三十三

文字数 5,474文字


「ええか、なかちゃん――」
 伏見署の応接室に案内され、ソファに腰を落ち着けると、谷口が横に座った里中に言わずもがなのことを口にした。「要らんことは言いなさんなや。素直に下からものを訊ねるんやで」
「ああ。わかってるさ」
 里中がそう答えた直後、応接室のドアがノックされ、見たことのない男性が入ってきた。
「あ、すみません。先日は、お越しいただいたそうで……」
 名刺を二人に差し出しながら。「わたし、権田と申します。佐々木は、本日、外出しておりまして、代わりにわたしが対応させていただきます。あ、どうぞ、お掛けください」
 二人が座るのを見届けて、腰を下ろした権田が続けた。
 定年間近の老練刑事という感じの男性であった。
「一応、佐々木からは報告を受けておりまして、なんでも新高瀬川で亡くなったホームレスの件でお訪ねになったとか……」
「はい」
 里中が自分に向けられた刑事の視線に戸惑いを感じながら答えた。その眼は里中の眼というより、顎辺りに向けられていた。どことなく眠っているような眼だった。「そのホームレスの情報が知りたいんです」
「はい。それなんですが、その質問にお答えする前に、なぜそのようなことをお知りになりたいのか――。その辺りのことからお話いただけないでしょうかな。でないと、われわれとしても、お教えしていいことと悪いことがございますんでね」
「それに関しては、前回もお話したはずなんですが――」
 里中がそのあとを続けようとするのを、谷口が里中の左足の甲を素早く踏んで押し留めた。
「わかりました。お話しましょう」
 里中は悟って、続けた。「実は、わたしどものほうに、そのヨシダというホームレスが書いたという原稿が回りまわって届いておりましてね……」
「ああ。それなら、知っております。確か土肥さんとかいう、熊本でしたかな、そこに届けられるようにしてあった原稿ですな」
「ええ。それなんですが、それによりますと、彼は吉田栄一といって、もとは会社を経営していた男で、死ぬ間際に五千万円という大金を手にしているんです」
「ほう」
「その一部を使って借金なしをしたあと、残りすべてをあるひとに届けるべく準備を整えるわけですが、実際には、どこにもその金は届いていないんです」
「申し訳ありません。頭が悪い所為か、話が一向に見えてこないんですが、いったいどういうことをおっしゃりたいので……」
「つまり……」
 里中は、どう説明していいものかと迷った。
「早い話、この吉田という人物は――」
 谷口が助け舟を出して言った。「自殺未遂で凍死したんやのうて、その金の存在を知った誰かに殺されたんやないか――いうことですわ」
 あまりにも短兵急な展開に、さしもの老刑事も返事に窮したのか、暫く口が開けられなかった。
 その隙に乗じて、谷口が畳み掛けた。
「で、どうなんですやろ。その吉田さんというひとの遺留品の中に、その手のものが入ってたというようなことは……」
「遺留品ですか……。遺留品なら、リストはありますが、わたしの記憶するかぎりでは、金目のものは入っておりませんでしたな。ましてや何千万円もの大金というのであれば、放っておいたってそれとわかりますからな……」
 老刑事は、眼を瞬かせながら訊ねた。「それで、あなた方は、なんですか、その犯人を捕まえようとしてらっしゃる……」
「捕まえるとか、金を取り返すとか、そんなのではなく――」
 里中が、少しカチンときた様子で言った。「真実が知りたいんです。真実を知った上で、ある判断をしたいんです」
「ある判断とおっしゃいますと――」
「つまり、彼の書いた小説が、出版に値するものかどうかを決めたいんです」
「ふむ。出版ねぇ。しかし、『小説』という以上――」
 老刑事は、顎と口を撫でるような仕草をして答えた。「素人ならではの見方かも知れませんが、その内容が嘘であろうと、真実であろうと、出版の是非とは無関係のような気がしますがなぁ」
 言われてみれば、確かにそうだった。
 ただし、それは、あの小説がフィクションであるという、そのことにおいてのみ通用することばだった。あの小説は断じてフィクションではない。吉田という実在する人物の始末記なのだ。
 フィクションならば、なにも面白くない。あの手の創作は巷にごろごろと転がっているのだ。芸術性もなければ、文体に工夫が凝らされているわけでもない。
 そんなものが、世に受けるわけはない――。
 ノンフィクションだからこそ、ひとはその事実に衝撃を受け、読んでみようと思うのだ。
「せっかくですが、ここは、プロであるわれわれにお任せいただけませんでしょうか。事件の真相解明は、われわれが必ず成し遂げてみせますから……」
 老刑事は、あたかも席を立たんばかりにして言った。
「あ、最後に、ひとつだけ教えていただけませんか――」
「ええ。なんなりと……」
 こうなってくると、老刑事も余裕だった。一旦、上げかけた腰をソファに戻し、二人を交互に眺めた。
「この前、寄せていただいたときもお訊ねしたのですが、村上というホームレスの消息をご存知ありませんか」
「いまも言いましたが、それを知って、どうなさるおつもりで――。事件の解明は、われわれ警察の仕事です。あなた方は、真相をお知りになりたいだけなんでしょう」
「それは、まあ、そうなんですが……」
「ならば、ここは静かにわれわれの調査を見守っていただくというわけには行きませんでしょうかな。あなた方の思いは充分に伝わりましたし、お考えも参考にさせていただきます。なにかわかれば、このわたくし権田が必ずお知らせすると約束します。ですから、今日のところは、これでご勘弁くださいませんか」
「そうですか。わかりました。よろしくお願いします」
 谷口が答えた。
「こちらこそ。ぜひ今後ともご協力のほど。しかし、ご自分で動くというのだけはなさらんほうがよろしいかと……」
「わかりました――」
 なにかを言おうとする里中を、谷口が遮って答える。「期待してお待ちしておりますんで、必ずご連絡ください」
「はい、そのようにいたします」
 老刑事は、二人が署を出て行くのを見送ってくれた。
「律儀な刑事さんやったな」
 谷口がつぶやくように言った。
「そうかなぁ」
 里中が言った。「ぼくには、そうは見えなかったがな」
「いや。ああいう頑固タイプはなんかあったら、必ず教えてくれるはずや。まあ、みとってみ」
 谷口は、自信ありげに答えた。
 携帯が鳴った。二人同時に自分のポケットに手をやった。鳴ったのは里中の携帯だった。
「あ、もしもし。里中です」
「京都新聞の後藤田春樹と申します。秋津から聞きまして……」
「ああ。ありがとうございます」
 里中は送話部分を押さえ、記者の後藤田さんからと言い、あとを続けた。「この度は、急な話で申し訳ありません」
「いえいえ」
「できれば、どこかでお会いして、お話を伺いたいのですが……」
「いまどちらに、おいでですか」
「いま、伏見暑から出てきたところです。伏見にいます」
「ああ。そうですか。ちょうどよかった。わたしもいま、伏見にいるんですよ。なんだったら、その近くにパルスプラザというのがありますので、そこの二階のレストランで会いましょうか」
「え、パルスプラザですか」
「そうです。あ、そうか。里中さんは京都の方じゃありませんでしたね。正しくは『京都府総合見本市会館』というんですが、その辺でパルスプラザヘ行きたいといえば、みな教えてくれますよ」
「わかりました。幸い、京都に詳しいのが横についていますので、彼に訊いて行きますよ」
「そうですか。いま伏見城公園の近くですから、二十分も要からないと思います。そこで、お会いしましょう」
「了解しました」
 里中は携帯を切り、谷口に言った。「京都総合なんとか会館ってわかるかな」
「ああ。さっき聴こえたけど、パルスプラザやろ。こっから歩いても五分と要からんと思うわ」
「そうか。じゃ、タクシーは乗らなくていいよな」
 谷口のことばどおり、パルスプラザに到達するには六分と要からなかった。二人が二階のレストランで待つこと十二分、それらしい人物がレストランに入ってきた。
 里中が手を振ると、相手も手を振った。
 その足で、つかつかと近寄ってきた背の高い好青年が、里中の顔を見て言った。
「里中さんですか」
「はい、里中です。この度は、どうも……」と立ち上がり、背広の内ポケットに手を入れながら答える。
「はじめまして、後藤田です」
 里中からもらった名刺を見ながら。「ほう。編集長をしていらっしゃるんですね」
「あ、まあ」
「黎文堂出版さんといえば、ドキュメンタリーものや社会福祉関係の図書をメインに出版してらっしやいますよね」
「ええ」
「うちのかみさんが大のファンで、御社の本はよく読んでますよ」
「そうでしたか。ありがとうございます」
「わたしも、そのひとりなんですがね――」
「それは、それは……」
「秋津から、大方は聞いておりますが、念のため、一からお聞かせ願えますか」
「ええ。それこそ、この先の新高瀬川でのホームレス凍死事件なんですが、あの記事をお書きになったのは、なにか、含むところがおありだったんでしょうか」
「ええ。それを秋津から聞いて、なかなか鋭い喚覚をお持ちのお方だなと思いました。確かに、あの書き方をしたのは、警察の態度になにか割り切れないものを感じたからなんです。実際に、さきほども伏見署へ行ってらっしゃったわけですから、おわかりでしょうが、もうひとつ歯切れがよくないのですよ」
「確かに。なかなか胸襟を開いてくれませんよね」
「でしょ。新聞記者に対してですらそうなのですから、一般のひと相手だとなおさらだと思います」
「それで、ああいう風にお書きになった根本の理由というのがあるかと思うんですが、差し支えなければお教えいただけませんか」
「そうですね。まず第一は、現場の様子からして、凍死は凍死でしょうけど、なにかおかしいんです。
 わたしは当日の朝、現場に行きましたが、周囲の路面はまだ濡れていて、土手の上のところどころにできた水滴りに薄い氷が残っていました。つまり、その前日は寒波の影響で、土手はとても滑りやすい状態だったと思われるんです。
 ですから、わたしは吉田さんの死は、入水自殺をしようとしての死ではないと思っています。確証はありませんが、誰かに押されたか、なにかに躓いたかして、ゆっくりとあの河川敷と川の間の法面を滑り降り、川の中に身体の半分まで浸かったところで停止したんだと思うんです。そして、這い上がろうとするんですが、周囲が凍っている所為で、足がかりがない。そうこうするうちに寒さで身体の動きが取れなくなり、そのまま凍死してしまったと……」
「なるほど。わたしと、ほぼ同意見ですね。つまり、犯人がいるとしたら、その犯人は彼をそっと押したあと、彼が死んでいくのを眺めていたことになります……」
「はい。そんなわけで、敢えて『なんらかの不具合――』という表現を使わせてもらったんですが……」
「警察では、入水自殺の可能性を示唆しているし、無下に書かないわけにも行かないし、ということでしょうか」
「ま、無理やりこじつけたんですけどね」
「新聞は公器ですからね。写真週刊誌のような予断めいたことは書けませんよね」
「そうですね」
 後藤田は苦笑いして言った。
「で、吉田さんの遺留品の件についてなんですが、警察からはなにか発表があったのでしょうか」
「いえ。遺留品についてはなんの発表もありませんでした」
 後藤田が興味深そうに訊いた。「秋津から聞いたのですが、なにか小説のようなものがあったんですってね」
「ええ。吉田さんの友人の、土肥さんというひとに届けられるようになっていたんです」
「それには、なにか手がかりのようなものが……」
「いや。いまのところ、なんとも言えません。本当を言えば、その線で警察が動いてくれればいうことなしなんですけれども、端から相手にしてくれませんのでねぇ」
「そうですか。いまのところ、この件に関する新たな情報は入っていませんし……。例の村上というホームレスについても、警察からはなんの発表もありません。こんなこというのはなんなんですが、一介のホームレスの死ということで、警察ではあまり重大視していないのではないでしょうか……」
「そうですね。実際に当たってみると、なにか隠しているというより、面倒臭がっている感じがしますもんね」
「おっしゃるとおりですよねぇ」
「あ、いや。本日は、ありがとうございました。わざわざ来ていただいて申し訳ありませんでした」
「いえ。またなにかあれば、お知らせください。いつでも飛んできますから――」
「はい。ありがとうございます」
「ああ、それと、伏見署なり京都府警なりから、なんらかの発表があれば真っ先に里中さんにお知らせしますね」
「ええ。よろしくお願いします」
 里中は、レストランを出て行く後藤田の後姿を見送りながら、谷口に言った。
「これで、なにか進展があるといいんだがね」
「そやな。一応、二人の新聞記者と一人の刑事に因果を含めたわけやし、なんらかのアクションは取ってくれるんちゃう」
「そうだと、いいけどね」
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