そして全てが終わる 2

文字数 5,474文字

「皇国の王がある限り、記憶よ彼方に閉じ込められよ!」
 アミルが叫んだ瞬間に、すっと世界の色が消えて、次の瞬間には灰色が一面に広がった。見覚えのあるその色に彼女は目を瞬かせる。
 空と大地の境界の無い、静寂の世界。そこにしばらく留まった事があったから、不安は抱かなかった。ただただ驚きで、サフは周囲をきょろきょろと見舞わす。少し離れた場所には暮らした家があって、アミルが傍にいて、ケルベロスと呼ばれていた魔族がいて、クリアとイガルドが少し離れた場所に、そして父である王と、鉄の色の髪を持つきれいな顔をしたこの場所の主であるそのヒトが、いる。
 ジュエルは、いない。
 ゆっくり何度か事態を整理して、ようやく彼女は声を出す。
「おじさま?」
「久方ぶりだな、サファイア。元気そうで何よりだ」
 最も最初に言葉を発したからなのだろうが、彼女の問いにそのヒトは穏やかな笑顔で答えた。何も変わらない雰囲気に、ふっと彼女の全身から緊張が解ける。
 灰色の世界で、同じような雰囲気を持つそのヒトは、悠然と佇んでいる。
 何時も、その声を聞くだけでこの常ならざる世界への恐怖が薄れた。それは時間が経っても変わらないようだ。
 そのやりとりから他の者達の硬直も解けたのか、すぐに声が聞こえた。
「うげ、やっぱバレたっ!」
「うあああ、マジでかぁぁぁ」
 アミルにクリア。明らかに狼狽しているその声が、現状を彼等が明らかに歓迎していない事を物語っていた。その理由はサフにはよく解らない。「何だ此所……」と呟いているイガルドはこの場所の事すら知らない筈で、それは恐らく父である王も同じだろうと思えた。
 唯一人外であるケルベロスだけは、何を考えているか解らない。三つ頭の獣は、悠然と佇んでいるだけだ。
 以前クリアが教えてくれた、そして自分がおじさまと呼ぶそのヒトの話からすれば、此所は普通のヒトが訪れる場所ではなかったから、むしろイガルド達の反応の方が当然なのだろう。魔族は、叡智の魔族と呼ばれていた程なので知っているのかもしれない。
 彼女が以前この場所で暮らしていたのは、あくまで特例だったから。
「此所は…………」
「此所は三界の内の一つである地界にある次元の狭間、現在における地界の管理者、魔術士の主が身を置く次元の狭間。次元の狭間であり基本として時間の流れが異なる場所にある場所だから、そこの……生命の賢者が現在実行している時の精霊の契約は動かず続行されている。この場所においては時間は精霊の承認の元で私の管理下だ」
 その説明に首を捻るイガルドと王と彼女に、三人の意思を汲み取ったアミルが説明をしてくれる。
「つまり、そこのおっさんは魔術士で一番偉くて、この場所は俺たちが普段暮らしてる場所と限りなく近いけども、向こうとは時間の流れが全然違ってる。まぁぶっちゃけおっさんの思い通りに動くように出来てる」
 何故か非常に疲れたような表情で、アミルはとん、と杖で大地を叩く。
 その大地すらこの場所では灰色で色が無い。
 そういえば昔はそれが怖くて、そう訴えると家の傍に花を植えてくれたのだったと彼女は思い出してちらりと家の方を見る。そこには、昔のままに色鮮やかな花達が咲いている。その場所だけは大地も緑と茶で、まるで切り取ったかのような色彩に溢れていた。
 紛れも無い、彼女が暮らしていた証、だ。
 残っているその様子が、何故か嬉しい。それはまるで自分を迎えてくれているようで。
「で、今この場所の時間は限りなーく動いてない状態だから、俺が元の世界で使ってる魔術は実行されたまんま、向こうの一瞬の隙間を縫って俺たちだけ此所に連れて来られてんだよ。つまりおっさんの意思によっては此所で何時間過ごそうが、この後戻った所で向こうでは一瞬しか時間が経ってない事になる訳だ」
「え、マジでか」
 きょとん、と即座に反応したのがクリアで。
「おい待て金の色付き。アンタが真っ先にそんな事言ってどうする、此所はいつもそーだろが」
 呆れた顔をした赤みがかった紫のアミルの目が、じとりその顔を見た所でクリアは「いやははは俺もそんな詳しい訳じゃなかったし~」と誤摩化した。金の髪をかきながら苦笑いするのを、この場所の主がじっと見る。
 そのヒトは、次元の狭間の主と呼ばれる、偉い魔術士である事は彼女も知っていた。
 ただ、一番偉い人であるという事を彼女も知らなかった。
 けれど思い返せば竜を一人であっさりと封じてしまうようなヒトだったから、思えば当然なのかもしれなかった。
「貴方が、魔術士の主」
「そうだ。皇国の王」
 呆然と、見た目だけは歳若く見えるその魔術士の頂点たる存在を見る父と、そこに平坦な声で応える存在。
 しかしその歳の差は親子以上にある筈だった。以前に彼女が問うた時に当の魔術士の主がそう言ったから。
 現にそのヒトは一緒に暮らしていた頃と何一つ変わっていない。
 そうして一人残されて行くのかと思った時に幼い彼女は泣いたけれど、それを慰めながらそのヒトは「けれど、そのお陰でそなたにも会えたのだから、長く生きるのも悪くないのだ」と言っていた。
「皇国にて何が起こったかは知っている。魔族を召還し我が部下を操ろうとした王女とその欲望を煽動した魔術士も」
 そこまで話して、そのヒトは目を伏せる。
「子の過ちは親の責任でもあります。その件に関しての咎は全て私に」
「国の理も世界の理も、魔術士のそれとは関係無い。そして我が部下は常に我の代行者であり、我らの理の代行者だ。よって本件に関してそこの…………生命の賢者が下した決断が、例えどんなに奇をてらった特殊なものであろうとも、魔術士の理の枠の中に在る限り、それは我自身も覆す事は無い」
「あ、オイコラ今ちょっと笑っただろ! その名前はコイツらが勝手につけてんだからな!?」
 伏せた目を少し和らげアミルを見たそのヒトに、見られた少年の方は明らかに憤慨した様子でケルベロスの方を指差しつつ突っ込んだが全く意に介されないままに話は続く。
「但し、皇国の王。一つだけ我は釘を刺さねばならぬ。この処置は、今のこの時間軸あの場所にあの賢者があってこその恩恵であったという事を忘れてはならぬ。他の、そう、例え色付きの誰かが居合わせても決してこの結果は引き出せぬ。本来であれば其方の娘も国も、只では済まぬ。元より色の称号を国に預けるという処遇そのものが特殊例であったからな」
 す、と長い指をアミルに向けて、彼の人は言う。
「この者の存在が何よりの僥倖であり、尚且つ異常。故に二度目は無い」
 ひく、とアミルの顔が引き攣る。彼女の父はアミルの方を見て、もう一度彼の人を見る。そこには純粋な疑問が浮かんでいる。彼の人はこういう所は見逃さない。
「賢者とは、一体…………」
 それは彼女も思った事だった。今の話をそのままに受け取れば、賢者という呼称は何か明らかな意味を持つ呼称としか思えない。それも、色付きよりも上の。
 今度こそ明らかに解るようにくすりと笑って、彼の人は言う。
「賢者とは地界のみならず天界と魔界にその存在を承認された類稀な魔術士に与えられる限定された呼称だ。知らぬのも無理は無い。賢者は色付きよりも希少な上にそれは我が定めるものではなく、魔族天使それら他界の代表、三カ所によって認証するものだ」
 その発言に咳き込んだのは当のアミル自身、ぽかんとしたのは色付きであるクリア、そしてその他彼女を含めて全員がまじまじと歳若い魔術士を眺める。彼女自身、まさかアミルがそこまで凄い存在であるとは思ってもいなかった。
 彼女と同じ歳でありながら、既に三界にその名を響かせていようとは。
 凄い魔術士だろうとは思っていたけれど、よもや天界魔界に認められる程とは。
 ふっとその理由に思い当たった彼女は思わずソレを口にする。
「おじさま、それは、竜を倒したから?」
「っ! ちょ、サフそれは言うなって」
 口にしてから口止めされていた事を忘れていた。が、次元の狭間に住むそのヒトは平然と回答をくれる。
「その通りだ。そしてそなたは青の至宝。魔術士ではない故賢者の称号こそ無いが、賢者に守られる地界の最重要人物扱いだな」
 さらりと述べられた言葉に凍りつく。それは彼女だけでなく他の面々も同じだった。
「…………すんません……あのぅ、誰が何を倒したと?」
「そこの賢者が一人で竜を倒した」
 恐る恐る問いかけるクリアに、さらり彼の人は回答する。それは確かに事実だ。その回答に今度はクリアはマジマジとアミルの方を見て。
「クラウン、人間?」
「しょーがねーだろ!! っつーか彼処で俺がぽっくり死んでたらサフも此所にはいねーよ! 全く、逃げる暇もねーし防御するにも全力だしよ、勘弁して欲しかったぜアレは」
「っちょ! おっま、何サフを危ないとこに巻き込んでんのぉぉぉっ!?」
「俺のせいじゃねーよ! 学校の試験の課題で行った場所に何でかいやがったんだよ! 寧ろコッチは被害者だって何の準備もする間が無かったんだぞ? 俺じゃなきゃ誰だって死んでるわっ」
 叫ぶアミルを補足するように、三つ頭の獣が悠然と話す。
<竜は他界よりこの三界に紛れ込んで来るもの。基本的には我らと天界、そしてそこの魔術士の王によって迎撃され地界にまで届く事は無い。仮に届きそうな時にはそなたら色の魔術士に召集がかけられ迎撃されるのが常だ。しかし時に三界の目をかいくぐって地界に到達してしまう場合がある。生命の賢者はそれに遭遇してしまったのだ>
「感動的なまでの引きの良さだろう。こやつでなければどの色付きが一人で遭遇しても確かに死んでいるだろうからな。天界も魔界も偶然の僥倖として呆れておった」
「貧乏籤の引きが良くて誰が喜ぶかっ!! ってか呆れるな」
 それを継いで彼の人が笑いながら話すのを、アミルが思わずといった様子でツッコミを入れている。その拍子に手にしている破幻杖がしゃん、と揺れて音を響かせる。そういえばその杖が出てきたのは、確か竜と対峙した後であったと彼女は思い出す。
「代わりに其方へは天界・魔界から僥倖が与えられたではないか」
「…………死にかけた対価にしちゃ微妙な感じのやつがな」
 がっくり、と項垂れるアミルに、ケルベロスと彼の人は平然とトドメを刺した。
「其方が自力で手に入れられるもの等報酬には相応しく無かろうが」
<我らは物一つで終わらせる天界とは違う。其方らと交わされた契約は将来重要な意味を持つだろう。全魔族との契約等通常ではあり得ぬ規模の報酬だ>
 ふん、と鼻を鳴らすケルベロスからは、天界と同列にされた事への不快感が感じられた。物語のように天界と魔界が仲良く無いというのは、どうやら事実のようらしい。単にこの魔族の感情かもしれなかったけれど。
「さて。話を戻すが、我が皇国の王を招いたのは先の忠告をするためと、この賢者の魔術がこのままでは失敗しかねぬ故にその助力をする為だ。皇国の王よ。今後皇国の王はこの罪を記憶のある限り代々背負って生きる事になるが良いのだな」
「当然の報いであると考えます」
「ならば良かろう。この封印は皇国の王がヒトの中に残る限り永続する。そして」
 皇国の王が頷くのを、彼の人は確認した後にクリア達の方を向く。クリアの隣に立つイガルドが、恐らく目が合ったのだろうびくりと身を震わせた。その気持ちは彼女自身解らない事も無い。出逢って最初の頃は彼女も同じだったから。
 全ての魔術士の頂点に立つらしいその存在は、視線だけでヒトを萎縮させる程の力を持っている。
「金のクリア、そして黒の騎士イガルド。二人は今日をもって皇国とは無関係になる」
「はーい」
「はいっ」
 クリアがのほほんと、イガルドが緊張を孕んで返事をした。それを確認して今度はアミルと自分の方へとその視線が向けられる。静かで、けれど強い視線。
「問題は、サファイアと生命の賢者の方か。其方らの記憶をどう改竄するかだが」
「まぁ、ケルベロス未召還の記憶に改竄する訳だけど、王宮の一時雇われとしてクラウンとルビーが居たっていう事象まで変えると調整が面倒になるし、クラウンとルビーって形で前から潜り込んでて式典の最中に正式に皇国の籍が抜ける事を宣言しにきた、ってトコで考えてっけど。それでケルベロスの騒ぎを相殺すっかな~ってトコか」
 平然と答えるアミルは、何時ものようにに先の先まで手を打ってあるのだから驚きだ。皇国の王に提案した内容もそうだったけれど、彼の思慮の範囲は余りに広く、その力は非常に施政者向けだと帝王学を少々手習っている彼女等は思う程だ。
 だが彼の人は冷静に問いかけて来る。
「その場合壊れた会場の一部は何とするのだ。それに、魔族召還をした張本人は?」
「…………て、適当に?」
 流石にそこまでは考えていなかったらしい。引き攣り笑うアミルの頭を軽く叩いて(その瞬間にクリアなどは「うわぁ~」というよく解らない奇声を発していた)彼の人がぱちり、指を弾く。
「壊れた会場の一部は張本人が仕掛けた罠を回避する時に仕方なく出来たもの。其方らはその時に会場に現れた。そのように設定した」
「りょーかい。現行式の変更はほぼ無しでいいのか?」
「そのまま実行すれば良い。我の魔力も上乗せしたから、其方が気を抜かん限り失敗はしないだろう」
「嫌味かそれは嫌味か」
 ぶつぶつ言うアミルを他所に、彼の人は興味を失ったように全員に背を向けた。
「では。戻るが良い。それからサファイア。私が其方との別れ際に言った言葉、ちゃんと覚えておきなさい」
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