第2話
文字数 1,634文字
葡萄畑から五十メートルほど離れた辺りで、女が天を仰ぎ、あっけらかんと言い放った。
「あ~あ、信じられない。
こんなことってある?
あたし達が四年間掛けて育んできた愛は、一体何だったのかしら」
その隣で、男は黙りこくっていた。
それは言うまでもなく、生涯の愛を誓い合った相手の心変わりを、目の前でまざまざと見せつけられた衝撃から、脱し切れていないせいだった。
けれど、向こうは千年以上を掛けて、変わらぬ愛を育んできた者同士なのだ。
今世たまたま縁を結んだだけの間柄では、水晶と露ほどの違いがあった。
男は、今隣を歩いている女の存在に、ふと意識を転じてみた。
彼女は、これまで男が好んで付き合ってきた女性とは、正反対のタイプに思えた。
これまでの男の好みのタイプとは、控え目で、一人では生きていけないくらいに頼りない、フェミニンな装いが似合う女性だった。
ところが、今隣にいる女は、男勝りで、主義主張がはっきりしており、装いにもその性格が反映されていた。
即ち、単色使いのシンプルなVネックのセーターに、ハードな印象の革のスリムパンツを合わせていた。
寧ろこれまでは、敬遠してきたタイプだった。
けれども今は、女のさばさばとした物言いや態度などを、意外にも小気味良いと感じている自分がいた。
これから誰かと新しい関係を組んで、豊かに発展させていこうと思うなら、今までと同じようなタイプを選択していては、冒険に踏み切れなくなる。
男は不意に、足を止めた。
釣られて立ち止まった女に向き合うと、暗闇の中でもその眼差しをしっかりと捉えて、ゆっくりとした口調で、こう切り出した。
「一つ、提案があるんだけど、聞いてくれるかな。
片や、あちらの二人が、千年以上の時間を掛けて、関係を築いてきた伝説の恋人同士なら、片や、こちらの二人は、これから千年以上の時間を掛けて、伝説の恋人同士になるための関係を築いていける入口にいる。
もう既に出来上がっている関係よりも、今から新しく始める関係の方が、冒険に満ちていて面白いと思うんだけど、どうかな」
女の子宮の洞窟の中では、男の声が、低く安定して響いていた。
彼女のこれまでの恋愛の中では、母性本能をくすぐられる年下の可愛い男を、自分好みに調教することに、喜びを感じてきた。
けれどもそんな関係の中では、甘える側に徹し切れずに、煮え切らない思いを味わうことも、少なくなかった。
それなのに、性懲りもなく、同じようなパターンの恋愛を繰り返してきた。
女は、改めて目の前の男を、一通り観察してみた。
そこそこ上背があり、引き締まった身体付きをしている。
恐らく定期的に鍛えているのだろう。
野生動物特有のしなやかな敏捷さが、自然に身に付いていた。
これを機に、今までの恋愛のパターンから脱却して、彼の逞しい胸に人生を預けてみるのも、悪くない選択なのかも知れない。
女は、男の視線を挑むように捉え直すと、こう切り返した。
「そうね…‥。
遣り甲斐に満ちた冒険になりそうだわ。
だけど、覚悟しておいて。
あたしを千年以上捕まえておきたかったら、決して退屈させないこと。
約束出来る?」
男は一旦眉を吊り上げた後で、不敵そうにニヤリと笑ってみせた。
「ようし、約束しよう。交渉成立」
二人は、新たな関係を始めるに先立って、その場で固い握手を交わした。
そんな彼らの門出を祝福するかのように、鈴虫達の涼やかな合唱が、一際盛大な高まりを見せた。
…‥こうして、千年後、また新たな伝説の恋人達が、誕生することになる。
~~~ 完 ~~~
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