第四話 正体

エピソード文字数 5,050文字

瞼を開けると、目の前に木の板を重ねて作られた壁が広がった。
初め、それが天井である事に気が付かなかったのは、全身の力が恐ろしいほどに抜けていたせいかもしれない。その木の天井からは、なにやら大きな花のような物をはじめに、紐に括りつけられた植物やキノコ達が無造作に吊るされている。
目線を下にやると、年月が経って少し黄ばんで見える温かな毛布が身体にかけられていた。自分のあのランタンが置いてあるのか、足元の方で輝きの花特有の、ぼんやりとした灯りがこの室内を包んでいる。
(……ここは何処?)
首を右に曲げて辺りを見渡すと、竈や調理台、大きなテーブル、暖炉、そして本や瓶などが置かれた木の棚が目に入った。
左側に首を曲げると、すぐ目の前に丸太を積んで造られた壁がある。どうやらここは誰かの家らしく、自分は部屋の角に置かれたベッドに寝かされているらしい。
一見、普通の家の中かと思ったが、やはり何処か変わっている。特に、うっすら見て取れる本棚に置かれた、液体の入った瓶の中身が奇妙なのだ。
天井まで接しそうな、その大きな木の棚に置かれている大小様々な瓶の中には、植物の葉のような一般的な家庭で見かける物だけでなく、トカゲやネズミなのか、四つの手足がついた小さな動物らしきものが漬けられている。
「……っ」
ここからではよく中身が見えず、思わず身体を起こそうとお腹に力を入れた時だった。力が入らず、全身にずきずきと鈍い痛みが走り、再び身体をベッドへ戻された。
オリビアは、ここでようやくチェルネツの森で奇妙な植物たちに襲われた事を思い出した。その植物たちが発する果実のような匂い、まとわりつく気味の悪い粘液。少しずつ鮮明に記憶が蘇ってゆく。
(……そうだ。あの時全身に力が入らなくなって、木の根元に倒れ込んで……それから女の人の声が聞こえて。たしか黒い服を着ていた……あれは誰?)
その疑問はすぐに解決された。ぎぃと鈍い音をたてながら、この家の扉が開かれると、見覚えのあるその黒い腰衣をなびかせながら人が入ってきたのだ。
その者は頭にかぶっていたフードを取ると、こちらに振り返り言葉を放った。
「……目覚たのか、小娘。」
その者は、余裕の含んだ少し上から目線の口調でそう言うと、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
胸元ぐらいの長さの艶のある黒髪、切れ長の少し冷たさを持つ黒い瞳。年齢は三十を過ぎたくらいだろうか。細身で長身のとても美しい女性だった。
(し、死神?)
そう言うには少し無理のある容姿だったが、自分はチェルネツの森奥で倒れたはずだ。咄嗟にそう思うのは普通かもしれない。これから自分に何をするのだろうか。ただ、身構えようにも身体が動かない。
「おんしは悪魔の目にやられて動けんのやろう。まずはこれを飲め」
予想とは違う言葉が降ってきた。
その女性は、見た目の割にやたらと古めかしい表現でそう言うと、気になっていたあの大きな本棚に置いてあった瓶の一つをひねり、中身を小さな椀に注ぎ、こちらへ持ってきた。
オリビアが勿論、けげんそうな顔をすると、その女性はもうひとつ椀を持ち出し、先ほど注いだほうの中身を少しそれに移し、ぐいっと大きく呑みほした。「毒は入っていないから安心しろ」と言いたいらしい。
(……もしかしたらこの人は私を助けてくれたのかな?)
微かにだが、椀を差し出した際の女性の口元は、上向きに動いたように見えた。それは死神と言うには無理がある、ほんの少しの優しさを漂わせていた。そもそも、自分を貶めるならば、このような毛布は似合わない。冷たい石造りで出来た牢に入れられ、足に枷でもつけられているに違いない。
オリビアは痛みをこらえ、やっとの思いで身体を起こすと、少し不安げに手を伸ばし、椀を受け取った。椀の中身は、底がやっと見えるほどの透明度で、妖しく薄茶色に濁っている。その見た目から、とても口に良いものではなさそうだった。
少しずつ飲んでは後が辛そうだ。オリビアは思い切って一気に椀の中身を飲み干すことにした。椀が口元に近づくにつれ、放たれる悪臭は無視したいができない。鼻をつまんで椀の中身を口内へ運んだ。
「……っ」
口にその液体が含まれた際、最初は思ったより何も感じなかったのだが、やはり後味が表現できないほどに苦い。飲み干した後も舌の上で強烈な存在感を放っている。暫くしてから大きく噎せてしまった。
「はははっ。こんな物呑んだ事もなかろう。安心しろ、すぐに眠うなって苦味など忘れるわい」
その女性は高らかに笑うと、奥にあったテーブル近くの椅子へと腰かけた。
女性の言うように、驚くほどすぐに瞼に重りが付いた。オリビアは気がつくとまた深い眠りの底へと落ちていった。


オリビアは、ぐつぐつと何かが煮立つ音に気付き、目を開けた。
まずは視覚より嗅覚が興味を示した。部屋中に果実を煮たような、甘い匂いが充満しており、瞼を閉じる前に感じていた、微かな黴臭さはすっかりかき消されている。
オリビアはゆっくりと身体を起こし、ベッドから抜け出た。少しふらぁとしたが、針で突くようなあの激しい痛みは感じない。全身が大粒の汗にまみれており、背中に下着がぴっとりとくっついて気持ちが悪かったが、体調の方はと言うと、この部屋中を漂う甘い匂いに触発されて、お腹が空いている事に気がつくくらいであった。
オリビアが身体を起こした事に気がついたのか、あの女性は向き合っていた竈に背を向け、こちらに近づいてきた。
「もうだいぶ良くなったろう。二日近く眠っておった」
 二日近く眠っていた?とてもそんな実感はなかったが、この妙なふらつきと空腹感は強い説得力を持っている。
女性は、木の板をテーブルの上に敷くと、その上に竈で火を当てていた鍋を乗せた。
「まずは食え。でないと何も始まらん」
彼女はそう言うと、テーブル近くに置いてある椅子を引き、オリビアを促した。
よろめく足元に気をつけながらテーブルに向かおうとした際、やっと頭上で何かが燃えている事に気がついた。
それは、この部屋に来て最初に目に入った、あの大きな花だった。大きく湾曲した房の先端が、まるでろうそくの炎のようにちろちろと燃えている。花全体に火が燃え移らないのが不思議だった。
オリビアは見たこともないその植物を見上げていると、女性は再び口を開いた。
「言ったろう。おんしは二日も何も食っとらんのだ。もの珍しいやもしれぬが、見上げたまま倒れられても困る。まずは座って食え」
女性に再び促されて、オリビアはテーブル近くにあった椅子に腰かけた。
目の前に置かれている鍋の中には、桑の実や野イチゴに良く似た粒々しい木の実が、とろっとしたシロップに浸かっている。中に入っている木の実は一度も見た事がないものだったが、その食べ物は、オリビアも度々作っている、コンフィチュールにとても良く似ていた。
女性は椀を二つ持ってくると、それぞれに鍋の中身を注ぎ、一つをオリビアに差し出した。そして彼女はテーブルに置いてあった木の匙を取り、手前にあった自分の分の椀の中身を口へ運んだ。それを見てオリビアも匙を手に取り、同じく椀の中身を口へと運んだ。
(美味しい……!)
味付けは砂糖と酒と果実を一緒に煮たような単純なものだったが、中に入っている果実がとても濃厚な甘みを含んでいる。その果実は弾力があり、噛むとぷちぷちっと口の中ではじけ、みずみずしい果汁を溢れ出す。その溢れ出た果汁がシロップと上手く噛みあい、芳醇な香りと甘みが口の中で一杯になるのだ。この木の実は桑の実でも野イチゴでもない。その味わいは一度も経験した事がないものだった。
お腹が空いているのもあってか、余計に匙を口元へ運ぶ速さが増した。気がつくとたっぷりあった鍋の中身も、あっという間に空になってしまった。
「おんしは獣のようだな。そのくらい食えれば明後日には動けるようになろう。天女のはごろもは滋養が高うからな」
彼女は笑いを交えながらそう言うと、食べ終えて空になった椀や匙をまとめて鍋に入れ、それを手に取り、立ち上がった。その後ろ姿にオリビアはそっと言葉をかけた。
「あの……ありがとうございます」
もはやその言葉は遅すぎるくらいだ。お腹が膨れてようやく気持ちに余裕が出来たのだろう。今更ながら改めて自分が見ず知らずの人に救われた事に対し、感謝で胸が一杯になったのだった。今までこの言葉が出なかったことが恥ずかしい。
女性は黙って背中でお礼を受け取ると、竈の隣にあった水がめの前に立ち、手にしていた鍋をその水がめの中へ、どぷんと漬けた。
「あの……貴方は一体……」
「……」
女性は沈黙したまま反転し、再び椅子に腰かけると静かに口を開いた。
「……そうさな。まずは我の事より、おんしの事から答えて貰う。小娘よ、どうしてこの森に足を踏み入れた」
ここは何処なのだろうかと思っていたが、女性の“この森”という表現から、やはりここはチェルネツの森の中である事が伺えた。
はじめは、こんな森の奥深くに暮らすなんて少し変わった人だな、くらいしか思わなかった。
やはり自分を助けてくれた事に感謝でいっぱいだったのもある。この時、オリビアの頭の中には、その女性の質問に素直に答えたい気持ちしかなかった。ここまでの経緯を聞かれ、話さないのは義理に欠ける。
オリビアは、そっと立ちあがり、ベッド近くの床に転がっていた自分のショルダーバッグを手に取ると、恐る恐る、中からあのコインを取りだし、テーブルへと乗せた。相変わらずコインは、古びた鉛のように黒ずんでおり、不気味な鈍い光を放っている。
オリビアは、雷のような光と音とともに現れた白き女性が、森の奥に住むグリンデという伝説の魔女に、このコインを渡すよう伝え、そして消えた事がきっかけでこの森に踏み入れた事を、順を追って説明した。

森の中で見つけた赤い球体を追っていた時、あの奇妙な生き物に襲われたところまで話し終えると、女性の目の色がはっきりと変わった。この少女に対してしなければならない事が出来たからである。それはこれから大きな物語が始まることを暗示していた。
「……小娘よ。指先だけで構わん。そのコインに触れて我を見ろ」
その口調は重い。オリビアは言葉の意味がわからず、一瞬とまどったが、その強い真剣な眼差しに気押され、恐る恐るそっと指先でコインに触れた。
今話さなくとも、いずれ知る時が来る。それに、この先の事を考えると、今ある程度伝えておいたほうが効率は良い。それに言葉で伝えるより、よっぽど伝わりやすいだろう。そう考えた女性は、オリビアに対し驚くべき物を見せる事にした。
彼女は無言のまま、立ちあがると、手のひらを上向きにかざした。その直後、天井にあるあの花の灯りなど忘れてしまう程の光源が、オリビアの視力を奪った。
(な、何!?)
何が起きたのか、さっぱりわからなかった。思わず顔をそらし、思わずコインから指を離してしまいそうになった。
オリビアは、眩んだ目を細めながら薄っすらと開けると、目の前に驚くべき光景が広がった。どのような仕掛けがあるのか、さっぱり分からないが、女性がかざしている手のひらから、ぼうっと音をたて炎が上がっているのである。その炎は、まるで真夏の太陽を思わせ、ぎらぎらと熱を放っている。しかし、息を呑んだのもつかの間、ものの数秒でその炎はすうっと消えてなくなった。
数秒後、オリビアは目が落ち着いたのを見計らって再び大きく瞼を開いた。先ほど見たものは幻だったのか。目の前に映る景色は何事もなく、女性が天井に手をかざしているだけのように思えた。が、よく見るとそのかざした手の平の上で、うっすらと何かが揺らめいているではないか。
「こ、これって!」
「おんしが見たのはこれの事やろう」
なんと女性の手の平のすぐ真上で、森の中で見たあの赤い球体が浮かんでいるのだ。そして、心なしか女性自身も、うっすらと赤い靄のようなものに包まれているように見えることに気がついた。
(ま、まさか!)
この時ようやくオリビアの頭の中で一つの考えが浮かんだ。その考えは、先程見せられた炎の熱を一瞬で奪い去る程に冷たい。身体中の筋肉に強張りを覚えさせた。
「そう。我がグリンデだ」
女性が放ったその言葉は、鎖のようにオリビアの心に纏わりつき、呼吸を忘れさせた。
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