第18話 天才の道標

文字数 1,772文字

 芳野が立ち上がり、アンコールを求められる。

 なのに、あいつは華麗に無視して一人の観客の前へと進み出た。

僕の代わりに弾いてくれるかい?
……はい
(……あの子は確か?)
 まだ小学生なのに、少女は品のある佇まいで鍵盤の前に座った。
 誰がどう見ても、芳野より幼い女の子。

 それが先ほどと同様――

 いや、下手をすればそれ以上の演奏を披露する

彼女が本物の天才だよ

(だから……か)
僕なんかじゃなくてね
~♪

俺にピアノの良し悪しはわかんねぇよ。

ただ、おまえもあの子も上手だな。

あと、本当に楽しそうに弾いている

そう? なら、充分だ
 芳野は笑って、目を閉じた。

 そして、本当に楽しそうにピアノの旋律に耳を傾けていた。

芳野、先輩
 演奏が終わり、再びアンコールが巻き起こる中。

 先ほどと入れ替わった光景が広がる。

わたし、芳野先輩のピアノ大好きだったんです
……
初めてのコンクールで失敗しちゃって、もうピアノなんてやりたくないって嫌いになりそうになった時――芳野先輩の演奏を聴いたんです
 なにやら、重たい雰囲気。

 大事な話を邪魔しては悪いと思ってか、

やれやれ、オレ様の出番か
 今度はジジが鍵盤の前に座った。
猫踏んじゃった猫踏んじゃったねここ踏んじゃったらなんて鳴く?
にゃー
 演奏への期待が高まっていた中、ジジとねここは漫才を披露した。

(鋼のメンタルだな)

すごかった。どうしたらあんな音が出せるのかって不思議に思った。

気付けば目は芳野先輩の指を追って、聴き入っていた。

それまでは早く帰りたいって思っていたのに……もうピアノなんてやらないって泣いていたのに……

 一応、ウケてはいるようで観客たちの関心が移る。

 おかげで、芳野たちは気兼ねなく話ができていた。

ちゃらり~ん鼻から牛乳。

ちゃらり~んねここから小銭。

ちゃらり~んそれただのカツアゲ

 もっとも、BGMは最悪だ。

わたし、それからいっぱい頑張ったの。

コンクールに出れば絶対芳野先輩の演奏が聴けたから。

けど、急に見かけなくなっちゃって……どうしたのかなって、ずっと気になってたんです      

(それであの時、芳野のことを訊いてきたのか)
 正直、ジジのネタは力押しだったので冷静になるとつまらなかった。

 その為、俺は悪いと思いながらも二人の会話に耳を澄ませる。

もしかして……ピアノ辞めちゃったんじゃないのかって
辞めてないよ
 微塵も動揺を見せず、芳野は答えた。

ピアノは続けてる。

本当は辞めようと思ったんだけど、やっぱり好きだから辞められなかった。

でも、今じゃ自分の好きな曲を好きなように弾くだけ。

ううん、僕は一生そんな風にピアノを弾き続けると思う

オレ様、実は魔法使い。

今から死の魔法を使ってみせる。

この曲知ってる人、手をあげて

手をあげた人、はい――ロリコンオタク。

これぞまさに死の魔法♪

 なにをしたのか、ジジは観客の中年オヤジと言い合っていた。
祥子ちゃんも……そうだろう?

うんっ! 

名前、知っててくれたんだ

あぁ、だってきみのピアノ……僕は好きだから。

きみのピアノは本当に素晴らしい

だから、今度は僕が勇気を貰ったみたいだ。

祥子ちゃんの演奏を聴いて、またピアノを頑張ろうって思えたよ

ほんとですか!?

あぁ、本当さ。

だからきっと、また会える

やった!
 祥子は年相応にはしゃいでから、恥ずかしそうに大人しくなった。

 そして、芳野との会話は終わったのか、そのまま人混みに流れていく。

僕は天才に会ったと思っていたけど……

どうやら、勘違いだったみたいだ

 芳野はいきなり懺悔した。

 どうやら、盗み聞きしていたのはバレているようだ。 

そんなところに……差はなかったんだ
……
 事情を知らない俺に迂闊なことは言えなかった。

 ただ、それでも言わなければならないことがあった。

馬鹿正直に手をあげるほうが悪いんだろうが! 

つか、今更オレが撤回したって遅いだろ

ちょっ! ジジ、煽っちゃダメっすよ。

ハゲとデブはしつこいんすから

――アキト。

とりあえず、あの馬鹿ども止めるぞ

 目を離していた隙に、ジジと観客の言い争いがヒートアップしていた。

そうだね。

せっかくの文化祭、揉め事は歓迎だけど捕まるのは勘弁したい

 そうして、俺とアキトは動きだす。

 二人の馬鹿を引き連れて、逃げるように講堂を後にしたのだった。

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登場人物紹介

主人公、秋葉(あきば)

諸事情により名前は黙秘。作中でさえ語られないものの推理は可能。

ちなみに母親などから「しーくん」と呼ばれている。

両親がパティシエなこともあり、お菓子作りが得意。

高校1年生だが友達はおらず、クラスで孤立している。


芳野アキト。友人たちからは何故だか「閣下」と呼ばれている。

人を食ったような性格で、何を考えているのかわからない。

ピアノの腕前は天才と称されるほどだが、とある事情から距離を置いている。

秋葉と同じ高校1年生で、彼とは別の意味で浮いた存在。

十文字マキナ。友人たちからは「ジジ」の愛称で親しまれている。

見た目はチャラいものの、発言の多くが著作権に触れかねないほどのオタク。

元天才子役だが、とある事情から舞台を去っている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは幼馴染の関係。

猫田。下の名前は誰も知らない。友人たちからは「ねここ」と呼ばれている。

アキトやマキナと共にいるのが不思議なほど、特徴のない少年。それを自覚してか、語尾で頑張ってキャラ付けをしている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは同じクラス。

四宮初菜(しのみやはつな)、小学1年生。

秋葉の母親の後輩である、和佳子の娘。

年齢に見合わない仕草や影があり、見る人が見れば歪な少女。

江本祥子、小学6年生。初菜にとって、おねーさん的存在。

アキトたちと面識がある様子だが、その関係性は不明。

年齢の割に大人びていて、手が大きい。

四宮和佳子。初菜の母親で年齢は内緒。

秋葉父の教え子であり、秋葉母の後輩。現在は秋葉両親が営むカフェの従業員。

曰く、元キャリアウーマンらしい。旦那とは離婚している。

秋葉の母。女性の菓子職人パティシエール。

夫とは年が離れているからか、年齢の割に少女の面影を強く残している。

秋葉の父。元教師、元彫刻家。現在はパティシエ。

妻との出会いは学校の教師と生徒だが、関係を持ったのは卒業後。

涼子先輩。料理部の部長で高校3年生。

中高一貫なので、中学時代から秋葉のことを知っている。

だが、高校生になってからは一度も会っていない。


 秋葉のクラスの委員長。

 孤立している秋葉を気にかけている。

保険医。サボり癖のある秋葉とアキトが一番お世話になっている先生。

なのに、2人からは名前すら憶えて貰っていない


増田先生。

数学を教えている高校教師で、生徒からは嫌われている。

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