>ひかわ先生。こんばんは。ミツルです。
僕も、佐々木先生とおなじく映画館で観ました。
そのころ僕が思ったのは、人の縁の不思議さでした。たしかに孤独のうちに人生を閉じたダーガーです。ですがアパートの大家さんが彼の「作品」にある種、ただならなさを感じ、部屋もふくめ保存し、後世に残したことが、しみじみ不思議でした。
もし大家さんが、それを評価せず、ゴミだと思ったら?
正直、気味の悪さはあります。しかし配色の妙や、安定しながらも構図にトリッキーさがあり、正規の美術教育を受けていないにもかかわらず、えもいえぬ魅力があります。
それにしても人とのこうした縁を「運命」と呼ぶとして、なぜこんな運命があるのか?
映画をみた当時、ぼくにはわかりませんでした。
いまも運命なんてわかりません。でも、なんとなくこうじゃないか、と思うことはあります。
貧しいながらも掃除人の仕事を真摯に、老人になってからも絶望せずにやり遂げたからではないだろうか、と。
だからこそ、作品は人の心を動かす説得力を持ちえたのではないだろうか、と。
もちろん何らかの見返りをあてにして、ではありません。作品は人知れずコツコツ作られ続けたのですから。
先生も仰られているとおり、
>人の空想というのは、「誰にも見せない」「自分だけの」世界だとあそこまで行くのだ、と(いい意味でも悪い意味でも)、何か深く深く感じ入ったものがありました、あの世界には。とにかく、何かすさまじい。
そういった胸を圧するような力があります。
にもかかわず、やっぱり人(現実世界)との縁の不思議さを感じてしまうのです。
大変な負荷を現実で抱えている時、人は夢のような世界、ファンタジーに安らぎを求めます。その苛酷な現実と、ファンタジーの間の蝶番となり、均衡点を保つために必要だったのがヴィヴィアンガールズであり、かれは生きながらにして異世界転生していたのではないか、と。なのでダーガーは絵を描いている時、愉しくて愉しくてしかたなかったと思います。彼みずからもヒーローとして夢の世界をリアルに生きたのですから。
そして、ぱっと見、みすぼらしい掃除人の人生も見事に生き切りました。現実の人生をいい加減に生きたり、絶望していたなら、逆にファンタジーの強度も薄まっていたと思うのです。
人はそれぞれのポジションで、淡々とみずからのできることをなし(ニートでも!)、必要とあらばファンタジーの世界に赴いて癒され、さらに自らの世界を紡げばいいのではないか、と僕はダーガーに教えられたような気がします。
>ファンタジーの世界、というのは、人の心を救うのだなぁ、というのは、このヘンリー・ダーガーさんにも教えていただきました。
まさに先生のご指摘の通りだと思います。
今回、先生が、ダーガーの話題をふってくださったのでいろいろと気づくことがありました。こんなことを偉そうに語る立場にないことは承知しております。至らぬ点、盲点も多々あるかと思いますが、どうかお許しください。
それと『龍の七部族』の件、教えてくださって有難うございす。
電子書籍化ということですが、amazonでも買えるのでしょうか。それともほかの電子書籍サイトでしょうか? 調べ方が悪いのか、見つけだすことができないでいます。お手を煩わせて本当に申し訳ないのですが、どうかお時間のあるときにでも、どの電子書籍サイトで扱っているか、お教えいただければ嬉しいです。
また長々と書いてしまい、大変失礼しました。
ダーガーの本は図書館にありましたので、これも借りてきて、改めて対面したいと思っています♪ 素敵なお話、どうも有難うございました!