第1話 ②
文字数 3,466文字
二年前からずっとこんな感じである。雨が降りそうで降らないどんよりとした曇り空で、眺めていると何となく気が滅入る。たまに晴れ間が覗いたり雨が降ったりもするが、大抵は今のような空模様だった。
この天候不良は自然現象ではなく人為的に起こされたものである。それも本来なら二年前に解決されるはずで、途中で放棄したのは非難されて然るべきだと思う。しかし幸か不幸か、この世界の民衆はこれっぽっちも希望を失っていなかった。
ニフサ村に住む俺という人間は、立場上ただの旅の同行者にすぎない。目立たない役回りにもかかわらず村人がよくしてくれるのは、いつかこの雲が晴れる日が来ると信じきっているからだ。
自分には何の力もないが、これだけの期待をかけられながら無視はできない。
「俺にできることなんてたかが知れているのに……」
受け取ったジャガイモをキッチンに置き、着替えるため寝室に行った。いつもの普段着の上から、しばらく袖を通していなかったフード付き膝丈コートを羽織る。
あの男のことだからどうせ村にはいないだろう。だがもしかしたら何か手がかりを掴めるかもしれない。俺は例の封書をポケットに入れ、小屋を施錠してニフサ村を出た。
すぐ隣の村、ヒトイ村までは歩いて五分で着く。それでもあの男は奇跡のように道に迷い、半日ほどかかってニフサ村にやってきた。野草を摘みに出かけた山の中で、挨拶もそこそこに用件だけ告げられたのを憶えている。
自慢ではないが、俺には地図を正しく読み解くスキルと、出会ったものを細かく記録する几帳面さ、そういうものがあった。絶望的な方向音痴であり、大雑把で面倒くさがりのあの男にはどれも欠けた能力である。徒歩五分の道のりを半日かかって歩いた話を聞き、心底呆れながらも旅の同行を承諾した。
と、懐かしく振り返る間もなくヒトイ村が見えてきた。普通に歩けば迷いようのない道なのである。
仰々しい外見の家までやってきて、そこにある立て看板を読んだ。驚いたことに現在この家は文化財として一般公開されているらしい。
「あれっ、珍しいね。観光の人?」
そこらを歩いていた村人が気付いて近寄ってきた。
「ここ、勇者の自宅ですよね。勝手に入っていいんですか」
「中で暴れたり物を壊したりしなければね。人が住まない家は長持ちしないっていうし、それなら寄付を募って修繕費に充てることにしたんだ」
「へぇ……。あいつのために随分熱心ですね」
俺は皮肉っぽい口調を隠さず言った。
「ヒトイ村はあの子のおかげで有名になれたんだ。昔はただの田舎だったけど、勇者を輩出した村って紹介されてから、川魚や畑の野菜を高値で買い取ってもらえるようになった。町に出稼ぎに行く若者も増えたし、いいことずくめだよ。あの子が帰ってくる場所は我々が守ってやらなきゃ」
「ってことは今、勇者は不在なんですね。どこにいるかご存じありません?」
「わかれば苦労しないよ。僕らもあの手この手で探しているけど、いまだ有力な情報がなくて困っているんだ。でもどうしてそんなことが知りたいの? あの子のファン?」
「いえ。ただの同行者です」
顔を憶えられていないことにむっとしつつ、俺はそう答えた。
「そういえば見たことがあるような……。確か、テバ何とか……」
「エバンテです」
「ああ、そうそう。懐かしいな。元気にしてた?」
「順番が逆じゃないですか。とにかくあいつはここにいないんですね」
イライラしながら言ったところで、近くを通りかかった別の村人が声をかけてきた。こちらはひと目で俺が誰かわかったらしい。
「あらー、ロベオくんのお友達の。握手いいかしら?」
「どうも。二年も留守にしてすみません」
自分のせいではないが、罪悪感に駆られた俺はなぜか謝っていた。
「いいのよ。何年経ったって応援しているから。ロベオくんに会えたらそう言っといて」
「会えたら言っておきます。あいつが今どこにいるのか、手がかりでもあればいいんですけど」
「そうねぇ。ロベオくんの帰りを待っているのはわたしたちだけじゃないし、それこそ世界じゅう探し尽くされているはずよ。それでも見つからないってことは……」
「まさか、すでにこの世のものではないとか?」
おもわずあとを引き取ると、その村人は怒ったように言った。
「違うわよ。前人未到の地で人知れず修行を積んで、レベルアップして戻ってくるつもりかしらって言いたかったの。リタキリアを陰気くさい雲で覆った張本人、魔王とかいう悪人はまだ健在なんでしょ?」
リタキリア。この広大な世界を混迷に陥れたのは魔王ダモゾーマその人である。ヒトイ村出身の勇者ロベオが討伐に向かったものの、とどめを刺さずに放置したため、まだ世界のどこかで暗躍している。と思われる。
俺も最前線にいたひとりであるが、魔王が今どこでどうしているかは知らない。リタキリアの完全支配を目論んでいたにもかかわらず、二年が経った今も達成されていない。まるで勇者の不在にかこつけたように息を潜めている。
普通なら勇者の不在をいいことにリタキリア支配を円滑に進めようとするだろう。別にそうしてほしいという意味ではないが、それが正しい悪の道のような気がする。
……というわけで俺は勇者の家に足を踏み入れた。どの部屋も掃除が行き届き、塵ひとつ落ちていない。本人がいつ帰ってきてもいいように村人総出で管理しているのだろう。
広いリビングを抜けて勇者の私室を覗くと、壁にでかでかと世界地図が貼ってあった。北がどちらかもわからないくせになぜこんなものがあるのか疑問だった。インテリアのつもりかもしれない。
承知のとおり、リタキリアは広い。そこに住む民衆は蟻の数ほど多い。二年かけて本気で探せば勇者のひとりぐらい見つかりそうなものである。そうならないのはロベオ自身が人目につかない場所を選び、姿を隠しているからと考えるしかない。要するに雲隠れというやつだ。
だがまともに地図も読めないあの男がどうやって……。
何か手がかりがないか探すと、きちんと整理された本棚が目に入った。中の一冊に見覚えがあり、指を引っかけて取り出す。
それは「リタキリア冒険記」と題された分厚い書物だった。書き手は誰あろうこの俺だ。各地の地図や隠しアイテムの場所、主要人物からモブキャラの詳細情報まですべて網羅している。とはいえ未完なので最後のほうは白紙だった。
「自宅のどこにもないと思っていたら、あいつに貸したきりだったのか」
他に貸したままの書物はないかと探すと、リタキリア冒険記を抜き出した隙間の横に大判のスクラップブックがあった。あのロベオがこんなマメなことを? と思いながら開くと、中には手書きのメモが貼ってあった。
「なになに……。目印は黄色い屋根の家、そこを曲がって右に進む。いなくなったペットのピーちゃんを探す老人の横を左に曲がり、その先の三叉路は真ん中を通る。昼夜問わず痴話喧嘩を続けるカップルは視線を合わさないよう気を付けてすり抜ける。川を越えた先の草原ではオブジェクトとの距離を一定に保ちながら進む。……って何だこれ?」
支離滅裂な文章の数々におもわず首を捻った。「ヒトイ村の自宅を出て、砂利道をまっすぐ行けばニフサ村。同じ方向に行く村人がいればあとをついていったほうがよい」というメモの内容からして、書き手はロベオらしいと見当がついた。
そうなると出典元はリタキリア冒険記だろうか。中には本の記述をそのまま書き出したと思われるものもあった。つまり順序はバラバラだが、ロベオは旅の途中で道に迷わないよう細かい道順と目印をメモに書き写した。
そして自分なりのマップを作り上げ、行き先も告げず姿を消した。ここにあるスクラップブックは、メモを発見した村人がお節介にもファイリングしたものだろう。
「なるほど。そのためにリタキリア冒険記が必要だったのか」
あの書物にはリタキリア各地の地理や人物の配置など、我ながら病的に細部まで記している。あの男はヒトイ村の自宅から目的地までを地図で辿り、方向音痴の自分でもわかるように調べ上げたとみられる。
その努力と根気は賞賛に値するが、同時に水臭い思いを抱いた。やたら分厚いリタキリア冒険記を紐解くより、同行者の俺を連れていったほうがずっと容易い。どうして声をかけてくれなかったのだろう。
とにかく俺はリタキリア冒険記とスクラップブックを小脇に抱え、ヒトイ村をあとにした。ロベオはどこに向かおうとして、どこに辿り着いたのか。自分なら読み解けるはずだ。
この天候不良は自然現象ではなく人為的に起こされたものである。それも本来なら二年前に解決されるはずで、途中で放棄したのは非難されて然るべきだと思う。しかし幸か不幸か、この世界の民衆はこれっぽっちも希望を失っていなかった。
ニフサ村に住む俺という人間は、立場上ただの旅の同行者にすぎない。目立たない役回りにもかかわらず村人がよくしてくれるのは、いつかこの雲が晴れる日が来ると信じきっているからだ。
自分には何の力もないが、これだけの期待をかけられながら無視はできない。
「俺にできることなんてたかが知れているのに……」
受け取ったジャガイモをキッチンに置き、着替えるため寝室に行った。いつもの普段着の上から、しばらく袖を通していなかったフード付き膝丈コートを羽織る。
あの男のことだからどうせ村にはいないだろう。だがもしかしたら何か手がかりを掴めるかもしれない。俺は例の封書をポケットに入れ、小屋を施錠してニフサ村を出た。
すぐ隣の村、ヒトイ村までは歩いて五分で着く。それでもあの男は奇跡のように道に迷い、半日ほどかかってニフサ村にやってきた。野草を摘みに出かけた山の中で、挨拶もそこそこに用件だけ告げられたのを憶えている。
自慢ではないが、俺には地図を正しく読み解くスキルと、出会ったものを細かく記録する几帳面さ、そういうものがあった。絶望的な方向音痴であり、大雑把で面倒くさがりのあの男にはどれも欠けた能力である。徒歩五分の道のりを半日かかって歩いた話を聞き、心底呆れながらも旅の同行を承諾した。
と、懐かしく振り返る間もなくヒトイ村が見えてきた。普通に歩けば迷いようのない道なのである。
仰々しい外見の家までやってきて、そこにある立て看板を読んだ。驚いたことに現在この家は文化財として一般公開されているらしい。
「あれっ、珍しいね。観光の人?」
そこらを歩いていた村人が気付いて近寄ってきた。
「ここ、勇者の自宅ですよね。勝手に入っていいんですか」
「中で暴れたり物を壊したりしなければね。人が住まない家は長持ちしないっていうし、それなら寄付を募って修繕費に充てることにしたんだ」
「へぇ……。あいつのために随分熱心ですね」
俺は皮肉っぽい口調を隠さず言った。
「ヒトイ村はあの子のおかげで有名になれたんだ。昔はただの田舎だったけど、勇者を輩出した村って紹介されてから、川魚や畑の野菜を高値で買い取ってもらえるようになった。町に出稼ぎに行く若者も増えたし、いいことずくめだよ。あの子が帰ってくる場所は我々が守ってやらなきゃ」
「ってことは今、勇者は不在なんですね。どこにいるかご存じありません?」
「わかれば苦労しないよ。僕らもあの手この手で探しているけど、いまだ有力な情報がなくて困っているんだ。でもどうしてそんなことが知りたいの? あの子のファン?」
「いえ。ただの同行者です」
顔を憶えられていないことにむっとしつつ、俺はそう答えた。
「そういえば見たことがあるような……。確か、テバ何とか……」
「エバンテです」
「ああ、そうそう。懐かしいな。元気にしてた?」
「順番が逆じゃないですか。とにかくあいつはここにいないんですね」
イライラしながら言ったところで、近くを通りかかった別の村人が声をかけてきた。こちらはひと目で俺が誰かわかったらしい。
「あらー、ロベオくんのお友達の。握手いいかしら?」
「どうも。二年も留守にしてすみません」
自分のせいではないが、罪悪感に駆られた俺はなぜか謝っていた。
「いいのよ。何年経ったって応援しているから。ロベオくんに会えたらそう言っといて」
「会えたら言っておきます。あいつが今どこにいるのか、手がかりでもあればいいんですけど」
「そうねぇ。ロベオくんの帰りを待っているのはわたしたちだけじゃないし、それこそ世界じゅう探し尽くされているはずよ。それでも見つからないってことは……」
「まさか、すでにこの世のものではないとか?」
おもわずあとを引き取ると、その村人は怒ったように言った。
「違うわよ。前人未到の地で人知れず修行を積んで、レベルアップして戻ってくるつもりかしらって言いたかったの。リタキリアを陰気くさい雲で覆った張本人、魔王とかいう悪人はまだ健在なんでしょ?」
リタキリア。この広大な世界を混迷に陥れたのは魔王ダモゾーマその人である。ヒトイ村出身の勇者ロベオが討伐に向かったものの、とどめを刺さずに放置したため、まだ世界のどこかで暗躍している。と思われる。
俺も最前線にいたひとりであるが、魔王が今どこでどうしているかは知らない。リタキリアの完全支配を目論んでいたにもかかわらず、二年が経った今も達成されていない。まるで勇者の不在にかこつけたように息を潜めている。
普通なら勇者の不在をいいことにリタキリア支配を円滑に進めようとするだろう。別にそうしてほしいという意味ではないが、それが正しい悪の道のような気がする。
……というわけで俺は勇者の家に足を踏み入れた。どの部屋も掃除が行き届き、塵ひとつ落ちていない。本人がいつ帰ってきてもいいように村人総出で管理しているのだろう。
広いリビングを抜けて勇者の私室を覗くと、壁にでかでかと世界地図が貼ってあった。北がどちらかもわからないくせになぜこんなものがあるのか疑問だった。インテリアのつもりかもしれない。
承知のとおり、リタキリアは広い。そこに住む民衆は蟻の数ほど多い。二年かけて本気で探せば勇者のひとりぐらい見つかりそうなものである。そうならないのはロベオ自身が人目につかない場所を選び、姿を隠しているからと考えるしかない。要するに雲隠れというやつだ。
だがまともに地図も読めないあの男がどうやって……。
何か手がかりがないか探すと、きちんと整理された本棚が目に入った。中の一冊に見覚えがあり、指を引っかけて取り出す。
それは「リタキリア冒険記」と題された分厚い書物だった。書き手は誰あろうこの俺だ。各地の地図や隠しアイテムの場所、主要人物からモブキャラの詳細情報まですべて網羅している。とはいえ未完なので最後のほうは白紙だった。
「自宅のどこにもないと思っていたら、あいつに貸したきりだったのか」
他に貸したままの書物はないかと探すと、リタキリア冒険記を抜き出した隙間の横に大判のスクラップブックがあった。あのロベオがこんなマメなことを? と思いながら開くと、中には手書きのメモが貼ってあった。
「なになに……。目印は黄色い屋根の家、そこを曲がって右に進む。いなくなったペットのピーちゃんを探す老人の横を左に曲がり、その先の三叉路は真ん中を通る。昼夜問わず痴話喧嘩を続けるカップルは視線を合わさないよう気を付けてすり抜ける。川を越えた先の草原ではオブジェクトとの距離を一定に保ちながら進む。……って何だこれ?」
支離滅裂な文章の数々におもわず首を捻った。「ヒトイ村の自宅を出て、砂利道をまっすぐ行けばニフサ村。同じ方向に行く村人がいればあとをついていったほうがよい」というメモの内容からして、書き手はロベオらしいと見当がついた。
そうなると出典元はリタキリア冒険記だろうか。中には本の記述をそのまま書き出したと思われるものもあった。つまり順序はバラバラだが、ロベオは旅の途中で道に迷わないよう細かい道順と目印をメモに書き写した。
そして自分なりのマップを作り上げ、行き先も告げず姿を消した。ここにあるスクラップブックは、メモを発見した村人がお節介にもファイリングしたものだろう。
「なるほど。そのためにリタキリア冒険記が必要だったのか」
あの書物にはリタキリア各地の地理や人物の配置など、我ながら病的に細部まで記している。あの男はヒトイ村の自宅から目的地までを地図で辿り、方向音痴の自分でもわかるように調べ上げたとみられる。
その努力と根気は賞賛に値するが、同時に水臭い思いを抱いた。やたら分厚いリタキリア冒険記を紐解くより、同行者の俺を連れていったほうがずっと容易い。どうして声をかけてくれなかったのだろう。
とにかく俺はリタキリア冒険記とスクラップブックを小脇に抱え、ヒトイ村をあとにした。ロベオはどこに向かおうとして、どこに辿り着いたのか。自分なら読み解けるはずだ。