平等院が死んでる……。
文字数 3,587文字
「平等院が死んでる……」
早苗の声が、小さな暗がりの納屋にポツリと転がった。やがて数秒後に上がる叫び声に連れられて、絶海の孤島に閉じ込められた『オカルト・ミステリー研究部オフ会』の面々が、一斉に彼女の元へと集まって来た。
最初に研究会の会長を務める斎藤が目撃したのは、納屋の入り口の前で尻餅をつき、小刻みに体を震えさせる早苗の姿だった。斎藤のいる場所からは角度的に見えなかったが、彼女は青ざめた顔で納屋の中のただ一点を見つめ続けていた。あの凛々しく、酒の席でも冗談一つ言わない彼女のただならぬ様子を見て、斎藤は事の重大さを直ぐに理解した。
「早苗さん! 大丈夫か……っ!?」
「ぁ……あ……!」
斎藤は早苗に駆け寄ると急いで彼女の肩を抱き寄せた。だがそれでも早苗は、斎藤の方を振り返る素振りも見せず、血の気の引いた顔で納屋の中を見つめたままだった。
「一体……!?」
やがて納屋から少し離れた宿泊用のコテージから、斎藤を追って次々と会員達が集ってくる。彼らの足音を背中に受けつつ、斎藤は恐る恐る早苗の視線を追って、納屋の中を覗き込んだ。
「!」
納屋の中は窓一つなく、入り口から差し込む陽の光だけが、屋内を覆う暗闇を扉の形に切り取って見えていた。その四角く区切られた光の端に、男性の上半身が半分だけ映り、俯けになって寝転んでいる。光の端に、右半分だけ辛うじて見え隠れするその男の顔には……まるで血が流れたような跡がべっとりと付いていた。正気を失った彼の目は大きく見開かれ、その視線は空中に投げ出され最早何も捉えていないようだった。斎藤は心臓を掴まれたかのように、一瞬息を詰まらせた。
「平等院……!」
斎藤は全てを悟り、慌てて早苗の顔を無理やり引き寄せ、彼女の視界を覆った。斎藤は唇を噛んだ。彼はもう、助からないだろう。たとえまだ息があったとしても、今は偶然、外部との連絡を取る手段も絶たれている。
「うぉっ!?」
「きゃああっ!!」
やがて追いついて来た残りのメンバー達が、納屋の中の”それ”に気がついて悲鳴をあげた。斎藤はちらりと目を開け、もう一度納屋の中に目をやった。”それ”は、”オカミス研”の会員の中でも一際怪しかった、平等院鳳凰堂を名乗る謎の男の、変わり果てた姿だった。
□□□
コテージに戻った面々は、何が出来るわけでもなかったが、燃え盛る大広間の暖炉の前に一同に集まり、壁に凭れかかったりソファに座り込んだり、各々が好きな場所で過ごしていた。平等院の遺体は、素人が勝手に触るわけにも行かないので、シートを被せて納屋にそのままにしてあった。気がつくと窓の外はすっかり日が暮れ、向こうにはどんよりとした雨雲が立ち込めていた。
五人がそれぞれ個室に帰らなかったのは、やはりこの島に彼を殺した犯人がいると分かって不安に駆られていたからだろう。しばらくは、沈黙が大広間を包んだ。一番怯えているのは、第一発見者の早苗だった。彼女は大広間の隅でタオルケットを体に巻き、先ほどからずっと焦点の合ってない目で床の一点を見つめていた。やがて均衡を破って第一声を上げたのは、会長の斎藤だった。
「一体誰がこんなことを……!?」
悔しそうに歯噛みする斎藤に、暖炉の前でイライラと歩き回っていた田中が顔を向けた。田中は黒縁眼鏡の位置をやたらと気にしながら、神経質そうな細長の目を尖らせて声を上ずらせた。
「あ、あなたのせいですよ会長さん……! まさかミス研で、本当に殺人事件が起こるだなんて……!」
「な……!? 俺のせいだってのか?」
「当たり前でしょう! 管理者責任だ。あなたがしっかりしていれば、何もこんな悪天候に……」
「ちょっとやめなよ、二人とも!」
「そうだよ。喧嘩は良くないって」
今にも掴みかからんとする斎藤と田中の間に、見かねた鈴木と佐藤のカップルが割って入った。それから大広間には、さっきよりさらに気まずい沈黙が訪れた。窓ガラスの向こうの暗闇を、やがて雨粒が強く叩き始めた。
□□□
「とにかく状況を整理する必要があるな」
「チッ。探偵気取りかよ……」
田中の呟きを無視して、斎藤は立ち上がり皆に呼びかけた。無人島を貸し切ったから、島に研究会以外の人間はいない。犯人は必然的に、この中にいた。
「正直に答えてくれ。この中で、平等院に恨みを持っていた人は?」
「…………」
斎藤は集まった面々を改めて見回した。副会長の田中。会計の早苗。鈴木と佐藤のカップル。お互いネットを通じて知り合った仲なので、面識は合ってないようなものだった。今日がまだ二回目のオフ会だ。希薄な人間関係の中、何故平等院は殺されたのか。斎藤の問いかけに、五人は五人とも手を上げた。
「……やっぱりか」
斎藤は合点のいった声を上げた。早苗が頷いた。
「ええ。だって彼……とっても怪しかったものね」
「嗚呼。いつかこんな感じで誰かの恨みを買って殺されるんじゃないかと、常々思っていたよ。ネット上の発言も、人を馬鹿にしたり巫山戯たものばかりで、正直気に食わなかったんだ」
佐藤が吐き捨てるように言った。鈴木がその横で何度も頷いてみせた。
「いちいち気持ち悪かったものね。空気読まないって言うか。彼の動く姿が見えないって思うと……はっきり言ってせいせいしてるわ」
「それについては同感ですね。僕だってずっと我慢してたんだ。彼は本当のミステリー好きなんかじゃ無い。ただ単に、探偵の真似事がしたい気取ったお子様だったんですよ。我々の会には、ふさわしく無い」
田中が体育座りをしたまま、眼鏡をずり上げた。普段から彼とは衝突ばかりの斎藤だったが、久しぶりに意見が合ったと思った。
「なるほど……。つまり彼は、ここにいる全員の恨みを買っていたわけだ。となると犯人は……」
再び沈黙が大広間を覆った。誰も目を合わせなかった。雨脚は強まるばかりで、一向にやみそうになかった。
「俺……犯人でもいいぜ」
やがて斎藤の問いかけに、佐藤が手を上げた。皆が一斉に彼に注目を集めた。鈴木が慌てて、立ち上がる佐藤にすがった。
「佐藤さん……何言ってるのよ!」
「だってよ、誰かが犯人にならなくっちゃいけないわけだろ。折角できた”仲間”を疑うなんて、俺は嫌だよ。だったら、”俺が殺した”でもいい。実際殺したいくらいだったからな」
「ちょっと待って……だったら私も! 私も犯人でいい! 私も平等院、殺したかった!」
「それなら、僕だって構いませんよ。現実に帰っても、身寄りもありませんしね……」
「わ、私も……二人だけにそんなこと、任せられないよ……!」
騒ぎ出すメンバーに、斎藤は手をかざした。全員が斎藤に注目した。
「おいおい、落ち着け皆。そんな挙手制で犯人が決まるわけないだろう。皆がメンバーを大切にする気持ちはよーく分かった。俺だってそうだ。つまり俺たち全員、平等院を殺す動機があったわけだ」
「やっとスッキリしたわ。誰も悪くないわ。一番悪いのは、彼なんだもの」
「嗚呼。それよりも、俺たちの気持ちが一つになった。それが一番重要なことなんじゃないかな」
「ミス研始まって以来ですね……あれ、なんだか涙が……」
皆がお互い顔を見合わせ、生き生きと目を輝かせた。斎藤は満足そうに頷いた。
「俺たちは仲間だ。誰がやったかは知らないが、仲間一人に罪を被せるわけには行かない。ここは一つ……」
「失礼」
「!?」
斎藤が笑顔で締めようとすると、突然大広間の扉が開かれ、全身血だらけになった平等院が現れた。皆が絶句する中、平等院は扉の前で唇を釣り上げ、気味の悪い笑みを浮かべた。
「いやあ皆さん……。これは失礼した。納屋を探索していたら、うっかりロフトから足を滑らせちゃってね……。危うく三途の川が見えかけましたが、もうだいじょ」
平等院が話し終わる前に、斎藤は彼の目と鼻の先で扉をぴしゃりと閉めた。
「ここは一つ、連帯責任と行こう」
斎藤が皆を振り返った。全員が頷いた。
「賛成」
「決まりだな」
「異議なし」
「失礼」
再び大広間の扉が開かれた。血だらけの平等院が、大粒の雨に叩かれながら入り口に立っていた。
「…………」
「皆さん、もう大丈夫ですよ……。それよりどうしたんですか、こんなところに集まって……。もしこのまま事件が起きないならね、私、実は一つ考えてることがあっ」
斎藤が急いで扉を閉め、内側から鍵をかけて声高らかに宣言した。
「ミス研に、乾杯!」
「乾杯!」
「かんぱ〜い!」
やがてメンバーは”事件解決”のお祝いに次々にグラスを掲げ、その晩は夜通し絆を深め合ったのだった。
早苗の声が、小さな暗がりの納屋にポツリと転がった。やがて数秒後に上がる叫び声に連れられて、絶海の孤島に閉じ込められた『オカルト・ミステリー研究部オフ会』の面々が、一斉に彼女の元へと集まって来た。
最初に研究会の会長を務める斎藤が目撃したのは、納屋の入り口の前で尻餅をつき、小刻みに体を震えさせる早苗の姿だった。斎藤のいる場所からは角度的に見えなかったが、彼女は青ざめた顔で納屋の中のただ一点を見つめ続けていた。あの凛々しく、酒の席でも冗談一つ言わない彼女のただならぬ様子を見て、斎藤は事の重大さを直ぐに理解した。
「早苗さん! 大丈夫か……っ!?」
「ぁ……あ……!」
斎藤は早苗に駆け寄ると急いで彼女の肩を抱き寄せた。だがそれでも早苗は、斎藤の方を振り返る素振りも見せず、血の気の引いた顔で納屋の中を見つめたままだった。
「一体……!?」
やがて納屋から少し離れた宿泊用のコテージから、斎藤を追って次々と会員達が集ってくる。彼らの足音を背中に受けつつ、斎藤は恐る恐る早苗の視線を追って、納屋の中を覗き込んだ。
「!」
納屋の中は窓一つなく、入り口から差し込む陽の光だけが、屋内を覆う暗闇を扉の形に切り取って見えていた。その四角く区切られた光の端に、男性の上半身が半分だけ映り、俯けになって寝転んでいる。光の端に、右半分だけ辛うじて見え隠れするその男の顔には……まるで血が流れたような跡がべっとりと付いていた。正気を失った彼の目は大きく見開かれ、その視線は空中に投げ出され最早何も捉えていないようだった。斎藤は心臓を掴まれたかのように、一瞬息を詰まらせた。
「平等院……!」
斎藤は全てを悟り、慌てて早苗の顔を無理やり引き寄せ、彼女の視界を覆った。斎藤は唇を噛んだ。彼はもう、助からないだろう。たとえまだ息があったとしても、今は偶然、外部との連絡を取る手段も絶たれている。
「うぉっ!?」
「きゃああっ!!」
やがて追いついて来た残りのメンバー達が、納屋の中の”それ”に気がついて悲鳴をあげた。斎藤はちらりと目を開け、もう一度納屋の中に目をやった。”それ”は、”オカミス研”の会員の中でも一際怪しかった、平等院鳳凰堂を名乗る謎の男の、変わり果てた姿だった。
□□□
コテージに戻った面々は、何が出来るわけでもなかったが、燃え盛る大広間の暖炉の前に一同に集まり、壁に凭れかかったりソファに座り込んだり、各々が好きな場所で過ごしていた。平等院の遺体は、素人が勝手に触るわけにも行かないので、シートを被せて納屋にそのままにしてあった。気がつくと窓の外はすっかり日が暮れ、向こうにはどんよりとした雨雲が立ち込めていた。
五人がそれぞれ個室に帰らなかったのは、やはりこの島に彼を殺した犯人がいると分かって不安に駆られていたからだろう。しばらくは、沈黙が大広間を包んだ。一番怯えているのは、第一発見者の早苗だった。彼女は大広間の隅でタオルケットを体に巻き、先ほどからずっと焦点の合ってない目で床の一点を見つめていた。やがて均衡を破って第一声を上げたのは、会長の斎藤だった。
「一体誰がこんなことを……!?」
悔しそうに歯噛みする斎藤に、暖炉の前でイライラと歩き回っていた田中が顔を向けた。田中は黒縁眼鏡の位置をやたらと気にしながら、神経質そうな細長の目を尖らせて声を上ずらせた。
「あ、あなたのせいですよ会長さん……! まさかミス研で、本当に殺人事件が起こるだなんて……!」
「な……!? 俺のせいだってのか?」
「当たり前でしょう! 管理者責任だ。あなたがしっかりしていれば、何もこんな悪天候に……」
「ちょっとやめなよ、二人とも!」
「そうだよ。喧嘩は良くないって」
今にも掴みかからんとする斎藤と田中の間に、見かねた鈴木と佐藤のカップルが割って入った。それから大広間には、さっきよりさらに気まずい沈黙が訪れた。窓ガラスの向こうの暗闇を、やがて雨粒が強く叩き始めた。
□□□
「とにかく状況を整理する必要があるな」
「チッ。探偵気取りかよ……」
田中の呟きを無視して、斎藤は立ち上がり皆に呼びかけた。無人島を貸し切ったから、島に研究会以外の人間はいない。犯人は必然的に、この中にいた。
「正直に答えてくれ。この中で、平等院に恨みを持っていた人は?」
「…………」
斎藤は集まった面々を改めて見回した。副会長の田中。会計の早苗。鈴木と佐藤のカップル。お互いネットを通じて知り合った仲なので、面識は合ってないようなものだった。今日がまだ二回目のオフ会だ。希薄な人間関係の中、何故平等院は殺されたのか。斎藤の問いかけに、五人は五人とも手を上げた。
「……やっぱりか」
斎藤は合点のいった声を上げた。早苗が頷いた。
「ええ。だって彼……とっても怪しかったものね」
「嗚呼。いつかこんな感じで誰かの恨みを買って殺されるんじゃないかと、常々思っていたよ。ネット上の発言も、人を馬鹿にしたり巫山戯たものばかりで、正直気に食わなかったんだ」
佐藤が吐き捨てるように言った。鈴木がその横で何度も頷いてみせた。
「いちいち気持ち悪かったものね。空気読まないって言うか。彼の動く姿が見えないって思うと……はっきり言ってせいせいしてるわ」
「それについては同感ですね。僕だってずっと我慢してたんだ。彼は本当のミステリー好きなんかじゃ無い。ただ単に、探偵の真似事がしたい気取ったお子様だったんですよ。我々の会には、ふさわしく無い」
田中が体育座りをしたまま、眼鏡をずり上げた。普段から彼とは衝突ばかりの斎藤だったが、久しぶりに意見が合ったと思った。
「なるほど……。つまり彼は、ここにいる全員の恨みを買っていたわけだ。となると犯人は……」
再び沈黙が大広間を覆った。誰も目を合わせなかった。雨脚は強まるばかりで、一向にやみそうになかった。
「俺……犯人でもいいぜ」
やがて斎藤の問いかけに、佐藤が手を上げた。皆が一斉に彼に注目を集めた。鈴木が慌てて、立ち上がる佐藤にすがった。
「佐藤さん……何言ってるのよ!」
「だってよ、誰かが犯人にならなくっちゃいけないわけだろ。折角できた”仲間”を疑うなんて、俺は嫌だよ。だったら、”俺が殺した”でもいい。実際殺したいくらいだったからな」
「ちょっと待って……だったら私も! 私も犯人でいい! 私も平等院、殺したかった!」
「それなら、僕だって構いませんよ。現実に帰っても、身寄りもありませんしね……」
「わ、私も……二人だけにそんなこと、任せられないよ……!」
騒ぎ出すメンバーに、斎藤は手をかざした。全員が斎藤に注目した。
「おいおい、落ち着け皆。そんな挙手制で犯人が決まるわけないだろう。皆がメンバーを大切にする気持ちはよーく分かった。俺だってそうだ。つまり俺たち全員、平等院を殺す動機があったわけだ」
「やっとスッキリしたわ。誰も悪くないわ。一番悪いのは、彼なんだもの」
「嗚呼。それよりも、俺たちの気持ちが一つになった。それが一番重要なことなんじゃないかな」
「ミス研始まって以来ですね……あれ、なんだか涙が……」
皆がお互い顔を見合わせ、生き生きと目を輝かせた。斎藤は満足そうに頷いた。
「俺たちは仲間だ。誰がやったかは知らないが、仲間一人に罪を被せるわけには行かない。ここは一つ……」
「失礼」
「!?」
斎藤が笑顔で締めようとすると、突然大広間の扉が開かれ、全身血だらけになった平等院が現れた。皆が絶句する中、平等院は扉の前で唇を釣り上げ、気味の悪い笑みを浮かべた。
「いやあ皆さん……。これは失礼した。納屋を探索していたら、うっかりロフトから足を滑らせちゃってね……。危うく三途の川が見えかけましたが、もうだいじょ」
平等院が話し終わる前に、斎藤は彼の目と鼻の先で扉をぴしゃりと閉めた。
「ここは一つ、連帯責任と行こう」
斎藤が皆を振り返った。全員が頷いた。
「賛成」
「決まりだな」
「異議なし」
「失礼」
再び大広間の扉が開かれた。血だらけの平等院が、大粒の雨に叩かれながら入り口に立っていた。
「…………」
「皆さん、もう大丈夫ですよ……。それよりどうしたんですか、こんなところに集まって……。もしこのまま事件が起きないならね、私、実は一つ考えてることがあっ」
斎藤が急いで扉を閉め、内側から鍵をかけて声高らかに宣言した。
「ミス研に、乾杯!」
「乾杯!」
「かんぱ〜い!」
やがてメンバーは”事件解決”のお祝いに次々にグラスを掲げ、その晩は夜通し絆を深め合ったのだった。