第十四話 根付の正体

文字数 2,080文字

 お初は虎之助の長屋の向かいに住んでいる。お初が帰ってきた時を見越して外に出て、声を掛ける。
「お初さん、おるけえ。ちょいとばかし、頼みがある」
 お初が少し疲れた顔で出てくる。
「なんだい、虎之助さん、面倒なことなら明日にしておくれよ」

「大して、時間は掛からねえよ。この猿の根付を見てくれ。なんでも、ただならぬ気配がすると、人に教えられてねえ。これは本当にそんな(てえ)した品なのけえ」
 お初が真面目な顔で根付をみる。
「確かに、普通の根付ではないようだね。いいだろう。札を書いてあげるよ。その札を根付の下において今晩は眠るといい」
(お初さんが札を書いてくれるところをみると、やはり普通の品じゃねえな)

 お初は長屋に戻ると、紙に文字を書いた札を作ってくれた。
 虎之助はその晩は枕元に札を置き、その上に根付を置いて眠る。
 夜も更けて暁九ツ刻半(零時半)になる。
「虎之助、虎之助」と呼ぶ小さな声がする。

 目を開けてみる。枕元の根付が淡く青い光りを放ち、喋っていた。
「なんでえ、今、喋ったのはお(めえ)か?」
 根付は弱々しい声で語った。
「そうだ、私の名は大月彦。厠神の眷属だったが、ある時、悪鬼鬼神により呪いを掛けられ、根付に変えられたのだ」

「それは難儀なこって、それで、あっしに、どうしろと」
 大月彦は困った声で(ささや)く。
「私を助けてほしい。尻餅は知っているか?」

「知っているよ。すてんて、転んだ時に搗くやつだろう」
 大月彦は苦しそうな声で頼んだ
「悪鬼鬼神は笑いながら教えた。呪いを解くには、食べられる尻餅を、この大月彦の前に供えられれば呪いは解けると。なので、私に食べられる尻餅を供えてはくれまいか」

 虎之助は慌てた。
「ちょっと、待ってくれ、食べられる尻餅なんて、ねえよ」
 大月彦は泣くような声で懇願(こんがん)した。
「そう断わらずに、頼む。この通りだ」

「さすがに口入屋でもなあ、ねえものは捜せねえぜ」
 根付から淡い光が消えると、静かになった。
「おい、ちょっと、大月彦さんよ」

 大月彦からは返事はなかった。
(どうやったら、尻餅が喰えるようになるんだ)
 虎之助は一晩ひたすら考えたが、わからない。
 朝になって食事を摂ると眠気が増したので、昼寝する。

 昼九ツ(約十一時半)に起きてくる。
(いやあ、やっぱり、尻餅は喰えねえな。御隠居なら何か知っているだろうか)
 御隠居の所に顔を出すと、御隠居は暇だったのか相手にしてくれた。

 昨日の大月彦との会話を話すと、御隠居は笑った。
「はは、なるほど、根付は厠神の眷属だったか、なら呪いを解いてあげなせえ」
(おいおい、ご隠居も無理を言ってくれるぜ)

「簡単に言ってくれますけどね、御隠居。大月彦は食べられる尻餅を供えろ、なんて無茶を頼んでいるんですぜ」
 御隠居は明るい顔で頷く。
「実は、食べられる尻餅には心当たりがあるよ」

 ご隠居の言葉には驚きだった。
「本当ですかい? そんなもの、ねえでしょう」
「肥取屋は知っているけえ?」

「厠から肥料を汲み取って銭や野菜を置いていく商売でしょう」
 御隠居が柔和な笑みを浮かべて教えてくれる。
「うちの長屋では肥取料を溜めておき、年末に餅を買っている。それで、鏡開きのときに長屋の住人に分けるんだ。そう言う餅を、お初なんかは『大家の尻餅』と呼んでおる」

 虎之助は合点がいった。
「なるほど、大家がみんなの尻で作った餅だから、大家の尻餅っていうんですけえ」
 御隠居はちょいとばかし考える顔をする。
「そうだ、まだ四月だから、お金はそれほど溜まっていねえが、小さな餅の一切れくらいなら買える」

「大月彦は餅の大きさについては何も触れてなかったですから、小さくても充分でしょう」
「ならば、小さいながらも、肥取り料で買った餅を持ってきてあげるから、供えてみなよ。御利益があるかもしれねえよ」

 御隠居が小さな一切れの餅を買ってきたので、根付の前に供えて眠る。
すると、暁九ツ半に、「虎之助、虎之助よ」と呼ぶ声がする。
 横を向くと、角髪(みずら)を結った源平の頃の武士の格好をした、少年がいた。
「虎之助よ、ありがとう。虎之助が食べられる尻餅を供えてくれたおかげで、呪いが解けた。これで、私も厠神の元に帰れる」

「そうか、それはよかったな」
 大月彦は神妙な顔で申し出た。
「お礼といってはなんだが、下痢によく効く薬の処方の仕方をお教えよう。この薬の作り方を医者に売って金にするもよし、自分で作って売るのも勝手だ」

 大月彦は懐から一枚の紙を取り出す。紙には七種類の薬草の名前と薬の調合の仕方が書いてあった。
 魚売りの声で目が覚めた。枕元を見ると猿の根付は消えていた。だが、かわりに一枚の紙がある。紙には薬の処方が書いてあった。
「十両の薬の作り方か、下痢によく効くというが、作ってもそんなに売れねえだろうな」
 虎之助は薬の作り方を記した紙を箪笥にしまっておく。
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