第1幕

文字数 3,030文字





 その日の放課後、晶が生徒会室へと出向くことになったのは、国語の教師からの頼まれ事がきっかけだった。

 偶然職員室の前を通り掛かったタイミングと、国語の教師が扉を開けて現れたタイミングが、ほぼ同時だった。

 焦げ茶色の縁の眼鏡を掛けた小太りの国語教師は、何食わぬ顔で通り過ぎようとした晶を手招きすると、抱えていた数冊の大判の本を、当然のように彼に手渡した。

 「これから緊急の職員会議があるんだよ。

 悪いんだけど、この卒業アルバム、生徒会室まで運んでおいてくれるかな。助かるよ」

 国語教師は、晶の返答を待つこともなく、彼の鼻先で、スライド式の扉をぴしゃりと閉めた。

 晶は、いきなり手渡された卒業アルバムの重みによろけつつ、廊下に呆然と立ち尽くすしかなかった。

 図書室へと向かう近道として、職員室の前を通ったのが仇になった。

 生徒会室は、図書室とは反対側に位置するので、頼まれ事を片付けてから向かうとなると、かなりの遠回りになる。

 だからと言って、無責任に放り出すわけにもいかず、気の進まないまま、生徒会室の扉の前に到着した。

 両手が塞がっている状態で、どうやって扉の把手を回そうかと思案しているところに、丁度良く内側から扉が開放された。

 しかし、その勢いは、突風のように凄まじいものだった。

 晶はその煽りを食らって、その場に尻餅をついてしまった。

 その拍子に、晶の手を離れた卒業アルバムが、彼の周りにばさばさと乱れ落ちた。

 それはまるで力尽きた鳥達のようだった。

 その時生徒会室の出入口に現れたのは、飛び抜けて上背のある少年だった。

 そしてその人物は、この場にいても何の不思議もない立場にあった。

 何故ならば、彼は何を隠そう、全校生徒から満場一致で選ばれた、生徒会長その人だったからだ。

 けれど、彼が部屋の中に向かって言い放ったのは、生徒達の尊敬の的である生徒会長らしからぬ暴言だった。

 「そんな占い、インチキに決まってる!

 俺は絶対に、そんな馬鹿げた結果なんか、認めるもんか!」

 生徒会長は、他に何も目に入らないほどいきり立っていたらしく、出入口付近に座り込んでいた晶に気付くと、驚くと同時に、さもばつが悪そうな顔付きになった。

 それでも、なけなしの理性の欠片を拾い集めるかのように、長めに伸ばしている前髪を掻き上げると、ぎこちなく微笑んでみせた。

 それから、足許に散らばっていた卒業アルバムを、屈み込んで拾い上げ、それらを晶の足許に、きちんと積み上げた。

 そうして、素早い口調で、こう耳打ちしてきた。

 「驚かせて悪かった。

 分かってると思うけど、今日のことはオフレコで頼むよ」

 生徒会長は、晶の左肩を、駄目押しのように何度か軽く叩くと、静かに立ち上がり、落ち着いた歩調でその場から立ち去っていった。

 抜かりがないというのは、彼のためにある言葉だろう。

 けれども、ここまで徹底して根回しに心血を注ぐ態度は、嫌みにしか映らない時もあった。

 晶は、左肩に残った不快な感触を、右手で何度か払い終わると、数冊の卒業アルバムを抱え直して、立ち上がった。

 生徒会長が、部屋に向かって罵声を浴びせていたということは、そこに誰かが残っているということだ。

 今のこの状況を考えると、室内に足を踏み入れるのは、かなり気まずい行為と言えた。

 それでも、確実に深い痛手を負っているであろう人物を、見て見ぬ振りをすることは、どうしても出来なかった。

 しかし、そうは言っても、暫く独りきりでいたいかも知れないし、気の利いた慰めの言葉を掛けることは出来ないかも知れない。

 仮にそうであったとしても、傷付いた心に、黙って寄り添ってあげることは出来る。

 晶は、恐る恐る生徒会室に足を踏み入れた。

 その部屋の中には、六人掛けの簡素なテーブルが二つ並べてあり、壁際には、スチール製の棚が三つ並んでいた。

 それだけで空間が一杯になってしまう、手狭な部屋だった。

 けれども、南向きの窓の大きさだけはゆったりと取られており、採光はふんだんに確保出来た。

 そして、懐かしく感じるような日向臭さが充満していた。

 「‥…誰か、いる?」

 卒業アルバムをテーブルに預けて、窺うように声を掛けたのは、晶の立ち位置からだと、室内に誰もいないように見えたからだ。

 けれども、やはり人は存在していたらしい。

 部屋の奥の方から、蚊の鳴くような掠れた声が聞こえてきたのだ。

 「ちょっと手伝って欲しいんだけどさ、そこら辺に、僕の眼鏡が転がってる筈なんだけど、見てくれないかな?

 僕が見えないままで動き回ると、潰してしまいそうで、恐いんだよね」

 急いでテーブルの向こう側へと回ってみると、そこには、壁際に座り込んで目を細めている少年の姿があった。

 そして、彼の周囲には、ジェリービーンズのような色の洪水が渦巻いていた。

 それらはまるで、極彩色の端切れを次々と縫い合わせて作られた、クレイジーキルトのようだった。

 けれども実際には、一枚一枚に様々な情景が描き込まれた、数多くの絵札だった。

 その絵札の情景を追っていくうちに、一つの壮大な物語の流れが浮かび上がってくるようだった。

 南向きの広々とした窓からは、淡い蜂蜜色の陽射しが穏やかに流れ込んでいた。

 それがメタリックグリーンのフレームに嵌まったレンズに反射して、鈍く煌めいた。

 晶は、散乱している絵札を踏みつけてしまわないように気を付けながら、屈み込んでその眼鏡を拾い上げた。

 それから、視点が定まらずに、ぼんやりした表情をしている少年に手渡した。

 彼は、そばかすが目立つせいか、どこかしら愛嬌のある親しみやすい雰囲気を漂わせていた。

 そうして、左頬には一筋の引っ掻き傷が走り、血が僅かに滲んでいた。

 「大丈夫、眼鏡はどこも壊れていないよ。

 だけど、左頬に傷が出来てる。

 立ち入ったことを訊くようだけど、生徒会長との間で、一体何があったんだい?」

 少年は、短く礼を言って、フレームを両耳に掛けると、レンズ越しのしっかりとした眼差しで、晶の視線を捉えた。

 「彼はね、占いの結果を受け入れる心の準備が、出来ていなかったんだ。

 今回のことは、占いの結果が悪いのでも、彼の心の有り様が悪いのでもなく、僕の伝え方がまずかったんだと思う。

 いくら真実の結果が出たのだとしても、もう少し、彼の気持ちに配慮した言い方を選ぶべきだったんだ。

 ‥…なまじ、立派に生徒会長なんてやってるから、誰よりも大人びて見えるけど、実際には、僕らと大して変わらないわけだからね」

 少年は、そこでふっと苦笑すると、油断したよ、と力なく付け加えた。

 それから、周囲に散乱している艶やかな錦絵のような絵札を、一枚一枚、丁寧に拾い集め始めた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

・・・ 第2幕へと続く ・・・

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