第8話 困ったクラスメイト①

文字数 4,777文字

 私の頭を引っ掻き回す存在は、サンスクリットだけではない。

 クラスメイトの篠田さんもいる。
 
 秋休み前の、1学期終業日だった。

 ネパールでは、秋に大型連休がある。連休には、ヒンドゥ教の大祭《ヴィジャヤダシャミー》を含む。英雄ラーマ王子が、魔王ラーヴァナを倒した記念日だ。ラーマ王子や勝利の女神ドゥルガーを讃える盛大な祭で賑わう。

 毎年、祭の日付は変わる。ヒンドゥ式の太陽太陰暦で決まるので、西洋のカレンダーで毎年同じ日付には合致しないからだ。
 ネパールで公的に使われる暦は、ビクラム暦と呼ばれる太陽暦。その他、各々の民族特有の暦が、家庭において併用される。日本だって和暦と西暦を使う訳だが、ネパールでは何種類もの使い分けが必要で、更に複雑である。

 たとえば2021年は、ビクラム暦で2078年。57年後にタイム・スリップしたような、軽いトリップ感がある。

 そんな訳で、2061年の秋。

 学校からの帰り道を、篠田さんと連れ立って歩く。カトマンドゥの南部にある篠田さんの下宿先に向かった。
 休暇の間、篠田さんはカトマンドゥの郊外のスンダリジャルで過ごす予定だ。使い掛けの醤油が、カトマンドゥを離れる間に傷んでしまう。駄目になる前に私にくれる、とのことで、ほいほいとお供したのである。

 下宿先は、庶民的なトタンの掘立(ほったて)小屋だった。醤油を取りに入る篠田さんを外で待っていると、中年男性が話し掛けてきた。

「あんたは、篠田さんの知り合いか? 彼は見込みのある男だよ。子供たちに、ご飯を食べさせてやってる」

 親に捨てられた子供たちがグループを作り、路上生活をしている。篠田さんは自分のできる範囲で、子供たちの面倒を見ているようだ。

「ですよね。いいところがあるなぁ、って思います」

 (つつ)ましい暮らしぶりだが、他人には気前よく分け与える。寄付にも積極的だ。大学で数か月に一度は寄付を求められるが、躊躇(ちゅうちょ)なく100ルピー紙幣を差し出す。

 外国政府や慈善団体からの寄付金を、役人たちが横領している噂をたびたび耳にする。中には健全なシステムを築いている団体もあるだろう。が、大半の支援は、貧しい人たちに、ほぼ行き渡らない現状がある。役人たちの私腹を肥やす行為を助長する気がして、私は寄付を躊躇(ためら)う。

 篠田さんは違う。「使い道を気にする必要はない。目の前に困っている人がいる。だったら、持っている分を渡したらいい」との考えだ。

 1キロ65ルピーの米を食べる私を「贅沢(ぜいたく)だ」と批判するが、ケチな訳ではない。

「自分は偉い」感を出す癖が、玉に(きず)だが。篠田さんの言葉の端々には、他人(ひと)を下に見ている感じがする。どんな人間にも欠点はある。多少は大目に見たいが、ときどき腹が立つ。

 篠田さんが部屋から出てきた。醤油は、ペットボトルに3分の1ほど残っていた。賞味期限は2週間ほど過ぎている。常温保存なので、傷みが心配だ。とはいえ厚意は嬉しいので、ありがたく頂戴した。

 私たちは近くのチベット料理店へ昼食に出掛けた。皮がフカフカのチベット餃子・モモを(つま)みながら歓談した。餃子といっても、小さな肉まん、あるいは小籠包(ショーロンポー)みたいに丸っこい。(店に()っては日本の餃子のような半月型も存在するが、丸っこいほうが主流であるような気がする)肉入りと野菜入りを選べるが、私たちのチョイスは野菜モモだ。



 ベジタリアンには、いくつかの種類がある。植物以外を一切食べないヴィーガン、魚や玉子がOKなぺスコ・ベジタリアン、果物や木の実が中心のフルータリアンなど。

 篠田さんと私は、インドを含む南アジアのヒンドゥ教徒に多いラクト・ベジタリアンだ。肉・魚・玉子はNGだが、乳製品はOK。

 ちなみに、この手記を書いている現在の私は、ネパール留学時よりも気持ちが雑になっているので、〈なるべくベジタリアン〉である。ヒンドゥ教の思想の刷り込みにより、牛肉に箸をつけるには躊躇(ためら)いがある。ヒンドゥ教徒は、牛を神様の乗り物と考える。肉食の人でも、牛は食べない。

「究極には、菜食も肉食も関係ないけどね。(こだわ)らない心が大切だから」
 モモを頬張りながら、篠田さんが呟く。
「その寛容さの10分の1でも、リカルドに向けられないんですか?」
 授業中、リカルドがサンスクリットの読みにモタつくたびに、篠田さんが馬鹿にしたように笑う。見ていられない。

「あのね、般若心経の写経をしたことはある?」唐突な質問である。
「お寺で、何度か。書店で『般若心経練習帳』を買って、自宅で練習をした時期もありましたね」
「人に()っては、写経の途中で、どうしても筆が進まなくなる。同じ箇所で、なぜか引っ掛かるんだ。霊性が低いと、頑張ってもクリアできないレベルがある。リカルドは駄目。サンスクリットを学ぶ資格はなし。だから筆記が憶えられないんだ」

 ならば、サンスクリット・コースに入る前、ネパール語の習得のために2年間も遠回りをした篠田さんの境遇だって、霊性の問題と指摘できないか?

「霊性ではなく、学習年数の問題だと思いますけど」

 篠田さんには1年、私には5年の学習歴がある。
 5年も勉強してきて、初心者であるリカルドと一緒に学ぶ私のほうが、情けない状況といえるかもしれない。

 篠田さんは、意見を曲げなかった。
「私は気功を習得し、高い境地に達している。人間を見ただけで、霊的レベルや心の汚れ(サンスカーラ)がクリアにわかる。私が言うのだから、確かだ。リカルドはサンスクリットを学習するレベルに達していない」

 私は身を乗り出し、篠田さんの目を真正面から見詰めた。
「だったら、私の心の汚れ(サンスカーラ)は? 一緒にいて、何かを感じますか?」

 私だって、忸怩(じくじ)たる想いを抱いてネパールに来ている。私の問題を見抜けないなら、篠田さんの能力は(まが)い物だ。

 強い視線に動揺した様子で、篠田さんは目を()らした。
「いやぁ、そのー、あれだね。まあ、別に、ねえ」

 面と向かって「不浄だ」と答えれば、私が(へそ)を曲げるだろう。かといって、「何も感じない」と答えれば、能力を疑われる可能性がある。「答えを曖昧(あいまい)にして、お茶を濁そう」との魂胆が見え見えだ。

 篠田さんは、冷める私の心を見抜けない様子だ。食後にチベットの伝統的なバター茶を飲む頃には、《篠田劇場》は盛り上がりを見せた。

「空中浮揚セミナー参加の経験がある。実際に、身体が宙に浮いたんだ」
「えっ? そんなに簡単に浮けるものなんですか?」
「誰でもできる訳ではない。私は普段から、瞑想修行を積んでいるからね」
「空中浮揚のセミナーでも、やっぱり瞑想から入るんですか?」
「そうだ。大事だからね。瞑想中に身体が熱くなってきて、下腹部に存在するエネルギー体――クンダリニーの蛇――が上昇し始める。気が付くと、宙に浮いていた」

 本当に浮いたのか、浮いた気になっただけなのかは不明だ。だが、ここで議論をしても「浮く」、「浮かない」の押し問答になるだけだ。「凄いですね」との凡庸(ぼんよう)な感想に留めた。

 続いて、篠田さんがいかに気功に精通しているか、との主張に移行する。
 阪神大震災でのボランティア活動体験談には、度肝を抜かされた。
「私は気功の力で他人(ひと)を癒せる。震災が起こったときも、頭より先に心が動いてね。気が付いたら、被災地に駆けつけていた。避難所を訪ね歩いて、気功で被災者の身体を癒したよ。車椅子のお婆ちゃんなんて、私が脚を(さす)ったら、ピンピン歩けるようになったんだ」

 お婆ちゃんは、篠田さんに付き合ってあげたのでは? 「治った」と申告しなければ、いつまで経っても解放されなかっただろう。

 黙って聞いていたら、言いたい放題だ。挙句の果てには、「女は(けが)れている」と言い出した。
「日本には、女人禁制の聖域があるでしょう? 大峰山とか。なぜ女が入れないのか? 答えは簡単。(けが)れているからだ」

 私だって、こう見えても女なのだが。その穢れた存在と茶を飲んでいるあなたの行動は、いかがなものかと。

 さらに詳しく聞いてみると、話が徐々に矛盾しいく。

「男が修行している所に女が入ってくると、さぁぁぁっと(よこしま)な欲望が広がる。だから、女は穢れている」

 ちょっと待って。
 仮に〈欲望〉を〈穢れ〉と解する場合だが、その理屈だと、欲望を抱く男のほうが穢れているのでは?

 釈然としない私を置き去りにして、次の話題に移る。

「私の能力は、動物にもわかる。いや、本能的に素直な動物のほうが、察知しやすいかもしれない。森の中で私が歌えば、動物が寄ってくる。鹿なんて、両目からホロホロと涙を流しながら聴き入るんだ」

 歌い始めた。謎の言語の、謎の歌である。音程が外れまくりで、断末魔の叫びのような歌声だった。バター茶を噴かないように我慢する私の目に、涙が(にじ)んだ。

 歌が終わったので、とりあえず、拍手。

 独演会は、まだ続く。ちょっと飽きてきた。

「最近は、数学にも興味がある。哲学を突き詰めると、結局は数学の世界に繋がる。今度、生まれ変わったら、数学の研究者になりたいね」

 ――ん?

「いつも『この世は地獄だ。今世限りで解脱してやる。二度と人間界に生まれ落ちるものか』って(おっしゃ)いますよね? なのに、また生まれ変わるんですか?」

 はっとした表情で固まったのち、篠田さんは「あ、そうだった」と呟き、「わはは」と笑って誤魔化す。私も調子を合わせて、「あはは」と乾いた笑い声を立てた。

 近くのテーブルで、若い日本人のカップルが食事をしている。私たちの会話を聞いて、さぞ薄気味悪かっただろう。

 篠田さんの真意は、よくわからない。「人間には興味がなくなった」と言い放つ割りには、私に相手をしてもらいたそうだ。うちのアパートに「もう暇で、暇で」と、頻繁に電話を架けてくる。アパートに遊びにも来た。寂しいと、認めたらいいのに。

 私にも経験があるから、わかる。
 
 思春期の頃、特殊能力を得るためのオカルト研究に余念がなかった。特別な人間になれば、周囲から愛される、と期待した。平凡であっても愛される自信があれば、特殊能力なんて要らなかっただろう。

 夕方近くまで篠田さんの話をたっぷり聞いて、店を出た。

 翌日から、長期休暇。しばしのお別れだ。

 スンダリジャルに行く目的は、〈避難〉だそうだ。
「カトマンドゥは、人々の発する邪念で穢れているから、自然の豊かな山地で過ごしたい」
「人里離れた場所に移るんですね?」
「瞑想するには、高い場所が適している。聖人や仙人が山に()む理由も同じ。しかも、スンダリジャルは水が清い。大きなダムがあってね。カトマンドゥの水を供給する」
「ダムに毒でも投げ込まれたら、カトマンドゥは大惨事ですね」

 何気なく発した私の言葉に、篠田さんは過剰に反応した。軽蔑と驚きの入り混じった目で睨む。頬を小刻みに震わせている。
「なんて(よこしま)な発想だ。そんな考えが出てくる性根が恐ろしい」

 悪行の想像は(よこしま)だろうか?

 以前、キリスト教徒の友人に、こんな質問をした。

 神が全知全能なら、なぜ人間はこんなにも出来損ないなのか?

 旧約聖書において、人間は数々の失敗をやらかす。失敗のたびに、神は人間を罰し、叱り付ける。それでも人間は同じような失敗を繰り返し、神が「まったく、お前たちは」と呆れて罰する。お決まりな展開の繰り返しだ。

 私が神だったら、元から過ちを犯さない完璧な人間を(つく)る。善行しか積まない人間を創造すれば、罰せずに済む。間違いを起こす仕様で創っておいて罰するなんて、イジメだ。

 友人は、笑って答えた。「人間が善行しかできないなら、それこそ不完全な存在だよ」

 ()に落ちた。

 人間が善いことしかできないようにプログラミングされるなら、神の思い通りに動くロボットに過ぎない。神が自らに似せて人間を創ったならば、どんな邪悪な行動でも選択できる自由があるはずだ。自由があってこその、完全である。

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登場人物紹介

リカルド

クラスメイト

メキシコ人

40代半ば(当時)

神話やインドの文学に興味があり、『ラーマーヤナ』(インドの代表的な文学作品。ラーマ王子の英雄譚)を原文で読みたい

きっちりした性格

ダニエル

クラスメイト

イスラエル人

30代半ば(当時)

アメリカでカメラマンをしていた際、ヨーガを学び始める。精神世界・瞑想に興味ありいずれはサンスクリットでヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)を読みたい

大の甘党。ディスコでの夜遊びがやめられない

篠田さん

クラスメイト

日本人

65歳(当時)

ヨーガ、瞑想の(自称)エキスパート。日本の某私立大学の英語講師を25年に亘り勤め上げた。サンスクリットを学んで教本を出版したい

本人曰く、動物をも感動させる歌声を有し、森で鹿を泣かせたことがあるらしい

ディーパ

教師

ネパール人

25歳(当時)

幼少の頃から英才教育を受け、サンスクリットをマスターした才女

3児の母でもある

宏美(私)

日本人

27代半ば(当時)

大学1年生の時にインド旅行で衝撃を受け、インドの虜に

基本的にボーっとしてる

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