22.戒厳令下

文字数 3,621文字

 18世紀から変わらぬ外観を保っている古い宮殿の正面に、「民族浄化」「魔女からの解放」と赤く書かれた大きな垂れ幕が掲げられていた。
 宮殿前の広場には、幾つもの柱が立ち並び、そこへ老人から子どもまで血だらけの体を縛り付けられ、AK74(アサルトライフル)を構えたエメトリア革命軍の兵士達が、その周囲を警戒していた。
 公開処刑場を囲む群衆は、自分たちにはどうすることもできない、絶望的な無力感に覆われていた。
 青ざめた老婆に手を連れられた少女が、縛り付けられている女性を指さし自分の母親だと訴えている。
 目を赤く染めた老婆がそれには応えず、唇を噛みしめ処刑台に縛られた自分の娘を見つめ続ける。
 土煙を上げて一台のジープが処刑場へと到着した。
 ラトム・トラディッチ大佐。
 女王を守るための親衛隊長にして、今回のクーデターの首謀者。
 東側諸国と密接な関係を長い時間をかけて構築し、国内に引き入れることで圧倒的な軍事力を確保することに成功している。そしてその軍事力は守るべき女王とその政権に向けられた。
 女王の側近やそれでも尚女王に与する部隊や官僚達を監禁して、尋問という名の拷問を続けている。
 理由は、女王とその側近で構成される異能の者達、通称「魔女達の森」と呼ばれる集団が市内に潜伏、または国外に逃亡した事にある。
 彼らの言う民族浄化とは、この異能力者とその周辺に親近者、関係者を一掃することを意味していた。
 純粋な人間であるエメトリア人によるエメトリアの支配。
 トラディッチ大佐とその配下の革命軍事政権が掲げる民族浄化の理念は、異能者に支配されているエメトリアの救出だった。
 革命前までのエメトリアは、女王を国家元首に、民衆から選ばれた国家議長がこれも国民から選ばれた議員で構成される議会とともに民意を政治に反映する極めて民主的な国家だった。
 女王は元首ではあるが象徴的な存在ではなく、いくつかの国家重要事項について権限を持ち、議会ととも法律案を採択する権能を有してはいるが、それも古来の母系社会という良質な社会風習を後生に残すために必要最低限の力しか与えられていなかった。
 一方、ヨーロッパ大陸の東側、海からも離れ、周りを東側と西側の勢力国家に囲まれた小国として、元首と議長に指揮権のある軍隊も存在した。
 徴兵制も存在しており、男子は18歳になる約2年の兵役につく。
 また、戦時には国民も国民軍として戦うことが憲法で義務化されており、すべて家のロッカーには、アサルトライフル、迷彩服、ボディアーマー、ヘルメット、コンバットブーツ、ナイフ等々の正規軍とかわらぬ装備が備えてあり、他国の侵略があれば、国民全員が武装して戦うことがあたりまえの思想として定着していた。
 もっとも、母系国家的な思想を元にした、極めて民主的な国家政策と、古来より培われ、他国の侵略を撃退してきた異能者達の噂によって、二次大戦後は比較的平和な日々を享受していた。
 エメトリア革命軍が標榜する「民族浄化」とは、一部の過激な民族主義者達が掲げてきた思想だった。
 古来より生まれてきた異能者達は国家を裏で操る権力者で、排除すべき存在である。男性を中心とした政治支配による軍事国家化がエメトリアの将来を保証すると。
 過激で偏った思想は常識的な民衆には受け入れられず、ごく一部のアンダーグラウンドな若者達や、女系社会を好まない男性社会によって信奉されていた。
 数年前、エメトリア国境付近で、修学旅行中の女子高生達の一行が隣国の一部暴徒化した軍隊に拘禁され、虐殺される事件が発生した。
 エメトリアの国民の多くはこの事件を侵略として認識し、国民軍の招集があると考えていたが、時の女王は政治的な対話による平和な解決を望んだ。 
 怒れる国民達をなだめる一方で、虐殺を行った隣国からの謝罪と遺族達への多額の賠償金の支払いという形で決着をつけた。
 この時の女王の判断は苦肉とはいえ、報復という形の戦争へと発展させないためには正しかったと言えるが、このある意味弱腰に見える姿勢が、一部の暴力機構を必要悪と考えている人々の反発を助長し、その火種は確実に軍部の中枢を支配していった。
 ソビエト軍事大学で戦略、戦術論を専攻し、その後、軍隊で十年ほど訓練を受けて帰国後、エメトリア正規軍に入ったラトム・トラディッチは生粋の男性中心の社会主義者だった。
 祖父、父共に軍人であり、祖父と父は二次大戦でソ連軍と共にナチスドイツと戦った経験がある。
 トラディッチが幼少時から、異能者の異質性とその支配について祖父、父共から排除すべき物として教育を受けてきていた。
 親衛隊の隊員採用の際は、徹底した思想チェックが行われるが、人間としてある意味能力の高いトラディッチはその検査をなんなくパスして入隊を果たし、今日まで女王の親衛隊として極めて優秀な働きをしてきた。
 しかし一方で、軍部内に確実に自身の支配勢力を広げていった。
 それでも、女王と議会の支配体制は強く、軍部の大部分をほぼ掌握していたトラディッチにしてもクーデターなどは夢物語でしかなかった。
 なぜなら、女王の国民からの支持は圧倒的であり、その全員が国民軍として決起した場合、親衛隊と一部の正規軍の戦力では対応のしようがなかったたからだ。
 しかし、ソ連時代の友人から紹介を受けた、ある政治局員との面談から事態は思わぬ方向へと進み出す。
 政治局員がトラディッチに示した作戦案と資金、供与される軍事力は一国を支配するのに十分な物だった。
 女子学生の襲撃事件ですらその一環であったのだ。
 そして、それらの供与した者達が望む見返りは、現代の魔女狩りと呼ぶにふさわしい内容だった。
 ジープから降り立ったトラディッチを見て民衆の中からその名と賞賛の叫びが連呼される。
 しかし、唇を固く結び、憎しみと絶望のこもった視線で見つめ続ける民衆が大半だった。
 トラディッチ大佐に刑場のリーダーらしき兵士が駆け寄り指示を仰ぐと、まもなく大きめの拡声器を持たせた部下を従えて、張り付け台の前で演説を始めた。
「この者達は、エメトリア革命軍の精神である、民族浄化、異能者排除を否定し、今だ異能どもの行方を隠蔽する者達である。よって、エメトリア革命軍条項にのっとり、本日18時に公開処刑を行う」
 一部の歓声と一部の重苦しい沈黙。
 十分な間をとった革命軍の兵士が、
「しかし、革命軍としても異能者とその近親者達に生きる道を与えたいと考えている。18時までに女王を中心とした”魔女達の森”の所在が明らかになれば、処刑は延期されるであろう」
 満足そうに演説を終えた兵士が民衆を見回す。
「人殺し!おまえ達こそ死んでしまえ!」
 若い女性の声が響いた。
 一瞬、民衆も、そして革命軍の兵士でさえ驚きを隠せなかった。しかし兵士達はすぐに訓練による平静さを取り戻し、次に一気に怒りを沸騰させた。彼らの手に入れた権力に反発することは絶対的に許されないことなのだ。
 声を上げた女性は、かけつけた革命軍の兵士達に取り囲まれると、銃床で何度も殴られ、顔の形が判別できない状態になると、血を滴らせながら足を引きずるようにして連行されていった。
「我々が人殺しと思う者は、前に出てこい!」
 リーダーがゆっくりと民衆を見回しながら胸をそらして睥睨する。
「我々の、民族浄化、異能者駆逐という崇高な目的に反対する者はいつでもでてくるがいい」
 ゆっくりと落ち着いた口調で話すその刑場のリーダーの目は、明らかに権力に陶酔した者の狂気がにじみ出ていた。
 静かになる群衆を満足そうに見回すと、トラディッチが運転席の背を叩く。
 トラディッチのジープが走り去り、演説を終えた兵士が刑場に敷設されている仮設テントに去ると、民衆は重苦しい空気のまま三々五々解散していった。
 その中で深めのフードをかぶった女性が二人。
 エリサとカーラだった。
 二人は難民キャンプで宮殿から逃れてきた側近の一人をみつけ、国境でも監視の手薄な場所から徒歩でエメトリア国内へと潜入を果たしていた。
 二人は視線をかわすと、解散する民衆に紛れるようにして去って行く。
 その後ろ姿を遠目に確認する二人の背広姿の二人組。
 フェルト製のハット、丸眼鏡、茶の地味な三揃えスーツの男が、となりの背の高い男に何か指示を出す。
 小型の無線機をだした男が連絡を取るのを横目に、遠ざかるエリサとカーラを見つめ続ける。
 その目の光があまりにも異様だったため、近くを通った男女二人組がぎょっとして、次に足早に遠ざかっていった。
「あの二人を尋問にかけるのが楽しみですよ」
 さも楽しみに、よだれを垂らしそうな顔で笑うその姿に、もう一人の男の背筋に冷たいものが走った。軽く肩をすくめて気持ちを追いやると、先に進む男の姿に追随して、ゆっくりとエリサとカーラの追跡を開始した。

To be continued.
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