第3話

文字数 3,509文字

 面接から一週間も経たないうちに採用の電話をもらった。
 私は週三日、朝からお昼過ぎまで、ドリームホールの受付カウンターに立った。
 社交ダンスを間近に見るのが新鮮で、ドリームホールに通う日々は楽しかった。
 ドリームホールの人たちは明るくて陽気だった。私の勤務時間は社交ダンスレッスンか、社交ダンスサークルの時間帯で、そこに集うほとんどの人は五十代六十代のおじさまたち、おばさまたちである。仕事や生活に焦らず急がなくて、特別なお金持ちでなくても豊かだった。豊かさとはお金や仕事の事ではないと私はこの時思った。現役を卒業した年齢層特有の大らかさというのか、みんな朗らかで穏やかで、時に子どもみたいに無邪気だ。
 私はドリームホールで「今日ちゃん」と呼ばれた。大勢の人に下の名前で呼ばれて最初はくすぐったかったけれど、毎週顔を合わせる人たちの間ですぐに広まり、そのうちに私も慣れた。
 ルミ先生も私を「今日ちゃん」と呼んだ。正確には彼女が最初に私を「今日ちゃん」と呼んだのである。「黒岩今日子さんだから、今日ちゃんね」と、彼女がいったのを私は憶えている。
 前に勤めた旅行雑誌社で私は上司に「クロイワン」と呼ばれた。ドリームホールに来てからみんなに今日ちゃんと呼ばれると、その渾名が洗い流され自分が生まれ変わるみたいだった。私は「クロイワン」という呼称も、それをつけた上司も大嫌いだった。
 Kという女の上司だった。
 旅行雑誌『トラベルソース』のベテラン記者で、四十代半ばの独身女性である。
 私はKに憧れて『トラベルソース』編集部に入り彼女の部下というか、弟子みたいになった。しかし入社して一年後、雇用契約の期間満了を機に彼女から逃げる事にしたのである。
 Kは、私の通った専門学校の講師だった。テレビ局、ラジオ局、イベント制作会社、広告代理店など業界の第一線で活躍する人たちを講師に招くマスコミ業界志望者の専門学校で、その講師の一人に『トラベルソース』編集部のKがいた。ライターを志望した私はK先生の授業を熱心に受けた。
 卒業後、彼女の伝手で私は『トラベルソース』編集部に入るが、当時はバルブ崩壊から続く学生の就職難で、有名大学の学生が新卒採用枠にこぼれて就職浪人になる事も珍しくなく、専門学校生が大手企業や人気業種の職に就く事はことさら難しかった。
 そのような中で契約社員ではあったけれど、そこそこ名の知れた旅行雑誌の編集部に私は入る事ができたのである。実家の両親を安心させられたし、学校の友だちからは羨ましがられた。
「お前はK先生にうまく弟子入りできたな」
 と、同級生の笠野はいってくれた。
 うれしかった。私がうまくできたのは彼のおかげでもあった。
 現在カメラマンの笠野は、在学中から結婚式場やフォトスタジオで働いたり、通信社から仕事をもらったりした。
 同じ学生なのに、仕事を持つ笠野が羨ましかった。
 彼に負けられない、と、私も何か実践的な事をしようと、休みの日に近場の観光スポットに足を運んでメモを取り、図書館で資料をあさってレポートを書いた。取材をして書く、という事を自分になりにやった。私はそれをK先生に提出した。
 彼女は驚き、喜んだ。書いた内容をほめて、何より自発的に取材をして書いた事を評価した。それでKから「人事部に私が掛け合うから、よかったら会社(うち)に来ない?」と、『トラベルソース』編集部に入る事を勧められたのである。
『トラベルソース』によろこんで入った私は、Kの下に配属され、終日彼女と行動を共にした。
 Kは取材先で「私の優秀な教え子」と私を紹介した。当初はそれがうれしかった。Kに期待された事に鼻を高くして、自分が選ばれた人間のように感じた。
 もちろん仕事も真面目に取り組んだ。早く一人前になるよう努力して、朝は彼女より先に出勤して、デスクまわりを掃除して書類や写真を整理した。いわれてしたのではなく自主的にやった。何事もKにいわれてから取り掛かるようでは遅いと考え、彼女の求める資料や写真は、彼女が指示する前に準備できるよう心掛けた。
 今にしてみれば、こうした過剰な奉仕が危険だったと思う。
 傍から見てもごく当たり前な新人の下積みではあったが、Kにしてみればそれまで彼女が自分でした雑務が減るわけで、私はただの便利な道具に過ぎなかったのだ。
 行く先々で私を紹介するKを、教え子の人脈を広げようとする恩師の配慮とはじめのうちは思ったが、一緒に仕事をするうちに彼女の人間性を理解するにつれ、どうやらそれは彼女が専門学校の講師である事をひけらかしているのだとわかった。私が入社する便宜を図ったのも、彼女が自分専用のアシスタントをつけて社内で優位な気分になるためであった。
 Kはいつも人の悪口をいった。
 会社の同僚や上司、取材先の広報担当者、結婚した女友だち、テレビで人気の女優やモデル、流行のファッションに走る若い女性など、Kはあらゆる他人を悪くいい、一人で笑っていた。
 誰でも人の好き嫌いはあるし、職場でかげ口を叩くのもよくある事だが、人の悪口を楽しそうにいうKは、他人を悪くいう事で安心しているみたいだった。
 それをしょっちゅう聞かされ私は嫌な気分になったが、Kが入社できるよう働きかけてくれた事を思うと、彼女の多少のわがままは大目に見ようと思った。
 幼稚なKと、そのわがままに寛大になろうとする私は、上司と部下、先輩と後輩が逆になったみたいで、私は自分をKのベビーシッターのように思った事もある。
 そんな人間関係に疑問を持たなかったわけではない。
 だが就職難の時代に有名雑誌の仕事に就けた事を失敗に思いたくなかったのだ。K先生にうまく弟子入りしたという小さな成功にしがみついて、私は彼女の不快な言動には見て見ぬふりをしたのだ。
 Kは食べ方が汚かった。口に入れた食べものの形がわかるくらい頬を膨らませてクチャクチャと咀嚼したり、仕事中に摘まむお菓子の袋やおにぎりのビニールをデスクの上に散らかした。
 私はそれを片付けた。下積み時代の通過儀礼だと自分にいい聞かせて、彼女の身の周りの世話までしたのである。しかし入社して半年過ぎた頃、彼女が私の通った専門学校を悪くいうようになると、彼女の行儀の悪さには生理的な嫌悪感を覚えるようになった。 
 Kは専門学校の設備にケチをつけはじめ、私が世話になった事務職員や他の講師の悪口をいった。そして最終的にはすべてを馬鹿にして、
「欠点のある専門学校だけど、学生に教えてあげる事はいっぱいあるの。そういう意味では、専門学校なんかの講師もやりがいのある仕事なの。大学の講師より骨の折れる仕事ではあるけど、レベルの低い学生なんかも教え方次第でできるようになるんだから。そういうやりがいが、レベルの低さっていう欠点を凌駕するのね。レベルの低い学生なんかでも可能性を見つけると、私、未来につなげようと思ってしまうの」
 実際こうして、クロイワンは会社(うち)に入れたわけだし、と、Kはいった。
 私の憶測だが、Kは専門学校の講師の報酬に不満を持っていたのだと思う。
 Kが専門学校の悪口をいい出したのは、親会社の旅行代理店にいる彼女の同期が外国語大学の特別講師をしている事を知ってからで、その報酬が彼女のそれより高かったらしい。
 私はお腹を下すようになった。毎日、お腹が痛かった。
 それでも会社を休まなかった。せっかく入った雑誌の編集部だった。もちろん会社を辞めたくなかった。
 Kを人として許せなかったから、Kのために自分が仕事を失うなど、どうしても納得できなかった。それにKの伝手で入った会社を、Kとの関係を理由に辞めては、自分がまったく彼女に利用されたみたいに思われ悔しいのである。
 必死で我慢した私はとうとう下血した。
 腸炎と診断されて入院する。入社して十ヶ月の頃である。
 一週間ほどで私は退院して会社に復帰した。その頃からKに叱責される事が多くなった。小さな校正ミスや些細な連絡漏れなど、私はよくミスをするようになったのだ。
 この頃の毎日はKに叱られた記憶しかない。彼女の叱責がはじまると私は仕事の手を止めなければならなくて、残業時間がみるみる増えた。
 見かねた編集長がKを注意した事もあったけれど、その日に限っては大人しくなるKは二日も経つと元通りになった。
 そして編集長の注意に警戒したのか、彼女はオフィスにあまり人がいない頃合いを見計らって私を叱責するようになる。
 携帯のメールも使って、件名「今日の反省点」、本文1000文字以上のメールを何度も何度も何度も送信してくるのだった。

(つづく)
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