女作、俺のインタビューが何ページにも亘って掲載された雑誌、テレビ番組では俺の小説の特集が組まれ、どこにでもいる典型的なヒロインでしかない“彼女”の見た目を真似する若い女の子までが世の中に溢れ出すと、俺はわかりやすく調子に乗った。
『ええ……、書き上げるまでは本当に苦労しましたね。アルバイト中も頭の中でずっと小説のことばかり考えていて。夜、眠っていても、みる夢の舞台はまさにあの世界の中だったぐらいなんです』
 嘘だ。バイト先のかわいい後輩と寝る夢ばかり繰り返しみていた。
『どうしたら“僕”は彼女を救ってやれるのだろう、どうしたら彼女は“僕”を逃がしてやれるのだろう……馬鹿みたいだけれど、作者として、どうにか彼らに逃げ道を作ってやりたかった。正しくない、間違いだらけの人生の、どう足掻いても報われない彼らにも、俺は“生まれた意味”を持たせてやりたかったんです』
 これも嘘。不遇すぎる物語は高評価ボタンを教えてもらえない。清潔で純粋なヒロインが冴えない主人公と共に適度に酷い目に遭いながら最終的には深い愛を知りそっと微笑む、そういう物語ならアクセスしてもらえるかもしれない、ただそう思っただけのことだ。
『インターネット小説だと、やっぱり異世界モノ、転生モノがよく読まれるのかなとは思うんですね。あとはまあそうだな、ボーイミーツガール系は安定して、ですよね。一応俺の小説もその部類ではあるらしいんですけど、自分としてはそういうものを書いているなんて自覚は一切ないです。元々愛とか恋とか、そういったキラキラした世界に対して俺自身がそれほど興味を持っていないっていうのもあるのかな。そもそも全然モテないですしね……。あ、ここ、笑うところですよ? あはは。まあだからってわけじゃないですけど、俺の、この小説も本質はそこにはなくて……。色恋云々というよりは“贖罪と断罪”だとか、その“罪の効力と範囲”だとか、そもそもそれは罪と呼ぶべきなのかとか……今考えると、むしろそっちを追求したくてこの話を書いたっていう部分も少なからずあったんだと思います』
 もはや自分でも何を言っているのかよくわからない。漠然と聞こえのいい、それっぽい言葉だけで構築された俺の薄ら寒いインタビューなんて一体誰が読み、どう理解するというのか。意味不明な羅列で偉そうに「小説とは」「罪とは」「赦しとは」「純愛とは」を笑顔で語る俺を、もう一人の俺が遠巻きに指さして嗤っている。インターネットの投稿サイトに稚拙な小説を載せ、取るに足らない閲覧数に一喜一憂していたほんの一年半前の自分が今の自分を見たら何というだろう――いや、そんなこと、どうせわかりきっている。
「だせえな、コイツ」
 所詮その程度だ。
 この時の俺は、過去の俺に堂々と毒づくことができた。どれだけダサくとも売れたもん勝ちなんだよ、ここはそういう世界なんだよ。誰の目にも触れなかった過去の俺ごときに、今の俺の何がわかるというのだ?


 あの頃からもう四年、世の中は気安く使い捨てるみたくころころと流行を取っ替え引っ替えに、休むことなく日々変質を繰り返していた。当時流行っていた極端に細身のパンツも今では「流行遅れ」の象徴になっていて、街ゆく若者は皆コピーアンドペーストされたかのようにくすんだ色のオーバーサイズカットソーを着、こぞって幅の広いボトムを履く。あの頃は存在すら知られていなかった、イギリス発祥の焼き菓子の店が至る所に乱立し、髪はクレヨンで塗り潰したような色合いに染めることが“おしゃれな人”のステータスじみたものになっていて、女子大生は謎のポップ体フォントで描かれたイニシャル入りの巨大すぎるトートバッグを色違いで買っては写真を撮り、競い合うようにSNSに載せて、身体中から溢れ出る承認欲求を膨大な数の「いいね」で適切に処理していた。
 俺の小説は前記の通り今でも書店に置かれていて、しかし当たり前にピークなんてものはとっくの昔に通り過ぎており、中古本屋では百円棚でばかりその姿を見かけるようになっていた。先日、資料探し目的で立ち寄った中古屋で、ずらりと棚に並ぶ自身の本をやりきれない気持ちで眺めている最中、ふと大学生くらいの男が俺の本を手に取り、
「うわー、懐かしい!」
 そういって、彼は軽く笑った。男の隣に立っていた女も男の手中の本を見、「あー、なんだっけえ? タイトルは聞いたことある」と笑う。男は、
「俺、昔この映画レンタルして観たんだよなあ。高校くらいだったと思うんだけど。結構面白かったんだよなー。主人公たちの制服がすげえ洒落ててさ、クラスの女子とか皆ヒロインの子の髪型とか真似してたの。まあ普通の黒髪ロングなんだけど」
 作者が隣に立っているとも知らず、彼はつらつらと女に向かって俺の作品にまつわる記憶を語った。へえー、そうなんだあ。本も面白いの? 女が訊ねる。すると男は、
「いや、知らない。映画しか観てねえもん。まあ、そこそこ面白いんじゃね? 百円だし買ってみれば?」
 そうして二人はけらけらと笑いながらその場を後にする。
 ふざけんな、読んでもいないくせに「そこそこ面白い」とか言ってんじゃねえよ。
 男女の背をぼんやりと見送りながら俺は言葉を飲み込んだ。この本を出してから早五年。俺は二冊目を出せないままでいた。


 デビュー当時俺の担当となった男とはもうずっと連絡を取っていない。俺のことなんかすっかり忘れて、今は別の売れ筋の新人作家の世話に明け暮れているのだという。金にならないどころか、あれ以来まともに書き上げることすらできなくなった俺に構っている時間なんてあるわけがない。便りがないのは、もう何も期待していないという何よりの証拠。世間だって俺のことなんかとっくの昔に使い捨ててあって、今は元アイドルの男が書いた長編推理小説が売れ筋だった。飛び抜けて顔のいい彼は案の定世間でもてはやされ、俺にはもはや彼の小説も彼のオリジナルグッズのうちの一つでしかないように見えた。五年前、俺の処女作の帯コメントを書いた梅林羽瑠は彼の文才を「神様が与えた言葉の群れ」と評している。彼の信者たちは梅林の言葉を受け、彼のことを、
「かみさま」
 と呼んでいるらしかった。
 彼の小説は俺も発売してすぐ読んだ。文章としての癖が少なく、おそらく誰でも読みやすく、いくらか平仮名の多い彼の小説は、しかし巧妙に練られた展開で見事に登場人物と読者を騙す、極めて上質な推理小説だった。
 素直に、あの梅林をうならせただけのことはある、と思った。けれど、それならば俺だって彼と同じ立場にあったはずなのだ。小説家として華々しいデビューを飾り、似たような展開で世間から注目を集め、文字通り世の中の流れを、流行を作り上げたはずなのだ。彼と、俺と、一体何が違っていたというのだろう? 彼はデビュー作の映画化が決まると同時に、二作目の出版予定日をSNSで大々的に発表した。直後、アクセス集中で出版社のサーバーはダウンし、インターネットの通販サイトではことごとく予約一位を獲得する。彼の新作発表のツイートをリツイートした梅林は、
【一ファンとして非常に楽しみ。早速予約しました。勿論、自腹です。】
 と書き、彼から丁寧な返信をもらい、それをお気に入りに追加していた。
 ここまでくるといっそ清々しいもので、嫉妬の感情は一切芽生えなかった。そもそも、売るとか売れるとか、そういうの、俺には向いてないんだよな。元々趣味で細々と書いていただけなんだから。そんなことを考えていると、ふと昔登録していた小説投稿サイトの存在を思い出した。検索エンジンからたどって、必死に当時使っていたメールアドレスとパスワードをひねり出し、数度の失敗を重ねながらもなんとかログインに成功する。デビュー作が出てからはダイレクトメッセージを受けつけない設定にしていたが、コメント欄を閉じるのを忘れていたようで、数百件にもなるコメントが『新着』という単語を添えられつらつらと行儀よく並んでいた。
 最高でした。さすが先生です。アマチュア時代からこんなに面白かったんですね。掲載されている作品、一晩で一気に読んでしまいました。フェチズム全開で面白かったです。どうすればこんな展開の作品が思いつくのだろうか。先生の作品を読めて本当によかったです、次回作も期待しています。
 目を通した過去作は、どれも顔から火が出るかと思うくらい拙かった。けれど、確かにこのころの俺は「小説を書く」という行為を心から好いていたように思う。
 別に、本になどならなくたっていいのではないか。読みたいと言ってくれる人はここにいた。売れるモノはきっと書けない。けれど、ここでもう一度、何よりの趣味として、俺は小説を書いてもいいのではないだろうか。もう自分のことを諦めてもいいのではないだろうか?
 俺は数ヵ月振りにペンを握る。表紙にきょうの日付と【新作】とだけ書き記し、そっと表紙をめくる。まるで誰かに乗り移られたみたいにペンは走り、俺はやっと自身の「書きたかったモノ」の形を思い出しつつあった。


 五年半振りにアップした中編小説の評判は散々なものだった。
 デビュー作とは違い、愛も希望もない残酷な世界を残酷なままに書き上げた俺の小説は『思いもしなかったネットでの、無料掲載での新作発表』とSNSで瞬く間に拡散され、あらゆる人間の目に触れ、すぐさまそこいら中暴言交じりの書評で溢れた。俺は連絡も入れずに掲載したことを出版社の人間からこっぴどく罵られ、その間にもインターネットの海では俺への誹謗中傷が洪水となってボコボコと溢れ零れ続けていた。
 動画配信サイト、個人ブログ、ネットニュース、ありとあらゆるところで俺の小説は「読むに値しない」と弄ばれ、最終的には俺が作家名で動かしていたSNSのダイレクトメッセージには自称カウンセラーだとか自称セラピストだとかが「先生の心を救いたい」と、それこそ“読むに値しない”長文のメッセージを放り込んでくるようになった。
 俺の最低最悪の新作は、しかし梅林や、あの元アイドルの小説家が何か言及してくれることなど一切なかった。所詮お前の文章なんてこの程度でしかないのだ、と言われているような気がして、俺にはその事実こそ何より耐えがたい苦痛そのものだった。


 その後俺は小説投稿サイトのコメント欄を閉じ、SNSに鍵をかけ、そうして小説家としての俺にそっと蓋をした。
 今の俺は自ら進んで本屋に行くこともなくなり、知人から紹介してもらった飲食店のアルバイトで生計を立てている。小説家として、デビュー作で稼いだ金のほとんどはもう使い果たしていて、残りはいざというときのために手を付けないでおこうと思っている。
 今でも、インターネット上では時々俺の小説に関するレビューを目にする瞬間がある。デビュー前の瑞々しく幼稚な、けれど生き生きとした作品と、デビュー作のチープで安易でテンプレートじみた恋愛小説、そして正気の沙汰とは思えない、最期の一作。俺はもうそれらに目を通さない。自分の傷を抉り返すことが健全ではないことをきちんと理解しているからだ。
 きょうも世界では流行が消費され続けている。元アイドルの推理作家はいつの間にか食にまつわるエッセイストに変わっていて、先日毎週末の外食について綴った新刊が発売になったらしい。機会があったら読んでみようとは考えているが、おそらく買うとしたら中古本屋なのだと思う。
 今の俺は、中古本屋の小説コーナーに立ち寄ることができない。きっとそういう奴がこの世界には何千、何万といるのだろう。小説投稿サイトも、SNSも、そのアカウントを放置したままだった。この惨めたらしい未練がいつか、もう一度俺に何かを書かせてくれるんじゃないだろうか。俺は心のどこかでそういう、ありもしない奇跡を待っているのかもしれない。
「ありがとうございましたあ、またどうぞ!」
 客が去ったテーブルへ食器を下げに向かう。客が忘れていったのか、あるいはここに捨てていったのか。食器の横の中古本には値札シールがべったりと貼られ、薄汚く手垢まみれになっていた。
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