第1話

文字数 1,998文字

止まった時間
Saven Satow
Mar. 13, 2023

「時間こそが心の傷の妙薬なのです」。
瀬戸内寂聴

 君は今でも17歳です。あれから40年経ちます。けれども、君は学生服のカラーを開け、くりくりとした黒目をして、黒い横分けの髪に天使の輪が見えます。君は永遠に17歳です。

 あの日、いつものように、家の前で君を待っていたことを今も忘れません。君は姿を見かけると、バイクの速度を落とし、自分の自転車と並走して挨拶と雑談を交わしてくれたものです。けれども、いつもの時間を過ぎても君は現れません。どうしたのだろうと思いながら、遅刻すると先に登校することにします。

 教室に入ると、いつもと違い、落ち着かない空気で、何かあったようだと誰彼となく話をしています。野球部のエースに尋ねると、職員室の様子がおかしいとの答えです。どんな具合かとさらに聞くと、強張った顔をして教師たちがいつもより早く職員室に入り、生徒は立ち入り禁止になっていると首を傾げます。

 ホームルームの時間になっても担任が教室に現れません。いつもより遅れて入ってきた彼の蒼白の横顔にただならぬことが起きていると予感します。いつもと違うその雰囲気を察知して、何も言われなくてもみんな席に着きます。

 メガネの奥の目は充血し、髪は乱れ、憔悴しきった顔の担任は、少しじっとしています。そして、教卓に両手をつき、意を結したように、君が亡くなったと声を絞り出すのです。

 確かに、君の姿は席にありません。しかし、突然どこかに放り出されたような気がして、、現実感がなく、何を言っているのかまったく理解できません。実際、誰からも一言の反応さえありません。

 時間と空間が凍りついたように思えていた時、何人かの女生徒が泣き出します。一番後ろの席からそれを見ていて、仲のよかった自分よりなぜ先に彼女たちが泣くのかと腹ただしく思えます。けれども、いつまで経っても涙は出てきません。ただ、なぜという問いだけが頭を占めているだけです。昨日も君と会っていたのに、なぜ今日こんなことになってしまったのか訳が分からないのです。

 担任は君が以前から偏頭痛に苦しんでいたとの保護者から話があったと語りましたが、それ以上の説明をすることはありません。その後、ホームルームがどうなったのか覚えていません。

 初めて聞く話です。そんなに苦しい偏頭痛を抱えていたなら、なぜそれを言ってくれなかったのかと自分の思いが先に立ち、君の心情に寄り添うことができていません。

 あの時の担任は、老け顔でしたが、おそらく40代だったと思います。すでにその齢を超えた今では、彼の気持ちがよくわかります。なぜそこまで苦しんでいたことに自分は気がつかなかったのかと後悔と自責の念に苛まれていたに違いありません。発作的にしたことだと言われても、自分の背負ったものが軽くなるわけでもありません。自分の力不足が死に追いやってしまったと本人や保護者に申し訳ない気持ちでしょう。涙もろくなるのは経験が蓄積され、その立場に身を置いて感じられるようになるからです。

翌朝、いつものように、待っていましたが、君は現れません。君はもういないんだなと思った瞬間、初めて涙が溢れてきます。そのまま自転車のハンドルにもたれかかったことを覚えています。

 あれから卒業まで君のことを友人と話すことはほとんどありません。触れたくなかったと言うより、どう受けとめていいのかわからなかったからです。他の同級生もそうだったのかもしれません。卒業文集に君と一番仲のよかった彼が「あいつ」と思い出を短く記していたのを目にしたくらいです。

 君を待てずに、一人自転車を漕ぎ出す自分の後ろ姿があれから何度となく思い出されます。見えているはずもない光景なのに、カメラで撮影された動画のように、その記憶が反芻されるのです。その君を置いて走っていく後ろ姿が悩みを知らずにいた自分を象徴していると思えるからでしでしょうう。

 最も親しかった友人ではなかったけれど、最も思い出すのは君です。同級会にも出席していませんので、クラスメートとは誰ともつき合いがありません。名前や顔を忘れた人も少なくありません。あの止まった時間に君が今もいるからのように思えます。

 最近は生成系AIが発達していますから、音声や画像の記録がある程度あれば、過去のみならず、現在の声や姿を示すことができるでしょう。しかし、誰とも思い出を共有していないのですから、彼は君ではありません。それに触れても、時間は動き出さないに違いありません。

 いつになるかわかりませんが、いずれ君のところに行く時が来ます。けれども、顔にはシワがより、白髪になった姿に誰なのか君は気づかないに違いありません。ただ、その時、自分の時間も止まり、君と思い出を共有できるように思えます。そんな時が来たら、また会いましょう。
〈了〉
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