短編

文字数 4,951文字

 1

 女子高生が喫煙で謹慎処分。そんなニュースが目についた。どこにでも転がっていそうなことをわざわざ報道する。万引きだの炎上だの、刑事事件に発展しそうなネタはいくらでも見つかる世の中だ。喫煙で処分された女子高生を取り上げる週刊誌というのは、相変わらずたちが悪い。
「ああ。水木さんな。お前も貧乏くじ引いたよなぁ、溝沼くんよぉ」
 同期入社で副編集長海でもある野は嫌みったらしく笑みを浮かべて続ける。
「あの頃はみんな言ってたな。天才だ、天才だって。わからないもんだよな」

 水木さんとの縁があったのは、もう十年も前のこと。
 当時まだ駆け出し編集者だった私は、ある天才少女に密着取材をしていた。今でこそ芸能人のスキャンダルを追い回す仕事しかしていないが。あの頃は、夢を追いかけていた。本格的なノンフィクション作品を世に送り出すのだ、とかそんなことを信じて疑わなかった。それこそ夢中に。夢の中だったのかもしれない。実際にその夢は水泡と帰したのだ。
 水木さんちのご令嬢は幼いながらにピアノに習熟していた。周囲の人々からは、神童と呼ばれ、親である水木さんも私たちに、娘がいかに天才的であるかというエピソードを話してくれた。生後半年にしてピアノで遊び始めたとか、一歳半になるとひらがなの読み書きができたとか、興奮気味にインタビューに応えていたことを今でも覚えている。

「そういや、坂本さんって今なにしてんの?」
 海野の声で現実に呼び戻される。時刻は十二時を回り、夜中の一時に差しかかっている。年齢もあってか、夜中に眠くなることも増えてきた。
「坂本さんな。今も記者やってるみたいだな」
 坂本さんは私と一緒に、世にいう"神童"を一緒に取材していた記者だ。外部の記者として契約していた。いわゆるフリーライターという人で、フットワークが軽い人だった。私との神童密着の一件が落ち着いたあたりからウチとのやりとりは減っていったけれど。週刊誌でゴシップ記事なんか書いていられるかというのが心情だったのだろうか。今は海外の秘境なんかに足を運んでノンフィクション作品を書いているらしい。著名な作家として名を広げたわけではないが、彼は今も夢を追いかけているのだろう。立派だ。彼のような情熱を、私はもうすっかりなくしてしまった。
 時計の針が一時を指す。
 こんなに遅い時間まで編集部に居座っているのだが、仕事があるわけではない。原稿を待っているのだ。記者が今日の夜中に原稿を上げてくる。

  2

 水木さんちのご令嬢は、神童と呼ばれるにふさわしい振る舞いをしていた。
 そう思っていたのは私だけではないはずだ。
 私とバディを組んで取材していた坂本さんとも、そんな話ばかりしていた。小学生になったばかりなのにチャイコフスキー作曲「ピアノ協奏曲第一番」を見事に弾いて見せたとか、好きな音楽はベルリンフィルが演奏した「展覧会の絵」らしいとか。ちなみにベルリンフィルの指揮者はセルジュ・チェリビダッケでないといけないらしい。カラヤンではダイナミクスが物足りないのだとか言っていた。水木さんちのご令嬢が神童であるエピソードを見つけては喜々として語り合った。
 東京の立川市にある特別な様子もない一軒家であった。もともとは同市内のマンションで親子三人で暮らしていたそうだが、娘さんがピアノの才能を発揮するところをみて、戸建を購入したという。
 水木さんの夫は一流企業に勤める会社員で、収入も中流階級と上流階級の間といったところ。一軒家の購入とあっては、さすがにローンを組んだといっていたが、それに加えてグランドピアノや防音室の施工、高音質名ステレオ環境などを用意しているのだから、一般家庭では考えられないような費用がかかっているのだろう。
 水木さん一家からは嫌みのような成金ぶりは感じられなかったが、音楽の英才教育にかけるお金だけは一般感覚とはとても言えない雰囲気があった。

 3

 水木さんのご令嬢を追いかけ回すようになったきっかけは坂本さんの企画書だった。
「この子、すごいんですよ〜」
 そういって坂本さんは自作の資料を編集部の会議室で広げた。
 広げたといっても、紙の用紙一枚。インパクトがすごかった。水木さんのご令嬢がピアノコンクールで優勝したといった内容が書かれており、その年齢わずか四歳。
 海外で開催された児童ピアノコンクールで優勝したそうだ。
 非常に若い。
 若いというか、幼い。
 私自身はまるで音楽の教養がない。ポップスもろくに聴かないのだから、正直なところ、世界的なコンクールで優勝しようが、地域で開催されたミニコンサートで拍手喝采だったとか、あまり詳しいことはわからない。
 四歳、ピアノ、優勝、海外。そんな言葉だけで、圧倒されてしまった。少なくとも私の人生経験を振り返ったところで、同じような経歴を持つ人物は一人もいなかった。
 坂本さんは水木さんのことをネットで見つけたという。なんでもブログを書いていたのだとか。水木さんは娘の才能を少しでも多くの人に知ってもらおうと努力を重ねていたそうだ。知り合いに結果を報告してクチコミを広げるだけでなく、ブログや徐々に利用者を伸ばしていたTwitterなんかも活用して、活動の様子を記録していた。
 それをたまたま坂本さんが目に付けた。
 私たちはすぐに水木さんへコンタクトを図った。幸い、編集部がある神保町から遠くない立川市内で暮らしているということがわかった。まずは近所の喫茶店で話を伺うことになった。

 水木さんは品が良く、清楚で、適度に上品に飾ったその様子に良い印象を持った。
 娘の才能が評価されたことがよほどうれしいからか、やたらと丁寧に準備をしていた。ピアノにはじめて触れたのは四月の七日で、児童用ピアノおもちゃの写真まで見せてくれた。最初に覚えた曲を録音した音源やビデオ映像。まるで最初から神童と呼ばれることがわかっていたような記録ぶりであった。
「すごい! これだけ資料があれば連載もアリじゃないですか!」
 坂本さんは興奮していた。
 連載は彼にとっては都合がいい。フリーライターは原稿料で生活をしているので、連載企画は即安定収入なのだ。話題となり書籍化すれば印税でさらに収入は増える。私は私で社畜という考え方なのかもしれないが、私は私でしばらくのあいだ担当ページに穴を開ける心配がなくなることがうれしかった。
 こうして神童の物語ははじまった。
 日本発で海外に注目された天才ピアニストとして水木さんのご令嬢は時の人となった。最初に縁があった私たちは水木さんのご好意で、優先的に取材をさせてもらえたが、雑誌にとどまらずテレビやラジオなど、複数のメディアが取材にかけよった。
 週刊誌という仕事柄か、取材した人間が脱税や不倫などで世間を騒がすことが多い。今回は違う。後ろめたさはまるでない。むしろ誇らしい。大学を卒業してなんとなく出版社というものに憧れて、なんとなく働いてきたが、こうして社会のムーブメントを掘り起こした気分を味わうと、なんだか偉いところに就職したものだと思うのであった。

 4

 水木さんから呼び出されたのは、メディアが神童だと騒ぎ出して数ヵ月したころのことだった。相談したいことがあるからと連絡が入る。坂本さんが別の仕事で都合がつかないとのことだったので、私だけが立川駅のすぐ近くにあるカフェへ向かった。こんなときに自由業者っていいよな、会社員には責任があるんだ、とか思いながら電車にゆられる。
 平日の昼間にもかかわらず、カフェはそれなりに賑わっていた。コーヒーを飲みながら、カフェの入口を眺めていると水木さんが現れた。
「溝沼さん、わざわざ来て頂いてありがとうございます」
 初対面のときに発した水木さんの瑞々しさはなかった。どこか暗い様子である。
「何か、大変なことがあったのだとか」
 私は何気なく問いかけた。
「音楽家先生は、うちの娘が神童だなんて認めないとSNSで発言したらしいんです」
 水木さんが言うには、その音楽家はTwitterやInstagramなんかでも頻繁に意見を公開している。インフルエンサーとか呼ばれているらしい。最近ではYouTuberデビューもしたらしく、音楽業界の盛り上げ役を担っている。水木さんちのご令嬢を天才だの神童だのと盛り上げていることに批判的であったという。
 私には何が起こっているのか解せなかった。
 神童ではなかったのか、あれだけみんなが天才だと言っていたじゃないか。
「しかし、水木さんは娘さんの才能を信じているのでしょう」
 私がそう問いかけると、水木さんはしばらく黙っていた。
「私の勝手な願望だったのかもしれません」
 つぶやくように言葉をこぼす水木さんの目には涙が浮かんでいるように見えた。
「願望ですか?」
 私の問いかけに、水木さんは声を震わせながら答えた。最初は小さな海外の演奏会で優秀賞をとったことがキッカケだったという。その報告を目にした坂本さんが、声をかけ、私が一緒に取材へやってきた。そして「神童」というキャッチコピーとともに、記事が掲載され、ラジオやテレビなどが取材へ押しかけていく事態にまで発展した。つまり評判の一人歩きだ。水木さんに自覚はあったようだが、我が子が賞賛される快感を抑えることができなかったという。
「溝沼さん、わたし、どうしよう」
 水木さんが私の手を強く握る。
 窮地に追い込まれた水木さんの心情を無視して、私の鼓動は高まった。握られた手から、人のぬくもりが伝わってくる。
 不要に高ぶる欲望を抑えようとするが、握られた手を離す気にはなれない。人妻に手を出してはいけないという社会通念を理解しながらも、その手を振りほどくことはできなかった。このまま二人で休憩所へ向かうのもいいだろうか、話はそれからゆっくりすればいいではないかと妄想を膨らませていると、水木さんが話を切り出す。
「けれど、何も悪いことしたわけじゃないものね」
 顔を上げた水木さんは、どこかすっきりした様子だった。私に不安をぶつけたことで、もやもやしたものがなくなったのだろうか。私は一人だけ取り残された気持ちになっていた。
「そうよ、私は一生懸命に娘の面倒をみただけなのだから」

──神童なんてわからないもんだな

 海野の声で私は目を覚ます。
「おやおや、職場でお眠りですか。ベテラン編集者は良いご身分ですな」
 海野がまた嫌みったらしく笑みを浮かべている。
「眠ってなんていない。ただ、思い出していただけだ」
 そう言い返したが、眠っていたのかどうか私自身も自覚はない。あのとき、水木さんのご令嬢が本当に神童として頭角を現し、世界を舞台に活躍するピアニストだったら、私はどんな仕事をしていたのだろう。そんな夢のような話が頭をかけまわっていた。
 水木さんのところへ取材で伺ったのは、あのときが最後となった。
 例の音楽家の発言で特集もすっかり減り、うちの編集部でも取り上げることはなくなった。
 誰も読むことがなく話題性がない記事に対して週刊誌は厳しい。読まれてなんぼの世界なのだ。そして世間もまた、刺激がない話題には厳しい。
 天才といった言葉に世間は過剰に反応してしまう。けれど、実際に天才であるかどうかを判断できる審美眼を持っている人はまるでいない。いないというよりも、判断基準なんてものは存在しないのかもしれない。時代が流れ、流れた時代の先でたまたま目に付けられ、評価された人だけが天才となっていく。芸術家のなかにもまだまだ発掘されていない"天才"がいるのだそうだ。
 水木さんのご令嬢は今、どんな気分だろうか。自意識もままならない時期に大人たちから注目され、独りよがりに冷めていく興奮を。
 火付け役になってしまった私に、今さら彼女に顔を合わせる資格はない。ただ遠くから、幸せな人生を送って欲しいと願っている。私の義務だ。
 彼女が口にしたタバコはどんな味だったのだろう。
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