第17話「鶴と馬」

文字数 2,843文字

翌朝、日曜日。
俺も姉も、まるで何事もなかったかのように健やかに目覚めた。

…まぁ、俺は貧血みたいな感覚だったし、寝たら治る。と思っていたのだが、
姉の方の怪我や、高熱さえも治してしまったお狐さまの力には畏れ入る…。

「…? ねぇ、諒くん…。」
「おはよう、姉さん。具合はどう?」

「うん…、元気。…でも私、昨日怪我したような気がしたんだけど…。」
「お狐さまが治して下さったんだよ。」

「え…!? じゃ、じゃあ、またお礼にお参りにいかないと…。」
「…うん。でも、念のために今日は休んでおけって、父さんが。」

「そっかぁ…。じゃ、また今度だね…。」
「そうだね。」


昼過ぎになって、二階堂先輩が訪ねてきた。
俺も姉も傍から見ると完全に元気で、念のために休む程度のものだったので、両親は先輩を追い返しはしなかったが、かといって何ができるわけでもないので少し困った…。

俺と姉は玄関に出て、先輩を迎える。
…一応姉には部屋にいるように言ったが、大丈夫だからと言って俺についてきてしまった。

「いらっしゃい。」
「どうも。…昨日は、その…悪かった。」
俺達に向かって謝る先輩は、いろいろな意味で緊張しながら謝る。

「気にしないで。それよりも二階堂君、今日日曜日だよ? 部活はどうしたの?」
「…休んだ。」

「そうなんだ。もう治ったのに…。心配性なんだね、二階堂君って。…ありがとう。」
そう言って、姉は先輩に微笑みかける。先輩は、やはりというか何というか、俯いてしまった。
…ここまでくると、先輩が気の毒だ。…まぁ、ほんの少し愉快な気持ちも味わっているわけだが。

「…おい。」
つい緩んでしまう頬をどうにか抑えようとしていると、先輩に咎められてしまった。

「あ、はい。すみません。」
俺は素直に謝るが、姉は全くその意味を理解していないようで、不思議そうな顔をしている。

「まったく…。」
先輩はそんな俺達を見て、残念そうとも、呆れているともとれる溜息をついた。

…と、先輩が俺達以外の人物が来たことにも気付き、挨拶をした。
「こんにちは。」

「いらっしゃい。」
母だった。…先程からの会話が漏れ聞こえていたらしく、どこか微笑ましそうにしている。

「…昨日はお騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした。」
「いいえ。お気になさらず。」

母はあくまでにこにことしているので、先輩は気まずそうにしている…。
ほんの少しの沈黙の後、母が口を開いた。

「…二階堂さん、と仰ったかしら?」
「…はい。」

「少し、お話があるのだけど。いいかしら?」
「は、はい。」

何の話だろう? まさか、昨日の事で何かあるのだろうか。
「…母さん?」――俺は気になって尋ねてみる。

「諒。…昨日の事ではないから、安心して。」
「そっか…。分かった。」

母は、恐らく客室に向かったのだろう。二階堂先輩も、母に続いた。
俺と姉は、とりあえず自室に戻る…。

…。何の話をしているのだろう。気になる。
が、俺達は呼ばれなかったのだから、聞くのは少し憚られる…。


自室に戻り、暫くは何をするでもなくぼんやりと過ごしていたが、ふと見ると
母が俺と姉を心配して部屋に置いていったスポーツ飲料が空になっていることに気付いた。

「姉さん、喉乾かない? 俺、新しいの貰ってこようか? ――姉さん?」
姉に声をかけたのだが、返事がない。…姉の様子をうかがうと、何故か窓の外をぼんやりと眺めていた。

「…姉さん、どうしたの? やっぱり調子悪いの…?」
「…え? ………あ、ごめん。何?」

近づいて声をかけると、やっと返事をした。
「…俺、何か飲み物貰ってくるから。」

「あ…うん、ありがとう。」
…いつもにこやかにしている姉の微笑みも、どこか弱弱しく見える。やはり調子が優れないのだろうか…?
俺は、スポーツ飲料を取りに台所へ向かった…。


台所に行くには、構造上、客間の横を通らなければならない。
そのため、立ち聞きするつもりはなかったのだが、母と先輩の会話が耳に入ってしまった。

「…昨日は、あのようなことが起こりましたが…。これからもあの子たちの事を、よろしくお願いします。」
「いや…俺は、…ご迷惑をおかけしてばかりで…」

「そう仰るけれど、あのような突然の事態にも、あなたはあまり驚かずに対処していましたから。なかなかできることではないと思います。」
「いえ…そんな。特に何をしていたわけでもありませんし…。」

「突然あのような出来事に見舞われても、逃げ出さなかったのですから、それだけでも凄いことです。それを常にしているはずの私達でさえ、少なからず惑ってしまったのですから。」
「……………。」

「諒は…、家ではあまり感情を顔に出さない子です…。でも、先程の様子からすると、それは家でだけのようなので…。きっと、つらい思いもたくさんさせているのだと思います。」
「…。」

「宵夢も、私に似てどこかしっかりしない子ですし、…心配で。」
「ええ…。」

「ですから、お願いです。…これからも、あの子たちのことを、支えてあげてください。」
「……。………ご期待に添えるよう、尽力します。」

「…ありがとう。……突然こんなお願いをして、ごめんなさいね。」
「いえ…。」


俺は、少しばかり反省する。これからはあまり、心配をかけないようにしないとな。
反省を胸に刻んだところで、俺は気を取り直し、母を呼んだ。

「母さん、少しいいかな?」
「…ああ、諒。何?」

部屋の外から声をかけると、がらりと襖が開き、母が出てくる。
「スポーツドリンク、切れちゃってさ。…新しいの、もうなかったっけ?」

「ああ…。ちょっと、ごめんなさいね。――お話、もう終わったから、後は諒に任せるわね。」
母は、先輩と俺に声をかけ、台所へ向かった。

ちらりと見えた先輩の横顔は、神妙な面持ちで畳を見つめていた。
俺は、それを見なかったことにして、スポーツドリンクを手に、客間に顔を出した。

「…先輩。」
「あ、ああ。」――姉と同じように、声をかけられて初めて、俺に気付いたようだ。

「…姉さんなら、自室にいますよ。」
――あくまで、見舞いにきたのならもう少し顔を見て行けという意味で、俺は努めて冷静に声をかけた。

「…おい、やめろそれ。」
「え。」――…が、やはり頬が緩んでいたらしい。早速咎められてしまった。

「…まったく。」
――立ち上がり、俺を追い越して、姉と俺の自室に向かおうとする先輩。やはり、もう少し顔が見たいらしいな。

「…。すみません、つい顔に出てしまって。…これでも努力してるんですよ?」
「………一向に改められているように見えないのだが?」――じろり、と睨まれる。

「尚一層に尽力します…。」
先輩に射すくめられた俺の笑いは、すぐに苦笑いへと変わった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

狐塚 諒

主人公。狐塚家長男。弓道部に所属していた高校生。鹿園はクラスメイトで、近頃なぜか二階堂に目をつけられている。

姉をよく手伝っていたが、実際のところ家に伝わっている伝承は全く信じていない。

狐塚 宵夢

狐塚家長女。高校生。委員会の仕事などを精力的にこなしている。

次期当主として厳しく育てられてきた。割と天然な性格でおっとりしている。

家に伝わる伝承を信じており、それどころかちょっぴりロマンチックだと思っている。

狐塚 彰文

宵夢と諒の父。現当主。

狐塚 千鶴

宵夢と諒の母。

鹿園 正巳

諒のクラスメイト。弓道部に所属している。

基本的にいつもテンションが高く、諒にうざがられている。

二階堂 郁馬

宵夢のクラスメイトで、弓道部部長。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み