48.黄泉への供物
文字数 2,360文字
額から溢れる汗をハンカチで拭いながら、小太りの体を意外にも敏捷に動かして、ニコライが階段を駆け上がっていった。
屋上に待機させてあるヘリまで逃げ込んでしまえば助かる。
エレベーターを使わないのは、超高温の炎ですべてのエレベーターが焼かれてしまったためだ。
「が、ガキどもが…」
これまで想像をしたことものない恐怖の塊が歌いながら登ってくる。
強い異能力を持ち、人間など一瞬で肉塊に変えてしまう魔女と対峙したときでも、ニコライは恐怖を感じたことがなかった。
戦争中、激しい戦火の中にあっても、感じ得なかった恐怖。
それ故に、激しい拷問に対する恐怖とその苦痛に歪む人間の姿を、むしろ自分に存在し得ないその感覚を崇高な気持ちで眺めるため、次々と犠牲者を欲していたのかもしれない。
しかし、今、彼の全身をからめとって離さない絶対的な恐怖心。
それは、ただ一人の日本の男子高校生によって与えられていた。
生来恐怖そのものに鈍感なニコライにとって、それが恐怖心というものであると気がつくまでに時間がかかった。しかし、今は必死に手足を動かして、その対象から逃れようとしている。
途中、別の兵士達と合流し、なりふりを構わずわめき散らし、迫り来る悪魔に対して防御線を張るように指示を出す。
しかし、あの日本の高校生は、手にした銃とナイフ、そして超高温で無尽蔵に出現させる炎によって、革命軍の精鋭たちを次々と撃ち倒し、焼き払い、研究所内をのんきに見学でもするかのようにしてこちらに歩いてくる。
「オレら陽気な殺人マシン♪ニッコリ笑顔で両手にナイフ~♫」
日本語であろうおかしな歌は、今や一つの口で二人の声音で歌われていた。
厚い鉄とコンクリートでできた防護壁を一瞬で蒸発させ、溶解した構造物の中から笑いながら現れる姿は、火炎を背負うアジアの如来かアラブの魔神を思わせる。
階下で銃声が鳴り、炎が吹き上がり、腹の底に響くような轟音が鳴る度に、ニコライの心臓は跳ね上がり、身体が意識とは別に硬直する。
究極の恐怖の具現化。
極東にある世界でも有数な平和大国ニッポン。
そのハイスクールに通う子どもがニコライにとって、今や最悪の恐怖の対象となっていた。
圧倒的で一方的な暴力に対するものではない。
人間が本当に見てはいけない何かの存在すら感じる。
屋上のヘリポートへと続く扉にたどり着き、ドアを開けたとき、ニコライは助かったと思った。
泣き叫び、慈悲を請う、拷問にかけた魔女達の叫びが今ようやく理解出来る気がした。
後はヘリに駆け込むだけだ。
すると、同軸反転式のローターを備えた特殊な形の小型ヘリが、目の前で炎に包まれた。爆発をくり返しながら溶岩の様にとろけ出した。
赤く溶けた溶岩がゆっくりとニコライの方に流れ出す。
「ヒッ」
始めて悲鳴を発して振り返った。
およそこの世の物とは思えない顔をした沖田がゆっくりとこちらに近づいてくる。
「さあ、おまえもみんなと一緒に行くんだよぉ」
地の底から這い出るような声が響く。
沖田に向かって一斉に射撃を開始した護衛達が、次々と燃え上がった。
研究所内で共に陵辱と拷問の限りを尽くしていた側近の精鋭達。
彼らが次々と赤く燃え上がり、深淵に染まった口蓋を大きく開けて、ニコライに助け求めてくる。
もう一度悲鳴を上げると、ニコライはそこにへたり込んだ。
「姫が、エリサがどうなってもいいのかっぁ?!!」
必死に手足をばたつかせて後ずさる。
「どこにいるんだよぉ。その姫とやらわぁ」
「私を殺したら、姫も死ぬことになるぞ!」
ニコライの悲鳴があがった。
右目から黒い炎が吹き出し蒸発を開始する。
のたうつニコライをうっとりと眺める沖田ではない何か。
「どうせお前は永遠に苦痛を味わうことになるんだよぉ」
ニコライの左足が燃え上がり、足先からじわじわと蒸発を開始する。
「わかった。やめろ、やめてくれ」
生きたまま焼かれ蒸発する激痛と恐怖に後ずさるニコライ。
ゆっくりと近づく沖田の全身から黒い炎が吹き出す。
「おまえが女達に与えてやった苦痛と恐怖にくらべれば微々たるものだろぉ」
地の底から響く声のハーモニー。
「どこにいるんだよぉ」
「お前達が来る前に、トラディッチの兵が城へと連行していった」
「あぁ?何を聞く?」
沖田がけだるそうに首をかしげた。
「カーラとか言う女の家族はどうした?」
「カーラ?ああ、あのできそこないの魔女のことか。あいつらも城へ連れて行かれた」
燃え上がり徐々に蒸発していく自分の左足を必死に押さえながらニコライが応えた。
沖田の口の奥から女の声が続ける。
「そうか。ああ、わかったよぉ。これほどの憎悪を現世で受けた人間は昨年以来だしねぇ」
「言ったぞ!助けてくれぇっ!」
鳴き叫ぶニコライに、
「ああ、生かしてやる。生のままあちらに連れて行ってやるよ。炎で焼かれては永遠に生き返り続ける苦痛の中でくり返しくり返しくり返しぃいいい!」
見開かれた沖田の眼と口は大きな虚無の穴が穿たれていた。
空が黒くざわつき、ゆっくりと落ちてくる。
翼の生えた黒い人型の何かが、ビルの屋上に穿たれた穴から一斉に這い出てきた。
腐敗臭のする甲虫達。その悍ましい数々が一斉にニコライに飛びついていく。
「・・・!」
声にならない悲鳴を上げたニコライが腐ったスカラベの固まりに覆われ、漆黒の穴へと溺れていく。
「あと少しだ。あと少しでお前の魂も」
今や赤い炎の彫像と化した沖田がうっとりと言い、赤く染まる空を仰ぐ。
その口からこの世では絶対に聞くことの出来ない咆吼がこだました。
紅蓮の炎がエメトリアの空へと吹き上げ、その炎がゆっくりと研究施設を覆っていく。
これまでの犠牲者の魂をすべて吸い上げるように。
To be continued.
屋上に待機させてあるヘリまで逃げ込んでしまえば助かる。
エレベーターを使わないのは、超高温の炎ですべてのエレベーターが焼かれてしまったためだ。
「が、ガキどもが…」
これまで想像をしたことものない恐怖の塊が歌いながら登ってくる。
強い異能力を持ち、人間など一瞬で肉塊に変えてしまう魔女と対峙したときでも、ニコライは恐怖を感じたことがなかった。
戦争中、激しい戦火の中にあっても、感じ得なかった恐怖。
それ故に、激しい拷問に対する恐怖とその苦痛に歪む人間の姿を、むしろ自分に存在し得ないその感覚を崇高な気持ちで眺めるため、次々と犠牲者を欲していたのかもしれない。
しかし、今、彼の全身をからめとって離さない絶対的な恐怖心。
それは、ただ一人の日本の男子高校生によって与えられていた。
生来恐怖そのものに鈍感なニコライにとって、それが恐怖心というものであると気がつくまでに時間がかかった。しかし、今は必死に手足を動かして、その対象から逃れようとしている。
途中、別の兵士達と合流し、なりふりを構わずわめき散らし、迫り来る悪魔に対して防御線を張るように指示を出す。
しかし、あの日本の高校生は、手にした銃とナイフ、そして超高温で無尽蔵に出現させる炎によって、革命軍の精鋭たちを次々と撃ち倒し、焼き払い、研究所内をのんきに見学でもするかのようにしてこちらに歩いてくる。
「オレら陽気な殺人マシン♪ニッコリ笑顔で両手にナイフ~♫」
日本語であろうおかしな歌は、今や一つの口で二人の声音で歌われていた。
厚い鉄とコンクリートでできた防護壁を一瞬で蒸発させ、溶解した構造物の中から笑いながら現れる姿は、火炎を背負うアジアの如来かアラブの魔神を思わせる。
階下で銃声が鳴り、炎が吹き上がり、腹の底に響くような轟音が鳴る度に、ニコライの心臓は跳ね上がり、身体が意識とは別に硬直する。
究極の恐怖の具現化。
極東にある世界でも有数な平和大国ニッポン。
そのハイスクールに通う子どもがニコライにとって、今や最悪の恐怖の対象となっていた。
圧倒的で一方的な暴力に対するものではない。
人間が本当に見てはいけない何かの存在すら感じる。
屋上のヘリポートへと続く扉にたどり着き、ドアを開けたとき、ニコライは助かったと思った。
泣き叫び、慈悲を請う、拷問にかけた魔女達の叫びが今ようやく理解出来る気がした。
後はヘリに駆け込むだけだ。
すると、同軸反転式のローターを備えた特殊な形の小型ヘリが、目の前で炎に包まれた。爆発をくり返しながら溶岩の様にとろけ出した。
赤く溶けた溶岩がゆっくりとニコライの方に流れ出す。
「ヒッ」
始めて悲鳴を発して振り返った。
およそこの世の物とは思えない顔をした沖田がゆっくりとこちらに近づいてくる。
「さあ、おまえもみんなと一緒に行くんだよぉ」
地の底から這い出るような声が響く。
沖田に向かって一斉に射撃を開始した護衛達が、次々と燃え上がった。
研究所内で共に陵辱と拷問の限りを尽くしていた側近の精鋭達。
彼らが次々と赤く燃え上がり、深淵に染まった口蓋を大きく開けて、ニコライに助け求めてくる。
もう一度悲鳴を上げると、ニコライはそこにへたり込んだ。
「姫が、エリサがどうなってもいいのかっぁ?!!」
必死に手足をばたつかせて後ずさる。
「どこにいるんだよぉ。その姫とやらわぁ」
「私を殺したら、姫も死ぬことになるぞ!」
ニコライの悲鳴があがった。
右目から黒い炎が吹き出し蒸発を開始する。
のたうつニコライをうっとりと眺める沖田ではない何か。
「どうせお前は永遠に苦痛を味わうことになるんだよぉ」
ニコライの左足が燃え上がり、足先からじわじわと蒸発を開始する。
「わかった。やめろ、やめてくれ」
生きたまま焼かれ蒸発する激痛と恐怖に後ずさるニコライ。
ゆっくりと近づく沖田の全身から黒い炎が吹き出す。
「おまえが女達に与えてやった苦痛と恐怖にくらべれば微々たるものだろぉ」
地の底から響く声のハーモニー。
「どこにいるんだよぉ」
「お前達が来る前に、トラディッチの兵が城へと連行していった」
「あぁ?何を聞く?」
沖田がけだるそうに首をかしげた。
「カーラとか言う女の家族はどうした?」
「カーラ?ああ、あのできそこないの魔女のことか。あいつらも城へ連れて行かれた」
燃え上がり徐々に蒸発していく自分の左足を必死に押さえながらニコライが応えた。
沖田の口の奥から女の声が続ける。
「そうか。ああ、わかったよぉ。これほどの憎悪を現世で受けた人間は昨年以来だしねぇ」
「言ったぞ!助けてくれぇっ!」
鳴き叫ぶニコライに、
「ああ、生かしてやる。生のままあちらに連れて行ってやるよ。炎で焼かれては永遠に生き返り続ける苦痛の中でくり返しくり返しくり返しぃいいい!」
見開かれた沖田の眼と口は大きな虚無の穴が穿たれていた。
空が黒くざわつき、ゆっくりと落ちてくる。
翼の生えた黒い人型の何かが、ビルの屋上に穿たれた穴から一斉に這い出てきた。
腐敗臭のする甲虫達。その悍ましい数々が一斉にニコライに飛びついていく。
「・・・!」
声にならない悲鳴を上げたニコライが腐ったスカラベの固まりに覆われ、漆黒の穴へと溺れていく。
「あと少しだ。あと少しでお前の魂も」
今や赤い炎の彫像と化した沖田がうっとりと言い、赤く染まる空を仰ぐ。
その口からこの世では絶対に聞くことの出来ない咆吼がこだました。
紅蓮の炎がエメトリアの空へと吹き上げ、その炎がゆっくりと研究施設を覆っていく。
これまでの犠牲者の魂をすべて吸い上げるように。
To be continued.